第十二話 緊急事態発生

 三日った。


 次の教練に備えて装備を点検している最中、タンゴ小隊の兵舎のドアが開き、ひとりの男が入って来る。その姿を目にして、ざわめきが徐々に兵舎の奥へとさざなみのように押し寄せる。


 やがて立ち止まると、敬礼をしてこう告げた。


「……ハルト・ラーレ・黒井くろい試練生だ。呼び方は、ハルト、でも、『初心者ニュービー』でも構わない」


 その声を耳にして、ガビの大きな背中が、ぴくり、と動いた。ゆっくりと『野良犬ストレイドッグス分隊』の面々は振り返り、ハルトを見つめてわずかに目を丸くする。


 が、ガビは鼻息荒く視線を戻してしまった。


「てめえ、どうして帰ってきやがった、『初心者ニュービー』? まだ足りないか?」

「俺はこの『野良犬分隊』に配属された『六人目シックスメン』だ。それに、こう見えて『不死身』でね?」

「くそっ! タキの野郎。余計なこと吹き込みやがって……!」


 ガビは苛立ち、手にしていた衣類をベッドに乱暴に投げつけた。そして立ち上がり、ハルトの息がかかる距離まで遠慮のカケラもなく近づくと、人さし指を鼻先に突きつける。


「いいか、甘ったれの坊ちゃん? ここは戦場だと言ったろ? てめえのようなお上品なスポーツマンにゃ、とても務まらない汚い仕事ダーティーワークが飯のタネなんだ。分かったら、とっとと消えな!」

「『俺たち』は『外の世界』でコボルトの襲撃にあった」

「――っ!?」


 途端に、兵舎にいる試練生たちの顔色が変わった。ハルトは、ほんのわずかだけ目を細めたガビだけを見つめる。


「ポータルの不調で、目的地から外れた地点に跳躍させられたんだ。そこから基地まで行軍する途中で待ち伏せされた。武装したコボルトが二〇匹。素人の『俺たち』に勝ち目はなかった」

「……その、『俺たち』ってのはどうなったんだい?」

「そうだな、エド。まだ説明してなかった」ハルトは見知った顔に頷いてみせた。「俺たち第五分隊は、個人指導教官チューターズ――いや、指揮官が携行していた簡易ポータルを『緊急エマージェンシーモード』で起動することで、その一方的な戦闘から離脱しようとした。補佐の俺と指揮官が殿しんがりを務めて、『仲間たち』が逃げる時間を稼いだ。少しでも長く、少しでも多く――」


 わずかに言い淀む。

 どうやら、まだ心の傷は癒えていないらしい。


「おいおい……。『緊急モード』ってのは、目的地未設定での跳躍ジャンプだろ? 危険すぎるって!」

「それしかなかった。それしか……なかったんだよ」

「で……? 君だけ、ここに飛ばされた、ってところか」

「そういうことだ」


 ハルトは肩のチカラを抜き、だらり、と下げた。


「まあ、正確に言うなら、俺と俺の右腕だけ、ってことになるな。最後に斬られたらしいから」

「……なにが言いたいんだ、『初心者ニュービー』?」


 ようやくガビはそれだけを吐き捨てる。


「別に。ただ、つらい思いをしたのはお前たちだけじゃない、ってことさ。チカラが欲しいのも」

「はン、無様に生き残った自分を責めてるのかよ?」

「そうだ」

「………………はッ」


 ガビはひとつ鼻で笑いはしたが、もうそれ以上、なにも言わなかった。


 その時だ。



 ――ウー! ウー! ウゥーウウウ!!



『――緊急事態発生、緊急事態発生。タンゴ指揮下の分隊長リーダーおよび副分隊長オフィサーは、至急集合せよ』



「くそっ! 大音響放送ジャイアント・ボイスかよ!」

「おおっと! ヤバいヤバいヤバいって!! なにもウチの順番で来なくったっても――!!」


 即座にガビは立ち上がり、鍋を逆さにしたようなミリタリーキャップをしっかりと被る。


「いいか? お前らはきっちり準備しとけよ? すぐ出ることになるぞ!」



 そして、



「ヘイ、『初心者ニュービー』! あんたはあたしと来な!!」


 ハルトは迷うことなくうなずき、駆け出した。




 ◇◇◇




『ふむ――集まったな。では、状況説明ブリーフィングを行う』


 なんだか見覚えのある部屋だ。指揮官、タキ・入瀬は照明を落とすと、プロジェクターをオンにしてインカムを引き寄せる。


『我々が設置した監視カメラと、自動偵察ドローンの定期巡回で気になるものが引っかかった。場所は、島のほぼ北端、辺戸へどの仮設監視台のある付近の浜辺だ。問題の品は……漂着船だな』


 航空地図を映し出していたスライドが切り替わる。だが、かなり荒く、解像度が低い。船と言われなければ、流木かと見紛うくらいだ。


『現在のところ、生存者および他の漂着物は確認できない。今回の任務は、こいつの調査だ』


 照明が一気に明るくなった。タキは一同を見回し――ほんの一瞬だけハルトを見て止まった――インカムを切って尋ねる。


「質問のあるヤツは?」

「……『連中』のいる可能性は?」

「充分あるだろうな」

「……発砲許可はいただけますか?」

「はッ! お前らは、そんなものあろうがなかろうが構わずぶっ放すだろう? 違うかね?」


 タキは呆れたように目玉をぐるりと回してみせた。


 そして――もうないようだと分かると、全員に命じる。


「良し! 五分後に分隊ごとに分かれて出動だ。シンプルに、スマートに片づけて来い!」




 ◇◇◇




 ――ごぅん!


