第4隻

 翌日。


 ナタリーはバース子爵家に婚約破棄の書類を送った。

 ミゲルに裏切られ、もう婚約を継続することはできないという手紙を添えて。

 手紙を読んだミゲルたちが押しかけるに違いないと考え、ナタリーはすぐに辺境伯領へと向かう準備をした。

 昨日のうちにアンカー伯爵家のタウンハウスに先触れの手紙を出していたが、今朝送られてきた返信に、既にケヴィンは領地に戻ったと記されていたのだ。

 ならば、領地まで行くしかない。

 念のため、領地に向かう旨の返信を送り返し、すぐに皇都の中心にある大聖堂へと向かった。


 アンカー辺境伯領まで、馬車で行けば優に半月はかかる。

 けれどケヴィンは、『ゲート』を使い領地との行き来をしていた。

 ゲートはこの帝国のいくつかの街に設置され、それをくぐると別のゲートに一瞬で移動することができるアンティークの魔道具だ。

 この国の魔道具はとても貴重である。というのも、新しく作ることがほぼ出来ないからだ。

 かつては人間にも魔力があり、魔道具の作成や開発が盛んに行われていた時代もあったが、人々が魔力を失って久しい。

 今や魔力を宿すのは、魔獣だけになってしまった。

 魔獣の魔力を利用して作られる魔道具というのも、なくはない。とはいえ用途が非常に限られていたり、そもそも数も少なく、とてもではないがそう簡単にお目にかかれるものではない。

 つまり現在は、かつて作られた魔道具のアンティークを慎重に使用していることがほとんどだということだ。ゲートもその一つである。


 本来なら一度使うだけで平民が半年は食べていけるほどの料金を取られるが、アンカー辺境伯は別だ。

 ゲートの無償使用が正式に皇帝より許されている。

 有事の事態に備え、最北端の地と皇都を簡単に行き来できるようにするためだ。

 春から夏にかけては社交シーズンで皇都でのパーティーの予定が多い。一伯爵として社交をこなすため、ケヴィンはゲートを使い頻繁に領地との行き来をしているのだった。


 今回はナタリーも、ゲートを使用した。

 ゲートの管理は教会の管轄で、全てのゲートは教会に設置されている。皇都の場合は、ブルワーク大聖堂だ。

 大きなステンドグラスが印象的な礼拝堂の隣に、それよりも一回り小さい石造りの建物がある。

 中に入ると、がらんとした空間の真ん中に、大人が二人並んで通れるほどの大きさの扉が置かれていた。それがゲートだ。

 とても貴重な魔道具だというのに、さして人は居なかった。それだけ利用料が高価だからだろう。

 それくらいの額は、ファンネル家にとってはどうということもない。

 今は時間をかけていられないのだ。



 ゲートを出ると、ナタリーは予想だにしない肌寒さに思わずショールをかき合わせた。もう初夏だというのに、寒さに鳥肌が立つくらいだ。

 多少厚着をしてきたつもりだったが、ナタリーは着いて早々、自分の準備不足を呪った。


 ナタリーが出たゲートは、アンカー辺境伯の屋敷から歩いて1時間ほどのシャンクという街の教会にあった。

 大きな尖塔が特徴的な教会だった。

 シャンクはアンカー辺境伯領で最も大きな街である。

 辺境伯家まで馬車で向かっても良いのだが、あえてナタリーはその距離を歩いていくことにする。

 色々と情報は頭に入れてきたが、結局、自分が直に肌で感じることが最もその場所や人を知ることが出来ると思っているからだ。

 肌寒さに腕をさすりながら、てくてくと歩く。歩きながら注意深く街を観察していった。


(お世辞にも活気付いているとは言い難いわね……)


 街も、自然の景色も、どこか侘しい。

 北国らしいと言えばそうだ。冬になると豪雪で他領との行き来も出来なくなるほどであるという。

 けれどそれ以上に、どうにも拭えない陰鬱さがこの街にはあった。

 魔獣蠢く大地との距離の近さから、魔獣だけが持つ魔力の素、魔素の影響も受けているのかもしれない。

 この街の雰囲気は、北の険しい環境が色濃く反映されているようだとナタリーは思った。


 街の端まで歩いて、ふと気付く。全体的に暗い雰囲気ではあるが、貧富の差はあまり感じられない。

 大きな街では大なり小なり路上で暮らす人々が出てきてしまうものだが、この街ではほとんど見かけなかった。

 かと言って住人が居ない訳ではない。誰もが慎ましやかに暮らしているという印象だった。


(少ない資源でも誠実な経営をしている、ということかしら)


 もちろん、たった一度街を歩いただけで全てを把握できる訳ではない。だが少なからず、ナタリーはそう感じた。

 ナタリーの中で勝手にケヴィンへの好感度が上がる。貴族の中には領民を自らの奴隷だと勘違いしているような輩もいるのだ。

 貧民に施しを与えるなど、金をドブに捨てるよりも愚かなことだと言う者もいる。そうした貴族の領地には、治安の悪い地域が広くあるものだ。

 キールが伝えた「領民からの信頼が厚い」という情報も確かなのだろう。


 街の観察をしながら歩き続け、ナタリーはアンカー辺境伯家の門の前に辿り着いた。

 その存在感に圧倒される。

 険しい岩山にへばりつくように建てられた屋敷は、さながら要塞のようだった。華美な所など欠片もない堅牢さ。

 けれど、ナタリーはこの地にとても合った屋敷だと思った。


(確かに、皇都の華やかさ慣れている貴族令嬢たちにとっては、威圧感を感じるでしょうけれど)


 ナタリーはキールから聞いたケヴィンの前妻の情報を思い出す。

 彼女はとある子爵家の三女で、それなりに裕福な家の出身だった。

 華やかなものが好きで、社交は率先してやるような女性だったという。

 そうした女性にとっては、確かにこの地は陰鬱としすぎているかもしれない。


 だんだんとナタリーは、自分が無謀なのではないかと不安に思えてきた。

 確かにこの地は気分爽快になるような雰囲気ではない。かと言って命を絶つほど悲観するほどでもないと思える。

 他領から隔絶するという冬の時期を過ごしたからなのだろうか? だとしても、自害するほどではないだろう。

 あのキールですら手に入れられないような、アンカー辺境伯家には何か秘密があるのではないだろうか。

 そんな風に思えてきた。


(大丈夫よ……! ハンカチもきちんと持ってきたのだし!)


 借りたハンカチを返すという名目で来訪するつもりだ。いざとなれば、ハンカチだけ渡して帰ればいい。

 あの日会ったケヴィンの様子を思い出し、少なからず、無礼だと斬り殺されるようなことはないだろうと自分を叱咤する。

 胸元に入れたハンカチを服の上からぎゅっと握ると、意を決してアンカー辺境伯家の門を叩いた。



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