ミゲル1

 時は遡り、ボラード伯爵家でのパーティーの日。


 いつも通りミゲルがフィリップとのシガーを終えパーティー会場へと戻ると、ナタリーの姿が消えていた。


(おかしいな。どこへ行ったんだ?)


 会場のどこにもナタリーの姿が見えない。庭にも出てみたが、それらしい人影見当たらない。

 普段ならミゲルの分まで社交に励む勤勉な彼女が一体どこへ行ったのかと、ミゲルは不思議に思った。

 ミゲルはきょろきょろと会場を見回すと、ナタリーと親しい令嬢を見つけた。


「こんばんはブリッジ男爵令嬢。失礼ですが、ナタリーがどこに居るかご存知ですか?」

「ご機嫌ようバース小子爵様。それがどうやら、もう帰ってしまったようですの。ご存知ありませんでしたか?」


(ナタリーが、先に帰った?)


 ミゲルは驚いた。こんなことは初めてだった。


「何やらとても顔色が悪かったようですわ。体調が悪かったのかしら」


 まだパーティーはこれからだというのに、途中で帰るなど今まで一度もなかった。

 ナタリーは社交に力を入れている。次期バース子爵夫人として貴族の人脈を広げようと必死なのだ。実際のところ、ナタリーがそうするのは商会のためという色が強いのだが、少なからずミゲルはそう考えていた。

 多少の体調不良では無理をして気丈に振る舞い、ミゲルの方が心配になることの方が多い。帰るにしても、少なからずミゲルに何か伝えていくだろうと思えた。


 ふと、ミゲルは先程までの自分を思い出す。

 シガーを理由に、フィリップといかがわしい話に興じていた自分を。


(きっと、話そうとしても俺が見つからなかったんだな)


 そう考えて、納得した。

 それに探しに来られて話を聞かれてもまずい。

 違和感を感じつつも、ミゲルは自分にそう言い聞かせた。


 ブリッジ男爵令嬢にお礼を伝えると、小さく息を吐いて顔を上げる。

 ナタリーが居ないなら、自分が積極的に社交をしなければ。

 ミゲルはそう思い、会場を見回して話さなければいけない人物をピックアップする。


 ふと、会場の端の方に居たサラと目が合った。

 彼女は意味深に、ミゲルに笑い掛ける。そしてミゲルもアイコンタクトで応えた。

 ほんの一瞬の出来事。気付く人間はまず居ないだろう。


(こんな関係、早く断ち切らなければならないんだが……)


 ミゲルは内心嘆息した。

 自分がどうしようもなく悪いことをしているのではという罪悪感が首をもたげる。

 気分を落ち着かせるために使用人からシャンパンを受け取り、一口こくりと飲んだ。


(また調子に乗ってしまった……。本当に、俺の悪い癖だな……)


 先程のフィリップとの会話を思い出し、今度は実際に溜息を吐いた。

 本当は、ナタリーのことをあそこまで貶すつもりはなかったのだ。

 サラとの関係は刺激的でも、ミゲルは決してサラを愛している訳ではない。

 本当に愛しているのは、ナタリーだけだ。


 ミゲルは男同士の会話のノリで、つい思ってもいないことを言ってしまうことがよくあった。

「婚約者を愛している」と言うのが恥ずかしいのと、その方が相手が面白がることを分かっているからだ。

 大なり小なり、男ならそういう癖があるのかもしれないが、自分の癖はかなり酷い方だという自覚があった。

 相手がフィリップだというのもあるだろう。

 軍事大臣という高官の息子であり、学生時代からあらゆることに優秀で、女性の扱いにも慣れているフィリップに、ミゲルは憧れているのだ。

 フィリップの前では余計、虚勢を張ってしまう。

 間違ってもナタリーには聞かせられない。だからこそ、フィリップと話す時はあえて別室に籠るのだ。



(もうやめよう。やっと、ナタリーと結婚出来るんだから)


 いつからナタリーのことが好きだったのか、ミゲル自身よく覚えていない。

 けれど、一目見た瞬間からだったように思う。


『初めまして! 私ナタリー・ファンネルと申します。一緒に遊びましょ!』


 父であるバース子爵に付いてファンネル家を訪れた時、輝くような笑顔で自分の手を引いたナタリーに、ミゲルは目を奪われた。

 二人は気も合ったし、話せば話すほどミゲルはナタリーに夢中になっていった。

 けれど長じるにつれ、生殺しのような関係が辛く思うことも増えてきた。

 普通、婚約者ならキスの1つや2つ隠れてするものだ。けれどナタリーは、決してそうしたことを許さなかった。

 平民である為か、自身とミゲルの評判を落とすリスクのあることには敏感なのだ。

 自分を律して理性的に振る舞う様はミゲルにとっても頼もしいと思うと同時に、少しくらいは柔軟になってもいいのではないかと不満にも思う。


 そんな折だったのだ。

 フィリップから「僕の婚約者と寝てみないか?」と、驚くべき提案をされたのは。


 その時を思い返し、密かに眉根を寄せる。

 ミゲルはサラとの爛れた関係を、自ら進んで持った訳ではない。フィリップの提案を断れなかっただけなのだ。

 ミゲルとフィリップの間には、明確な上下関係が存在する。別にフィリップに命令をされている訳でも、こき使われている訳でもない。友人であることには違いないだろう。けれど、二人の間には、傍から見える以上の決定的な差が存在している。

 フィリップはいつも笑顔でいることの方が多いが、自身の言葉を否定されたり断られたりする時、雰囲気が変わる。それはずっと隣にいるミゲルにはすぐに分かることだ。

 明らかに不機嫌な証拠。

 そうなると、フィリップの態度は恐ろしく冷たくなる。だからと言って何か暴力や嫌がらせをされる訳ではない。けれど、ミゲルはフィリップの機嫌を損なうことを、酷く恐れていた。


