第二十三話 漆黒の海原の向こうへ
『いいかね、諸君? まさか、二日酔いだなどと
タンゴ小隊指揮官、タキ・
『今回の「タネガシマ奪還作戦」は、我々オキナワ・ベースがはじめて経験する、最大規模の作戦だ。使える人員は根こそぎ使う……惜しみなくな。そして、ひとたびはじまってしまえば、もう後戻りはできない――』
ごくり、と唾を呑む音が響く。
タキはプロジェクターを操作し、再び見ることはないだろう真っ白な壁にスライドを映した。目的地までの予定航路と、あまり見たことのない奇妙な外見の艦艇が映し出されている。中央部分の喫水線が水面すれすれで、ともするとすぐ転覆してしまいそうな不安定さが感じられる。
『作戦決行は、今夜の日没後、一九〇〇だ。タネガシマまでの海上移動手段として、旧・アメリカ軍
手が
「その……揚陸艇に武装はないのでしょうか?」
『揚陸艇だからな』
インカム越しに聴こえたこたえは完結だ。
それ以上でも以下でもない。
また別の手が挙がる。
「航空機は使用できないのでしょうか?」
『例えば?』
「チヌークとブラックホークがありますが」
『お薦めはしないな』
「……なぜでしょうか?」
『これから伝える内容は、ただの推測だが――』
タキは声の主に向き直り、手にしていた指示棒を折り
『すでに空は、連中に掌握されている可能性が高いからだ。我々の手持ちのカードだけでは対抗できない。あまりに数が少なすぎる』
「え? それは……?」
『幸いにも、我々オキナワ・ベースは一度も接触したことはないが――』
再びスクリーンを振り返ったタキは、新しいスライドに切り替える。そこには、解像度の低い画像を、無理やり引き延ばしたような映像が映し出されていた。
……黒い影?
その影の周囲に比較するものはなにもないが、その大きく翼を広げた姿が実に
『今回の大規模作戦における、想定の範囲内で考え
「
『まだ我々人類の中で、ヤツと交戦して殲滅に成功した記録はない。
途端、ホールに集められた分隊長と副分隊長がざわめきはじめた。
旧世紀末に発生した『ポータル』を通じ、多種多様な『幻想世界の住人』が我々の『
(コボルトやゴブリン程度の話じゃなかったのかよ……! そんなバケモノまで……!!)
だが、考えてもみれば、それだけで終わるはずもないことくらい分かる。
サルーアン教皇国は、この『
(まるで、神のもたらす「十の
ふと、ハルトの脳裡に浮かんだ恐ろしい想像は、すでに現実のものとなりつつある。
(サルーアン教皇国は、政教一致国家だ。なら、案外似たような伝承があるのかもしれない)
『ナイル川の水を血に変える。
ぶよを放つ。
家畜に疫病を流行らせる。
暗闇でエジプトを覆う。
これが『出エジプト記』に記されている「十の災い」だ。今やそれは、
(俺たちの常識や価値観とはまるで異なる連中だと、行動パターンを切り替えるべきだな……)
決意も新たに、思考の海から帰還したハルトは顔を上げた。
そして、それと時を同じく、質問の時間も終わりを告げる。
『では、諸君。作戦開始時刻まで、各自待機だ』
◇◇◇
「ちょ――ちょっと待てよ、ハルト!」
「どうした、ガビ?」
「お、お前に……話があるんだ」
「戻ってからじゃダメか?」
「………………ダメ。聞いて」
思いつめた表情のガビに、ハルトは良からぬ不安を覚えた。右手を
ハルトは急いで
「お、おい、大丈夫か、ガビ? 具合が悪いのか? もしかして昨日の――」
「くそっ! そっちは問題ねえって! もう頭も痛くないし……」
「なら、なんだ?」
結局昨晩は、そのままハルトにもたれながら熟睡してしまったガビを
「これが最後になるかもしれねえだろ? だ、だから、お前に言っておきたいことがあるんだ」
「冗談はやめろよ、ガビ」
だが、ハルトは、くすり、と笑った。
「俺たち『
「そ、それでもっ!」
ガビは首を振る。
何度も、何度も。
「なにも言えなくなってからじゃ遅いんだ、ハルト! アイクが死んじまって、あたしはようやく気づいたんだよ。どんなに深い想いがあっても、伝えなけりゃ
「ガビ……?」
ガビの瞳はまっすぐハルトを見つめていた。
そして、こう告げる。
「あたしは、お前が好きだ、ハルト! 好きなんだよ! もうどうしようもねえくらいに!!」
「……っ」
その時、たしかに世界は止まった。
風も波も、
ガビは目をきつく閉じ、審判を待つ罪人のように震え、
「お願い……。ハルトの返事を……聞かせて……。お願い……だから……」
その
その
ハルトの心はたやすく揺らぎそうになる。
だが――。
「……済まない、ガビ」
ハルトの口から、ぎり、と歯の
「どうしても忘れられない
ガビの肩が、びくり、と大きく震える。
「殴ってくれて構わない。呪って、悪態をついて
「くそっ!!」
ハルトは目を閉じ、身構えた。
しかし、予想していた衝撃はなかった。
代わりに、キス――。
驚いて目を見開くと、そこには寂しそうに、でも、笑顔を浮かべたガビがいた。
「好きになっちまったのは、あたしだ! あたしのこの想いに、ケチつけたくなんかねえよ! あたしは、ハルトのことを好きになったあたしを誇りたい! そして、その誇りにかけて!」
チカラの限り、ハルトの身体を五感すべてで味わうようにきつく、ぎゅ、っと抱きしめる。
「お前は、このあたしが命と引き換えにしても守ってやる! 絶対に絶対に、惚れた女のところに辿り着くその日まで、あたしのこの指一本が動く最後の瞬間まで、必ず守り抜いてやる!」
「ガ……ビ……」
みるみるハルトの目に涙が
ふたりの熱い涙が、触れ合った頬で混じり合い、ゆるゆると流れ落ちていく。
「それがあたしにできる、あたし全部の愛し方だ! なあ、それくらい、許してくれよ……!」
「ありがとう、ガビ……! こんな俺を好きになってくれて――」
ハルトが言えたのは、ただそれだけだ。
だが、ガビにとっては、たったそれだけで充分だった。
◇◇◇
数十分後、ハルトとガビは、タキの居室にいた。
「……よろしい。許可しよう」
タキは
「どういう経緯なのかは聞かんよ。だが、お前たちにとって、それがベストな判断なのだろう、ということくらい、この私でも分かる。大規模作戦を目前に控えた、今、この瞬間だからこそ」
「申し訳ありません、指揮官!」
「よせよせ。そこは素直に『ありがとうございます』と言っておけ」
タキは
「では、本日付けで、『野良犬分隊』の分隊長はお前、ハルト・ラーレ・黒井だ。副分隊長のガビともども、仲良くやれよ。いいな?」
そう尋ねられ、ガビは即座に頷いたが、
「……ふむ。そう不服そうな顔をするなよ、ハルト・ラーレ・黒井分隊長? 仲間からの信頼を勝ち得て、その仲間たちから『
「「――!?!?」」
「あははっ!!」
もしかすると――。
すっかりお見通しなのか!?
