第二十二話 『野良犬』たちの宴

 人気ひとけのない真っ暗な砂浜の隅の方で、呑気のんきな一家が片付け忘れたようなクリスマス・ツリーのイルミネーション・ライトが、ちかちか、とまたたき、ランタンがほのかな明かりを灯している。


 小さな影は、何枚も重ねたトレイのバランスを器用にとりながら駆け、嬉しそうに告げた。


「ご、ご馳走ちそう、く、くすねてきたよ! の、飲み物も、デ、デザートも、いっぱい!」

「いやはや。ご苦労様であります、ハナ隊長!」


 お道化どけた仕草で出迎えたメガネの男――エドは、急ブレーキをかけてバランスを崩したハナから、ささっ、とトレイを取り上げて中身を検分し、にんまりと笑んだ。


「うはっ、いーモン揃ってんじゃないの! このジューシーなローストビーフなんて、一流レストランで出されてもおかしくないぜ。こっちは、っと……ぷりっぷりのロブスターときた!」

「ローストチキンも美味そうス」

「じゃあ、これはモンドに進呈しよう。……ん? チェンニは中華かい? 他のも食べなよ!」

「あ、あたし! こ、この、オムライス、食べたい!」

「どーぞどーぞ。決死の特攻から生還された隊長殿には、その権利がございますからして――」


 わいわいと楽しそうに戦利品を分け合い、それぞれ好きな飲み物を手にして、



 ――かんぱーい!



 と、プラスチックのカップをぶつけ合ったその時だ。


「ふーん……。出世したもんだねえ、ハナ。隊長ときたか」

「――っ!?」



 ――びっくう!



 小柄なハナは驚きのあまり、ちんまりしたアウトドア・チェアから数センチほど浮き上がる。


 暗がりからにやにや笑いを浮かべて顔を出したのはガビだ。

 その後ろから、ハルトも顔を出す。


「まったく……。探したんだぞ? みんな、こんなところでなにしてるんだ?」

「え、えーと……これは、だね……?」


 引きった笑いを浮かべ、エドが切り出すが、

 それをさえぎったのはハナとモンドだった。


「あ! あたしたちが! エ! エドにお願いしたの!」

「そッス」

「……どういうことだ?」

「だ、だって……」


 ハナはもじもじと身を捩りながら言葉を絞り出す。


「み、みんなのこと、き、嫌いじゃないけど……で、でもっ! や、やっぱり人の多いところは、こ、怖くって」

「おらもッス」あとはモンドが引き継いだ。「おらみたいな田舎モン、なに話したらいいか分かんねッス。いっぱい人がいで、楽しそうにしてでも、ひとりぼっちみたいに感じちまうんス」

「そうか……。チェンニも?」


 こくこく、とうなずく顔は、どこか恥ずかしそうで、寂しそうにみえた。


「ま、まあまあ。ガビもハルトも、どうか怒らないでやってくれないか――?」


 エドはメガネを拭き、キレイになったそれを掛け直して苦笑する。


ぼかぁ、ハナたちの気持ちも分かる。正直言えば、僕だって苦手さ。なんだか自分じゃない自分を演じてるみたいになるだろ、ああいう場所って? 気をつかってばかりで、楽しめないよ」

「でも、せっかくのパーティーじゃないか」

「だからこそ、だろ、ハルト?」


 ハルトのセリフに応じたのは、意外にもガビだった。エドやハナ、モンドやチェンニの顔をひとつひとつ見つめ、にかっ、と笑ってみせる。


「せっかくのパーティーだからこそ、あたしたち『野良犬ストレイドッグス分隊』だけで祝うってのがいいんじゃねえか。うん、あたしは気に入ったぜ!」

「そうだな……うん、たしかにそうだ! この方がずっと楽しそうだな!」

「ヘイ、あたしの席はどこだ? どこに座りゃいい?」

「ガ、ガビはあたしの隣!」

「じゃあ、ハルトはここだ」

「お、サンキュー」


 ハナの隣にあったビールケースにガビが座り、エドの隣にあった丸くて大きなすべすべの石にハルトが座る。と、結局隣同士なことに気づき、ふたりは顔を見合わせてくすくす笑った。


「じゃあ、改めて!」



 ――かんぱーい!!



