第四十二話 『終末の日』の選択

「では、これが最後のお願いだ。助祭、アドリチェニ・アン・サルナーニス――」


 この戦闘における最高指揮官、タキ・入瀬いるせは、タイプ1をちらつかせながら、こう告げる。


「ただちに全軍へすみやかな戦闘停止と、投降を命じろ。さもなくば――」

「……いいや。もうその必要はない。タキ指揮官」


 その時、


「すでに、敵勢力は鎮圧し……沈黙している。あとは……そいつで最後だ」


 ハルトが姿を現わした。


 無事ではあるようだが、見るからに全身ズタボロで、昨日まで新品同様だった制服は見るも無残な姿になり果てていた。モンドとチェンニに両方の肩を貸してもらってようやっと立って歩いている有様だ。金属探知ゲートを潜るのもひと苦労していたが、なんとか辿り着く。


「ハ――ハルト!!」

「ガ、ガビ! ス、ストップなんだよ!?」


 目の前をハルトが通るのを見て、居ても立っても居られなくなったガビが立ち上がろうとするのを、ハナがしがみつくようにして制した。再会を喜び合うのはもう少し後の方が良い。


 そして、タキの目の前まで辿り着くと、モンドとチェンニに短く礼を告げ、自身の足とチカラだけでのろのろとハルトは歩み寄る。最後に右手を挙げ、今できる最高の敬礼をした。


「タンゴ小隊所属『野良犬ストレイドッグス分隊』分隊長リーダー、ハルト・ラーレ・黒井――只今任務完了しました」

「……っ」


 タキは一瞬泣き出しそうな表情を浮かべる。

 が、すぐに立ち直ると、なんとも複雑そうな笑みを浮かべてみせた。


「なにが『任務完了』だ。『待て』もまともにできない『野良犬』共め……。よくやった」


 その皮肉めいたセリフを聴いた途端、ハルトもタキそっくりの笑みを浮かべる。


指揮官殿ママがよかったからでありましょう。さもなければ……くたばってましたよ」

「ふむ――そいつはなによりだな。本当に……無事でよかった、ハルト」

「ははっ」


 ハルトははじめて目にしたタキの気弱な一面に、照れたように笑い声を上げた。


 そして、それからやっと、ふたりの目の前でひざまずいて項垂うなだれているアドリチェニを見る。


「……お前がこの部隊の指揮官だな?」


 そう呼びかけられるまで、アドリチェニはずっと床の一点を見つめていた。


 ハルトの声を聴き、のろのろと上体を起こしたアドリチェニの灰色の瞳には、燃えるような憎悪と嫌悪の感情が揺らめいていた。それを隠そうともせず、ハルトの問いにこうこたえる。


「わたくしは教皇様にお仕えする聖職者です! お前の言うような下賎げせんな者ではないですわ!」

「悪いな。こっちはもうへとへとなんだ。お前のに付き合ってやるつもりは一切ない」

「……っ!?」


 ぎり、と屈辱に歯噛みするアドリチェニを見据えたまま、ハルトは再び尋ねた。


「どのみち俺は、あんたがどこの誰であろうが構わないんだ。ただ……聞いておきたかった」

「なにを、でしょうか?」

「どうして俺たちから『現実セカイ』を奪ったのか――ただそれだけの、シンプルな質問だよ」


 すると、

 助祭、アドリチェニ・アン・サルナーニスは、


「……うふふっ」


 タキやハルトたちを前にしてはじめて、沸き上がった感情に柔らかく相好そうごうを崩すと、思わず心からこぼれ出てしまった笑い声を素直に漏らした。そして歌うような軽やかな声で告げる。


「まさか……貴方はご存知でなかったのでしょうか? 『竜殺しのドラゴン・英雄スレイヤー』ともあろう御方が?」

「よせ、ハルト! そいつの戯言たわごとに耳を貸すな!!」

「あんたの言うことは正しいんだと思う。でもな、タキ――」


 思わぬ展開に、タキは血相を変えて止めに入ったが、ハルトの決意は固い。


 タキやディーコン、そしてビショップはもちろんのこと、彼ら個人指導教官チューターズたちに対する悪意や疑念は、ハルトの中にはすでになかった。彼らの語ったこの『現実セカイ』の過去、彼らから教えられたこの『現実セカイ』の歴史、それらに嘘があるなどとは微塵も思っていなかった。


