第十九話 密やかに確かめ合う心とココロ

 どのくらいの時間がったのだろう。



「……」


 ハルトが過去から戻ってきた時には、もう泣き声は聴こえず、柔らかい感触だけがあった。ガビのベッドは上の段だが、今日くらいは許されるだろう。そっとハルトのベッドに横たえる。


(俺も、少し頭を冷やしてくるか……)


 そう思って一歩踏み出した瞬間、フィールドパンツのすそを握る手に引きめられてしまった。


「なんだ、起きてたのか、ガビ?」

「………………うん」


 まるで調子の狂う口調だ。

 あまりにはかなげで、今にも崩れそうにもろい。


 ハルトは、そっと、ガビの隣に腰掛けた。


「人ってさ……突然いなくなっちゃうんだな」


 ガビは呟く。誰に向けてでもないように。


「……ああ。そうだな」

「ハルトもこんな思い、したんだよな?」

「俺だけじゃないさ。みんな同じだ」

「なあ、ハルト……聞いてもいい?」


 ハルトは声に出さず、ガビの身体に触れてこたえる。びくり――ガビはおびえたように震えたが、やがて安心したようにその手に自分の手を重ね合わた。


「お前はさ? ……いなくならないよな? あたしの前から、消えたりしないよな――?」


 迷ったのは一瞬だ。


「ああ。いなくなったりなんかしない。こう見えても頑丈でね。おまけにあきれるほどしぶとい」

「ははっ、言えてる。あんだけ追い出そうとしたのに、どうやっても追い出せなくってさ――」



 思わず、ガビが言葉に詰まる。

 自分の口にした言葉の意味を、その深さを知って、黙り込んだ。



 しかし、ガビは代わりにこうつぶやいた。


「あたしはサイッテーなんだ。こうなって良かった――そう思っている悪いあたしがいるんだ」

「良かった?」

「もしも、アイクが死んでなかったら……あ、あいつの求婚プロポーズを断らなきゃいけなかったから」


 ガビの指が、ハルトの指の一本一本にからみつく。


 が――。

 じき名残惜しそうに離れていった。


「……アイクは良いヤツだったんだ。本当に」

「だな」

「あの時……ロベルトが死んじまって、あたしが無茶苦茶なこじつけで責めて当たり散らしても、あいつだけはなにも言わずに黙って受け止めてくれてた。なにひとつ言い返さずに――」

「そうか……」

「それが気に入らなくって、アイクの仲間はあたしを標的ターゲットにして徹底的にやり返すことにした」


 それでようやく、ハルトにも理由が分かった。

 彼らと『野良犬ストレイドッグス分隊』との間の因縁の。


 ガビは、ずず、と鼻を啜る。


「……馬鹿みたいだろ? こんな話、死んだ後にしたって、なんにもなりゃしないってのにさ」

「仕方ないさ。人間って生き物は、そんなに単純でも素直でもないからな」

「それ……誰の言葉?」

「ん? 俺だけど?」


 ハルトのベッドの中で、くすくす、とガビが笑う。


「なんだよ、笑うなって」

「わ、わりぃ。ハルトでもそんなセリフ言うんだな、って思っちゃってさ」


 OBオリーブドラブ色のブランケットをゆるく弧を描いた目元まで引き寄せ、ガビは悪びれもせず言ってのけた。思わず、むすり、と顔をしかめるハルトだったが、じきつられたように笑みを浮かべた。


「ま、良いけどな。ガビは、そうやって笑っている方が良い」

「は………………? もしかして、口説くどいてるつもりかよ?」

「ば、馬鹿! ち、違うって!」

「あははは!」


 薄暗い闇の中、弾けるように大きな笑い声を上げたガビの口元を慌てて押さえる。


(……こら、静かにしろって。もう就寝時間だぞ? ドヤされて、外周走らされたらたまらない)

(はーい。静かにしまーす。ぷっ、くくく……)

(そろそろ落ち着いただろ? 上のベッドに行けよ)

(やーだねー。あたしはここで寝るぜー)

(ここは俺のベッドだぞ? 俺はどこで寝りゃあいい?)

