第十八話 死にゆく友への鎮魂歌(レクイエム)

 一転、キャンプ・シュワブは死にえたような静かな夜を迎えた。



 ――ぎい。



「ガビ!! どう……だった?」

「……」


 兵舎のドアがきしんだ音に、一斉に視線を向けられたガビだったが、こたえもなく、声もない。


 次々とらされる視線をくぐり、ハルトたちの下へと重い足を引きりながら歩いてきたガビを、辛抱強くハルトたちは見守り続けた。



 そして、ついに、



「アイクは……死んだよ。さっきな」


 とすっ――ガビは、珍しくハルトの隣に腰を降ろし、小さくつぶやく。


「あははは……。いくら万能の再生医療用ポッド様でも、消えた命までは戻らねえってさ……」


 ハルトは、ガビの横顔によぎる色があまりに哀しげで、一瞬迷いはしたものの、本能的にその頭を引き寄せ、そっと左胸に掻き抱いた。すると、やがて静かに押し殺した嗚咽おえつが聴こえる。


「――っ!!!!」


 ハルトの手が、ガビの髪をゆっくり、優しくくしけずる。


 そうすることしか、できなかったからだ。


「今は泣いていい。お前の気が済むまで。ずっと傍にいてやるから――」


 辛うじて、そう囁きかけた。


(ああ……なんて――)


 その目で一部始終を見たハルトですら、


 ついさっき起こった忌まわしい出来事を信じることができなかった。




 ◇◇◇




 小隊対抗の模擬戦闘、その三回戦目。


 アイクたち『ブリキの兵隊ティンソルジャーズ分隊』は、ヤンキー小隊所属の『砂漠の花デザートローゼズ分隊』とマッチした。新人である彼らがなぜ三回戦目に登場したかというと、不慣れゆえのシード扱いだったからである。この勝負の行方次第では、タンゴ小隊の順位も大きく変わってくるだけに、ハルトたち『野良犬ストレイドッグス分隊』の面々も固唾かたずを飲んで見守っていた。


 そこに、


「ヘイ! ガビ!! いるんだろ!?」


 あのアイクが声をかけてきた。


「ち――なんだってんだよ、アイク!」


 こういうやりとりが苦手なガビは、ぶすり、と顔をしかめ、わずかに染まった頬を誤魔化すように怒鳴り返す。


「おいおいおい、大事な大事な試合前だってのに、女に声掛けるたぁ、随分と余裕じゃ――!」

「――いいから聞けって!」


 だが、アイクの表情は真剣そのものだった。

 思わずガビが怯んだほどだ。


 アイクはガビの瞳をまっすぐに見つめ、こう告げる。


「……俺は決めた。もう決めたよ。いつまでも、兄貴に義理立てするのは止める。いつまでも、兄貴の後ろを追い駆けていくのはもうなしにする。お前も止めろ。前に進め……分かったか?」

「なにを馬鹿な――!?!?」


 そう言いかけて、息を吸い込んだ、その直後、






「この試合が終わったら、お前に求婚プロポーズする――覚悟しろ」






 ひゅーぅ――ハルトたちを取り囲んだ試練生たちが、アイクのその鮮やかな捨てゼリフに魅せられ、一斉に口笛を吹いてガビを羨み、冷やかした。たちまち当のガビ本人は、今にもはちきれんばかりに顔を真っ赤に染め上げた。


「な、なな――っ!!!!」


 百戦錬磨のMMAの女王、ガビとは言え、恋愛に関しては素人中の素人だ。反撃カウンターどころか防御ディフェンスすらままならず、あわあわと口をわななかせるだけで返す言葉ひとつもないらしい。


 と。


「て――てめえらっ!! なに見てんだよ、あぁん!? ぶぶぶぶっ殺すぞ!?!?」


 辛うじてそうわめき散らしたかと思いきや、大柄な身体を可能な限りちぢこませて、蚊の鳴くような声でつぶくのがハルトにまで聴こえてきた。


「あ……あたしにだって、つ、都合と、こ、好みってのがあるってのに……。あの阿呆……っ」

「あははは……。ま、まあ、良かったじゃないか、ガ――」



 ――ごつん!!



 お愛想のつもりで言いかけたセリフが終わらないうちに、ハルトの目の前に星が散る。


「………………痛え」


 ガビの右ストレートがいかに強力か、身をもって体験するとは思わなかった。たたっ――と駆け出していく背中を見送りながら、ハルトは鼻からの出血を案じつつ、分隊の仲間に尋ねる。


「あのさ……俺、またなんかやらかしたか? そうなのか?」


 それに珍しくこたえたのはハナだ。


「こっ! こんなこと! いっ! 言いたくないけどっ!!」


 かなり無理をして勇気を振り絞っているのか、恐ろしく怖い顔をしている――本人の中では、だが――ところをみると、臆病で引っ込み思案のハナでも見過ごせないほどおかんむり・・・・・らしい。


「ハ、ハルトはっ! い、一回、お馬さんにっ! け、蹴られた方がいいと思うんだよっ!!」

「……おらもス」

「僕ぁハナの意見に、上乗せレイズするよ。……ついでに、牛にも入念に踏まれとけ」

(こくこく)


 最後の無言の同意は、もちろんチェンニだ。

 孤立無援となったハルトには、もはや分隊の中にも外にも味方はいない。



 だが、しかし。



(俺だって……いくら『お人好しの筋肉バカ』だって、なんとなく勘づいてはいるって……)


 ハルトとて、ガビのことは嫌いではなかった。


 好きだ。

 大好きだ。


 それは掛け値なしの、本心からの『想い』だ。



 けれど――。



(それを意識すればするほど……思い出すんだ……気づいちまうんだよ……自分の『想い』に)



 もっと――。


 もっと大きな、もっと深い『想い』を抱く幼馴染のことを。



 サリィ――サリィ・ミルドレッド・三国みくに



 そう『想う』だけで、そう声なく呟いただけで、ほろり、と心が解けていく。


 同じく恋や愛だのといった感情とは無縁だったハルトの心には、すでに彼女がいたのだった。



(くそ……どうしたらいいってんだよ……。ヨースケ大センセイ、頼む、助けてくれ……)


 そのどちらも、ここにはいない。

 再び会えるかどうかも分からない。


 それでも――。



 ――ビー!



