第13隻

 ナミルと別れ、再びユリウスに案内をしてもらう。

 ナミルがナタリーに付くのは明日からになるとユリウスに説明を受けた。

 そのため今日はまた屋敷に入り、残りの部屋を見て回る。

 訓練場が見渡せる渡り廊下を進み、東の階段を登ると、両側に甲冑が飾られた廊下に出た。


「ここは歴代の辺境伯の肖像画が飾られている回廊です」


 なるほど、壁にはいくつもの肖像画が飾られており、窓の光を受けて額縁が煌めいて見えた。

 古い肖像画をいくつか眺めながら進んだ後、ナタリーの目に一枚の肖像画が目に止まった。


「これは……ケヴィン様のご両親ですか?」

「はい。先代の辺境伯閣下とご主人様のお母上であられるミュゼット様です」


 ケヴィンとよく似た黒髪の精悍な男性の隣に、緩やかに波打つ金髪の女性が描かれている。

 肖像画であるにも関わらず、どこか親しげな雰囲気が伝わってくるようだった。


「確か……お義父様はケヴィン様が子どもの頃に亡くなっているのよね? お義母も床に臥しているとか……」

「さようでございます。政略結婚であったにも関わらず、大変仲の良いご夫婦でしたから、ミュゼット様は前辺境伯閣下が亡くなられてから徐々に気力を失われて……。今ではベッドから起きることはほとんどありません」

「そうなの……。ねえ、お義母様に挨拶をしに行きたいのだけれど、駄目かしら」

「最近は特にミュゼット様のお加減がよろしくないからと、ご挨拶は遠慮していただくよう言付かっています」


 ユリウスの顔がどこか引き攣って見える。

 ミュゼットのことはあまり触れない方が良さそうだ。

 とは言っても、このアンカー辺境伯家に嫁ぎにきたのだから、いつまでも無視している訳にはいかない。

 兎にも角にも、焦らず様子を見た方が良さそうだと思い直す。


「分かったわ。またケヴィン様に相談させてもらうわね。……そう言えば、ケヴィン様はどんな子どもだったの?」

「そうですね……とてもよく笑う方でした。私の方が2歳年下なのですが、どちらが年下か分からないと言われるほどやんちゃでしたね。ナミルと一緒にいつの間にかどこかに消えていて、私が二人を探して連れ戻すというのが常でした」


 ナタリーは思わず目を見張った。本当にそれはケヴィンのことなのだろうか。

 今はそんな様子は欠片も見られず、マスクをしているからというのもあるだろうが、表情がほとんど動かないように見えるのに。


「ご主人様が変わられたのは、前辺境伯閣下が亡くなってからです。幼くして辺境伯の地位を継いだご主人様は、決して周囲から侮られまいとそれは苦労をなさいました。10代前半から魔獣討伐に出て、顔に深傷を負い……徐々に今のように感情を表に出すことがなくなったのです」


 ケヴィンが父を失ったのは12の頃。

 それまでは贅沢はなくとも何不自由なく過ごし、毎日幸せに暮らしていた。

 父も母も一人息子のケヴィンを愛していたし、子どものうちはある程度好きにさせようとあまり厳しくすることもなく、自由で明るい子どもだった。

 しかしケヴィンの父が魔獣との戦闘で命を落としてから、状況は一変した。

 幸運にもケヴィンは剣の才能があったし、またそれを好いていたために、魔獣退治の方はどうにかなった。けれど、領地経営の方は順調だったとは言い難い。周囲の力を借りて精一杯やってきたのだ。