(い、一緒に……寝るか? あ……あたしと……)

(む………………。じゃあ、そうするか・・・・・

(お――おいぃいいい!?)


 慌てるガビを尻目に、ごわついたウールのブランケットを少しだけめくり上げ、ハルトはそっと身体を滑り込ませた。目と鼻の先には、暗闇でも分かるほど真っ赤になったガビの顔がある。こうして間近で見つめてみると、新鮮な気持ちだった。


 可愛い、とハルトは素直に思う。


(や……だ……。あっち……向いてくれよ……。なんでこっち向いてんだよ……馬鹿かよ……)

(い、いやいやいや。だって、ガビが一緒に寝ようって誘った・・・んだろ?)

(いっ! いいから向こうむけ! 馬鹿っ!!)

(はいはい……了解しましたよイエス・マム……)


 ぶつぶつこぼしながら反対側向きに寝返りを打ったハルトのたくましく広い背に、ガビが触れる。


「――っ!」


 そして、すがりつくように静かに泣きはじめた。


 ハルトは、ただ黙って、ガビの体温を感じていた。




 ◇◇◇




 翌朝。



 ――ぱん、ぱん、ぱん!!



 儀式の終わりと仲間への別れの言葉を告げるように、弔銃ちょうじゅう曇天どんてんの空に三回鳴り響く。


 ディーコン指揮官率いるデルタ小隊を中心に集まった兵たちにより、昨日不慮の事故で殉死した『ブリキの兵隊ティンソルジャーズ分隊』の元・分隊長リーダー、アイクの葬儀がしめやかに行われた。タキ・入瀬指揮官と共に参加していたハルトたち『野良犬分隊』の面々は、最後に一礼してその場を離れる。


「ガビ――」

「大丈夫か、キング?」


 去っていくその背に声をかけたのは、アイクの右腕だった副分隊長オフィサーのキングだ。ガビの気遣きづかいの言葉に、出掛かった言葉を吐き出せないまま、弱々しく笑って首を振る。ガビはうなずいた。


「これからは、お前が分隊長だ。お前ならきっとうまくやれる。なにかあればあたしを頼んな」

「ありがとう、ガビ。あと………………今まで済まなかった」

「いいって。気にすんな」


 ガビは肩越しに手をひらひらと振ってみせた。


(心配なのはお前の方だぞ――って思ってたんだけどな。この調子じゃ大丈夫そうだ)



 昨夜――。


 いつの間にか眠っていたらしい。ふと深夜に目覚め振り返ると、すでにガビの姿と温もりはそこになかった。ぎし――軋みを上げたベッドの上段を見上げ、日常が戻ってきたのを感じた。



 ただ――ハルトは反射的に自分の唇に触れる。



(なんか、妙な夢だったな……。今でも柔らかい感触が残っているような……)


