第三十八話 過去から来た敵
ハナの両親は、彼女が幼い頃に別々の道を進む判断を下した。
ハナは、いつもひとり、だった。
かつて、パパ、と呼んでいた男は、絵に描いたような人生の
その理由は、周りの連中の頭の悪さ、程度の低さに毒されるのが嫌だったからである。
「俺は、あんなクソみたいな仕事するために生きてるんじゃねえ。もっと――もっとこう――」
夕飯時に安酒を浴びるように飲んでは、必ずそういう意味のセリフを吐いた。その「クソみたいな仕事」すら、満足に続けられない男が、である。
なのに、ただ頭を下げることすらできない男だった。
教えを
それは、自分が相手より優れた存在であるという誤った価値観を曲げなかったからである。そうして男の怒りの
「なんて言ってるんだか分かんねえんだよ!! 言いたいことがありゃあ、はっきりと言え!」
「ご、ごめん、な、なさい、な、なんだよ……」
「はぁ!? 聞こえねえって言ってんだろ!! この――!!!!」
――ばちん!
ハナの
「ちょっと!!」
かつて、ママ、と呼んでいた女は、
「また近所から文句言われるじゃない! 大きな声出さないで! 通報されたらどうすんの?」
世間体を第一優先とし、その次にハナの身を案じるような、そんな母親だった。
しかし、女にとってのハナは、五体満足無事でいてくれれば十分で、目立つところに
ただ、男とは違い、女は愛してくれた。
「あたしには、あんただけだから。ねえ、ママのこと好き? 好きだよね? ほら、言って?」
「う、うん! マ、ママのこと、だ、大好き!」
しかし、幼いながらもハナはなんとなく気づいていた。
女は、自分の都合や勝手で、自分に愛を向けているだけなのだと。
女は、ハナが本当に愛を欲している時には見向きもしないのだと。
ある
(あ、あの――)
ハナは、真っ暗なひとりきりの部屋で膝を抱え、いつも願っていた。
(ど、どうか、か、神様、あ、あたしを、こ、ここから、つ、連れ出して、ほ、欲しいんだよ)
もう、三日も、水以外なにも口にしていない。
(あ、あたしが、わ、悪い子だったから……。だ、だから、パ、パパも、マ、ママも――!!)
その小さく丸まった背中を、少し離れたところから見つめているのは――。
「こ、こんなの……ぜ、全部、つ、作り物の、う、嘘っぱちの、き、記憶だったんだよ……?」
ハナは、幼い頃の哀れな自分の姿を見つめ、感情の欠けた平坦な声で
「こ、こんな、か、可哀想な、お、女の子なんて、ど、どこにも、い、いなかったんだよ……」
なのに――ハナは思う。
偽造され、嘘で塗り固められた記憶なのに、ハナはいまだその支配下から逃れられずにいる。
そして、
「ど、どうして、あ、あたしだけ、こ、こんな、か、哀しい、お、思い出、な、なのかな……」
その
「ど、どうせ、ぜ、ぜんぶ、う、嘘だったのなら、か、哀しい、き、記憶は、い、嫌だよ……」
どれだけ成長したとしても、『現実』の真実を知ったとしても。
誰かが意図的にハナに向けた悪意は消えることはないし、消せはしない。消せるはずがない。
「こ、こんなものを、み、見せるだなんて、ひ、
目の前の光景に胸を締め付けられる思いで、ハナは思わずその場にしゃがみ込んでしまう。
『またべそべそ泣きやがって!! この――っ!!』
『お化粧落ちるから、お顔、
幻影だと、作り物だと分かっているのに、身体が
『さすがは俺たちの子どもだ! よくやったぞ!!』
『ママはね、本当にあなたのことが大好きなの――』
でたらめだと、紛い物だと分かっているのに、それでも心は求めてしまう。
「も、もう、や、やめてよ! こ、こんなの、ぜ、全部、な、なかったことなんだよ……!!」
息が詰まる。動悸が早まり、頭の奥がずきずきと痛み、意識がぐるぐると回り出す。もうしゃがんでいるだけのことができなくなった。ごろり、とその場に転げ、胎児のように丸くなる。
「や、やめて……ひゅー……お、おね……がい……だ、だから……ひゅー……」
息が――。
ハナはぼろぼろと涙を流して、かすかな希望を求めて天に手を伸ばす。
そこはなにもない、光すら届かない、
◇◇◇
「ハナ! しっかりしろ! 目を覚ませ!!」
「おい! 大丈夫かって! 頼む! 返事をしてくれよ、ハナ!!」
叫べど揺すれど、なんの反応も示さない。
光を失った昏い
(
ガビはどうしても気にかかり、さっき放り捨てたはずのなにも書かれていない紙片をもう一度拾い上げる。材質はプラスチックでも紙でもない。裏返す。よくあるトランプの裏に描かれている
(くそっ、きっとこいつだ……。こいつのせいで、ハナはこんな風になっちまったんだ……!)
