ケヴィン1

 嵐のようにナタリーが去った後、ケヴィンは疲労を覚え深いため息を吐いた。


「よろしかったのですか、ケヴィン様」


 ナタリーが居た時からずっと壁際に控えていた青年が、ケヴィンの元に歩み寄る。

 アッシュグレイの髪を後ろで一本の三つ編みにし、紫の瞳を眼鏡で隠す彼の名は、ユリウス・デッキ。この屋敷の執事である。

 ケヴィンの幼い頃からの従者であり、兄弟のように育った数少ない友人の一人である。


「何を言う。お前も乗り気だったから彼女を中に入れたんだろう」

「よくお分かりで。彼女くらいの勢いがなければ、ケヴィン様は一向に奥方を娶らないのではないかと思いまして」

「相変わらずお前は容赦ないな」


 ケヴィンの結婚のこと、後継者のことでユリウスはずっと気を揉んでいた。

 普通の貴族であれば、結婚せずとも養子を取ればそれでいい。しかしアンカー辺境伯は、かつてこの地を治めた小国の王だった。今でこそ魔獣討伐以外に存在感のない一貴族でしかないが、ここの領民たちにとっては違う。脈々と紡いできた血脈の意味は大きい。ケヴィンに健康上の理由があるならいざ知らず、養子は最終手段だと考えていた。

 ケヴィンも重々そのことは分かっていたが、前妻のこともあり、どうにも積極的になれないでいたのだ。

 そこに飛び込んできた、ナタリー。

 ケヴィンの気持ちを正直に言えば、理知的な外見は好感が持てるし、はきはきと自身の言葉を伝える姿勢も、度胸のある姿も好印象だ。

 些か思い切りが良すぎるのではないかとも思えるが、拒絶するほどの感情は持たなかった。事実、彼女の財力も魅力的である。

 そして何よりも。

 ケヴィンの素顔を見てもなお、彼女は笑顔を見せたのだ。



 ——『北の怪物』。


 彼は自分がそう呼ばれていることを知っていた。日夜魔獣との戦いに明け暮れ、体には血の匂いが染み付いている。

 何よりこの、おぞましく醜い顔。ケヴィンは自ら、言い得て妙だと納得しているくらいだった。


 ケヴィンの父は早逝し、母も病に倒れこの数年はベッドから出ることのない日々だ。早くにアンカー辺境伯の地位を継ぎ、1人で必死に生きてきた。

 この荒れた寂しい大地で生きる領民たちのため。この国の人々を魔獣の脅威から守るため。

 ケヴィンはそんな自分の人生を、誇りに思って生きている。

 けれど、それでも。

 自分の身の上に、何も思わない訳ではない。


 毎年魔獣の動きが落ち着く夏には、度々ゲートを使い社交のため皇都へと訪れる。だが、貴族女性と会話をしたことなど皆無。それどころか、男性であっても最低限の挨拶と事務的な会話しかしたことがない。

 辺境伯として社交が大切なことは分かっている。婚約者も早く見付けなければならない。けれど人々はケヴィンのことを恐れ、近づくことはないのだ。


(無理もない。この顔では……)


 ケヴィンは俯き、マスクを更に引き上げる。

 自分で見ても、化け物じみている顔だと思う。頬から覗く歯はまるで飢えた獣のようで、涎が絶えず溢れ出す。だからマスクの裏側には、随時交換できるようマスクとは別の当て布をしているのだ。

 こんな男の顔を、間近で見たい人間など居るはずがない。


『その顔を二度と見せないで! あなたなんかに嫁がざるを得なかった自分が惨めで仕方なくなるわ!』


 前妻はそう言った。

 いつまでも婚約者を作らないケヴィンに痺れを切らした皇室が、手を回して寄越した女性だった。

 アンカー辺境伯はこの帝国の砦。その砦に後継者が居ないことを不安に思っているのだ。

 皇室の命令を拒否出来なかったのだろう。地位が弱く冴えない子爵家の娘だった彼女は、さながら生贄のようなものだった。

 初夜の際、いつまでも隠しておけないとケヴィンは彼女にマスクの下の顔を見せた。決して憐れんで欲しかった訳ではないが、生涯を共にする伴侶には知っておいて欲しい願ったからだった。