「へイ! なんだか腑抜ふぬけたつらぁしてやがんな、ハルト! どうした?」

「い――いや、なんでもない、ガビ」

「しゃきっとしろよ、副分隊長! ぼけっとして、あたしの足、引っ張るんじゃねえぞ?」


 ったく……。


 やけに上機嫌なガビの様子に、嬉しいやら心配損やらで、やれやれ、と頭を振りつつこたえようとして、




 今耳にしたばかりのガビのセリフに、ハルトは目を丸くする。




「なあ、エド? 今――」

「そういうこと。良かったな、元『初心者ニュービー』? 卒業だってさ」


 こつん――エドと拳を合わせるハルト。


「ヘイ! 聴こえてんのかよ、ハルト副分隊長!?」

「い――今行く!」




 ◇◇◇




 午前中の教練を終えて食堂に集まった『野良犬分隊』の面々は、すっかりくたびれた顔でぼそぼそとチリコンカンをスプーンで口元に運んでいた。まるで機械のようである。


「はぁ……。こんだけ必死こいて訓練しても、活躍の場がないってのも考えモンだよねえ……」

「そう言うなって」


 肩をすくめて応じるガビも、元気溌剌はつらつとはほど遠い。


「タイミングと場所が重要だってことくらい、お前なら分かるだろ、エド?」

「前から聞こうと思ってたんだが――」


 そこにハルトも参加する。


沖縄ここには『ポータル』がないのか? タキが言うには『ないことはない』って」

「あるさ。もちろん」


 ガビはつまらなさそうに口をへの字に曲げた。


「けどな? ……ハルト、『新東京区』にあった『ポータル』、覚えてるだろ?」

「覚えている」

「あのサイズが、人間様の科学力ってヤツで造れる最大だ。これ、どういう意味だと思う?」

「え……?」


 ビショップ率いる『第五分隊』の面々が勢揃いしたあの日の光景を思い出す。分隊の人数は十名。指揮官のビショップを含めて十一名だ。中心に建つ誘導柱ガイドポールに集まり、起動する――。


「もしかして……一度に跳躍ジャンプ可能な人数って、あれっぽっち・・・・・・で限界なのか?」

「ご名答。正解者にはプレゼントだぜ、ほらよっ」


 もさっ――ガビはどうも基地ベースのチリコンカンが苦手らしい。いい厄介払いだ、と、ハルトのトレイにスプーンでこんもりよそってくる。溜息をつき、新たな山にひとすくい入れ、尋ねた。


「ここのも、あれと同じサイズの物しかないのか?」

「いんや」ガビは首を振った。「もうひと回り小さいね」

「おいおいおい……。それじゃあ、小隊丸ごと送るのに、一時間はかかっちまうじゃないか」

「僕の試算じゃあ、三時間は優にかかるよ。あれ、一回ごとに再充電リチャージしなきゃならないんだ」

「やれやれ……」


 それでは、もしも跳躍先で戦闘状態に入っても、増援を送るまでに全滅してしまう。


(こんな調子じゃあ、いつになったらサリィや陽介を探しにいけるのか分からないな……)


 うかない顔つきになったハルトの様子を見て、エドが何気なくこう付け加えた。


「ハルトには、どうしてもいたい幼馴染おさななじみがいるもんな。あせる気持ちは僕だって分かるとも」

「………………それ、誰に聞いた?」

「そんなモン、タキ以外にいないでしょうが」


 エドは当たり前のように言ってのける。


 だが、他の分隊員たちは初耳らしい。

 途端に興味を示す。


「ね、ねえ? お、幼馴染って、ど、どんな子たち・・・なの?」

「子たち、って……。うーん、そうだなぁ――」


 話を切り出すほどハナが興味を持ったのが意外だと思いつつも、ハルトは天井を見上げた。


「すっごく良いヤツらだ。こんな俺にも、いつも優しくしてくれたしな」

「んじゃ、おらたちと変わんねス」

「はははっ。たしかにそうだな、モンド」


 一本取られた、と頭をき、改めてふたりの幼馴染について、詳しく話して聞かせることにする。なぜそうしようと思ったのかと言えば、もうすでに彼らは家族も同然だったからだ。


 大親友であり、心の師とも呼べる陽介のこと。向こうはどう思っているのかは知らないが、ハルトにとって陽介とは、一生涯のかけがえのない宝物のような存在だ。迷うハルトの心を常に導いてくれた。皮肉っぽいところが玉にきずだが、陽介ほど頭の切れる優秀な参謀はいない。


 そして、サリィ。陽介が心の師であれば、サリィは心の太陽だ。優れた才能を持ちながらも、常に努力を怠らず、さらに上を目指す志を持ち、加えて、周囲の人間に分け隔てなく手を差し伸べ、思いやることができる。ハルトの、他人を想う気持ちは、サリィが育てたようなものだ。


 決してハルトは雄弁でなく、人を楽しませる話術も持ち合わせてはいなかったが、『野良犬分隊』の面々はすっかり感心したように聞き惚れ、彼の語る『彼ら』に憧れを抱いたようだ。


