第十一話 理解したか?『六人目(シックスメン)』?

「な、なあ、『初心者ニュービー』? はじめる前から、僕だってこんなこと言いたかないんだが――」

「なんだ、エド? ……エド、で合ってるよな?」


 ガビの号令で兵舎の中は途端に忙しくなる。他の分隊の連中まで簡易ベッドを運び、荷物を放り投げ、あっという間に中央がぽっかりと空いた。まるでストリート・ファイトのリングだ。ハルトはなかば茫然とその光景を眺めながら、かたわらに立つ金髪メガネの新米トレーナーに尋ねる。


「っていうか、お前も『初心者ニュービー』って呼ぶ側なんだな……ショックなんだけど」

「し、仕方ないだろ、そういう『決まりおやくそく』なんだから」


 エドは終始落ち着かない様子でずり落ち気味のメガネを押し上げ、悪びれもなくこたえる。完全アウェー状態のハルトの面倒を押し付けられてしまい、迷惑そうな顔を隠そうともしない。


「こう言っちゃなんだけど、ぼかぁ何度も何度も止めようとしたんだぞ? なのに、君ってヤツはまるで聞こうともしやしなかった。だから、こうなったんだ。つまり、自業自得ってワケ」

「……どういう意味だ?」

「ルールその1。ガビを『ガビ』以外の名前で呼ぶべからず、さ」


 エドはそう言うと、不思議そうに見つめ返してくるハルトに向けてこう付け加える。


「彼女、自分の名前が相当お嫌いでね。それを口にしたヤツは、医療施設送りでNRノー・リターンさ」

「えええ……。良い名前じゃないか。沙也さや――」

「ス、ストップ! ストップだ!」


 エドはたちまちハルトに飛びかかり、その口を容赦なく封じてしまう。


「――むぐ」

「ええと……君、もしかして馬鹿なのかな? 僕の話、ちゃんと聞いていたかい?」



 ……こくこく。



「い、良いか、放すぞ? 絶対に言うなよ? これ以上はホント洒落しゃれにならないんだからね?」

「……ふぅ。――!」

「や、やると思った! やっぱり僕の勘は正しかった! くそっ!! 僕ぁ君が大嫌いだ!!」


 一瞬解放したその手で、再びしつけのなっていないハルトの口をきっちりと封じるエド。実に欧米人らしい表情豊かな怒りっぷりに、ハルトは次第に愉快になってくる。目で合図を交わし、



 ぱっ。



「もう一度言うぞ? 僕ぁ君が、大・嫌・い・だ・!」

「ははっ。そうか? 俺はだんだん好きになってきたよ、エド」

「はぁ……そいつはどうも」

「俺の大親友、大センセイに似てるなって思ってさ」

「ったく。同情するよ、その哀れな親友クンに。……いいかい、『初心者ニュービー』?」


 ハルトはわざとらしく目を丸くし、エドを無言で責めたが、エドの方はお構いなしだ。


「この兵舎に押し込められているタキの小隊、『タンゴ』の中じゃあ、ガビが女王様であり、絶対権力者なんだ。ここで彼女に逆らおうとするヤツは、よほどの馬鹿か、ドMの馬鹿だけさ」

「今のところ、俺はどっちなんだ?」

「僕の知ったことじゃない」


 エドはメガネの屈折率で大きくみえる目をぐるりと回してみせた。


「僕が言えることは、彼女が認めない限り、君は『初心者ニュービー』だってこと。『仲間』じゃなくて」

「それは困ったな」


 ハルトはさして困った風でもなく、相手コーナー側のガビに視線を向けた。憎々しげな表情で睨みつけられ、大袈裟に震えるフリをする。


 だが、どうにも様子がおかしい。


「じゃあ、はじめるぞ、『初心者ニュービー』!」

「いつでもいい」


 そう応じて、医療用バンテージを巻きつけた即席のオープンフィンガー・グローブの具合を確かめる。


「そっちは? 素手でやるのは、いくら経験者でも危険だぞ?」

「いーんだよ。戦うのはあたしじゃない」

「??」


 不敵に笑うガビの影からおどおどと前に進み出たのは、ハナ――たしかそうだ――だ。


 はじめにタキに連れられて兵舎に入ってきた時、なんでこんな小さな女の子が? と疑問を覚えたくらいの小柄でおとなしそうな少女だ。人見知りらしく、視線がきょときょとと落ち着かない。


