第十四話 ないものはないし、あるものはある

 ここ、キャンプ・シュワブにおける訓練は熾烈しれつだ。


「しっ!! ふっ!! しっ!! ふっ!!」

「ヘイヘイヘイ! 『初心者ニュービー』! もっと早く登れって! 後がつっかえてるだろ!?」

「しっ!! や……やってる……だろ!! ふっ!!」


 特にタンゴ小隊の指揮官、タキ・入瀬いるせは、試練生たちに厳しく、一切の妥協を許さない鬼教官だともっぱらの評判だった。


 それでも『野良犬ストレイドッグス分隊』をはじめとする試練生たちは、上官――いや、『教育ママ』のタキに対して絶対の忠誠を誓い、これ以上ない厚い信頼を寄せていた。


「いいか? 知らない者もいるだろうから、今一度、教えておこう――」


 日中の苦しい教練が終われば夜は夕食を挟んで座学だ。


 ハルトは、このキャンプ・シュワブではじめて現実の世界情勢と各自治領――国ではなく――が直面する過酷な状況を知り、その理解を徐々に深めていった。見るもの聞くもの、そのすべてがあまりに「非現実的」で「衝撃的」ではあったものの、少しずつではあるがそれらを受け入れ、血肉へと変えていった。


「諸君らは、GEHSゲースと呼ばれる遺伝子操作された人類だ。我々がサルーアン軍の支配下にある現時点では、それ以外にヒト種を存続させる方法がないというのが悲しいかな現実でね――」


 ハルト以外にもなんらかの理由で新たに「タンゴ小隊」に加わった試練生がいたのだが、あまりにショッキングで泣き出し、取り乱したところを分隊の仲間になだめられていた。無理もない。


 そうなのかもしれない――と覚悟を決めていたハルトですら平静ではいられなかったのだ。


「旧世紀末期、ノルウェー領・スピッツベルゲン島に建てられたのが、この国際遺伝子銀行だ。ここに貯蔵されている遺伝子の掛け合わせによって生み出された、新世紀に『最適化された人類』、それが諸君らだ」


 スクリーンに映し出されている極寒の地に建てられた建造物は、ある種「船」に似ていた。


「高度に計算された遺伝子設計により掛け合わされ、血の通わない人工胎盤から生み出された諸君らは、往々にして優れた才能と容姿を発現する。……だが、その反面、犯罪性のある思考や造反的思想を持ちにくい『扱い易い羊』となるようにも『意図的に』設計されている」



 そう。



 ハルトが予期し、恐れ、確信めいた想いを抱いていたのは、『両親の存在』だった。



現実セカイ』が駆逐された今、彼らが安穏と暮らせる場所などあるはずがない、それは明らかだ。


 天才脳外科医の父が世界中を忙しく飛び回り、次々と大手術を成功させて奇跡を起こすことなどできないし、夫と息子がいない家庭を守り続ける優しい母が暮らす暖かな家もない。幼い頃の記憶――それすらもA.I.が代役を務めて生み出し、ハルトの脳に植えつけた『偽物』だ。


 さすがに、それを聞いてしまった夜は、どうしても眠ることができなかった。


 だが、そんなハルトの心の支えになったのは、陽介、そしてサリィという幼馴染の存在だった。彼らとの記憶――十二年間の思い出だけは『真実』である。それだけがハルトを動かしていた。


「『新東京区』をはじめとするすべての人材育成特区において、これは共通した方針だ。だが、それでも大なり小なりバラツキはあってな。故に、学区と居住区画を分けて『選別』している」



 ……?



 そこでなぜか、ハルトは自分に向けられている視線を感じ取った。だが、視線を追うと、次々とらされていく。今のくだりに、なにかハルト自身が関係するのだろうか?