 37インチの後輪がギャップにはまり、全員の身体が宙に浮く。


「うっ! い、痛たたた……。これだから、僕が運転するぜ、って言ったのに……」

「なあ、エド? 聞いてもいいか?」

「とかなんとかお上品なこと言って。もう聞いてるじゃないの、『初心者ニュービー』?」


 まだぶつぶつこぼしているエドが顔をしかめて尻をさすり、そのいささか大仰すぎる仕草に苦笑する。出発前、高機動多用途装輪車両HMMWVのハンドル権でガビと揉めていたのは、これが原因か。


「この沖縄しまには『幻想世界の住人』共はいない、って言っていたよな? どうしてなんだ?」

「あー。そこからかー……」


 エドはにやりと笑んだ。そしてノートPCを開いた――ところで隣のチェンニがなにやら耳元に囁いている。どうやら、また乗り物酔いするよ、と忠告されたらしい。手を振り、続ける。


「ほら。見てのとおりオキナワは、周囲を海に囲まれているだろ? 大きな島や大陸からは500キロメートル以上も離れている。だから、やつらの手が届いてないのさ――今のところは」

「ふうん」


 が、ハルトはあまり納得していなかった。


「けれど、旧世紀には、飛行機も船舶もあっただろ? なんで連中は、そいつらを使わない?」

「……ぷっ! あははははは!」


 突然エドがけたたましく笑い出し、腹を立てたガビがハンドルに八つ当たりする――ごん!


「くくっ……連中が『科学』を理解するには、あと一〇〇年はかかるよ! あははははは!」



 ――ごん、ごん!



「わ、分かった分かった! もう静かにするって、ガビ! も、もう笑わな――くくくっ!」



 ――ごんっ!!!!

 ……やれやれ。



 ようやく笑いの波が静まったエドは、ずり落ちたメガネを上げ、説明を再開する。


「地上に残されている文明の遺物の大部分は、『連中』には到底扱い切れないシロモノでね? ずっと放置されっぱなしなのさ。だから、運が良ければ『再利用はいしゃく』することだってできるぜ」

「へえ、詳しいんだな、博士・・

「まあね。なんたって、『野良犬分隊』の頭脳であり、良きパパだからね」

「………………パパ?」

「まあ、それは置いておいて、だ、『初心者ニュービー』」


 わざとではないようだが、あっさりスルーされてしまった。気になる……。


「んじゃまあ、飛行機も船も連中は使えないんだ、ってのは分かったよな? ……じゃあ、『ポータル』は? って聞きたくなるだろ? ならないかい?」

「た、たしかに」

「ここが『ポータル』のユニークなところでね――」


 キーボードの上をエドの指が華麗に踊った。やがてスクリーンには、びっしり文字で埋め尽くされたファイルが開かれる。ほぼ反射的に本能的に、ハルトの脳は自閉モードに無事移行した。


「ほら。これさ。分かるだろ?」

「う………………。か、解説をお願いできるか? なるべく、分かりやすい言語で」

「?? もちろん。いいとも」


 快い返事が返ってくる。つい、ハルトはエドの隣に行儀良く座っているチェンニに向けて、分かるか? と無言で問いかけてみたが、案の定、返ってきたのは苦笑まじりの無言の否定だ。


「『我々』の造り出した『ポータル』と、サルーアンの連中が創り出す『ポータル』は同じようでいて違う部分があるし、違うようで同じ部分がある。それは知っているかい?」

「なんだか禅問答みたいだな……知らない」

「まずひとつめ――」エドが一本指を上げた。「どちら側も、行ったことのない場所へ『ポータル』を接続するのは禁忌タブーとされている。これは同じだ。なぜか? はい、こたえて?」

「ええと――」


 ハルトは、ビショップとエド、ふたりから聞いた言葉を思い出して、こたえを導き出した。


「跳躍先になにがあるか分からないから。下手すれば、岩と・・同化して・・・・余生を・・・過ごす・・・ことになる」

「うはっ! *いしの・・・なかに・・・いる・・* ってアレかい? なんだいなんだい? もしかして『初心者ニュービー』、レトロゲームに詳しいっての? 嘘だろ?」


 共通の秘密を分かち合った「お仲間ギーク」の登場かとエドが期待を込めた目で見つめるが――。


 ハルトはさっぱり訳が分からず、きょとん、としている。


「――と、そんなワケないか……。なんだよ、変な期待させるなって」

「わ、悪い。聞きかじりのセリフなんだ」

「ま、いいさ」エドは露骨にがっかりしている様子だ。「ともかく、それは正解。つまり、逆に言えば、未知の土地へつながる『ポータル』は、そうカンタンには開けない、ってワケさ」

