第二十七話 天空の覇者

 ――ぶるん。



「うし。かかったス」



 ――どっどっどっどどどどどっ。



 狭い空間から抜け出し、額に浮いた汗をぬぐったモンドは、慎重にアクセルを操作してエンジンの回転数を維持する。最初は真っ黒な煙ばかり出ていたのでダメかとあきらめかけたものの、しばらくすると煙の色が白く透き通ってくる。大丈夫そうだ。


「さすが、モンドだ! 偉い、偉いぞー!」

「うス」

「――は、良いとしてだよ、分隊長?」と話の矛先ほこさきがハルトに変わる。「放棄された車を拝借するってのは良い手だと思うけれど、なんでまた、こんなオンボロの『』なんだい?」

「ん? 『』、だろ?」


 ハルトはエドの、アメリカ読みを訂正しつつ続けた。


「前に『旧世紀に残された遺産レガシー再利用リサイクルできる』って教えてくれたのは、エドじゃないか。それに、みんなを乗せるなら、こういう恰好の車じゃなければ無理だよ。特に、モンドがいたら」

「す……すまねス」

「いや、気にすることじゃないって、モンド。それにしても、手際が良いんだな。驚いたよ」

「基地の車、良くいじってたスから」

「運転はどうする? ガビ? エドか?」

「そりゃ、あたしだろ」


 待ってました! とばかりに、ガビは運転席のドアを開けた。


「エドの運転じゃ、眠くなっちまうからな。あたしに任せておけば、安全運転でお届けするぜ」

ねえ……」

「文句があるなら乗らなくてもいいぜ? 走ってついてきな!」

「の、乗る乗る乗る! 乗りますって!」


 助手席にはすでにハナがちんまり乗っている。それ見て、エドは男ばかりの荷台をうらめしそうに眺めてぼやいた。冷たく固い荷台にじかに座らされるのが、どうにも気に入らないらしい。


「あー……クッションない? 僕ぁ、温室育ちだからさ。お尻、弱いんだよねえ……おっと!」

「ヘイ! 出すぞ!」



 ――ぶろん、ぶろん!



 エンジンがひときわ大きく唸り、車体がゆっくりと動き出す。まだ立ったままのエドはバランスを崩し、ひっくり返る――寸前で、モンドの大きな手が痩せっぽちの身体を受け止めた。


「うわっと!! ……サンキュー、モンド。助かった」

「おとなしく座るス」

「はいはい……。分かりましたよ、って、もう」


 なお、ぶつぶつとこぼしているエドは、乗り込むや否や、ノートPCを開きはじめた。が、すぐにも閉じてしまい、代わりにフィールドパンツの後ろポケットから地図を取り出した。


「ちぇっ。インターネットはダメっぽいや。……このまま道なりに進んでいけば、ナカタネチョー・シティの中心部はすぐだ。それから少し走ると、県道75号線と76号線に分かれる。76号線の方を進み、丘を越えたら、じき、タネガシマ空港だね」


 丘とは言っても、種子島の平均標高は低く、最高地点の標高である回峯まわりのみねでさえ、282.4メートルしかない。それは、海から見た時の印象、そのままだ。隣の屋久島とは対称的である。


「敵さん、いると思うかい?」

「いる」

「……どうして分かるのさ、ハルト?」

「感じるんだ」


 ハルトの首筋にちりちりとした、嫌な感覚が芽生えはじめていた。

 不快で耐え難い感覚ではあったものの、経験上、この予感はハルトを裏切らない。


「それに、タキたち指揮官の話によれば、生きているアクティブ『ポータル』が設置されているのは、空港らしいからな。さすがにこの世界を知らない連中でも『ポータル』のことなら分かるはずだ」


 タキが言っていたことだが、元々公共交通機関として運用される予定だった『ポータル』は、従来からあった当該施設の中に設置されることが多いのだそうだ。ある程度の広さを確保でき、人の流れやアクセスのためのインフラストラクチャーをそのまま利用できることが理由である。


「なんだかさ、俺、だんだんとやつらの考え方が分かるようになってきてるんだ」


 ハルトは苦い表情を浮かべながら、こう続ける。


「『ポータル』を押さえてしまえば、それを使って逃げようとする人間をカンタンに捕まえることができる。その『ポータル』めがけて跳躍ジャンプしてくる人間も同じだ。あいつらにとって、人間たちの造った『ポータル』は、喰いつきの良い餌であり、効率的で便利な罠なんだ」

「ハルト……」

「だから、連中は必ずタネガシマ空港にいるはずだ。どのくらいの戦力を置いているかまでは分からない……。けれど、必ずいる。俺たちは、絶対に取り戻さなければいけない。絶対に」