 遅刻してきたパーティー客のハルトとガビは、こっそりカップを打ち鳴らし、ぐびり、と。




「「ぶーっ!!!!」」




「おいおいおい。汚いなぁ、ふたり共」


 ふたりの人間スプレーをまともに浴びるハメになったエドは、顔をしかめて飛沫しぶきぬぐう。


「汚い、じゃねえだろ、エドォオオオ!!」ガビは泡を喰って噛みついた。「ここここれっ! 酒じゃねえか! アルコールじゃねえかよ!? 思いっきり飲み込んじまったじゃねえか!」

「……はぁ? そりゃ、あーた、パーティーだもん」

「ああああたしは、まだ、二十歳はたちになってねえよ!」

「あははは! 言わなきゃバレない、バレないって」


 慌てふためくガビを尻目に、壊れかけのサマーベッドにごろりと横たわってくつろいでいるエドは、ひらひらと適当な調子で手を振りながらうそぶく。ついでに、音楽再生アプリを、ぽちり。


 年季の入ったノートPCから、古き良き旧世紀に流行したムーディーな歌が流れ始めた。


「大体さ? 日本とアメリカくらいだよ、それ? 欧州連合じゃあ、十六歳から飲めるんだし」

「あたしはこれでも生粋の日本人だっ……れ……?」



 ぐらり――と視界が傾いた。



「なんてことしやがるん……! っく! ……れ……? なんかぐるぐるしてる……?」



 まさか。



(ね、ねえ、エド? も、もしかして、ガビ、よ、酔っぱらっちゃったんじゃないの!?)

(いやいやいや! そんな、まさか!)

(このカップ、なにが入ってたんだ? 俺のと違うのか?)

(おんなじおんなじ! ノン・・アルコールの・・・・・・ワイン・・・だって!)

(………………え?)


 そう言われたハルトは、飲み残しのカップの中身に再び口をつけてみる――うん、たしかに。


「お、おいおいおい! しっかりしろ、ガビ! これで酔っぱらうようなことはまずない――」

「えへへー! ハールートーだー! このこのこのーっ!!」

「だぁあああ!? 技をかけるな! 関節をめるな!」


 しかし、どうみても今のガビは、泥酔状態である。やたら、ふにゃふにゃごろごろとハルトにまとわりついてきて、ひしっと抱きついたかと思うと、唐突に左腕の肩関節を極めてきた。


 痛い――痛いのだが、それ以上に頬をすり寄せる甘えたポーズのガビの姿の方が痛々しい。


「こーらー! にーげーるーなー! つっかまーえたー、えへへー!」

「分かった分かった! 逃げない! ここにいてやる、お前のそばに!」


 むふー! と大変ご機嫌なガビ。そして、また、ぐびり。

 ハルトの左腕に両手で抱きつき、にこにこー! としている。


 案外悪い気はしなかったが――それより心配なのは、エドのことである。


「一応、忠告しておくんだが……もしこの一連の流れ、ガビが丸ごと覚えていたとしたら――」

「や、やめてやめて! 怖い怖い!」

「……忘れていることを」

「……祈るとしましょう」


 束の間の静寂の中、『野良犬分隊』の仲間たちは、うんうん、と何度も何度も頷きあうのだった。


「にしても……よくこんな場所見つけたな?」


 普段、試練生や教官たちはあまり基地内にあるこの海岸を訪れない。


 泳ぐには足場が悪いし、演習に使うにも狭すぎた。近くにピザ・レストランがあるにはあるが、職人不在でずっと閉鎖されているのは周知の事実である。なので、未整備のまま、自然任せになっていた。


「それに、こんなガラクタ、どこにあったんだ?」

「ガラクタはひどいぜ、ハルト」


 エドは、むすり、と顔をしかめる。


 穴の開いたビーチ・パラソルに、色褪せたサマーベッド。焦げ跡の残るキャンピング・テーブルに椅子。たしかに見た目こそガラクタそのものだが、ちょっとしたビーチ・パーティーをするつもりならこのくらいの品々があれば事足りそうだ。


「ほら、ぼかぁ、タキや他の指揮官に頼まれごとを押し付けられることが多いだろ? そういう時に大抵お題になるのは、旧アメリカ軍の施設に残された『遺物レリック』の修理とか復旧なんだ」