 たとえ結果的に騙された恰好になってすら、彼らを親のようにしたう心を捨てられないでいる。


 しかし、今ここでえて敵軍の将であるアドリチェニにそう尋ねた真意は別にあった。


「でも俺は、直接こいつらの口から、混じりっ気のないこいつらの考えを聞いておきたいんだ。あんたや、エドや、仲間たちの口を通じたものではなく、サルーアンの人間から直接――」

「どうして……? なぜだ!?」


 それでもなお、タキはハルトに思いとどまらせようと喰い下がった。

 が、ハルトは首を振る。


「それを知ることで、この下らない戦争を止めることができるのかもしれない……そんな夢みたいなことを思ったからさ。だって、たとえ住む『現実セカイ』は違っても、同じニンゲンだろう?」

「……後悔するぞ、ハルト・ラーレ・黒井」

「後悔なら、今もしてるさ」


 そこでハルトは、口をつぐみ、自分の両手を、じっ、と見つめる。



 何度も、何度も、洗い、ぬぐったが、その手が血にまみれているという感覚は消えなかった。その血の色そのものが違っていたとしても、他の誰かの命を奪ったという事実は消えない。



 その手を、ぐ、と握り締め、ハルトはアドリチェニをまっすぐ見つめる。


「教えてくれ、この俺に。どうして俺たちの『現実セカイ』は、こうなっちまったのかを――」

「それは、貴方たち『サルーアン』の教えを知らぬ者を『救済』するためですわ!」


 アドリチェニの瞳は、己の信ずる正義を微塵も疑うことなくキラキラと輝いていた。


「私たち『サルーアン』の教えを知ることで、貴方たちが砂上に築き上げた、あの愚かしき『高度文明社会』とやらが犯した数多のあやまちをあがない、けがれきった罪深き魂を清めることができましょう。そして、すべてが『サルーアン』の名の下にひとつになる……! それが私たちの願い。それこそが私たちの『救済』なのです」



 長いようで短い時間の後。



「――ええ、それがすべてですわ、『竜殺しのドラゴン・英雄スレイヤー』のハルト」



 ハルトはしばし言葉を失った。



 結論なら、ハルトにも、もう分かっていた。

 決定的に価値観が違う――そのひと言だった。



「嘘……だよな……? それ、なにかの冗談なんだろ……?」


 それでも口に出さずにはいられない。


「この『現実セカイ』に住む人間たちを『救済するため』だなんて、そんな馬鹿げたことって――!」

「この状況で、私が嘘をつく意味がおありだと思われますの?」

「あるワケがない!」


 ハルトは怒気強く否定する。


「あるワケがないから信じられずにいるんだ! 俺たちを『救う』ために、お前たちは侵略戦争を仕掛けてきたんだって言っているのか!?」

、ではありません。、ですわ」

「ふざけるなっっっ!!!!」


 かっ、となったハルトは、目の前にひざまずいていたアドリチェニの胸倉を乱暴に掴み、無理矢理引きずり上げて、その鼻先に噛みつくように吠えた。


「『高度文明社会』とやらが犯してきた数多のあやまちってなんのことだ!? ふざけるな!」

「貴方はご存知ないので? 『竜殺しのドラゴン・英雄スレイヤー』のハルト?」


 胸元を掴み上げているハルトの手を不快そうに、ちら、と見て、アドリチェニは続ける。


「貴方たちの指導者が『終末の日』になにを選択したのか、ご存知ではないの?」

「……指導者? 『終末の日』? なんの話をしている?」


 ハルトは一瞬たじろぎ、タキを振り返った。

 だが、タキは首を振るのみで、なにも口にできない。


「そこにいる『禁忌の下僕ホムンクルス』は、貴方に真実を語ってはくれなかったの?」

「お前がタキを……『人造人間ホムンクルス』と呼ぶな……!」

「うふふっ。どうして語らなかったのでしょう?」


 すでに己の死を覚悟しているアドリチェニは、ハルトの恫喝にも怯えた素振りひとつみせない。圧倒的優位に立つ者のごとく奔放に振舞い、まるでダンスでもするかのように儀礼服の裾を揺らして、寄り添うパートナーであるハルトの耳元に唇を近づけ、歌うように囁いた。


