第二十六話 『地獄』へ道連れ

 先行するモンドの十数メートル後ろから、ハルトたちは進んで行く。


(ヘイ、ハルト? モンドは「待っててくれ」って言ってたぜ?)

(だとしても――)


 ハルトは前を向いたままガビの問いにこたえる。


(単独行動は危険すぎる。いつでもバックアップできる態勢を維持する。……いいな?)


 夜の森はあまりに暗い。

 その中をモンドは、少しも恐れず、躊躇ためらいひとつ見せずに進んで行く。


 しかし、驚くほど足音がしない。

 むしろハルトたちの足元で、かさり、という踏みしめられた葉音が警報のごとく響くほどだ。


 と――。

 モンドの大きな影が、つ、と立ち止まる。


 木々の隙間からかすかに降り注ぐ月光を浴びるかのように上を見上げている。なにをしているのだろうか。しばらくそうしていたあと、モンドはゆっくりと左を向いた。


 次の瞬間、

 モンドの姿がき消えた!


(モ……モンド!?)

(ま、まあ、待ちなよ、ハルト。多分、モンドは大丈夫だからさ)

(い、いや! でも!)

(多分、僕たちがついてきていることに気づいたんだ。だから。モンドはこうとしている)

(??)


 訳知り顔のエドの言葉に、ハルトは疑問を覚えた。


(前にもあったのか? こういうことが?)

(あったよ)エドはうなずく。(その時も、こうしてバックアップしようとしてた。けど……)


 撒かれてしまったのさ――そうエドは言い、肩をすくめてみせる。


(じゃあ、どうすりゃいいんだ? ……追うべきか?)

(いいや。待っていよう。すべて終わったら、モンドがきっと呼んでくれると思うからね)


 仕方なく、ハルトたちは真っ暗な闇の中で、静かに息を潜めてその時を待った。




 ――ガァッ! フシュッ! ハッハッ……!!




 遠くで、なにかが争うような音がかすかに聴こえてくる。獣と獣がぶつかり合い、うなり、牙を突き立てるような、そんな音だ。お世辞せじにも、あまり気持ちのよい音ではない。


 そうして、突然、




 ――ギィイイイイイ!!




 という思わず耳を覆いたくなるような悲痛な断末魔の叫びが森に響き渡り、静寂が戻った。


(終わった……のか……?)


 そう、ハルトが身を隠していた木のうろの影から顔を出した時だった。


「あ、あのぅ……すんませんス。終わりましたス。もう、こっちに来ても、大丈夫ス」

「――っ!? モ、モンドか? びっくりさせるなよ……」

「すまねス」


 照れたように短髪の頭を掻き、モンドは身をちぢこませて申し訳なさそうに何度も頭を下げる。


 だが、ハルトはすぐに気づいていた。


「……なんだか全身ずぶ濡れだな、モンド? もしかして、川にでも落ちたのか?」

「そ……そんなとこス」


 誤魔化ごまかしてもしようがないと思ったのか、モンドは事が起こっていた現場へと『野良犬ストレイドッグス分隊』を引き連れて進んで行く。あの一瞬で、こんな遠くまで、そう思うほど長く歩いていくと。


「――っ!? ひ、ひどい……」


 そこには、

 一頭の若い雌鹿の死骸があった。


「……この子ッス」


 モンドは言う。


「多分、この先にも何頭か倒れてるッス。みんな……殺されちまったス」

「なんの仕業だ?」

「……そいつらッス」


 モンドが指さした先には、


「うぉっと! ちょ――ううう……。こいつぁグロいな。モザイクなしじゃ放送できないぜ」

「……」

「ゴブリン、だな?」

「………………そッス」



 頭髪のない、小鬼のような醜悪でいかにも狡猾そうな顔。陽の光を避けて生活しているがゆえに淀んだ沼のような灰色がかった緑色の皮膚をしている。その怖気おぞけを振るう牙の生えた口元から、血に濡れた長い舌が、でろり、とチカラなくまろび出ている。



 だが問題なのは、その三体のゴブリンは、頭部しかない、ということだ。



 いや、正確にいえば、矮小な彼らの身体と思しきものはあった。引き千切られ、切り裂かれて無雑作に折り重なっているそれは、不機嫌な屠殺人とさつにんの仕事後のようだった。いくぶん寒さを感じる夜の森でかすかな湯気を立てている臓腑ぞうふといい、どれもみるも無残な有様だった。


「おえっ……。まさか、この森に、こんなことをやってのけるがいるってのかい……?」

「あ、あのう……」


 落ち着かなげに視線を泳がせるモンドが、しどろもどろになり、なにかを言いかけた時、


「そいつなら、。大丈夫だ。だろ、モンド?」

「あ――」


 ハルトには、おびえも恐れもない。

 ただ、モンドの心をし量るように、頷くように、ひとつ、目を閉じる。


「は、はい! も、いねス……」

「じゃあ、この子を埋めてやろう。仲間たちと一緒にな。この子たちも、この戦争の犠牲者だ――」




 ◇◇◇




 予定にない突発的な労働と相成ったが、『野良犬分隊』の面々は不平ひとつ漏らさずゴブリンの群れに襲われた鹿の死骸を回収し、スコップで穴を掘って、粗末ではあるが墓を作ってやることにした。


 自然に任せた方がいいんじゃない? というエドだったが、ハルトは首を振る。


「この世界にいないはずの侵略者に殺されたんだ。起きなかったはずの『死』だと俺は思う」

「……そうかもね。可哀想になぁ」


 思わぬ時間のロスとなったので、行軍再開前にひと休みしよう、ということになった。


 と――。


「あのう……分隊長リーダー、いいスか?」

「ん? どうかしたのか、モンド?」


 自ら見張りをすると、ハルトは、みんなから少し離れた位置で大木を背に歩哨ほしょうに立っていた。いつの間にか傍に立っていたモンドは、言いづらそうに言葉を絞り出す。


「あのう……なしてあのゴブリン、、ての黙ってたスか? 気づいてたスよね?」

「それは……」ハルトは聞かれて、困った顔を浮かべた。「うーん……。あの時、モンドが言って欲しくなさそうだったから、かな? 少なくとも、俺にはそう見えたんだ。だからだよ」

「す……すまねス……」

「気にするなって、仲間だろ?」


 ハルトがそう言っても、しばらくモンドは黙ったままだ。

 やがて、こうつぶやく。


「……あんなひでことするおらに、まンだ『仲間』て言ってくれるスか?」

「当たり前だろ? それに、あれにだってちゃんと理由がある。俺はそう思ったからだよ」

「……」


 モンドは、ぐ、とうなるように黙り込んでしまった。

 きゃん! と遠くから鳴き声が届く。


「……、って言ってるス」

「今のか? あれ、鹿の鳴き声なのか。やっぱりさすがだな、モンド」

「い、いえ……」


 モンドは、ぽりり、と頭を掻いた。


「おら、山が好きス」

「そうか」

「おら、沖縄来る前、青森の基地にいたス」

「そうか」

「暇さえあれば、山に入って、過ごしてたス」

「そうか」

「あいつらにとって、狩りは遊びなんス」

「……遊び?」

「誰かの命をもてあそぶ『遊び』ス。食うためでなく、生きるためでなく。ただの『遊び』なんス」

「……っ」

「おら、それがゆるせねス」


 モンドは淡々と、しかし、静かな怒りを裡に秘め、続ける。


「怯えて、震えて、追い詰められて死にもの狂いになるのが滑稽だと楽しんでるス。それが赦せねス」

「相手が……、か?」

「そッス」


 モンドは迷うことなく頷いた。


「おらのいた基地、やつらの襲撃にあったス。そんとき、見たス。あいつらにとってはただの『遊び』なんス。切り刻むのも、みつくのも、火をつけるのも全部……、なんス」

「モンド……」

「おらもきっと、あいつらと同じ、地獄に落ちるッスね」モンドは独り言のように呟く。「おらも楽しんでるからス。おらの友達を殺して、げらげら笑ってたあいつらを、おらは笑いながら殺せるス。だからせめて、この罪が消えないように、銃なんか使わねで、この手で殺すス」


 そう言ってモンドは笑ってみせたが――。


「……嘘はつくなよ、モンド」


 ハルトはその逞しい肩をきつく抱き寄せる。


「本当にそんなに楽しくて仕方ないのなら、なんで今お前は、そんなに哀しそうな顔してるんだ? それに、お前が地獄行きなら、俺も一緒さ。その時は……ふたりで仲良く行こうぜ」

「……っ!」


 ぽんぽん、と肩を叩くと、モンドは、すん、と鼻を鳴らす。


 ようやくハルトは、モンドのいつも変わらぬ穏やかな笑顔の裏側に隠された深い傷跡と、その哀しみに触れたような気がしたのだった。




 ◇◇◇




 〇六〇〇――。


 県道75号線沿いに北上する『野良犬分隊』の進む左右に、ちらほらとかつての住居跡が現われはじめた。タネガシマの五月の日の出時刻は、〇五三〇。もう周りはすっかり明るい。


「なんだかさ、木の感じとか、オキナワに似てるよな。ハナ?」

「た、たしかにー! だ、だから、あ、あんまりヤーな感じ、し、しないんだねー」


 種子島の植生しょくせいは、ところどころ沖縄に似通った点がある。

 たとえば、ハルトたちが通過したルートにあった、マングローブ林などがその一例だ。


「それよりもだよ、ハルト? こんだけ明るいと、危なくないのかね?」

「それなら問題ないと思っている」


 ハルトは周囲に視線を巡らせながらも言った。


「こっちを襲う気なら、向こうも姿を見せないワケにはいかない。それに、こっちにはタイプ1があるが、向こうにはせいぜい弓矢か投石くらいしか、有効な遠距離攻撃を行う手段がない」

「んー。でも……数で来られたら厄介やっかいだぜ?」

「その時はその時だ」

「やれやれ……」



 昨夜、森で出会ったゴブリンたちは、恐らく群れから離れて単独行動をしていた連中だろう。


 装備もロクなものは持っていなかったし、その後も行軍中の『野良犬分隊』を狙った怪しい動きは一切なかった。もし仮に、島の南方を支配下に治めようと考えたのなら、とっくに遭遇しているはずだ。だからハルトは、本隊はまだ西之表にしのおもて市内にとどまっていると考えている。



 と――。



『タンゴ・リーダーより野良犬へ。どうぞオーバー?』

「おっと、タキだ」


 エドは後ろ手に背中に背負っている通信機の受信機を取った。


「こちら、野良犬。現在、県道75号線を北上中。今、ナカ……タネチョー・シティに入った」

『了解だ。こちらもやっと動ける。遅くなったが、これから後を追う』

「あらら……」


 予定より『ポータル』設置と受け入れが遅れたようだ。

 よせばいいのにエドはこう続けた。


「ロード・サイドで親指立ててたら、乗せてってくれるかい、指揮官殿?」

生憎あいにく満席でな? マネー次第だ、小僧キッド。文無しは乗せない。通信終わりオーバー・アンド・アウト

「ちぇっ」

「やめろって、馬鹿」


 そう言いながらも、ガビは、ぷっ、と噴き出している。

 言われたエドは、むすり、とふくれた。


「僕ぁ引き篭もりの『オタクギーク』だからね。もう足が痛くって仕方がないっつーのに……」

「冗談を言える余裕があるうちは大丈夫だ」


 ハルトもつられて笑みを浮かべる。

 と、その視界にあるものが目に入った。


 なにかを思いついたハルトは、仲間たちにこう告げる


「ヒッチハイクが無理ならば、俺たちで手配するしかないだろう。『足りない分は自分で工夫しないといけない』――それが『生存試練サバイバル・トライアル』、だったよな?」



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