「ふーん……。良いねえ、幼馴染ってのはさ」


 エドがしみじみと呟く。そこには純粋な羨望があった。


「僕ぁそういうの憧れててね。ほら、ゲームだってノベルだって、決まって出てくるじゃんか」

「さすが『オタクギーク』のエドだな、キモいぜ?」ガビはそう言いながらも頷いた。「まあ、かくいうあたしだって、恵まれた少女時代にゃほど遠かったからな。他人様ひとさまのことは言えねえ、か」


 し、少女? とこぼれ落ちそうなほど目を丸くしたエドに、ガビの拳が飛ぶ。もちろん、本気どころかじゃれ合いまでもいかない程度のチカラ加減だったが。


 ふと見ると、他の分隊員たちも同意見らしい。


「おら、森の動物くらいしか友だちいねッス」

「あ、あたしも……ど、動物じゃないけど」

(こくこく)


 彼らのことを十分に知った今のハルトにしてみれば、モンドもハナも、チェンニだって、ひとりの『友人』として実に誇らしい気分なのだが、不幸にも彼らは過去、そういう機会には恵まれなかったようである。ひとり、そんな『輝かしい思い出』を持っていることを申し訳なく思う気持ちと同時に、ふと、陽介やサリィに彼らを会わせてみたい、という興味が湧いてきた。


(きっと、あいつらなら、俺の大切な『仲間たち』のことを好きになってくれるはずだ――)


 そう想像するだけで、途端にわくわくしてくるではないか。


 だが、ハルトがそれを口に出す前に、エドはこう告げた。


「ようし! ここはひとつ、この天才ハッカーのエド先生が、今の居場所を探ってみますか!」

「え――できるのか!?」

「当たり前でしょうに。天才ハッカーだよ、ぼかぁ」

「あ、あんまり、じ、自分で、て、天才って言わないよ、エド?」

「こういう時は言ってもいいのよ、ハナちゃん」


 やっぱりエドもハナのことは子ども扱いなんだな、とハルトは苦笑する。


「っていうかですな。もー、うずうずするんだ、これが! それに多分……僕ぁその『ヨースケ』って彼と、見知りだと思うんだよねえ。というより、好敵手ライバルってヤツ?」

「え――!?!?」


 たしかにどこか似通っている気はしていたものの、陽介とエドになんらかの接点があるとまでは思いもよらなかった。色めき立つ一同に、エドはぬけぬけとこう告白した。


「さっき言ってたろ? その『ヨースケ』って彼、4Dチェスの現GMグランドマスターだって。多分、僕、野良試合で何度かやり合ってるのさ。今ンとこ、通算戦績は、僕のちょい負けだけどねえ」

「マ、マジかよ……」


 これにはガビも仰天したらしい。


 が、揶揄からかわれていると思ったのか、急に語気を強める。


「っていうけどよ。相手、グ、GMグランドマスター? とかだぞ? てめえ、カマしてんじゃねえぞ、エド?」

「マジよ、マジ。僕ぁ大会なんて出ないから」しかし、エドはひるまない。「そもそも、僕の生活時間帯と合わないんだよねえ……。朝八時開幕ー! って、爺さん婆さんじゃあるまいし」

「お、お寝坊さんだもんね、エド……」

「夜型、って言って欲しいね」


『野良犬分隊』の中でも、特に朝がダメなのがエドだ。


 というより、そもそも寝る時間が遅い。どうやら夜中にこっそり起きては、ノートPCをせこせこいじっているらしい。そのせいで、朝はからきしなのである。逆に異常に早起きなのが、モンドとチェンニだ。モンドは平均的に大体四時には起きているようだ。チェンニは五時頃だと言う。ただし、ふたりともなにをしているのかまでは、さっぱり読めず、つかめない。


 ともかく――とエドは続けた。


「僕も、エリート様がどこで過ごしているのか気になってたところなんだよねえ。……あ、他意はないよ、ハルト。単なる口癖だから無視してくれよな」


 ハルトが『エリート様』という単語に眉をしかめたのを目敏めざとく見つけたらしい。


「それに、だ。その彼――ハンドルネーム『yo-yo-』とは、一度じっくりお話ししてみたかったからね。あんな、実に破天荒で馬鹿げた戦術を操る、小賢しいプレイヤー様と、ね?」



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