第十三話 その道は誰もが通った道
――ざざっ。
県道から少し逸れた藪の中で
(ハナ! ハナ、いるか!?)
ガビが呼びかけると、少し先から小さな手がにょきりと突き出た。
(見つけたか?)
(う、うん。ほ、ほら、あそこだよ)
(でかした)
ガビが手招きする。
寄り添うように一団となってわずかに空いた隙間から様子を窺うと、
(どうやらアレで間違いないな。どう思う、エド?)
(小型の木造船だね。と、言うより、その残骸か。座礁したか、荒波にやられたんだろうな)
たしかにエドの見立てどおり、漂着物には明らかに何者かの手が加えられた形跡があり、濡れそぼった赤い布の切れ端のような物がへばりついていた。だが、それが帆だったかどうかはもはや知る術もない。今やそれもこれも、
しかし、なにより重要なことは。
(ハナ? 誰か見つけたか?)
(ま、まだ。ち、近くにはいなかったよ)
ち――ガビは舌打ちをしたが、それはハナを責めるものではなく、単に面倒なことになった、という意味のようだった。仕方なしに分隊員を手招きし、頭を突き合わせる。
(散開して、アレに乗ってきたヤツがいないか探すぞ。いいか? ゆっくり展開しろよ?)
ハルトたちは即座に
(……行くぞ)
そしてガビを中心に、はじめはお互い手を伸ばせば届く範囲まで、次第にその距離を離しながら、ゆっくりと半円形を保ちながら包囲網を広げていく。が、ハナだけはその輪にいない。単独で索敵を続けているようだ。
――五分経過。
(い、いたよ! こ、こっちこっち!)
かすかな風に乗って流れてきたハナの囁きに、最初に気づいたのはモンドだ。大柄なモンドの合図は目視が容易で助かる。リレーで合図を交わし合い、ハナの下へ分隊が集合した。
(ほ、ほら。み、見える? あ、あの岩の影――)
その姿を見た刹那、
ハルトの背筋に恐怖と怒りが蘇り、鳥肌が泡立った。
(……コボルトだ)
忘れるワケがない。
忘れられるワケはなかった。
キツネに似た狡猾そうなその風貌。
硬く、触れたものを傷つけるその鱗の生えた皮膚。
一見すると貧相で矮小な体格であり、相手にならないほど粗末な装束と装備に見える。
だが――。
(よし、押さえるぞ。いいか――?)
(待て、ガビ!)
ガビの号令に腰を浮かせかけた分隊員を、ハルトは鋭く制した。
(……おい!
(だからこそだ! お前なら見抜ける! そう信じてるからこそだ! だろ?)
(一体――!?)
思わず
(『俺たち』は、この手でハメられたんだ! よく、見ろ! アイツの動きを――視線を!!)
(??)
その言葉に、ガビをはじめ、分隊員たちは姿勢を低くし、さらに用心深く浜辺の岩陰に身を預けるコボルトを観察した。弱々しく細い、キーキーと響く呻き声。その黒目がちな視線が泳ぎ、辺りをあてどなく
――と。
ほんの一瞬、
わずか一秒にも満たない瞬間、
コボルトの視線がこちらに向けられたような気がした。
――が、なにごともなかったかのように、つ、と逸らされてしまう。
(野郎……!!)
ガビの口元から、ぎし! と歯ぎしりの音が漏れ出た。
(アイツ……こっちに
そう考えれば考えるほど、疑念は確信になる。
衰弱し疲弊したように見えて、ここまで届く呻き声をコボルトは意図的に発していた。傷を負ったかのように押さえている胸元からは、小太刀の柄のようなものが見え隠れしているし、取り落とした木槍も、その気になればすぐ届く範囲にわざと何度も転がされているではないか。
そして、なにより。
殺気のような不穏な気配を、ガビの皮膚感覚が鋭敏に察知していた。
(くそっ! そういうことかよ――)
(ははっ、さすがだ。『オクタゴンの無敗女王』の名は伊達じゃないな)
(その渾名――ヘイ! 余計な口をこと言うんじゃねえ、ハ・ル・ト・!)