 ハルトの疑問が消えぬまま、タキはこう続ける。


「しかし、忘れないで欲しい。たとえ、生まれ方はどうであれ、諸君らはまごうことなき『人間』である、ということを。そして、未来を切り開くのもまた、諸君らだということを。私や他の指揮官――つまり個人指導教官チューターズのような『人造人間ホムンクルス』とは根本から違う。誇りを持てよ」




 ◇◇◇




 座学が終われば、男女に分かれての入浴、そうして兵舎に戻ってようやく就寝の時間となる。


「ヘイ、『初心者ニュービー』。そこのタオル、取ってくれよ」

「ん? これか? ほら、ガビ」

「サンキュー。ふぅ……生き返った」


 ガビは、受け取った白い厚手のタオルで、ゆるくウェーブのかかった濡れた黒髪をがしがしとガサツな仕草できむしった。普段はポニーテールでまとめているだけに、その姿は新鮮だ。ドライヤーなどという洒落しゃれたシロモノもあるにはあるのだが、圧倒的にその数が足りていない。それに、そもそもきちんと乾かして寝る、という習慣がガビにはないらしかった。


「ちょ――ちょっとどけって。上がれねえだろ?」

「ああ、悪い」


 ぎし、ぎし、とパイプ梯子をタンクトップの上にタオルを羽織はおったガビが昇っていく。すれ違った瞬間、ボディーソープのものとは違う、花のような香りがハルトの鼻先をくすぐり、妙に落ち着かない気持ちになった。


 体格こそたしかに見慣れた格闘家のそれだったが、ガビとて年頃のひとりの女の子だということには変わりはない。他の分隊長が男ばかりなので、虚勢を張っている姿が余計いじらしく感じる時もあった。ただ、ハナがこっそり教えてくれたのだが、胸が小さいのが悩み、だとか。


 それ、俺に言っちゃダメなヤツだろ……と褒めて欲しそうにもじもじしているハルは叱っておいたが。


 ふと、前を向くと、


「………………な、なんだよ、エド? にやにやして」

「はぁ? にやにや? してるって? 僕が、かい?」

「まあ、いいや。どっちでも。……なあ、質問いいか、エド?」


 考えてみれば、エドはいつでもこんな顔をしていたかもしれない。分隊の中で『知りたがりホワイマン』と揶揄からかわれはじめたハルトのいつものセリフに、エドはぐるりを目を回しつつも、耳を貸す。


「はいはい。受けて立とうじゃないの。今日はなんだい?」

「いつも悪いな。あのさ……今日の座学でも気になったんだけど、GEHSの遺伝子決定時には、あらかじめスキルが発動するような組み合わせにしてある、ってことでいいんだよな?」

「うん。まあ、そうだね。合っているよ」

「でもエドは、こう言っていただろ? スキルは多かれ少なかれ、誰でも持っているものだ、って。でも、俺は持っていない。なにひとつ『能力測定スキル・テスト』では見つけられなかった、最後まで」

「ああ、それか――」


 エドはようやく合点がいったようで、にこり、と微笑んだ。


「それはだ、『選別』のためなんだよ。スキルが発動しやすい掛け合わせ、って言っても、能力レベルの高さは産まれてみないことには分からない。SSからAまで、五段階のどれかは」

「??」

「で、レベル5のSSとレベル4のSの判定が出たヤツを、便宜上『スキルあり』と認定しているってカラクリなのさ。レベル3のAAA以下は、発現したところで使い道なんかないから」

「なるほど……。そういうことか」

「そして、レベル5と4の連中は、僕らのような使い捨ての駒扱いじゃなくって、能力を伸ばし、強化するための訓練および研究施設に送られる。どこも離島で安全が確保されているのさ」

「――っ!?」


 思わず声を上げそうになった。


 それから、じわり、と笑みがハルトの顔の表面に染み出てくる。


(なら……陽介も、サリィも、きっと無事だ……! 信じてた……信じてた……けど……!!)


 今までは『ハルトの信じようとする想い』でしかなかったものが、みるみる現実味を帯びてきた。あいつらが死ぬはずがない――なんの根拠もない自信が、確信に変わった瞬間である。


 ほっとした反面、残された疑問が妙に引っかかってしまう。


「じゃあ……俺の持っているスキルって、本当はなんなんだ?」

「調べることならできるけど?」

「また、ハッキングかよ……。違法だぜ?」

「そりゃ違法だけどさ。なにせ今は、とがめるヤツがお留守だからね」


 と言ったそばから、エドはすでにノートPCを開いて、キーボードをいじくり出していた。少しでも彼の好奇心をかき立てるものがあれば、迷いなく即座に行動に移す。それがエドなのだ。