「なるほど。そこは同じってことだな」


 最先端の技術だけに、もっと便利で融通の利く仕組みなのだと思い込んでいたが、意外と細かく複雑な設定や調整が必要だったらしい。辛うじて沖縄ここに飛ばされてきたハルトだったが、どうやらそれなりの運が残っていたようだ。


「そして、ふたつめ――」エドはうなずき返しながら続ける。「我々の『ポータル』は科学技術の結晶で、サルーアン側の『ポータル』は魔導研究の結晶だ。この違い、具体的には? ん?」

「……それも俺がこたえるのか?」


 科学と魔導――そのふたつのどちらにも、ハルトは縁がない。


 しばらく真剣に考えてはみたものの、こたえらしきものはまるで思い浮かばなかった。


「こ、降参しても?」

「いいとも」


 エドはさして驚く様子もなく、キーボードを操作し、スクリーンに映像を映し出す。


 工場の生産ラインの光景のようだ。


 完全機械化されているのか、操作している人間の姿はほとんど見えなかった。


「科学技術で作り出す、ってことは、生産量に限りがあるし、そもそも材料となる物資が必要だ。だろ? けれど、サルーアン側は、それぞれの体内に秘められた魔力を消費して生成する」

「いつでも、好きな時に、ってことか」

「ふうむ、半分正解だね、5点・・あげよう・・・・


 エドが笑い、ハルトの胸の奥が、ちくり、と痛んだ。


「どうやら、誰にでも魔力がある、ってワケでもないらしいんだ。あくまで『こちら側』からの推測だけどね。僕らの持つスキルと同じさ。多いヤツもいれば、少ないヤツもいる。だろ?」

「スキルなら、持ってないヤツもいるじゃないか」

「え? いないよ?」


 エドはきょとんとした。


「多いか、少ないかだ。……っとぉ!!」



 ――ずざざ――ぶるん。



 ハンヴィーのエンジンがひと唸りして静止した。道中、天井中央に据え付けられた銃座から上半身をさらけ出して周囲の索敵を途切れなく続けていた丸太のような足を叩き、ガビは尋ねる。


「モンド! 降りるぞ! 問題ないな?」

「うス、無問題モーマンタイス」

「良し、出るぞ! ハナ、先導しろ!」


 言われる間もなく、小柄な先導兵ポイントマンのハナがハンヴィーのドアから飛び出し、駆けていく。いまだにあの幼く気弱な少女が、自分の右腕を躊躇なく折ったとは到底信じ難い。


 その小さな背中がさらに小さくなっていく中――おっと――降りるに降りられず困っている大男がいた。


「紹介してなかったね――彼はモンド。我が『野良犬分隊』の擲弾筒手グレネーダー衛生兵メディックさ」

「よろしく、モンド」

「う、うス、『初心者ニュービー』」


 やっぱり――ハルトはぐるりと目を回して空を仰いだ。


 次々と装備を手に降車していく中、そのモンドだけは自動小銃を手にした様子がない。辛うじて切り詰めたソードオフピストル型グレネードガンだけを腰に下げている。が、なにより目立つのは、大きな背中に括りつけられた、くの字に湾曲した大振りなナイフ――まるで刀だ――だった。


「凄いな、それ。よく斬れそうだ。……銃はいらないのかい、モンド?」

「おら、銃ニガテなんス」


 ハルトが見上げるほどの体格とは珍しい。昔、格闘技をやっていたと言われても、少しも疑問は抱かないだろう。しかし、その上にちょこりと乗っているモンドの顔は、ごつごつとアラ削りなカタチながらも、実に和やかで優しい笑みを湛えていた。それが、かすかに赤く染まる。


「さ、触るのも嫌だんて、代わりがこれス」

「そ、そっか。……な、なあ、大丈夫なのか?」

「大丈夫、大丈夫」


 最後のセリフは先を行くエドに向けたものだ。しかしエドは適当に手のひらを振ってみせる。


「なにより、モンドがいれば、どんな森の中だろうが山の中だろうが、困ることはないからさ。まさしく『生存サバイバル』の玄人プロだ。武器が必要なら、その辺の材料から作るだろうしね。目も良い」

「さ、3.0ス」

「……凄いな」


 それでいつも目を細めているのかもしれない。

 ……なワケないか。


 馬鹿なことを考えていると、前方からガビの檄が飛んできた。


「ヘイ! いつまでいちゃついてんだよ、オカマ野郎共! もうすぐ着くぞ! 早く来な!」



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