第三十七話 竜殺しの英雄(ドラゴン・スレイヤー)

「がぁああああああああああああああああああああっ!!!!」


 アスファルトの路面を爪でとらえ、ビブラムソールの底で蹴りつけて、ハルトだった『モノ』は獣のように四つ足で疾走する。目指す先にいるのは、逆上し、うなり声を上げるドラゴンだ。


「ガァアアアアアッ!!」


 傷ついたドラゴンは、どうしようもなく不機嫌ではらわたが煮えるほどの怒りに身悶えしていた。


 ハルトの駆るバイクでの無謀な特攻により、左のつばさ皮膜ひまくがずたずたに切り裂かれてしまい、いくら羽ばたいても身体が軽くならない。宙に浮くどころか、風を起こすのにも足りないほどだ。『天空の覇者』として、圧倒的な優位性と一方的な捕食者としての地位を誇っていたこの身が、あのような奇妙で奇怪なシロモノのせいで文字どおり地におとしめられてしまっているのだ。



 ――許せない。

 ――許せるワケがなかった。



「ガァアアアアアッ!!」


 おまけにその不遜ふそんな生き物が今まさに自分に向けて放っている、凄まじい敵意と殺気。


 取るに足らない、矮小わいしょう脆弱ぜいじゃくで、ちっぽけな『ニンゲン』が放っていいモノではない。それは、命をしてでも戦おうとするものの決意だ。命を賭すれば勝てるかもしれぬという可能性だ。



 ――あるワケがない。

 ――そんな夢物語があっていいワケがなかった。



「グルルルル……!!」


 しかも、そのニンゲンは、たったひとり。たったひとりきりで『天空の覇者』たる自分に勝つ気でいるらしいのだ。それは侮辱である。この上もない屈辱であった。だから、怒り狂った。



 ――たかがニンゲン風情が!

 ――身の程を知るがいい!!



「ガァアアアアアッ!! ガォッ!!!!」


 さっきと同じように尾をくねらせ、たわめ、チカラを溜めてから、向かってくるニンゲンの胴体を横ぎに払う。びょうっ!! と音速を超えた先端が、風を切り、恐怖の旋律をかなでた。


「――っ!? ふしっ!!!!」



 ――跳んだ!?



 そのニンゲン――いや、四つ足の獣が跳んだ。

 尾の一撃が切り裂いたのは、その場に刹那せつな漂っていた残像だけだ。


 そして、ドラゴンの金色の瞳もまた、その姿を追い切れない。幻だけが映っている。慌てて首を、のそり、ともたげ、天を見上げる。



 ――上か!? 一体どこに――!!



 次の瞬間、



 ――どずんっ!!!!



「ゴハ………………ッ!?!?」


 左の視界の外からいきなり襲いかかっていた衝撃が、ドラゴンの墨を流し込んだような赤銅色をした大きな頭部を激しく揺らした。そして、めり込むほどに叩き込まれたそれが、あのニンゲンの履いていたブーツだと知覚した直後、石つぶてのように硬い拳が何発も叩き込まれる。


「だらぁああああああああああああああああああああっ!!」

「ゴ、ゴフ………………ッ!! グッ!!」

「――ぁあああ、じゃっ!!!!」


 引き戻した尾を一回転させて、羽虫を追い払うように顔の近くで短く鋭く振った。だが、その直前に気配で察知したのか、ずん! と踏み込むように飛び退いて、距離を取られてしまう。



 ――違う!

 ――断じてこれは、ニンゲンなどではない!



 今まで気の向くままにもてあそび、蹂躙してきたあの愚かしい二つ足。毛が抜け落ちた貧相な姿をさらすひ弱な生き物と、目の前にいる『それ』が同じしゅだとは、ドラゴンには考えられなかった。


「ふしっ!!!! ふしっ!!!!」



 ――こいつは。

 ――一体、なんなのだ?



「がぁああああああああああああああああああああっ!!!!」



 ――来る!!!!



『天空の覇』者と呼ばれていた龍は、その時、はじめて狩られる側の恐怖を知る――。




 ◇◇◇




(こ、これは……!!)


 その時、


(これ……もしかして、俺がやっているのか……!?)


