第三十話 それぞれの受難と苦難

「や、やっと建物の、ち、近くまでこれたよ、エ、エド」


野良犬ストレイドッグス分隊』の先導兵ポイントマン、ハナは小さな身体にはお似合いの、控えめな胸をろす。



 正直に言って、ここまで辿り着くのもひと苦労どころでは済まない厳しい道のりだった。


 タネガシマ空港の東側に伸びる標準式進入灯PALSを伝うように滑走路の最先端まで辿っていくのはカンタンな話だったろうが、その先がマズい。起伏の少ないタネガシマに建設されたこの空港には、驚くほどになにもなかった。つまり、注意深い者が見れば、遠くからでもハナたちの接近するさまを発見することが容易なのである。


 なので、あらかじめの計画どおり、ひとつ手前の鉄塔から森の中へ降りて、木々に身を紛れ込ませることで空港への接近を図ったのだ。



 ただ、その選択も決して楽ではなかった。



 外敵の侵入を恐れてか、滑走路の中間地点にある「種子島空港トンネル」付近に陣取る一団が周辺一帯の哨戒パトロールをしていて、その目から逃れるために、大きく迂回うかいしたコースを取らざるを得なかったのだった。かなりの時間ロスである。


 元々、潜入には反対の立場だったハナにしてみたら、いい迷惑だ。


 だがそのハナの臆病で慎重で、時に無謀とも言えるほど大胆な判断が、結果的に功を奏した。


『よーし。来ました、来ましたねっと。いいかい、君たち? もう一度確認するよ――?』


 左耳に装着されたエドお手製の通信機から、ネットゲームにでも興じているかのようなエドの興奮気味の声が届く。こ、これ、あ、遊びじゃないんだよ? とハナは唇をとがらせた。


『これ以降は敵さんに気づかれる可能性が高くなるから、声は一切出さないこと。分かった?』

「わ、分かってるよ?」

『はい! アウト! アウトですー!』


 通信機越しに、妙に嬉しそうなエドの声が聴こえてきて、


『声を出しちゃダメ、っていってるじゃないのさ、ハナちゃん!』


 ……イラッとした。


 しかも、一番年上のお姉さんなのですよー! と言ったのにも関わらず、あいかわらず『ちゃん』扱いをしてくるのである。ハナは隣のガビに鼻息荒く不満をこぼした。


「な、なんだか、む、無性に、腹が立つんだよ!?」

「だな。あたしもぶん殴りてえ! って思ったぜ……」

『ほ、ほらほら! そこのおふたりさん!』


 エドは突然寒気の走った首筋を押さえながらも、強引に言いくるめようとする。


『あくまでこれは作戦なの! ハルト分隊長リーダー殿からも全権委任されちゃってるんだから、仕方ないじゃないのさ! 素直に従ってくれなきゃ、僕ぁバックアップできなくなっちまうよ?』

「………………ハルトくーん、ちょーっと良いカナー?」

「ま、待て、ガビ! バックマウントの体勢を取るな!」


 とんだ風評被害である。

 キリキリ……と締め上げられる左肩を必死でタップしながら、ハルトはひそめ声で抗議する。


「そんなこと言った覚えはないが、指示がなければこの先進めないのは事実だろぉおおお!」

「ち――っ。仕方ねえなあ。ったく……」


 ぱ、と解放されて、ガビに背中からのしかかられたままでエドの通信を待つ。


『いいかい? 以降は通信機を指で、とんとん、って優しく叩いて合図をしてくれ。初夜の花嫁よりデリケートなんだからな、それ。……はい、分かったら三回だ』


 ――とん、とん、とん。


『一回叩くを合図に含めると、なにかの拍子で鳴りかねないから、は三回、は二回にするよ。こっちので見て欲しい時には六回。事態には五回。分かったね?』


 ――とん、とん、とん。


 文字数と同じにする、というアイディアは急場で考えたにしては分かりやすい――んっ!?


(ええと……ガビ? お前の吐息が耳にかかって、だな……く、くすぐったいんだが)

(えへへへ……。ハルト、耳弱いんだなー。おーし、メモっておかねえと)


 重い、と言わないのがハルトの気遣きづかいだ。


 にしても、これだけ密着していると、ないないとハナから聞かされているガビの胸の膨らみがやけに気になってしまう。あちこち武骨な印象なのに、妙に柔らかい物体が、背中でひしゃげて変形している。


(気にしたら負け、気にしたら負け……)

(あン? なんか言ったか、ハルト?)

(な、なんでもない、なんでもない!)


 真っ赤に染まった顔色も、背中におぶさっているガビからは見えないはずだ。


 都合が良かっ……た?


(う、うふふふ)

(……嬉しそうだな、ハナ)


 この組み合わせ、間違いだったんじゃないだろうか?


『ところで――』


 ちょうどいいタイミングでエドの声が聴こえてきた。


『君らがいる場所、どの辺だい? 76号線を空港側に渡った辺りかな?』


 とん、とん――。


『あららら。トンネル付近の敵の目を避けて、遠まわりした感じかい? ってことは……だ』


 エドがキーボードを叩き、地図を広げる音が騒がしい。

 やがてこう続けた。


『ええと……。もう、空港施設は視界内に入っている感じかい? 直接、肉眼で見えている?』


 とん、とん、とん――。


『そうか……。途中にあったふたつの脇道も、侵入するのは難しかった、と。じゃあ、今いる場所って、レンタカー会社のあたりかな? ふたつある方の、手前側かい?』


 とん、とん、とん――。


 このあたりには監視カメラはないはずだが、エドの推理は的確だ。


『じゃあ、空港前の駐車場が見えているよね? 停まっている車の数は……百台より多い?』


 とん、とん――。


 厳密に数えたワケではなかったが、見る限り、そこまでの台数は停車していない。空港施設前にあるのは広い駐車場だが、おおよそ二百台より少し多いくらいのスペースがあるようだ。


