第三十六話 いずれの神がおわする場所

 タネガシマ空港施設の二階へと上がったハナの目に最初に見えてきたのは、右手側のチェックイン・カウンターだ。だが、当然のように人影はない。


「だ、誰も、い、いないんだよ……?」


 目に見えて荒らされた様子はなかったが、こじんまりとしたロビーには、人、どころか、生き物の気配すら感じとれなかった。左側には売店があったが、まるで、つい、さっきまで誰かがいたような、そんなたたずまいにも関わらず、気味の悪いほどフロア全体が静まり返っている。


 そして、駐機場に面した、問題の場所への入口はふたつ。


「こ、この先が……しゅ、出発ロビー。そ、それからそれから、と、搭乗、ま、待合室……?」


 元々タネガシマ空港は、大きな空港ではない。2000メートルの滑走路では、大型・中型ジェット旅客機を離着陸させることまではできない。受け入れ可能な小型ジェット旅客機の座席数は、五十名から百名である。なので、空港施設の大きさもそれに比例しているのだ。


「い、行くしかないんだよ……?」


 ハナとて、後ろを守るガビの限界が近づいていることくらい気づいていた。自分が、少しでも早く問題の対象者の身柄を拘束しなければ、じき相手の凶刃きょうじんの前に倒れてしまうのだろう。


 ごくり……と唾を呑み込み、『搭乗待合室』と書かれた自動ドアの横に駆け寄って張りつく。


(1……2……3っ!!)


 心の中でカウントして、


(い、行くんだよっ!?)


 人工大理石の床の上を超低空姿勢で駆け抜ける。


(チ、チェック!)


 機内持ち込み用荷物の、保安検査場だ。誰もいない。



 が――。



 ――ぶううん。

 ――ごごん、ごごん。


(……っ!?!?)


 突如、低いうなりを上げて、ベルトコンベアが動き出した。もちろん、ハナは指一本触れていない。ゆらん、ゆらん、と検査機のアーチの上から下げられた青いカーテンが揺れている。


(や、やっぱり……だ、誰か、い、いるんだよ……?)


 右側を進むのならば、検査機を操作する係員のためのスペースで、モニターや機材が置かれていてごちゃごちゃと狭苦しくみえる。トラップを仕掛けるのにも持ってこいだ。本能的に、ハナは逃げ場をふさがれるのを嫌がった。


 左側を進むのならば、乗客の所持品を検査するための金属探知のゲートがあるのみなので、開放的だ。しかし、逆に考えれば、仕掛けておいた罠へ誘導するのもたやすいと言える。


(み、右は、す、進みたくないんだよ……)


 ハナは、高所恐怖症の傾向があるが、それ以上に狭い場所は苦手だった。

 狭くて、暗い場所は、どうしても忘れたい過去を思い出させるからだ。


(こ、ここは、ひ、左……ち、注意して進めば、き、きっと、だ、大丈夫……なんだよ……?)



 一歩。

 また一歩。



 クラウチングスタートの構えに似た低い姿勢のまま、慎重に進んで行く。


(チ、チェック!)


 検査機の裏側をのぞく――誰もいない。


(ふ、ふう、なんだよ……)


 そのまま、回りこむようにして、さらにその奥の、右奥の物影をチェックしようとする。その時、ブーツの左足の先に、なにかが当たったような気がした。反射的に視線を下げる。


(カ、カード……な、なのかな……?)


 裏側になったその紙片は、ちょうどトランプ・カードほどの大きさだ。材質は……プラスチックではないような気がする。兵舎でゲームをする時に使うカードとは色もデザインも違う。


(な、なんで、こ、こんなところに、あ、あるのかな……? だ、誰かの、わ、忘れ物……?)


 ……ずいぶんと年季が入ったシロモノのように思える。



 もし、それが、カバンやぬいぐるみだったのなら、ハナは決して触れようとはしなかっただろう。どころか、タバコやキャラメルの薄型の箱だったとしてもやはり警戒しただろう。



 しかしそれは、厚みのない、ただの一枚の紙片。



 だからこそ、つい、触れようと手を伸ばしてしまった。

 くるり、と裏返す。


(え――!?!?)


 だが、そこに刻まれていたのは、見たこともない文字の連なり。


 円を描くように刻まれたそれが、ハナの視界の中で、たちまち青白く輝きを帯びる。と、同時に、金属探知のゲートの内側に巧妙に隠され貼りつけられていた数枚のカードが、連鎖するように次々と青白い発光を放ちはじめる。もう、目も開けていられないほどに。


(し、しまっ――!!!!)