 戸惑っていたのはドラゴンだけではなかった。


 ハルトはふと、『学校』に通っていた頃に週に一度受けていた、『生存訓練』のカリキュラムを思い出していた。その時に使われていた、没入型シミュレーター・ポッド内部のコクピットから外を見ているような錯覚を覚える。奇妙で不思議ではあるが、その感覚と似ていたのだ。



 ただ、根本的に異なるのは――。



(ぐ……っ! 動きの予測が、まるでできない……!)


 きっと、今のハルトの意識と切り離されて動いているのは、それでも自分の身体のはずだ。なのにその行動が、ハルトの理解の範疇を越えている。


 なぜか――?

 それは、ハルトの意識が、否定していたからだ、


(こんな動き……! できるはずがない……! でも……実際にやってみせている……)


『生存訓練』のカリキュラムで使用されていた没入型シミュレーター・ポッドは、あくまで被験者の身体能力をベースにしていたものだ。だから限界があり、不可能は可能にならない。


(以前、こうなった時には、俺には『』余裕すらなかった……。でも、今は――)



 あの悪夢のような第五分隊の『死の行軍』の終着点となった旧・等々力とどろき陸上競技場の最後の死闘において、ハルトは今のこれと同じ状態になっていた――のだと思う。



 だがそれは、今だからこそ『』ことができるというだけで、あの時、あの瞬間――いや、その後、キャンプ・シュワブで覚醒し、現在に至るまでの日々の中ですら、『』ことすらできなかったことだ。思い出す、思い出さない、ではない。それ以前の話だ。


(このチカラは――!)



 ど、ど、ど、ど、どんっっっ!!

 だん――っ!!!!



 ヘッドマウント・ディスプレイの中の映像のような光景の中、ハルトの両拳がドラゴンの顔面に暴風雨のように降り注ぎ、直後、物理法則を無視したような体勢から後方へ飛び退いた。


(なんなんだよ、これ――!?)


学校スクール』在学中に幾度となく受けた、あの忌々しい『能力スキル測定テスト』においても、ハルトの判定は決まって『能力無しスキルレス』だった。エドが非公式に統合政府のデータベースに侵入し、ハルトの個人データを閲覧した時でさえ、その判定は微塵みじんも揺るがなかったはずだ。


(俺の身体には、一体なにが隠されているんだ――!?!?)


 しかし、それと同時に、ハルトにはひとつだけはっきりしたことがあった。


(まあ、良い。謎だろうが、怪しかろうが、このチカラさえあれば俺は――!!!!)


 ――この怪物に……勝てるかもしれない。


 という予感じみた事実だ。




 ◇◇◇




「……あっ」

「どうしたスか?」


 エドが思わず漏らした小さな叫びを聞き取ったのはモンドだ。まだ煙の立ち昇る切り詰めたソードオフピストル型グレネードガンの銃身と回転輪胴シリンダーを下向きに折り曲げ、てき弾を込めながら尋ねると、エドは渋い表情で顔をしかめている。


「う……。なんか気になること、あるスか?」

「うーん……」


 エドは難しい顔のまま、低くうなる。


 そして、ようやく少しばかり痛みの引いてきた朱に染まったハンカチでぐるぐる巻きにされた右の手のひらを見つめ、左手でくしゃくしゃの金髪に指を差し入れて、ぽりり、といた。


「こりゃあ……動かないワケにはいかなくなってきちゃったねえ。僕ぁできる限り、安全なところから、連中にちょっかいかけるだけにしたかったんだけども……。まあ、仕方ない、か」

「動く? どこへッス?」

「うん? 空港施設だね――まずは」

「……、スか」


 しかし、この圧倒的に有利な位置を捨てて、前線に、それも最深部まで行くとなると、モンドも素直に、はいそうですか、とはこたえられない。それに、そもそも、チェンニが仕掛けておいたプラスチック爆薬C‐4トラップを起爆したことで、標準式進入灯PALSは寸断されてしまっている。