『参ったな……。じゃあ、車の影に身を隠して施設内に潜入する、ってのは無理そうだね?』


 とん、とん、とん――。


 大半のサルーアン軍率いる『幻想世界の住人』たちは、ちょうど反対側に位置する駐機場の上に群れているようだ。なので、こちらへの目は少なく見えるが――発見されるリスクはある。


『じゃあ、次の手を考えよう。そこから右手に見える建物があるだろ? 高い塔があるヤツ。悪いんだけど、そっちが良く見えるポイントまで移動して欲しいんだ。……気をつけてね』


 とん、とん、とん――。


(よし、行くぞ。……って、いい加減に降りてくれよ、ガビ……)

(あっ……。わ、わりわりぃ)


 肩越しに、むすり、とした視線を投げると、ガビはいまさらながらに照れたような顔をする。


(ほ、ほら、あたしだとさ? なかなかこんな体勢してくれるヤツいねえからさ……重いし)

(微妙に拒否しづらい理由はやめてくれ……)


 じゃあ! じゃあ! いーんだな!? と喜びはしゃぐガビの手を強引に引っ張り、ハルトたちは中腰の姿勢を保ったまま、木々の中に紛れて再び移動を開始する。ハナ、なんとかしろ。


 もうひとつ小さなレンタカー会社だったらしき跡地を通過し、さらに奥へと進んで、左手に空港前の駐車場の端が見えるあたりまで移動してしまうと、未舗装の農道に出た。そのまま空港側へ進めば、ロータリーの出口のようである。その視線の先には管制塔施設があった。


 とん、とん、とん、とん、とん、とん――。


『着いたね? そこからだとどうだい? 敵さんの歩哨はいるかな? 見える範囲でいいよ』


 ……なんとも言えない。

 ハルトたちは顔を見合わせて、言葉もなく、困ったような表情を浮かべた。


 すると、それを察したエドの方から通信があった。


『その様子だと、微妙、ってところかな。うーん、どうしようか……。うーん……ええと……』


 再びエドがキーボードを叩きまくり、地図を広げる騒々しい音が耳を襲う。外に漏れてはいないようだが、これだけ緊迫した状況下では自然と動悸が早くなる。やがて声が聴こえた。


『ようし。じゃあ、その右手にある小高い丘の上に登るってのはどうかな? もう少し先へ進めば脇道があるんだ。そこを辿っていくと、記念碑がある。そこからなら、全体が見渡せるよ』


 とん、とん、とん――。


 ハルトとガビ、そしてハナは互いに頷き合い、再び移動を開始した――。




 ◇◇◇




「ふぅ……」


 エドはしばし待機だ。

 かいてもいない汗をぬぐい、ボトルのふたを開けて、乾いた喉に水を流し込む。


「ふむ――」


 すべての監視カメラが掌握できているからといって、敵の動き、すべてが見通せるワケではない。映っていない範囲の動きはもちろん見えないし、映っているからといって、音声までは拾えていない低画質の映像のみなのだ。きっと、タイムラグもあるだろう。神経がすり減る。


 と、視線をスクリーンから外すと、


「あ、あれあれ? ちょいと、モンド君? チェンニは一体、どこに行ったんだい!?」


 さっきまでいたはずの場所から、痩身で無口の狙撃手マークスマン、チェンニの姿が消えている。問われたモンドは、なぜか、にこり、と微笑んだ。


「ええと……なんが身振りで、いっでぐる、て言ってたス」

「えええ……」


 笑い事ではない。


「ダダダ、ダメでしょうが! 言ってたス、じゃなくて! ちゃんと止めないと!」

「すぐ戻ってくるスよ?」

「えええ……。チェンニがそう言っていたのかい?」

「えど……おらがそう思ったスけど」


 ……嘘だろ嘘でしょ嘘だよね?


 エドはずきずきと痛みを発しはじめたこめかみを両手の指先で優しく揉みしだきながら、つとめて冷静に、なるべく穏便に、モンドの愚かな判断を盛大にののしろうと思ったのだが、


「ほら。戻ってきたス」

「………………へ?」


 見事にタイミングをズラされたエドは、勢いをがれ、かくん、と身体をかしげながらモンドが指さす方向を見た。



 見た――。



 それからしばらく後、標準式進入灯PALSの上のキャットウォークを歩いてくるチェンニの姿がエドにも見えた。まるで、観光地で散策しているかのようなゆったりとした足取りで、口にはなにかの葉っぱをくわえている。今にも鼻歌のひとつでもしそうな穏やかな表情で、である。


「ちょ――ちょっと! チェンニ! どこに行ってたんだい!?」

「??」


 チェンニは驚いた表情を浮かべると、小首を傾げ、最後に、にこり、と微笑んだ。

 笑い事ではない。


 どうやらエドが怒っているようだと気づいたチェンニは、済まなそうに身振りで伝えた。


「えええ……。ちょっと気になるところがあったから、見てきただけだって? ダメダメ!」


 しゅん……とチェンニは肩を落とす。


 でも、とチェンニは無言で訴えた。

 こうなるとエドは強く言えない。


「うーん……。分かった、分かったよ……。もう怒ってない。ホントさ。でも、次はなしだぞ」


 はぁ……とエドは、ほっとしたような、後悔しているような苦々しい表情になった。


「チーム分け、失敗したかな、こりゃ……」



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