「お、おい。冗談はよせって」

「ビビってんのか、『初心者ニュービー』? てめえなんざ、ハナが相手するくらいでちょうど良いのさ」


 さすがに気が引けてエドを見ると、彼はただ軽く肩をすくめるだけだ。再び前を向き、ハナを観察する。隣に立つガビが大きいだけに、まるで娘のようだ。髪型もどことなく垢抜けない。


「ヘイ! ゴングを鳴らせ!」


 ――ごん。

 誰かのヘルメットを叩くくぐもった音がゴング代わりだ。


「お、おい!?」

「――っ!!」


 仕方なく前へ踏み出す。

 ハナもそれにならうように小さく一歩踏み出した。


「なんだか……こんなことに巻き込んでゴメンな。ハナ――だったよな?」

「う――」


 びくり――名前を呼ばれたことで余計に驚いたらしい。しかし、辛うじてうなずいてくれる。


「うーん……。まあ、適当にやって終わらせようぜ。さすがに君相手じゃ手が出せないし――」

「ですよね……」


 ハナは引きった笑みを浮かべる。


「じ、じゃあ、こ、こっちから行きます」



 次の瞬間、

 目の前からハナの姿が消えた。



(…………………………え!?)



 気がついた時には、



 ――みちり。

 もう手遅れだった。



「ぐ――っ!!」


 まるでネズミのようにハルトの身体を一気に駆け上ったハナは、大きく広げていた丸太のごとき右腕に絡みつき、両足で挟み込んだ腕を容赦なく引き絞る。完璧なまでの腕ひしぎ十字がため


 まさか――と目を疑いつつも、ハルトがタップするより先にハナはこう囁いた。


「え、えと。ゴ、ゴメンなさい――折ります・・・・

「な――っ!?」



 ――ごきん!

 たちまち激痛が走り抜ける。



「これが現実だ、『初心者ニュービー』」


 噴き出す冷たい汗もぬぐえず、なんとか立ち上がったハルトに、ガビは非情にこう告げた。


「……どうして? って顔してるな? こいつ――ハナは、あたしたち『野良犬ストレイドッグス小隊』の先導兵ポイントマンでね。近接戦闘CQCでは負け知らずの『玄人プロ』なんだよ。お遊び気分のお前とは違うんだ」

「く――っ」

「タップすれば終わり? はッ、馬鹿言ってんじゃねえ!」


 ガビは気づいていたのだ。

 嘲笑と侮蔑が混じった顔で、ガビはハルトに向けて容赦なく吐き捨てる。


「いいか『初心者ニュービー』? ここは『戦場』だぞ。相手が小さかろうが弱そうだろうが、そこで手をゆるめるようなヤツは、もう遺体袋ボディバッグに片足突っ込んでるようなモンなのさ。理解したかいドゥー・ユー・アンダスタン?」


 ……甘かった。

 ハルトはなにも言い返せなかった。


 そして、彼ら『野良犬分隊』は、ハルトに背を向ける――拒絶するように。不機嫌に顔をしかめたままのガビは高らかに叫ぶ。


衛生兵メディーック! この『初心者ニュービー』を、医療施設に連れていってやんな!!」




 ◇◇◇




 ベッドに寝転んだハルトは、はっきりと目覚めたまま、黙って天井を見上げていた。


「……はぁ。一体なにをしでかしたのだね、ハルト・ラーレ・黒井試練生? お早いご帰還だ」


 その視界に割り込んできたのはタキだった。


 ハルトは鬱陶うっとうしそうに寝返りを――打とうとして、思ったより自由の利かない身であることを思い出す。幸いにも右腕の骨折は単純なものだったらしい。手術こそまぬがれられなかったが、あまりにキレイな断面に当直医が感心したくらいだ。ハルトはいましめを込めて、麻酔を拒否した。


「ふむ――まあ、大方予想はついている。しかしだ。私は、子どもたちの喧嘩には口を出さない教育方針でね。少しくらいハメを外すくらいやんちゃな方が、伸び伸び育っていいだろう」

「……喧嘩じゃない。一方的な拒絶だ」

「ようやく口をきいてくれたな」

「あんた、最初からこうなるって分かっていて、俺をあの分隊に配属したのか?」

「半分はそうだ。ただし、もう半分は違う」

「??」


 タキは一旦言葉を切り、ハルトが寝かされているベッドの横にパイプ椅子を持ってきて腰掛けた。ハルトもなんだか子どもっぽい自分の反抗が恥ずかしくなり、タキの方へ身体を向ける。