 となると、一旦地上まで降りて、そこから徒歩なりで進むしかない。

 どこから敵が襲ってくるかも分からない森の中を。


 モンドははるか下方の森を見つめ、途方に暮れてしまったように情けない声を出す。


「えええ……。難しいッス」

「だよねえ……」エドは苦笑し、「でも、行かないと。僕らの仲間を助けられなくなっちまう」

「あ、行くんスね、どうしても」

「うん」


 即答。

 しかし、その後がどうにも歯切れ悪い。


「でも……行きたくないねえ……。うーん……」

「どっちなんスか……」

「だってさ? 知ってるだろう? 僕が歩くのが大嫌いで、臆病で、戦闘力ゼロだっての?」

「まあ………………そッスね」

「モンドくーん。否定しようよぉ、そこはぁ……」


 こんな面倒臭いやりとりで怒り出さないどころか嫌な顔ひとつしないのは、モンドがモンドだからこそだ。ぐだー、とキャットウォークの鉄板の上に寝転がってじたばたしているエドを目の前にしても、モンドは微笑みを浮かべたまま、ちょっと済まなそうに頭を掻いている。


「あの……す、済まねス」

「そこで謝られちゃうとさぁ……。ますます、今のはホントってことになっちゃうよねぇ……」


 と、次の瞬間、



 ――ちゅいんっ!!



 ぐだー、と溶けたアイスのようにぐずぐずになっていたエドの鼻先に、火花が散った。


「こっっっわっ!!!!」


 今にも失禁しそうな恐怖のあまり、腑抜ふぬけた顔を引きらせたエドは、自分の方に銃口をしっかと向けている無口で優しいはずの狙撃手マークスマンの方をこぼれんばかりに開いた両目で見た。


「ちちち、ちょっと、チェンニ!! 君さ! なんで今、僕狙って撃ったの!?!?」

「……っ!!」

「えええ……。はっきりしないから、イライラしてやっただって? 当たったらどうすんの!」


 しかし、目の前にいたのは、いつものチェンニではなかった。相当おかんむりらしい。エドのクレームに、不本意だ、と言いたげに、ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。


「い、いやいやいや……そりゃ、君の腕前を疑ったことなんて、僕ぁ生まれてこの方、一度たりともないよ? それこそ、君と出会う前から――ああ、分かった! たしかに言ったけど!」


 ようやくチェンニは、ほらやっぱり! と、今さっきエドが口に出した言葉を責めた。それから、別の表情を浮かべて、エドのこたえを待っている。


「ん? そんなのわざわざ聞くまでもないだろ、チェンニ? 行くさ! 行くに決まってる!」


 ぱあ、とチェンニの表情が明るくなり、モンドを視線を交わし合って、うんうん、とうなずいた。


「今のは、逃れられない僕の運命を嘆いていただけだって! さあ、行こうか、ふたりとも!」


 と、その視界の隅に、おあつらえ向きのモノが映った。

 エドは暴れ馬のように森の中を疾走するを見つけ、にやり、と笑った


「さぁて! 急いで降りようか! 今なら、をヒッチハイクできるかもしれないからね!」




 ◇◇◇




「一体……なんなんだあれは……? あれが本当に、あの、ハルトだと言うのか……!?」


 他の分隊と合流し、前線を維持するタンゴ小隊の指揮官、タキ・入瀬いるせは、単眼スコープの中で繰り広げられている人知を超えた戦闘を見つめ、震えた声でささやいた。


 タキたち個人指導教官チューターズは、ランダム跳躍ジャンプで飛ばされ、行き倒れていたハルトを保護した後、傷ついた彼の身体を治療する際に入念に検査をした。だがハルトの身体は、体格や筋力その他の臓器に至るまで、元・MMA選手という点を差し引けば、普通の試練生のそれの範疇を大きく逸脱してはいなかったはずだった。


(『能力検査』の結果もデータベースどおりだった。『なにもない』それがヤツだったはずだ)


 統合政府にもデータがないのであれば、もう疑う余地はないはずである。


 なのに――。

 あのチカラはなんだ――!?


 自分の数倍、いや、十数倍はあろう『幻想世界の住人』の中でも群を抜く怪物、それが『天空の覇者』たるドラゴンだ。その破格のバケモノを相手に、五分ごぶ――いや、もしかすると五分ごぶ以上の戦いを繰り広げているではないか。個人指導教官のタキにはとても信じ難いことだった。


(まさか……。我々でも知らされていない、秘密裡に進められていた計画があったのか……?)


 あり得ない、と分かっていても、そう考える方がむしろすんなり受け入れられる。

 ならば――タキは決意した。


(ならばこそ、あいつだけは死なせるワケにはいかん……! この身に代えてでも……!)



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