「……あらあら。まさか、知られては困ることなのかしらね? 教えてあげてもよろしいのだけれど……あそこにいる『禁忌の下僕ホムンクルス』は、きっと私に嫉妬して、腹を立てることでしょう!」

「く……そ……っ! やめ……ろ……っ!!」


 手を離さざるを得なかったのはむしろ、問い詰め、責め立てていたはずのハルトだった。反射的にアドリチェニの身体を押しやり、よろよろとチカラなく後ずさる。


「なら……っ!」


 代わりにこう叫んだ。


「どうして俺たちを『救済』するための信仰ってシロモノが、人を殺せるんだよ!? どうして……芽衣めい一也かずやたちは死ななきゃいけなかったんだよ!? おかしいじゃないか!?」

「大いなる目的の前に、多少の犠牲はつきものなのですよ」

「お前――っ!!」

「……無駄だって、ハルト」


 誰もが言葉を失う中、荒れ狂う感情を抑えきれないハルトをいさめたのは、エドだ。


「そういう手合いには、なにを言ったって、まるで理解しやしないんだから。それに、だ――」


 ひとつ鼻で笑い、エドは先を続けた。


「なにも、彼女のような考えをもった者なんて、今日がはじめてじゃない。この僕らの『現実セカイ』でだって、こういうことは幾度となく繰り返されてきたんだ。君だって『学校スクール』で学んで知っているだろう? かつての聖十字教の連中がなにをしてきたか、その歴史についてをさ――」



 信仰と戦争は、常に隣りあわせだ。


 それは、かつて『学校スクール』に属していたハルトが『古典的グレート名著集・ブックス』から学びとったことだった。



 少数を多数が喰らい、己が血肉として成長していく。そういう意味では、ふたつは同じものだとも言えよう。旧十一世紀に結成された聖十字軍の各地における侵攻や、旧十四世紀からはじまった大航海時代における原住民の虐殺、そのどちらも布教の名の下に行われたことだ。



 古代より各地に伝わる神話の中にも、それは見てとれる。

 ギリシャ神話における軍神・アレスは、その典型的な例だろう。



 ゼウスとヘラの実子、オリュンポス十二柱のひとりでありながらも、半神半人の英雄ヘラクレスに敗北し、そればかりかただの人間に過ぎないディオメデスにすら敗北したと語られている。


 この不遇な扱いの理屈は至極カンタンだ。


 もとを辿れば、アレスがである。トラキアとは、ギリシャにとってかつて蛮地ばんちと呼びならわされてきた地だ。トラキアという少数を、ギリシャという多数が喰らい己が血肉とする過程において、彼らの信仰の対象をも配下に収めたのだ。そして、ギリシャが信仰する神々の偉大さを示すため、アレスの地位は意図的におとしめられた。


 それこそが信仰の成り立ちであり、本質だと言えるのかもしれない。



「だから、って……」


 このようなことは、世界中のどこにおいても繰り返されてきたんだよ、とエドは言ったが――ハルトの心は、それを受け入れることをかたくなにこばんだ。


「な、なあ、ハルト? ちょっと落ち着いて――」

「……俺なら落ち着いている。ああ、落ち着いているさ、エド」


 実際、ハルトの心中は穏やかだった。


(こいつらと分かり合うことはできないんだ……。そのことだけは、今、はっきりした――)


 その、ある種達観した状態に、ハルトの心はあったからだ。最後に頭のもやを振り払うように、二度三度振り、ハルトは分隊の仲間に向けてこう告げる。


「……さっさと終わらせよう。こいつの相手をしているだけ無駄だってことが分かった。『ポータル』を運ぶぞ。タ――いや……エド、こいつが元々設置されていた場所は分かるな?」

「……っ」

「そりゃあ、この天才ハッカーのエド様にゃもちろん分かるけど………………いいのかい?」

「……なにがだ?」


 ハルトは――嘘が下手だ。


 ここにいる『野良犬分隊』の誰もがハルトの嘘に気づいていたが、ハルトだけは気づかない。




 それが、いけなかったのだろう。



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