 罠だと気づいたハナは慌てて飛び退こうとしたが、もう間に合わなかった。


「あ、ああああああああああ!!」


 取り囲む光に身体の自由を奪われ、ハナの意識はくらく深い闇の底へとちていく――。




 ◇◇◇




 ……くそっ!!!!


「ヘイ、ハナ! 大丈夫かよ、ハナ! おい、返事しやがれ!!」


 ガビは、ただならぬ気配を帯びたハナの絶叫に声を張り上げて呼びかけたが、返事がない。今すぐにでも駆けつけなければ、とは思うのだが、目の前の三匹のゴブリンがそれを許さない。


「てめえら、邪魔すんな……! あたしを、ハナのところに行かせてくれ!!」

「ギギッ――!」


 もうじき二階に到着してしまう。そうなれば、一気に相手の行動範囲が広くなり、ガビひとりで抑えきるのが難しくなる。ならば、この狭い階段のうちに、決着をつけなければならない。


(手持ちの武器は、生存ナイフ一本きり……。あとは、てめえの鍛えた拳と磨いた技だけ……)



 ……どうする?

 ……どうすりゃいい?



 相手が『幻想世界の住人』だとはいえ、MMA時代につちかった技がある程度通用するのはもう分かっていた。だが、いかんせん体格差が激しすぎて、打撃以外の技が使いにくい。骨格や筋肉、関節やけんの構造と配置はおおまか同じだ。だが、ゴブリンはガビの半分の背丈せたけしかない。



 その相手三匹を、ほぼ同時に、効率良く戦闘不能にするすべが思いつかない。



(……待てよ?)



 二匹同時に相手にするならどうだ?


 ……やれる!



 相手の得物は、槍、曲刀、手斧。

 なら、狙いはひとつ。


「ふぅううううう……っ!」


 腹をくくり、深々と息を吸って、長々と吐き切る。

 重心を落とし、油断なく構える。



 と――。



「うおっとっと!! あ――ああっ!?!?」


 落とすついでに、右手に構えていた生存ナイフも落としてしまった。

 ゴブリンたちの視線が、つ、と流れ、にやり、といやらしく笑いながら、正面に向き直――。


「………………しっ!!!!」


 次の瞬間、一番右側に立っていたゴブリンの懐深く、ガビの身体が潜り込んでいた。生存ナイフを落としたのは騙しブラフだったのだ。構え直す間もなく、手にしていた手斧ごと右腕を捕られる。関節があらぬ方向へと曲がり、抵抗ができずもがいているうちに、ふわ、と身体が浮いた。


「ガァアアアッ!!」

「グ――ッ!?!? ゴ――ッ!!!!」


 その背を、中央のゴブリンが振るう曲刀が引き裂く。続いて、一番奥のゴブリンが突き出した槍が突き刺さる。それでも、変色して嫌な臭いを放っているズタボロの革鎧が、辛うじて致命傷を回避した――したのはいいが、この人間の驚異的な握力と奇妙な技から逃げられない。


「ふ……っ!!」

「グ、グ……ゲ……ッ!?!?」


 ヤメロ――!!


「ふ……っ!!!!」

「ギ……ゲフォ……ッ!!!!」


 ヤメロォオオオ――!!!!


 除雪車のごときパワーで、ガビは右肩で担ぎ上げたままのゴブリンの身体を押し込む。そのたび突き刺さったままの槍が、哀れなゴブリンの身体の中を少しずつ、だが着実に突き進んでいく。三度繰り返した瞬間、ガビの鼻先を槍の穂先が通過し、ゴブリンの口腔こうくうから血がこぼれた。


「し――っ!! し――っ!!」


 だらり、と脱力したゴブリンの右手からもぎとった手斧を、二匹の間に挟まれて思うように身動きが取れなくなった中央のゴブリンの曲刀を持った手に、ガビは何度も何度も振り下ろす。



 ――からん。



「ゲ……ッ!?!?」


 堪らず曲刀を取り落としてしまった。


 が、それで止まるガビではない。

 狙いを少し上にズラし、逆手で首元を狙う。


「し――っ!! し――っ!!」


 何度も何度も。

 多少狙いがズレていようが、お構いなしに繰り返す。


 当らないのであれば、刃のない部分を使って引き寄せる。引き寄せたら、担ぎ上げている瀕死のゴブリンごと右腕を振り回して肘の先端を叩き込む。


「しっ! しっ!! しっ!!!!」

「ゲブ……ッ!!」


 粘ついた血がゴブリンの上向いた鼻腔びくうから噴き出し、宙に軌跡を描いた。と同時に、ガビが目の前に突き出ている穂先をつかみ、思いきり引っ張る。肘打ちをまともに喰らってのけるゴブリンと、槍を手放さなかったゴブリンの頭蓋ずがいが衝突し、鈍い音を立てた――綺羅星きらぼしが散る。


「で――っ!!」

「ギギ……ッ!?」


 姿勢を崩したゴブリン三匹をひとまとめにして、ガビの身体が沈み込み、大きく足払いを仕掛けた。そして、そのまま体重を乗せて、階下の踊り場めがけてもろとも伸びあがる――跳ぶ。


 ――ごぎん!!!!