 ハルトの真剣な表情に、仲間たちは同意するようにうなずいた。




 ◇◇◇




 〇七〇〇――。


「ガビ!」

「なんだよ、ハルト!」

「その右側の脇道に入れ! 細い道だ!」

「お――おいおいおい! マジかよっ!」


 まもなく空港が見える頃、ハルトは荷台から身を乗り出し、運転席のガビに指示を出した。


 あいよ――そう応じかけたガビがひるむほど細く、ひび割れた道だ。

 ピックアップ・トラックの車幅ぎりぎりしかない。


「舗装路に出た! つーか、これもせめぇ……!」

「左に行け! 左だ!」

「嘘だろ……正気か――よっ!」


 少し開けている右ではなく、鬱蒼とした木々がトンネル状になった左へ仕方なくハンドルを切る。くねくねと細く緩やかな道を登っていくと、やがて古ぼけた青い看板と十字路があった。


「ガビ!」

「はッ! これならあたしでも当てられるぜ! 『展望台』へ行く気だろ!?」


 数分後。



 ――ぶるん。



 ようやく辿り着いたその場所は、サッカーコート半分ほどの広さの、なにもない場所だった。


「ここからなら空港の様子が見えるはずだ。モンド? チェンニ? 頼む」


 ふたりは早速背嚢バックパックからスコープを取り出し、眼下に見える空港の様子を偵察する。

 と、ぷらぷら辺りを散歩していたエドが、なにかを見つけたらしい。


「これは……ふうむ、もしかしたら使えるかもしれないぞ」

「なにを見つけた?」

「この手前のフェンスの先だよ。良い物があった」


 展望台の少し手前にあるフェンスには、辛うじて文字が読める鉄板がぶら下がっている。


「『PALS管理用』……って、なんのことだ?」

「PALSってのは、標準式進入灯の頭文字をとった略称さ」地図を取り出し、地面に広げる。「地図で見ても、ここだけ道がない。ってことは、多分、着陸の目印にする進入灯があるんだ」

「そうか」ハルトも気づいた。「それを辿っていけば、空港の先端から接近できるってことだ」

「そういうこと」


 エドは再び地図を見て、迷わず指さした。


「空港施設と管制塔は、ここだ。ここまで行くには、滑走路下のトンネルを潜り、ぐるっと大回りしなけりゃならない。もしも、ハルトの予想どおり敵さんが待ち構えているとしたら――」

「恐らく……トンネルで仕掛けてくるだろうな」


 もし、両側を塞がれてしまえば、もう成す術はない。

 後から合流するタキたち、タンゴ小隊本隊にも伝えなければ。



 と――。



「――っ!?!?」


 蒼白となったモンドとチェンニが猛然とダッシュしてきて、ハルトたちを丸ごと抱えたまま、近くの草えの中に一気に押し倒す。手加減のない激しいタックルに、う、と息が詰まる。


(ヘイ! 真っ昼間からサカってんじゃねえよ!)

(しーっス! 静かに――!)


 ガビが即座に文句を垂れようと口を開いた瞬間、指で塞がれた。

 次の瞬間だ。




 ――ガァアアアアアゥ!!




 今にも地面から引き剥がされそうな激しい突風を伴って、鼓膜と魂を揺るがせるその咆哮。だが、ハルトたち『野良犬分隊』がいることには気づかなかったようで、一瞬で通過する。


「なんて……こった……!」


 その小さくなっていく後ろ姿を見つめたまま、腰が抜けたようにへたり込んでいるエドの口から、震える声でその者の名がつむぎ出された。カタカタと狙いの定まらない指先でメガネを押し上げてささやく。


「あれは……ドラゴンじゃないか……! くそっ! 間違いない……どうしてここに……!?」




 ◇◇◇




 〇八〇〇――。


『……ダメだ。許可できない』

「どうしてだ、タキ!! 時間がないんだろ!?」


 焦りを感じるハルトは、通信機越しに堪らず叫んだ。しばし、タキは返答に躊躇ためらっているようで、ざりざり、と空電音だけが聴こえてくる。


 しかし、こたえは変わらなかった。


『……ダメだ。私たち本隊が到着するまで、その場で偵察を続け、待っていろ。許可はしない』

「くそっ!!」


 我慢の限界を感じたハルトは、手にした受信機を腹立たしげに太腿に叩きつける。


「ここで指をくわえて、待ってろ、っていうのかよ……!」

「ヘイ! 落ち着けって、ハルト!」

「落ち着け? 俺なら落ち着いているさ、ガビ」


 ハルトは唸るようにこたえる。


「ああ、落ち着いているとも。目と鼻の先にやつらがいて、我が物顔で空港を占拠していようともな? あの中には『ポータル』がある。俺たち人間の、だ。だがもしかすると、今、この瞬間にも、誰かが『ポータル』経由で跳躍してきて、成す術もなくやつらに殺されているかもしれない」