「はぁ……俺たちは『扱いやすい羊』のはずじゃなかったのかよ、エド?」

「生憎、僕ぁ『電気羊』の方でね。……よーし、良い子だ。その調子で――はいはい、良いぞ」

「……出たのか?」


 とはいえ、もちろんハルトだって興味津々だ。なにせ、ずっと「ない」と思わされてきた自分にも、なにか特別なチカラが「ある」と言われたら、誰しも気にならずにはいられない。


 だが。


「……うーん。なんだか妙だな?」

「なにがだ?」

「君のスキル欄、空欄なんだ」

「ほら、言ったとおりだったろ?」


 一度期待を抱いたものに裏切られると、余計に失望が大きい。しかし、「ない」ものが、あらためて「ない」と確定印を押されただけなのだから、諦めもつく。だが、エドは違った。


「おかしいな……? 他のヤツのデータを見ても、スキルが『ない』ヤツなんて他にいない」

「……たまたまじゃないのか?」

「物凄く、とんでもなく確率が低い、って可能性はたしかにあるさ。けどね――」


 と、突然、LEDライトの乾いた光が薄暗くなった兵舎を照らす。


「就寝時間はとっくに過ぎてるぞ! 違反者は腕立て伏せ五〇回だ!」

「ヤバ……っ! また明日、『初心者ニュービー』!」

「って、またそれか。……お休み、エド」




 ◇◇◇




「失礼します――!」


 次の日。


 教練の合間を縫って、ハルトは上官であり指揮官の、タキの居室のドアをノックした。



 だが、返事がない。



「失礼します! ハルト・ラーレ・黒井副分隊長であります! いらっしゃいますか――!」


 いないのか――そう思ってきびすを返そうと思ったその時だった。


『――入れ。今、手が離せなくてな――』

「??」


 返事があった。


 あるにはあったが、どこか別の場所から聴こえてくるようにも思える。


 ハルトはドアを開け、部屋の中に入った。居室とはいえ、半分執務室を兼ねた空間だ。かなり殺風景で、まるで生活感がない。辛うじてわずかに開いた隣室へのドアの隙間から、ハルトたちの使うパイプベッドより多少マシな小ざっぱりしたシロモノが目に入る。


 と、その上に。


「まったく……私には休む間も与えられないのかね? シャワーくらいゆっくり浴びさせろ」



 ――ぐるんっ!!



 ハルトはさっき目にしたものと、まさに今この瞬間に目にしたもの、そのふたつに動転し、それこそ首がじ切れるかと思うほどのスピードであらぬ方向を向いた。



 下着と――裸っ!?



「んー? どうしたのかねー?」


 にやにや。


「厚かましい君としたことが、随分とかしこまってるじゃあないかね? んー?」

「ちょ――! ハダっ!? か、隠してっ!! 隠して下さいぃいいいいい!!」


 どうやらタキは入浴中だったらしい。


 指揮官の居室には個人用のシャワーがある、と噂では聞いていたが、まさかこんな形で真実を知るとは思わなかった。しかも、早めに切り上げたらしいタキは、清潔そうな白いパンツ一枚にタオルを肩から羽織っただけの状態で登場してきて。


 おまけに、なんだか実に愉快そうににやにや笑いを続けているワケで。


「んー? ここは私の居室だぞ? どんな恰好してようが、私の勝手で自由じゃないかね?」

「そうですそうですねそうであります三段活用!! ですがですがですがぁあああああ!!」


 どうして、きゃあああああ! と黄色い悲鳴を上げて両手で顔を覆っているのがハルトの方なのか、自分でも分からない。


 興味がないと言えば嘘になるが、さりとて、自分、興味があります! と高らかに堂々宣言してしまうのもなにか違うと思うのである。


「……なあ、ハルト。……いいや、ハル君?」


 正面に来たぁあああああ!!


「君に、見て欲しいんだ、この私の姿を……」


 なに言ってるの、この人ぉおおおおお!!


「ほら、早く……恥ずかしいじゃないか……」


 手ぇ握ってきたぁあああああ!

 ひぃいいいいい!!




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