隣で屈託ない無邪気な笑顔を浮かべているハルトの身体を乱暴に押し
――しばしの沈黙。
(お……おいおいおい)
ここでなにかを言わないと気が済まないのが、どうやらこの男の性分らしい。
(い――今、なんて仰いましたかね、分隊長殿? え、ええ……!? 嘘だろ!?!?)
(黙・れ・よ、エ・ド)
けっ、と不貞腐れた表情を隠そうともせずに、ガビはぶっきらぼうに言い放つ。
(……徹底的に周囲を洗うぞ。クソったれの伏兵を
◇◇◇
「……どうやら生き残ったのは、この二匹だけ、ってことだな」
慎重に慎重を期して周辺を捜索し終えた『野良犬分隊』の面々は、もはや虫の息となったコボルトの悲痛な表情をじっと見つめ、頷き合った。身を隠していたもう一匹は、チェンニが見つけた。浜辺から数十メートルほどにあった草むらの中にあった岩陰に伏せていたらしい。
「見つけたはいいが……どうするんだ、ガビ?」
「そりゃあ、殺すさ」
言葉が理解できているワケではなさそうだったが、その冷徹な声音に、びくり、とする。
「――こいつらだって、あたしらを殺すつもりだった。だろ? そう、もしかすると、ポータルを設置する座標を送られていたかもしれない。そうなりゃあ、オキナワ・ベースは壊滅だ」
「……っ」
覚悟はしていたつもりだ。
だが、改めて言葉に出されると、ハルトの心の裡に、なんとも言えない感情が湧いてくる。
「おい? 文句でもあるのか、『初心者』?」
だが、それに気づかないほどガビは鈍くない。
「それとも、まさか『慈悲の心』とやらにでも目覚めたってのか? はッ! 馬鹿馬鹿しい!」
「そうじゃないさ……そうじゃない……けど!」
「ヘイ! こいつらはな――!」
ガビはぐったりとした一匹のコボルトの胸倉を掴み上げ、チカラの限り、高々と持ち上げた。
「あたしたちの『
「……分かってる」
「あの『新東京区』の中にいたままの方が、なにも知らなかった『あの頃』の方が、そりゃあはるかにハッピーだったさ! あの、
「分かってるさ!!」
そして。
怒りに満ちたガビのその叫びが、あまりにも哀しく、痛々しいほど『憧れている』ことにも。
それは、ハルトも同じだったから。
それは、この分隊の全員が同じだったから。
ガビは力任せに吊るし上げていたコボルトを湿った砂地に叩きつける。彼女のその手は震えていた。
そして、静かにこう命じる。
「ヘイ、『
ハナが。
エドが。
モンドが。
チェンニが頷いた。
「………………
五人の『仲間』は、ハルトを信じて
その背中に、遠くから、ハルトの叫びが聞こえてきた。
「
ぱん――ぱん!!
乾いた銃声がふたつ――鳴った。
◇◇◇
重苦しい空気をまとわりつかせたまま、キャンプ・シュワブに帰投した『野良犬分隊』を待ち受けていたのは、予期せぬ面々だった。
「おい! 『野良犬』ども! ちゃんと出したものは片付けてきたんだろうな!?」
「……誰だ? アイツら?」
「構うな、『
ハンヴィーから重たい身体を引きずり出した面々に、露骨なまでに
ガビの指示どおり、無視を決め込むハルトだったが、
「おっと、お嬢ちゃんが噂の『
「――っ!?」
「無・視・し・ろ、って言ったよな? 命令だぞ?」
仕方なく、むすり、と口元を引き締める。ハルトとは無関係の、見知らぬ連中だ。どう言われようが構わなかったが、どうしてタキの言っていたセリフを知っているのかが気にかかった。
だが、彼らは執拗に嫌がらせをやめようとはしない。
「ま、どうせまた『
「てめえ……! ぶっ殺してやる……!!」
ぶつん――どこからかそんな音が聴こえた気がしたと思った直後、彼らに飛びかかっていったのは、手を出すな、と命じたガビその人だった。唖然としながらも、慌てて止めに入る。
「おい! 今、なんつった!? あぁん!? てめえ――!!」
「く、くそっ! この手を――ぶっ!!」
「よ、よせ! ガビ!!」
「はーいはいはい! ウチの分隊長がゴメンねー!!」
「ダ、ダメだよ……! ほ、ほら、ガビ……! ……痛っ!?!?」
両方の分隊が混然とした状態ながらも、ハナが思わず漏らした小さな悲鳴にモンドがキレた。
「オ、オメ――! 今、おらんどこのハナになんしただぁあああああ!?!?」
「ばっ――馬鹿馬鹿馬鹿! モンド! 今すぐやめなさい! ね? 洒落にならな――くっ!」
いくら温厚とは言え、ハルトより頭ひとつ抜きんでたモンドの腕や手は、並みの人間サイズではない。もちろん、パワーも
さすがにヤバいと感じたエドが止めようと必死にお
「――っ!!!!」
「ば――馬鹿馬鹿馬鹿っ! 君までキレてどーすんだよ、チェンニ!! ああ! もうっ!!」
もはや収拾がつかない。双方の分隊員がおのおのキレては思い思いの場所で掴み合い取っ組み合いの喧嘩をしはじめてしまった。
普段は無口でおとなしいチェンニだが、どうやら
もはやこうなっては、
――ぱん、ぱん!!
「そこまでだ、馬鹿共!!!!」
突如、すぐ近くで鳴り響いた轟音には、さすがに血の気が引いた。総勢十二名の『馬鹿共』はその場で硬直する。
見ると、タキともうひとりの指揮官が立っていた。静かに怒れるタキの手には、今なお煙の立ち昇る銃が握られている。血の気を失ったその拳の白さが、タキの心中を雄弁に語っていた。
「またお前たちか……! ったく、いい加減にしたまえ!! ガビ! ただちに全員集めろ!」
「自分たちは――!」
「言い訳なら結構」
タキはガビが張り上げた声を両断する。
「お前たちがなにを我慢し、どんなことで腹を立てるかなんぞ、私の興味の範疇にない。たとえ、それが『仲間』のためでもだ」
ガビは居心地悪そうに身体を揺すり、なぜかハルトを一瞥して、ふン! とそっぽを向いた。
「どうしてお前たち『
……ん?
しばらく待ったが、誰も口を開かない。不思議に思って周りを見回すと、エドが、ハナが、モンドがチェンニが頷いている。最後にガビに確認しようと――痛っ!――どうやら俺らしい。
タキの死角からガビの放った鋭い一撃を喰らい痛む
「し――失礼ながら、恐らく『
「ふむ――」
タキの、感情の欠けた顔に、嗜虐的な妖しい笑みが浮かび上がった。
「つまり、だ。お前たちの『母親』役である、この私のせいだと……そう言いたいのかね?」
釣られたように、分隊全員がハルトの皮肉めいたジョークに弱々しい笑みを浮かべた。タキもまた、今まで見たこともないような笑みを浮かべてみせる。そして、非情にこう宣告した。
「では、そのママからありがたい
――ぱん、ぱん!!
直後、足元が弾け、慌てて『野良犬』共は逃げるように駆け出していく。
「くそっ!! てめえのせいだからな、『
「な、なんだよ! ガビだって笑い
「う、うるせえ、馬鹿! ドン引きだったってんだよ!」
「やれやれ……。僕ぁ、途中でサボるぜ……ええ!? 分かった! 分かったよ、チェンニ!」
「ね、ねえ。良かった……ね、モンド。うふ……うふふふ」
「……ス!」
見送るタキの顔に、じんわりと優しい笑みが浮かんでいたことを彼らは知らない。
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