 しかし彼女は恐れ慄き、先のような言葉を投げつけ、その後ケヴィンの顔を見ることは二度となかった。

 ずっと部屋に篭って泣き暮らし、最初は彼女に寄り添おうとしたケヴィンも、自身と顔を合わせれば余計悲痛に泣き叫ぶ彼女のため、どんどんと距離を取っていった。まだ使用人の方が顔を合わせる機会が多かっただろう。

 それでも自分に嫁いでくれた妻を大切にしようと、彼女の嫌がることは極力取り除こうと、彼女が笑顔でいられるようにと、精一杯の努力をした。つもりだった。


 結果。

 酷い鬱病を患った前妻は、一人城壁に上がった。


『その顔をこちらに向けないで化け物!! こっちに来ないで!!』


 どうにか彼女を落ち着かせ留めようと追いかけたケヴィンに、彼女はそう言い放った。

 ケヴィンのことを憎悪するように睨みつけた後、彼女はまるでこの世の悲劇を一身に受けているかのような表情で涙を流し、ケヴィンの目の前で身を投げた。


 この出来事は、ケヴィンの心に決定的な傷を付けた。

 5年経った今でも、ずっと忘れられないでいる。

 元より社交的な性格ではない上に、顔の傷と世間の評判から出来るだけ前に出ることを控えていたというのに、輪をかけてそれが酷くなった。

 ケヴィンにとって社交シーズンは苦痛でしかない。まだ魔獣との戦いに明け暮れていた方がましだと思う。

 先日のボラード伯爵子息の結婚パーティーも、全く気が進まなかった。

 しかしボラード伯爵は軍事大臣である。国からの対魔獣用国防費が要となるアンカー辺境伯領にとって、重要な人物だ。さすがに欠席することは出来なかった。

 それでもパーティーの序盤から行くことは憚られ、適当な理由を付けて遅れて行ったのだ。元々、祝辞を伝えたらすぐに帰るつもりだった。

 それが、まさかこのような縁を結ぶことになろうとは、思いもしなかった。


『なんだかお互い謝ってばかりでおかしくって』


 そう言って笑ったナタリーの顔を思い出すにつけ、あれは夢だったのではないかとケヴィンは思う。

 自身の顔を見た直後だというのに、笑顔を見せる女性がいるなど、思いも寄らなかったのだ。

 それなのに、まさか彼女から結婚を申し込まれるとは、ケヴィンはこれ以上驚くことはないというほどに驚いた。

 聞けば彼女にはそれだけの理由があり、この関係はまさしく契約なのだろう。

 最初はまるで自分がミゲルの代用品かのように扱われた気がして気分を害しだが、正直に全て打ち明け、誠実に取引しようとする彼女に、不思議なことにむしろ好感が持てた。

 ミゲルと恋愛関係だったということから、ナタリーは普通に恋愛を楽しみ謳歌する女性なのだとケヴィンは認識した。そんな彼女がこの自分を選ぶなんて、それほどまでに今の婚約者に裏切られたことに傷付いているのだろうとも。

 いつか心が癒えた時、また彼女が自由に恋愛が出来るようにと、『愛や恋は期待するな』とあえて突き放すようなことを言った。それすらも彼女は笑って受け入れてみせた。

 この決断が吉と出るか凶と出るか分からないが、ケヴィンは賭けてみても良いのではないかと思えた。



『その顔をこちらに向けないで化け物!!』


 前妻の最期の言葉が突如ケヴィンの頭を掠め、眉を顰める。

 何度振り払おうとしても、頭にこびりついて離れない。あの日からずっとそうだ。

 ケヴィンは前妻の亡霊を振り払うように、紅茶を一気に飲み干す。

 ナタリーの前で再度マスクを外すことは憚られ、一口も飲んでいなかった紅茶は既に冷えていた。

 カップをソーサーに戻し、一つ息を吐き出して、ケヴィンはユリウスと共に客間を後にした。


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