――じゃきっ!!
(くそっ……注意深く見回せば、あちこちにさっきのヤツと同じ紙切れが落ちてやがる……!)
床や壁、ラウンジ・チェアーや観葉植物の鉢にまで、ところどころ先程と同じ赤い紙片が貼られているのを見つけた。しかし、やはり誰の姿も見えない。だが、大空港ならまだしも、タネガシマ空港のような小さな空港の待合室に身を隠す場所など数えるほどしかない。
その中に、
(こいつは――!!)
大きな弧を描いて張り出した窓辺に近い場所に、見覚えのある5メートルほどの一本の太い金属柱が立っていた。鈍色に輝くそれの最上部にはドーナツほどの環状の物体が三つ、それを貫いて鋭利な切っ先がまっすぐ天井を指していた。間違いない、『ポータル』だ。
が、
(どうして、こんなごちゃついた場所にある……? これじゃあ
おそるおそる近づいてみると、その理由が分かった。
人工大理石の床の上に、引きずったような真新しい傷があったのだ。
(別の場所にあったのを運んできたな? なんのために? まさか、持ち帰るつもりだった?)
その時、
――ちゃり。
とかすかな音が聴こえ、ガビは素早く旧式自動拳銃を構えたまま、振り返る。
その先にあったのは、『搭乗口』と書かれたブース。
この搭乗待合室の中で、唯一身を隠せる場所は、そこしかない――。
◇◇◇
「あのドラゴンの方へ、ハルト分隊長の方へ敵兵を近づけるな!
指揮官であるタキ・
「――――――ッ!!」
しかし、それでももうひとつの脅威は、依然として健在だった。
――轟ッ!!
「くそっ!!
「タンクに火が回る前に離れろ!! ヤツ相手に姿を
肝の
「はン! それでも喰らいやがれ!! ……ぐっ!!!!」
「テオ! 無茶をするなと言ったろう!!」
タキは自陣に戻ろうと振り返った途端、足を矢で射抜かれた試練生の姿を見て号令をかけた。
「おい! あの馬鹿者を援護してやれ!! 私が――テオを拾い上げに行く!!」
「いえ! 自分が行きます!」
が、タキを遮ったのは、すぐ傍にいた別の試練生だ。まだ若いというのに、言い聞かせるようにタキの目をじっと見つめ、
「
「く……っ! 頼む!!」タキは即座にタイプ1を構え直す。「一匹たりともここを通すな! 魔導詠唱者のオークは連発ができない! 次を放たれる前に仕留めろ! 構えさせるな!!」
とはいえ、ただでさえ身を隠す場所がないこの滑走路という戦場で、唯一遮蔽物としても有効活用できた貴重な移動手段、ハンヴィーまですべて燃やされてしまえば、あとはじりじりと削られ、数を減らされるのは必至だ。
(なにか……なにか、もう一手あれば……!!!!)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます