第二十四話 深海より来(きた)る王
ラニーミード級
全長53.03メートル、最大幅12.80メートル。二基のディーゼルエンジンから生み出される二千五百馬力により、その最大速力は11.5ノットに達する――というと、そこそこ速そうだが、実際には時速21キロメートルほどである。
自転車より速く、男子マラソン世界記録とどっこいどっこい。
それが11.5ノットの悲しい現実だ。
「ふう、ようやく交代だな、お疲れ、モンド」
「うス」
「ヘイ! お次は?」
「ええと――」ハルトは大柄のモンドのために道を空けてやりながら、手の甲に書きつけたメモを見る。「〇四〇〇からだ。船尾の
「くっそ……。はなから分かってたことだけどよぉ、一番眠てぇ時間じゃねえか……」
「気持ちは分かる。……が、ルールはルールだ。頼りにしてるぞ、ガビ?」
「ち――っ。
文句を
ちっと、
「な……なんだよ、みんなして」
「
「う、うんうん。そ、そうだよ」
「ス」
(こくこく)
なにが言いたいのかはわざわざ聞かなくても分かる。
ハルトはがっくりと
「一番、それを実感しているのが俺だって。話しただろ? 俺の気持ちは――?」
「そ、そうなんだけどね……」ハナは複雑そうな曖昧な笑みを浮かべる。「な、泣き虫なガビの姿は、
「………………え?」
そこで尋ね返すのは、明らかな失策だった。
「も、もう! ハ、ハルトの、お、おたんこなす!」
お……おたんこ……? と頭から湧き出たクエスチョン・マークが見えているかのように、ハナは乱暴に手を振った。
「あ、あたしはっ! 何度も言ってるけどっ! こ、この中でも、い、一番の、
だんだん分かってきたが、ハナの
……けど、どうみたって、幼女なんだよなぁ。
「
そうは思うが、これだけは口に出してはいけない。
開戦の
そして、
「あのぅ、
「運良くトラブルなしなら、ほぼ丸々一日後だな」
「そのぅ……途中の島、寄ったりできねスかね?」
モンドは大きな身体を丸めて恥ずかしそうに言いながらも、真っ赤になって
「いっ! いやいやいや! 無理なら無理で良いス良いス! ホントッス!」
「??」
「モンドにとって『夢の島』なんだよ。屋久島、
「へえー! 聞かせてくれよ、モンド!」
「え、えええ……」
モンドは困ってしまった。
「お、おらの話、面白くもなんともねッスよ?」
「そんなことないさ! 少なくとも、ここにいる俺たちは興味
満面の笑みで
◇◇◇
それは、早朝にやってきた。
『タンゴ小隊、聴こえるか?
『ふむ。聴こえているよ、デルタ。……どうした?
『はは。つい、お前の声が聴きたくなってな』
ふぁ……と
が、
『こちらのソナーが怪しい
『くそっ! 今すぐ航路を変更しろ、ディー!』
『いまさら早足に切り替えたところで、やつらの興味を
『……了解だ。
「くそっ!!」
タキはできうる限りのチカラ加減で手にした受信機を叩きつける。
そして静かに呟いた。
「頼む、このままなにごともなく通過させてくれ……お願いだから。なあ……」
◇◇◇
ハルトはまどろみのような浅い眠りから目を覚ました。
「……ん?」
哨戒を終えて、戻ってくるはずのガビとハナの姿がない。
跳ね起きるようにして、甲板に出る。
そして、迷うことなくまっすぐに船尾を目指した――いた。
「交替が来ないのか、ガビ?」
「しっ!!」
すぐさま異変を感じ取り、ふたりの下へと急ぐ。
耳を寄せるとガビがそこへ囁きを流し込んだ。
(デルタから知らせがあったんだよ!
(……まだマシな方から頼む)
(先行しているデルタのソナーが、付近の海底に怪しい影を見つけた)
(くそっ!!)
やり場のない怒りを、ハルトは必要最小限の音だけで片付けようとする。
だが、うまくはいかなかった。
(……で? もっと悪い知らせってのはなんなんだ?)
(そいつにずっと追跡されてるってことだよ。ご本人は、忍び足のつもりらしいけどな……)
(く……っ!!)
咄嗟にハルトはタキのいる操舵室を見上げた。目が合う。
さすがは『
「タキ! どうするんだ!?」
「ふむ。なんだね、いきなり」
タキは迷惑そうに顔を
「あと、何度もしつこいようだがね? この私は、お前の
「けど!!」
「しーっ!」
タキはカップを持った手で自分の、空いている方の手でハルトの、それぞれの唇を指で封じて鋭く制する。
「……私とて、
「わ、悪かった……つい……」
「そうは見えんだろうが、この私とて
それはそうだ、とハルトはすぐ熱くなる自分を恥じた。タキの視線の先には通信機があり、そこからかすかな声が聴こえる。が、なにを言っているのかまで、はっきりとは分からない。
「デルタか? あっちは無事なのか?」
「今のところは、な?」
タキはそれを指さしてみせる。ハルトは頷いた。
「俺に――俺たちにできることは?」
「ない。残念だがね」タキは簡潔にこたえる。「息を止め、
あ、そうだ、とタキは皮肉たっぷりの笑みを浮かべ、憎々しげにこう付け加えた。
「あとは祈りたまえ――まだ『神』って
◇◇◇
〇九〇〇。
それは動き出す――。
「し、指揮官っ! 動き出しました! 急速に浮上してきます!」
「ふむ。……で、
ソナーを担当している試練生は、ぐ、と言葉に
そして、
「奴は……我々の方に向けて口笛を吹いているようです……残念ながら、
「くくっ! そうか――!!」
命懸けのジョークにも笑い返してやるのが、デルタ小隊の長、ディーコンの流儀だ。
「よし! では、ここは任せるぞ、コリンズ! ここから先は……私たち、
「し、指揮官殿!? 一体どちらに――!?!?」
不安げな表情を浮かべるコリンズを振り返り、ディーコンはもう一度、最後に笑った。
「なかなか上手いジョークだったぞ――!」
見た者を晴れやかな気持ちにさせる、そんな最高の笑顔で――そうコリンズはのちに語る。
「この先、どんな窮地に
◇◇◇
『タ、タンゴ小隊、聴こえますでしょうか!?
『ふむ。聴こえているが……。お、おい、デルタ!? ディーコン指揮官はどうした!?』
『それが――!!』
次の瞬間、
――どっ!!
かすかに船影が見えていたデルタ小隊の乗るLCU‐2000級から、小さな影が飛び出す。
『指揮官殿が……我らの指揮官殿が、あとは任せる、と! 一隻だけ搭載していたホバーで!』
「くそっ!!」
タキは堪え切れずに悪態をつく。
ディーコンの狙いが読めていたからだ。
「あいつ……!
「………………え!?」
水の石切りのごとく、ディーコンの乗ったホバークラフトが水面を跳ねるように駆けていく。次いで、デルタ小隊の乗るLCU‐2000級めがけて浮上してきた巨大な影が、それを追う。
「あの速度じゃ、ヤツから
「……違うさ」タキは、ふっ、と笑い、寂しそうな眼をする。「あいつは逃げるつもりなんてさらさらない。私たちを逃がすための囮になり、死ぬつもりだ……最初から。そういうヤツだ」
「そ……んな……っ!?」
その時、
『聴こえ……か? タキ……?』
デルタとは違う無線が入る。
雑音が
『こンのっ!! なにを馬鹿な
『ははっ! もちろんだとも――!』
ディーコンは笑う。
もう、誰も手の届かない場所から。
『お前と「私の子どもたち」の命と引き換えになら、この偽りの命、くれてやっても少しも惜しくはないさ。ああ……済まないが、頼んだぞ……あの馬鹿共のことを――!!』
『そんなモン、お前がやれ、ディー!!』
だが、もうタキの悲痛な叫びは聴こえていないようだった。
ディーコンの声が遠くから聴こえる。
『さあ、来るがいい、深海の王よ! だが、私とて、ただで死ぬつもりはないぞ……!!』
そして、無機質な電子音が、ぴ、ぴ、ぴ、と不吉にカウントを続ける。
『ああ……! 私だって、一度は夢見たさ! 英雄に……その姿に……! さあ、喰らえ!!』
次の瞬間、
――轟っ!!!!
水平線の彼方で、
光と音の奔流が、
一気に炸裂する――。
「ディー!!!!!!」
タキが呼ぶ。
声を
だが、返ってくるのは、波、それだけだった。
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