 着地と同時に、いずれかのゴブリンの首の骨が砕けた。


 が、ガビにとってはどれであっても変わらない。即座に転げるように立ち上がると、バレリーナのごとく足をしならせ、一流のサッカー選手顔負けの低い軌道の蹴りを放つ――ゴール!


「………………すーっ」


 そしてようやくガビは、久しぶりの息を、肺の隅々にみわたるまで深々と吸い込んだ。



 ゴブリンは、もう、動かない。

 せるような血の臭いが辺りに漂うだけだ。



「はぁあああああ……! はぁ……はぁ……!!」


 ガビは項垂うなだれ、膝に手をついて、肩で息をしながら呼吸ができる喜びを束の間噛み締める。


「はぁ……はぁ……! は、早く……ハナのところに……行ってやらねえと……!!」


 そして、よろよろと重い身体を引きずるようにして、階段を、一歩、また一歩と昇っていく。



 ――ぴく。



「くそ……! もう二度と潜入任務なんてやらねえぞ……! 生存ナイフ一本なんて……!!」



 ――ゆらり。

 その時、ガビの背後に小さな影が立ち上がった!



「………………あー」



 が――。



「完っ全に、忘れてたわ……。ハルトに持たされた、があったっけ……」

「ガァアアアアア……ッ!!」


 ガビは即座に振り返り、フィールドパンツのベルトに挟みこんでいた旧式自動拳銃を引き抜いて、宙を飛んで襲いかかってきた瀕死のゴブリンの口の中に、それを躊躇ためらいなく突き込んだ。


「………………避けてダッヂ・みなディス



 ――どぱんっ!!!!




 ◇◇◇




「くそっ! くそっ!! くそっ!!!!」


 地獄のような戦場に放り出された試練生たちの持つタイプ1に装填された被覆鋼フルメタルジャケット弾は、『幻想世界の住人』の硬い皮膚とよろいが相手でも、その効果を十二分に発揮していた。



 だが――。



「く――来るな! 倒れろ!! 止まりやがれぇえええええ!!!!」


 中途半端な部位に着弾しても、なかなか勢いが止まらないのだ。被覆鋼フルメタルジャケット弾の貫通力は他と比べてもずば抜けているものの、当たりどころが良すぎれば敵兵の身体をすんなりと通り抜けてしまうからである。痛みに強い『幻想世界の住人』相手では、致命傷になりにくい。



 そして――気がれるほど数が多い。



「シャァアアアッ!」

「ひ――っ!?!?」



 ――ぱんっ!!



 飛びかかってきたコボルト――いや、ゴブリンかもしれない――の頭部が目の前で炸裂した。


「頭を狙え! ひるむな!! 撃ち返せ!!!!」


 狙い澄ました一射を終えたタキの声が届き、その試練生は止めていたことにも気づかなかった息を吐いた。気がつけば、瞳から勝手に涙があふれ出ている。視界がゆがむ――拳でぬぐった。


(さ、さすが、俺たちの指揮官ママだぜ……! ははっ! 助かっ――)


 直後、その試練生の身体が業火に包まれた。


「ああ!! ああああああああああっ!!!!」

「くそっ! 魔導マジック詠唱者・キャスターか!?!?」


 助けたいが――もう間に合わない。

 死の舞踏を続ける試練生の苦痛に満ちた叫びが陣形を揺るがせる。


 タキは――。



 ――ぱんっ!!



 その試練生がそれ以上苦しむことがないよう、その姿を瞳に焼きつけてから引き金を引いた。


「………………許せ。そして、恨むがいい。私もじきに、そっちに行ってやる……!!!!」




 ◇◇◇




 そして――。



 そして、その頃、ハルトは――。



(な……にが……あった……!? ぐ……っ!!!!)



 朦朧とした意識の中で、見た。



 地獄と化とした戦場を――。

 燃え上がる仲間の姿を――。

 怒り狂ったドラゴンを――。



 ――ざりっ。



(てめえ……ら……!)



 ――ざりりっ。



(よくも……よくもよくもよくもぉおおおおお!!!!)



 ――じゃっ!!!!



「がぁああああああああああああああああああああっ!!!!」


 獣のような咆哮を上げ、ハルトだった「モノ」は駆け出す。



 その身を引き裂くような激しい衝動を感じたのは、これが二度目だと思い出しながら。



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