 ハルトの口にした皮肉めいたセリフに『野良犬分隊』の仲間たちは苦々しい表情を浮かべた。


「それとも、あの『ポータル』を使って、どこかの基地に攻め込んでいるかもしれないな。そうそう、タキが言ってたよ。個人指導教官チューターズたちは『ポータル』を使って、知識と記憶を共有することができるんだ、ってさ。それをやつらは盗み聞いて、卑劣な策を考えているのかもな」

「な、なあ、分隊長? そう考え過ぎるなって」


 思いつめるハルトを案じて、エドがわざと陽気な声でお道化どけてみせた。

 だが、ハルトにはそれに耳を貸す余裕すらなくなってしまっていた。


「そんなの無理だ! さまざまな状況を想定しているからこそ、一刻も早く手を打たないと!」

「んなこと言ったって……相手はドラゴンなんだぞ!? 分かっているのかい、ハルト!?」


 ハルトの毒気どっけに当てられて、エドの口調まで荒々しさを帯びた。


「あのねえ!? まだこの世界の人類で、ドラゴンと戦って勝ったヤツなんていないんだよ! ハルトだって知ってるだろ!? あんなバケモン相手に、どうやって戦うつもりなんだい!?」

「俺たちにはこれがあるだろ!?」


 傍らに立てかけてある自動小銃を叩いてこたえる。


「今こそ、タイプ1の性能を試す時だ! 違うか!?」

「ああ、僕らはモルモットだったっけね!」エドは癇癪かんしゃくを起こしたように吠え返す。「試す? 試して、もし通じなかったらどうするんだ? はいはい、出直してきます、ってワケにはいかないんだぞ!? まるで通用しなかったその時には、僕らは命を代償に支払うことになる!!」



 ハルトが、エドの胸倉を乱暴に掴み上げた。

 エドが、ハルトの胸倉を乱暴に掴み上げた。


 引き寄せ、額をぶつけあい、ぐうっ! と唸りながら、一歩も引かずに睨み合う。



「………………くそっ!!!!」


 先に手を離したのは、ハルトだ。

 胸倉を掴み、締め上げているエドの手ごと振り落とし、頭を抱えて忌々いまいましげに悪態をつく。


「どのみち俺たちは、あの化け物と戦わなきゃいけないんだ……どうして分かってくれない?」

「分かってるとも」


 息荒くエドは頷き、襟元の乱れを直しながらこたえた。


「ただ、それが僕らじゃなきゃいけない理由はないね。たった六人。特別な武器もなければ、ずば抜けたスキルだってない。至って平凡な一兵卒の、僕らじゃなければどうしてもダメだっていう状況じゃないだろ? ただ、みんなよりも少しだけ先に到着したってだけの話さ」

「けど――!!」

「今まさに、我らの同胞が、卑劣な罠にかけられて殺されているかもしれない、って? そんなの、昨日までだってそうさ。なにも、今日にはじまった話じゃない。都合良くねじ曲げるな」

「く……っ」


 たしかに、エドが言っていることはもっともだ。

 理路整然と筋が通っていて、文句のつけようもない。


 なのに、納得したくない自分がいる。


「よし。じゃあ、冷静に今の僕らの状況を整理してみようか――」


 多少の落ち着きを取り戻したエドは、モンドやチェンニにも声をかけ、分隊員を集めた。本来ならそれは、分隊長であるハルトの役目だが、こういう時こそ助け合いだ。


「僕らの装備は、タイプ1が五丁と、モンドの切り詰めたソードオフピストル型グレネードガンが一丁。タイプ1には、被覆鋼フルメタルジャケット弾がたんまり装填されてる。予備のマガジンは……いや、いいや」


 各人が背嚢からとりだそうとするのをエドは止めた。

 装備を確認したのは冷静になりたかったからであって、悲観的になりたいワケじゃない。


「あとは……手榴弾アップルか。全部で十個くらい? そっちは? ……おいおいおい、プラスチック爆薬C‐4なんて、どっから持ってきたんだい、チェンニ!? まあいいや。で、が一台と」


 あらためてリスト化すると、泣けてくるほど少ない。

 エドは不便そうに尻のポケットから地図を取り出し、そこにちまちま書き込みながら呟く。


「まあ……分かっちゃいたけど、これじゃあねえ。って、クソ、ノートPCがないと不便――」



 その時、


「「……あ!」」


 ハルトとエドの声がシンクロした。



「もしかして……同じこと、考えてるかい、ハルト?」

「かもな。でも、やってみて損はない。だろ、エド?」


 にやり、と笑みを交わすふたりの前には地図が。

 エドが放り投げた鉛筆の先が、滑走路の先端にある空白地を指していた。



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