「いいかね、ハルト・ラーレ・黒井試練生? 少し昔の話をしてやろうと思うんだが――?」


 ハルトは怪訝けげんな顔を見せながらも無言でうなずいた。


 ただ、退屈だったから――お人好しだが負けん気の強いハルトは、意地でもそう言うだろう。


 タキは御愛想ていどの苦笑を浮かべてからこう続ける。


「むかし昔――私の指揮下に『ある不運な分隊』がいてな。彼らにも、かつては信頼に値する優秀な『副分隊長オフィサー』がいたんだが、今は空席のままになっている。ああ。もちろん、彼らにとっても『副分隊長』は喉から手が出るほど必要な存在だ。だが、『呪い』を恐れていてな――」

「『呪い』……ですか?」

「もちろん、そんなものはない、そういう連中もいる」タキは真顔だった。「だが、そう思わずにはいられないくらい、彼と彼らと、彼らの下に配属された新兵には不幸が降りかかった」



 ガビたち『野良犬分隊』がこの世に誕生した時、

 副分隊長となった試練生の名は、ロベルト。


 彼は実に優秀な副分隊長であり、また、彼ら『野良犬分隊』の良心、良き魂でもあった。



 ロベルトは、無慈悲な戦争屋としての顔と同時に、すべてを救おうとする神父の顔を持っていた。それはこんな世の中において決して両立し得ない『矛盾』だったのかもしれないが、それでも彼はそのふたつの顔を器用に使い分け、分隊の、いや、小隊の皆の信頼を勝ち得ていた。



 だが、ある時、悲劇は起こる。

 ロベルトの、突然の死、である。



「いまだに詳しい経緯は分からない――ロベルト本人以外には」


 別の試練生が兵舎の外にあるトイレを開けた時、そこに血まみれのロベルトが座っていた。


「自殺か他殺か。それとも、侵入者に襲撃されたか。ただ……とても安らかな顔つきだったよ」


 もしかするとロベルトは、冷酷な自分と慈悲持つ自分との板挟みになり、次第に精神を病んでいき、生きていくことに耐えられなくなったのかもしれない。だがそれは、残された者の願望だった。ロベルトの心の奥に潜んでいた「なにか」を知ることは、もう誰にも叶わなかった。


「それからだよ。『ある不運な分隊』に『六人目シックスメンの呪い』がかけられたのは」


 ある試練生は、訓練中に事故にい、重傷を負って離脱を余儀なくされた。またある試練生は、哨戒パトロール活動中にハブに噛まれてしまい命を落とした。またある試練生は、降下訓練中にロープが切れて落下、頚椎けいついを損傷し、半身不随の身体なって今もベッドの上で過ごしている。



 そうして『ある不運な分隊』に配属された『六人目』は死ぬ――そう噂がたった。



「だけど、あいつらは俺のことを『初心者ニュービー』って呼ぶんだぜ? 名前で呼んでくれないんだよ」

「ふむ――」


 彼らの過去になにかあった――それは理解できたものの、ハルトはまだ不満だった。ふてくされたように唇をとがらせ、そう告げると、そっぽを向いてしまう。タキはしばし考えた。


「それは恐らく、名前を覚えて、ほんの少しでも関係性を築いてしまうと、あとがつらくなるからじゃないのかね? 物知らずな君をあざける意味もなくはないだろうが、そんな連中じゃない」

「名前を覚えると、つらくなる……か」


 一也かずやれん大和やまとがく陽葵ひまり、そして、芽衣めい


 六人の少年少女たちの名がハルトの脳裡に浮かぶ――くそ、あと三人いただろ――無残にも殺された「第五分隊」の九名の仲間たち。彼らの屈託ない笑顔と絶望に満ちた死に顔は、いまだハルトの夢の中に現れる。そして、ビショップ。


 いっそ知らなければ良かった――その想いはたしかに、ハルトの中にもあった。


「どうする? やはり別の分隊に異動するかね? 私以外の指揮官の下に?」


 そして、彼らの死と引き換えに、生かされた自分。


 その価値と意味を噛み締めながら、ハルトは毅然きぜんとこう告げる。


「……いいや、俺は『野良犬分隊』に戻る。そして、下らない『呪い』をぶち壊してやるさ」

「ふむ――いいだろう」

「それに――」


 ハルトは不敵に笑ってみせる。


「まだタキに、約束を果たしてもらってないからな。『俺にチカラをくれる』と。だろ?」



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