第四十話 タイム・リミット

「がぁああああああああああっ! ふしっ!!!! ふしっ!!!!」


 装甲車を覆う鉄板のごとき、堅くてしびれる頭蓋ずがいを数え切れないほど殴った。

 カーゴトラックのタイヤのように、太くて弾力のある尾を幾度も蹴り飛ばした。


「ゴハ………………ッ!? ガ――ガァアアアアアッ!!」


 殴り蹴って、蹴り殴って、これでもかというほどありったけの打撃を叩き込んだが、目の前のドラゴンは依然として空気を震わすほどの咆哮ほうこうを上げながら、たけり狂い、暴れ散らしている。



 どうしたら、これをたおせるのか――。



(いいや! まだだ! まだ試してないことはいくらでもある――!!)


 いまだに身体の主導権は、ハルトにあって、ハルトにない。まるで巨人の胎内にいるように、限られた『窓』から外がのぞけるというだけで、思うようには動いてくれない。


 ただ、少なくともこの身体は、常人のそれをはるかに超えた反応速度で動くことができた。



 しかし――。



(動きは確実ににぶい……この状態だからって、スタミナが無限に湧いてくるワケじゃないようだ……)


 基礎となっているのはあくまでハルト自身の身体と体力でしかなく、それを底上げすることまではできていない。むしろ、一切の手加減なしの、本能的に働くはずのリミッターが外れてしまっている状態、それがちかしいように思う。


(あの時は、相手がコボルト一体だったからか。だから――)


 まわしきあの、旧・等々力とどろき陸上競技場での一連の出来事は、ぼんやりと曖昧にしか記憶に刻まれていない。それでも、目の前のドラゴンとは比較にならない程度だったことが分かる。


(殴って、蹴って、殺し切れる相手じゃない……! ならば、その威力を上げるしかない!!)


 ハルトの想いが通じたのか、ドラゴンの翼の一撃から飛び退いた身体が、生存ナイフを右手で抜き払い、握りしめた。そして左手が、ベルトに挟みこんでいる旧式自動拳銃へと伸びる。


「がぁああああああああああっ!!」


 ふたつを構え、がむしゃらに走った。


「ガッ!! ガォッ!!!!」


 それを迎え撃たんと、ドラゴンの尾が一度波を打ち、びょうっ! と放たれる。まともに狙えば避けられる、とこの短い戦闘の間で学習したのだろう。タイミングをズラし、溜めて打つ。


 しかし、ハルトの身体もそれは予測済みだったらしい。辛うじて姿勢をさらに低くして迫りくる尾を紙一重でかわすと――ぶちぶちっ! と頭髪が数本むしり取られた感覚がした――引き戻されるその影と共に一気にふところに入り込む。


「グッ!?!?」


 これにはドラゴンも慌てた。死角から急接近する敵影が見えないのだ。それに、チカラ強く振るのも引き戻すのも、尾の筋力だけでは不十分になってしまう。だからこそ、全身の筋肉を総動員して振っていた。引き戻すのもだ。そのバランスの崩れた半身の体勢では逃げられない。


「ふしっ!!!! ふしっ!!!!」



 ――ど、ど、ど!

 ――ぱぱぱんっ!



 滑り込みながら身体をじり、ハルトの身体は仰向けになってドラゴンの尾の付け根から胸骨の下までに生存ナイフの打突だとつと旧式自動拳銃の弾を浴びせる。だが、最も薄そうな部位へのほぼゼロ距離での攻撃ですら、皮膚を貫通するまでには至らなかった。狭い空間に火花が散り、アスファルトの上で跳弾がぜる。


「ガァアアアアアッ!!!!」

「――!? ふっ!!!!」


 それでもわずかにダメージがあったのか、さらに激昂したドラゴンは、死角にいるハルト目がけて筋肉質の両足を交互に踏み降ろした。めしっ! とアスファルトがひび割れる。それをまたも間一髪で潜り抜けると、ハルトはドラゴンの巨体の下から転げ出るようにして立った。


(くそっ! あれでも通らないのかよ……!!)