「ははあ。なるほどね」

「結構いろんなものがあってね」エドはカップの中身をあおる。「で、軍事的に重要そうじゃないこういう物については、割と好き放題させてくれるのさ。専用の物置まで貰ってるからね」

「や、役得ってヤツだね、パパ・・・エド」

「そういうことですな、シスター・ハナ」


 ハルトはそこで、ずっと気になっていたことを尋ねる。


「ずっと気になってたんだが、その『パパ』って渾名あだなはどうして付いたんだ?」

「逆になんでだと思う?」

「え……?」


 にやにやと笑みを浮かべたエドの問いに、ハルトはしばし考え込んだ。

 そして歯にきぬ着せず、あけすけにこう切り出す。


「正直に言って、いわゆる『父親』って感じじゃないだろ、エドは。そもそも威厳に欠けるし」

「言ってくれるじゃないの! このこのっ!」

「あははは! 悪かったって!」


 エドの繰り出す手打ちのパンチを避けながら笑う。


「だからさ、『パパ』って呼び名に、俺の知らない意味が込められてるんじゃないかって思ったんだ」

「まあ、日本人のハルトだとピンとこないだろうねえ」

「??」

「これだよ、これ」


 そこでエドは、シャツの襟元から手を差し入れ、首から下げていたものを見せる。


「我らが神だよ。アーメン、ハレルヤ、ピーナッツバターだ!」

「教徒だから、ってことか?」

「あははは。そこまで単純じゃないさ」


 エドは十字架を丁寧に磨いて、シャツの中に戻した。


「ある時、神父の真似事を引き受けたんだよ。『パパ』って愛称にはいくつかの意味があるけれど、僕の場合は、つまるところ『神父』ってことだね。僕自身そこまで熱心じゃないけども」

「ク、クリスマスなんかの時も!」

「そうそう、サンタクロースまでやらされたねえ! ひとりだけ徹夜してまでさ!」


 エドとハナ、そしてモンドはその時を思い出し、くすくすと笑い立てた。


(でも……案外エドの存在って大きいよな……。まさに『野良犬分隊』の『パパ』だ)


 なんだかんだと文句を並べ立てながらも、結局は面倒を見てしまう。そんな一面もまた、ハルトがエドの中に、陽介の幻影を見る理由なのだろう。同じように口は悪いが、弱っている者、困っているヤツを見ると、ついつい手と口を出してしまう。お節介だが、頼りになる男だ。


「いつもありがとうな、エド」

「よせよ! 僕ぁピエロ気分でやっているだけなんだから」

「け、結婚する時には、た、頼むといいよ、ハルト!」

「……だ、誰と?」


 きらきらと目を輝かせるハナは、ハルトの隣ですぅすぅと寝息を立てるガビを見た。


 だが、ハルトは表情を暗くする。


「け、喧嘩でもした?」

「違う……そうじゃないんだ」


 そして気がついた時には、心の裡に秘めた幼馴染、サリィへの深い想いを仲間たちに打ち明けていた。と同時に、ガビに対して抱きはじめている、深い愛情のことについても。



 酔っていたのかもしれない。



 カンテラの灯りに照らされて淡く桃色に光るノンアルコールカクテルに、というよりも、こんなにも平穏で心の底から楽しいと思えるひとときに。きっと、だからだったのだろう。


「俺はどうしたらいいと思う、ハナ?」

「そっ! そんなことっ! あ、あたしには分かんないよ!!」

「正直に言えばいいさ」


 エドは薄い微笑みを張りつけた顔で告げる。


「いつもまっすぐで、嘘が下手で、誤魔化しなんか一切使わない。それがハルトの良いところだろ?」

「そッスよ」

(こくこく)

「で、でも!」


 ハナは突然、ぐすぐすと泣きじゃくる。


「ガ、ガビ、可哀想だよぉ……!」

「それも人生、ケ・セラ・セラさ」


 エドの瞳には誰が映っているのだろうか。


 そして、今にも落ちてきそうな満天の星空を見つめ、エドはひとりつぶやいた。


「明日の出発を控えた僕らにはもう、後悔する時間だって残されちゃいないんだからね――」



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