 だから断れなかった。それは確かである。

 けれどそれが、全ての理由かと言えば、そうではない。

 禁欲を強いられていたミゲルにとって、あまりにも魅力的な誘惑に、抗えなかったというのも間違いなかった。

 実際、サラとの関係は刺激的で、いつの間にかハマってしまっていた。



(明日、ナタリーの見舞いに行こう。急に帰るくらいだから、きっとかなり体調が悪いんだろう。また薔薇を買っていくか)


 ミゲルは頭を振り、愛する婚約者のことを考える。

 薔薇はミゲルにとって愛の印だ。

 ナタリーはもっと控えめな花が良いなどと謙虚なことを言うけれど、薔薇以上に相応しい花は存在しないと思っている。

 明日のスケジュールを頭で組み立て、シャンパンを飲み干すと挨拶の為ホールを進んでいった。


 朝一でナタリーに会いに行こう。

 そう思っていたが、社交に熱を入れすぎたのがまずかった。

 酒を飲みすぎて見事な二日酔いになり、翌日は起き上がることができなかった。

 二日酔いから回復して更に翌日、薔薇の花束を持って見舞いに行ったところ、ナタリーに具合が悪いと追い返されてしまった。

 その時点で、ミゲルは後悔した。それほどに具合が悪かったとは思いもよらなかったのだ。

 フィリップと話し込むのではなく、ナタリーの側にいればよかった。

 そう後悔しながら、更に二日後。再度お見舞いに行ったものの同じように追い返され、いよいよ不安が高まった。

 余程重い病にかかってしまったのか。ナタリーは無事なのか。

 もしくは。 

 ナタリーが何か勘付いたのだろうか?


 そして。

 パーティーから5日後。

 ミゲルの不安は、的中する。


 婚約破棄への同意書を受け取ったミゲルは大いに混乱し、これは現実のことなのかと何度も頭を振った。

 手紙も添えられていたが父であるバース子爵宛のものだけで、ミゲルには一切届いていない。

 一体これはどういうことだと子爵に突きつけられた手紙を読めば、ナタリーが自身の不倫の事実を知ったのだということが分かった。


 ミゲルは真っ青になりながら手紙を握り締めた。

 まさかナタリーに知られてしまうとは。すぐに婚約破棄の同意書を送ってくるなど、余程ショックを受けたのだろう。

 ナタリーと結婚する日を夢見て指折り数えて来たのに、もしもこの結婚がなくなってしまったらどうしたらいいのか。


「全く。あの小娘は調子に乗りおって。男には愛人の一人や二人居て当然だというのに。まあ、お前も結婚前に些かやり過ぎた嫌いはあるがな。こんなことですぐに婚約破棄だなどと言うのは、むしろまだお前を愛している証拠だろう。お前の気を引きたいのさ。花でも渡しながら謝罪して愛を囁けば丸く収まるだろう」


 頭を抱えて震えていたミゲルに、バース子爵はそう言った。

 ミゲルが涙を溜めた瞳をあげて父の顔を見れば、嘘や誤魔化しではないことがよく分かった。


「そうよ。まったくミゲルと結婚できるんだからそれくらい笑って許すのが当然なのに。結婚したら、私が厳しく教育しますからね」


 子爵夫人も、子爵同様不満そうな表情を浮かべて鼻息を荒くする。

 夫人は元々、平民であるナタリーを家に入れることに不満があるのだ。


(そうか……。ナタリーは俺を愛しているからこそ、こんなことをしたんだな。そうさ。これくらいで婚約破棄なんてあり得ない。それなら、サラとの関係を切って心からの愛を伝えれば、きっと大丈夫。大丈夫だ)


 父親の傲慢な言葉に縋り自身の認識を歪めたミゲルは、その認識同様、酷く歪んだ笑顔を見せた。


「まずは、サラとの関係を精算する手紙を書くよ。それから薔薇の花を買いに行って、ナタリーの家に行ってくる」

「そうだな。私たちも行こう。婚約は家同士の契約のようなものだ。正式に話をした方がいい。鉄道事業も始まったんだ。これからもっと金もかかる」


 後半の言葉が、子爵の本音だ。

 最近子爵は他の貴族と共に鉄道事業を始めた。ファンネル家が開発した蒸気機関を転用した蒸気機関車を走らせるというものだ。

 元々はとある伯爵が発起人となりファンネル商会に協力を仰いで始まった事業である。バース子爵もそれに便乗することにしたのだ。

 これまではゲートがあるために、国内の新たな移動手段を開発するという発想に結び付かなかったのだが、ファンネル商会の船により海上輸送が活発化したことで、国内の陸上輸送への需要も刺激された結果だった。

 ゲートの大きさでは人が通るのがせいぜいで、しかも使用料が高すぎる。日常的な貨物の輸送には適さなかった。


 鉄道事業はかなりの冒険ではあったが、子爵には勝算があった。しかしなにぶん金がかかる。

 当然事業への出資はバース子爵が行ったが、それもナタリーの輿入れによる資産を当てにしてこそ。

 それが今更ナタリーとの婚約が破棄されたとあっては、全てがお終いだ。

 なんとしてでもナタリーに婚約破棄を撤回させるつもりだった。


「行こう。大丈夫。お前が話せばどうにかなるさ」

「ああ。そうだよね」


 大丈夫大丈夫と、3人は何度も頷き合った。

 自分たちが如何に甘い見積もりをしていたか、それを知るのは、翌日のことだった。

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