と密かに目で合図を交わすふたりだったが、
「まったくお前たちときたら!」
――それすらもタキには気づかれているらしい。
「この私を、その辺に転がっている棒切れや岩かなにかと勘違いしているんじゃあるまいな? ん? なかなかどうして、馬鹿にしたモンじゃないぞ、このタキ・入瀬はな! くくくっ!!」
「「しっ! 失礼しました!!」」
「まあ……そんな話も、この作戦が終わったら、気が済むまでしてやろうじゃないか。行け!」
「
慌ただしくハルトとガビが手早く敬礼を済ませ、タキのまえから姿を消した。
そのタキの顔には、うっすらとした笑みが浮いている。
「くくくっ! 若いってのはいいねえ……。まあ、かくいう私も、まだまだ小娘だがな……」
◇◇◇
「――というワケなんだ」
わずかに不安を覚えていたハルトだったが、『野良犬分隊』の面々の反応は素直だった。
「はーい。よろしく頼むぜ、ハルト分隊長殿!」
「ッス、ッス」
(こくこく)
しかし、
「だ、だね? ね、ねえ? ガビ――」
ハナだけはどうも落ち着かない。
心配そうな顔でガビへしきりに目で合図を送っているのだが、そのガビから、後ろ手で組んだ手で、しっ! しっ! と追いやられている様子が見え隠れしている。
(これは……まいったな)
ぽりぽり、と所在なく頭を
「まあ、それはいいとしてさ」良くはない。が、エドは構わず続けた。「結局、僕ら『タンゴ小隊の愉快な仲間たち』は、どうやってタネガシマまで行くことになったんだい?」
「船だ。揚陸艇だな」
「LCU‐2000級?」
「良く分かったな、エド」
「まあ、消去法ってとこかな」
エドはそうこたえながら、はぁ……、と溜息をつく。
「仕方ないか……。当店自慢のグランド・メニューから選びたい放題! とはいかないよねえ」
「そういうこと」ガビは唇を
「……どういう意味だ?」
皆が
はは……とチカラなく笑いながら、エドが説明してくれる。
「まさか、ハルト? 分隊長ともあろう人が、この広い海には『幻想世界の住人』なんて
「……あ」
嫌な予感がする。
首筋のちりちりを知覚せずとも分かってしまう。
「ね、ねえ、エド? そ、それって、ど、どんなヤツ?」
「あらら。見たいかい、ハナ? でも、あんまり気持ちのいい連中じゃないぜ?」
ハルトが口を開くより早く、好奇心と恐怖をない交ぜにしたハナに尋ねられ、エドはいそいそとノートPCを開いた。たたーん! とキーボードを打ち鳴らし、それを仲間たちに見せる。
「こんな
古びた羊皮紙に描かれたそれは、クラーケンと呼ばれる空想上の怪物であった。
大きな吸盤がある何本もの触手が、木造の商船にまとわりつき、海底深く引きずり込もうとしている瞬間を捉えたものだ。だが、近年では、実在するダイオウイカがモデルではないか、とされている。
「じょ、冗談、スよね?」
「だといいんだけどねえ、モンド」
「んだら、なんで
「いいね! モンドには二点あげよう!」
い、いらないス……という
「
「つまり、リスクを
「そういうこと」
「じゃあ、危険はねえんじゃねえかよ?」
「ところがどっこい」エドはガビのほっとしたような憎まれ口に首を振る。「連中、陸にはこれっぽっちも興味はないが、縄張り意識はジャパニーズ・ヤクザ以上でね? 入ればアウトだ」
「……マジか」
「そいつらの動きを、ソナーで
「無理無理! お昼寝中のやつらは、海底の岩とおんなじさ。大体、
ソナーとは、音波を発信し、その音波が対象物に反射して戻ってくるまでの時間から距離を逆算して測定する装置だ。対象物が硬ければ硬いほど反射は強くなるが、これでは効果は薄い。
「まあ、
◇◇◇
定刻、一九〇〇。
「では、出るぞ! 航行中は音を立てるなよ? 二十四時間、六交替制で
遂に「タネガシマ奪還作戦」が開始される――。
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