 領民のことを第一に、自らは一切贅沢することもなく、ただただ愚直に力を尽くしてきた。

 それ故の、領民たちの穏やかな暮らしがある。

 自分を殺し、領民のため、国民のために直走ってきたケヴィンのことを『北の怪物』などと呼ぶ人々のことを、ユリウスは嫌悪していた。


「ですが、心根は優しいあの頃のまま。何も変わってはおりません」


 執事としてではなく、一人の友人としてユリウスは言った。

 この新しい婚約者とケヴィンが、少しでも良い関係が築ければと、心から祈っている。


 ナタリーはじっと肖像画を見つめていた。

 突然最愛の人を亡くした気持ちは、ナタリーも痛いほどに知っていた。

 ユリウスの話からミュゼットもかなり調子が悪いことが窺える。

 幼い手で剣を握り、顔に大怪我を負ってもなお剣を握り続けるケヴィンのことを、ナタリーは純粋に尊敬した。


 前辺境伯夫妻の肖像画の横には、幼い頃のケヴィンの肖像画が飾られていた。

 なるほどどうして、かなりの美少年だ。

 今は見ることが出来ない美しい口角をあげて微笑む様は、まるで妖精のような清廉さを感じさせる。

 この妖精のような少年が、これまで孤独と重積に押しつぶされ多くの傷に耐えてきたのだと思うと、ナタリーは今すぐ少年を抱きしめてあげたいような衝動を覚えた。

 それと同時に、罪悪感が首をもたげる。

 この少年は幸せになるべきだ。これまでの孤独と傷を全て包み隠せるほどの大きな愛で満たせるべきなのだ。

 その相手は、きっと自分ではない。

 ナタリーは肖像画から視線を外し、靴のつま先を見つめた。



 その後も屋敷の中を巡り、主要な部屋を案内され、ナタリーは部屋に戻った。

 貴族令嬢とは違い体力には自信のあるナタリーも、流石に疲れを感じた。

 全てがコンパクトに効率よくまとまっているファンネル家の家と異なり、とにかくアンカー家の屋敷は広い。

 そして岩山に張り付くような形状から、起伏も多くまるで迷路のようだ。

 一度ではなかなか部屋の位置を覚えられそうになかった。


「お疲れ様でした。本日はここまでにしましょう。明日はナミルが屋敷の外をご案内いたします」

「ありがとう。明日も気温はこのままなのかしら」

「そうですね。しばらくは変わらないかと思われます。ベティに厚手のケープを用意させましょう」

「そうね。……そう言えば、もしかしてベティはケヴィン様の幼馴染なの?」


 ずばり「ケヴィンと恋仲だったのか」と聞くことは憚られ、かなりぼかした表現になる。

 恋仲であることを疑いつつ、それならば何故ベティを娶らなかったのか分からない。

 身分差だろうか? しかしそれならナタリーとて同じである。

 ナタリーには分からないことだらけだ。


 ナタリーの言葉に、ユリウスは目をぱちぱちと瞬いた。

 完璧な侍女であるベティがプライベートな話をするとは思えず、ナタリーとそこまで打ち解けたようにも見えなかった。


「幼馴染、と呼べるかは分かりませんが、ベティも長いことアンカー家に仕えているのは確かです。ベティの母親が元侍女でして、彼女はこの屋敷で育ちましたから」

「そうなの。じゃあ、ベティの指導はお母様が?」

「さようでございます。彼女は勉強熱心でしたし、物覚えも早かったので今ではこの屋敷の中では最も優秀です。ベティの母親は既に病で亡くなっているのですが、生前は侍女の鑑のような女性でした」


 ベティの母親だったという女性は、余程素晴らしい人物だったのだろう。

 彼女を語るユリウスの顔が、どこか綻んで見える。

 まるで愛する母を語るようですらあった。

 そんな女性の娘が、ベティ。


(言葉の端々にベティへの信頼が透けて見える……。これは、ただベティの行動を報告するのは悪手ね)


 ナタリーはまだこの屋敷に来たばかりだ。

 信頼関係どころかきちんとした人間関係を築けていない。そんな状況で、信頼の厚いベティを糾弾したとて、信じられないと白い目で見られる危険性が高い。


(もう少し、みんなの信頼を勝ち取らないと……)


 成り行きとはいえ、自分で選んだ道だ。これしきのことで音を上げる訳にはいかない。

 ユリウスやナミルは歓迎してくれている。他の使用人たちとはすれ違った程度で分からないが、この屋敷で影響力のある人物たちからの歓迎は心強い。


(大丈夫。これからよ)


 ナタリーは自分を鼓舞して、部屋に戻った。

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