 次の瞬間、



 ――ぐらり。



 ほんのわずかだが、ハルトの身体は眩暈めまいを起こしたようにふらつき、背筋が冷える。


(マズい……。体力が尽きかけてるんだ……!)


 文字どおりぶっ倒れるまで戦った経験はMMAのリングでもなかったものの、どこまでやれば限界が来るのかの想像くらいはできる。もう、残り時間はない。


(あと数回……いや、一回きりかもしれない……! 俺がここでこいつをたおさないと……!!)


 その時だった。



 ――どんっっっ!!



 号砲一発、凄まじい音を発して飛来した弾丸が、ドラゴンの右側頭部にぶち込まれた。



 ――じゃきっ!

 ――どんっっっ!!



「ハルトっ! 分隊長! 聴こえるか! いや、聴こえてなくてもいい!! 援護するっ!!」


 その声は――エド!!


 その隣には、空港施設前の地面に寝転がって、馬鹿デカい狙撃銃スナイパーライフルを構えているチェンニがいた――いや、あれは狙撃銃なんかじゃない。二脚で支えられたロング・バレルの先の砲口ほうこうに特徴的なVの字型をしたマズルブレーキが付いている。対物アンチ・マテリアルライフル、バレットM82A1だ。



 ――じゃきっ!

 ――どんっっっ!!



「ゴハ………………ッ!?!?」


 一撃放つごとに、チェンニの周囲に振動で砂煙が舞い上がる。50口径の弾丸が生み出す桁外れの威力は、1.5キロメートル離れた敵兵の胴体を両断するほどと言われている。事実、それを頭部に立て続けに喰らったドラゴンは、脳震盪のうしんとうを起こしたかのようにふらついていた。


「今だ、ハルト! 行けっっっ!!」

「がぁああああああああああっ!!」


 ハルトは最後のチカラを振り絞って走り出す。ドラゴンがそれに気づいて体勢を整えようとするも、再び対物ライフルから放たれた鉛の拳をこめかみに喰らって、視界が激しくブレた。


 ――しまっ――!!!!


 刹那、ハルトの姿を見失う。

 気がついた時には、


「はぁ……はぁ……はぁ……! くそっ!! ここで……こんなところでガス欠かよ……!!」


 右の視界いっぱいに、あの小賢しいニンゲンの姿がぼやけて映っていた。近すぎる。その姿には、さきほどまでの獣じみた狂暴さはなかった。


 だが、数多の強敵を退しりぞけてきたドラゴンの魂すら凍らせるほどの、まっすぐすぎる決意と何者にもひるむことのない冷静さがそこにある。


 ――くっ!!!!


 ――かき、かりり。


「へえ……ドラゴンにも、まぶたってのはあるんだな……」


 そのニンゲンは、今突き立てたばかりのナイフを見つめ、次にドラゴンの右瞳を覗き込んだ。


「けど、さすがのドラゴンでも、ここまでは鍛えようはないよな? ……よし、覚悟しろ!!」



 ――ど、ど、どっっっ!!

 ――ぱりん!!



 琥珀糖こはくとうあめ細工ざいくが砕けるような音と共に、ドラゴンの右まぶたがナイフの連撃で割れた。


 が、

 ハルトはそれでも止まらない。



 ――どどどどどっっっ!!



 無防備になったドラゴンの瞳にさらに生存ナイフを叩き込む。ドラゴンの右の視界が、ふっ、と消えた。苦痛と恐怖から必死に尾を振り回し、頭部にかじりついたハルトを振り払おうとする。


 が、



 ――じゃきっ!

 ――どんっっっ!!



 抵抗虚しく、その尾はチェンニが放った正確無比な一撃によって弾き飛ばされてしまった。そして別の痛みが―――ぱぱぱんっ!!――失った右の視界の闇の彼方から襲ってくる。


 と、唐突に、それは止んだ。



 ――!?!?



 首を巡らせて辺りを見回すと――いた。

 あの憎きニンゲン――いや、だ。



 その手には。



「はぁ……はぁ……はぁ……!!」


 チカラを出す尽くし、疲れ切ったのだろう。

 大きく肩を上下させ、喘ぐように息をついている。



 その手には――!