 突如鳴り響いた試合開始のブザーに思考をさえぎられ、ハルトは前を向く。




 ◇◇◇




 異変が起こったのは、試合がはじまってから数分後のことだ。


「お、おい……。あれ、なんかマズくないか……?」


 両チームにフォーカスした映像を映し出すスクリーンを見つめていた試練生たちが、次第にざわめきはじめる。そこに映し出されていたのは『砂漠の花分隊』の面々だ。


「あいつ……装備がゆるんでるんじゃないのか? ……ほら、外れそうだぞ!?」

「いや! 気づいたみたいだ! ……な? ちゃんと直してる。問題ねえって」

「大丈夫かよ、あのひよっこ共……」


 まだ市街地戦区域でもたついているのだが、どうにも動きが怪しい。


 特に、分隊長リーダーらしき試練生が――ネームタグには『キム』とある――しきりに頭部を覆うヘルメットと、上半身に着込んだタクティカル・ベストを気にしている様子が見てとれる。どちらも、身を守るには欠かせない装備だ。一番肝心なそれが、どうにもおぼつかない。


「なんか……嫌な予感がする。エド、タキはどこだ? ガビは?」

「タキの居場所なんて、僕に聞かれたところでこたえらんないって」


 エドはまだ立腹中なのか、ガビについては触れなかった。


「つーか、ダメそうなら、指揮官のヤーンが止めるでしょうに」

「けど、そのヤーンも新任だろ? くそっ……首筋がちりちりする……!」


 この感覚には嫌な想い出しかない。


 夢中で形のない不安を手で払い除けつつ、観客席の中にタキの姿を探した。


「タキ! タキ指揮官! いるか!? 返事をしてくれ!!」



 その瞬間、



 ――うわぁあああん!!



 ようやく市街地戦区画を抜け出し、野戦区画で相対したふたつの分隊の姿に会場が割れんばかりの声援を飛ばす。たちまち、ハルトの声はかき消されてしまった。




 ◇◇◇




「おい! いい加減、落ち着けって! キム!」

「落ち着けるワケないだろ!? くそっ……!」


『砂漠の花分隊』の分隊長に任命されたばかりのキムは焦っていた。


 試合前に、分隊の仲間同士で入念にチェックしたはずの装備が、どうにも一箇所に収まってくれないのだ。絶えず動き回り、今にも外れそうなほどグラついていて、集中ができないのだ。


「ったく!! 見てやるから止まってろ!!」

「お、おい! 触るな!! 自分でやる!!」


 困ったことに、つい先日出来上がったばかりの分隊なので、互いのチームワークや信頼感にも欠けていた。おまけに、キム自身の高すぎるプライドが邪魔をしている有様だ。


「おーい! 止まってくれ! 一回、外す!!」

「馬鹿言ってんじゃねえ!? お前、死にたいのか!?」

「模擬戦で、ゴムスタン弾だ。これで死ぬヤツなんているもんか。……くそったれ」


 仲間が止めるのも、まるで聞く耳を持たない。するするとタクティカル・ベストを固定しているベルトを緩めてしまった。こうなるともうダメなのだ。仕方なく周りを仲間が囲って壁になる。それが余計に腹立たしいらしく、キムはぶつぶつ愚痴ぐちこぼしている。


「早くしてくれ! もう野戦区域に足突っ込んでるんだ!」

「うるさい! 僕は、守ってくれ、だなんて言ってない!」


 辛うじて遮蔽物に身を隠してはいるものの、攻撃をかわすには人数が多すぎる。


「ほら! これでいい! 次はヘルメットだ!」


 キムの無邪気なまでのセリフに、分隊員たちは蒼褪あおざめた。


「ダメだダメだ! それだけは、絶対に外すなよ!?」

「離――せ!!」


 そんなことをしている場合じゃないのだが、あっという間に揉み合いになってしまう。



 そんな時だった。



「お、おい……? そこでなにを――!?!?」



 アイクだ。


 目にしたあり得ない光景に驚愕し、思わず構えていたタイプ1を下げてしまった。




 が――。




「くそっ!! 敵が来てるのか!?」

「馬鹿っ!! やめろ、撃つなっっっ!!」




 ――どんっ!!!!




 キムが咄嗟にタイプ1を構え、遮蔽物の影を覗き込んでいたアイクめがけて引き金を絞った。アイクの身体は、ゼロ距離から浴びせられた強烈な一撃で宙に浮き、ヘビー級のボクサーのアッパーを喰らったかのように、ぐるん、とキレイに一回転した。




 当たりどころが――悪すぎた。




「――っ!! やった……か!?」


 ヘルメットがずり落ちていたキムは、自分が今、なにを標的にしているのかすら見えていなかった。はしゃぎかけていた笑顔が、たちまち凍りつく。その蒼褪めた顔に血飛沫しぶきが飛んだ。




 不気味な静寂が、広い訓練場を支配した。




 その中、必死に駆けつけた『ブリキの兵隊分隊』の副分隊長、キングがぐったりとチカラの抜けた親友の身体を抱き起し、喉を枯らして血を吐くように全身で叫ぶ。


「くそっ――!! 衛生兵メディッーク! 頼む!! アイク!! 死ぬんじゃねえぇえええええ!!!!」



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