「はぁ……はぁ……。こ、これが気になるのか? 心配いらない。すぐにお前にも――」


 そして、そのT字型の安全ピンを大事そうに握りしめたまま、かたわらに転がっていたバイクの残骸を盾にするようにハルトは身を投げた。


 直後――。



 どぱんっっっ!!!!



 ぐずぐずになった右眼球の奥に押し込まれたM67アップル破片手榴弾・グレネードが炸裂し、超硬質の頭蓋の中で行き場をなくした凄まじい衝撃と暴れ狂う破片が、ドラゴンの脳と意識を瞬時に粉々にした。



 ――ゆらり。



 ずん、と重々しい響きを立てて、巨体が崩れ落ちる。

 と、同時に、ハルトは両拳を振り上げ、戦場の端から端にまで届けと高らかに叫んだ。


「っ――しゃあぁあああああ!!」


竜殺しの英雄ドラゴン・スレイヤー』、この日以降、ハルトは敵軍からそので呼ばれることとなる――。




 ◇◇◇




 ――ちゃり。



 かすかな音が聴こえたのは、『搭乗口』と書かれたブースの奥だ。この小さなタネガシマ空港の搭乗待合室の中で、唯一身を隠せる場所は、そこしかない。


「……出て来い。ゆっくりと、だ――」


 ガビは旧式自動拳銃を構えたまま、ドスの効いた低い声でささやきかけた。

 が、返事はない。


「……出て来いよ。来ないなら、こっちから行くぜ? ただ……少しでも動きやがったら……」

「まっ――待って! 待って頂戴ちょうだい! お願いだから、撃たないで――!!」


 女の声だ。


「あなた、絶対に誤解してる……。あたしじゃない! あいつなら、とっくに逃げ出したわ!」


 耳ざわりなほどうわずった甲高い女の声は、おびえるように、そしてそれ以上に今自分の身に降りかかっている厄介事やっかいごと苛立いらだったように、敵意をき出しにして待ち構えているガビに訴えた。


(……くそっ!)


 ガビは思わず叫び出したい気持ちを押し殺して、再びこう女に告げる。


「……オーケイ。だがよ? それでも銃は降ろせねえ。あんたの言っていることが正しいとは限らないからな。だろ?」

「そ、それじゃあ、同じことじゃない!?」

「ヘイ! 同じかどうかは。あんたはおとなしく出てくりゃあいい」

「酷いわよ! あとで痛い目にわせてやるんだから!!」


 女のヒステリックな物言いに、ガビはあきれたように目玉をぐるりと回して、警戒をゆるめた。


「ったく……すぐに撃ちはしねえって。いいから出てきな。まずはお話しをしようじゃねえの」

「……っ」


 ガビは、多分女がどこかの隙間から覗き見しているだろうと踏んで、銃を持った手を挙げ、芝居がかった仕草で降参のポーズをとってみせた。すると、『搭乗口』と書かれたブースの向こう側から、すっ、と指先がまっすぐ飛び出した。


「……撃たないでよ?」

、って言っただろ?」

「あなたたちのようなからのついたヒヨッ子は、すぐに見境なくぶっ放すじゃない? 違う?」

「ヘイ! こちとら玄人プロだぜ? めんじゃねえ……って!?」


 女がゆっくりと立ち上がり、その姿を見せると、ガビは思わず息を呑んだ。


 抜けるように白い肌。

 くすんだシルバーアッシュの長い髪。


 そして、不機嫌そうにしかめられた気の強そうな表情を目にして、思わず言葉が飛び出した。


「お、おい……! あんた……もしかして、生き残りの個人指導教官チューターズなのかよ!?」

「………………そうよ、って言ったら?」

「くそっ――!!」


 ガビは舌打ちし、一歩踏み出す。

 だが、まだ旧式自動拳銃の安全装置セーフティーは解除したままだ。


「それならそうと早く――」

「………………おい」


 その時、


 もうひとりが姿を現わし、一分いちぶすきもない冷酷さでこう命じる。


沙也佳さやか・ガブリエラ・葉狩はかり副分隊長オフィサー。今すぐそこで止まれ。それ以上、動けば撃つ――!!」



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