第九話 漂流――覚醒――絶望

 ハルトは、身体の熱とせるような息苦しさで目覚めた。


「……お目覚めかね『眠り姫スリーピング・ビューティ―』?」


 それを言うなら王子だろ、とツッコミを入れようとしたところで、目を閉じたままだったことに気づく。そういうのは起きたって言わないんだよ――陽介がいたならば、きっとそう言ってハルトの右肩を――。



 俺の――右腕!?



 途端にパニックになった。一瞬にして今までの出来事が超高速で再生リプレイされる。ビショップ――芽衣めい――俺の右腕。しかし、慌てれば慌てるほど状況が悪化する。足がもつれる。浮く。



 ……浮いてる・・・・!?!?



「ふむ――実に忙しいヤツだな、君は。聴こえているんだろう? すみやかに返答したまえ」


 女のしゃべり方がやけにしゃくさわる。それなりに歳を喰っていそうだが、さりとて幼さや可愛げなどまるでない。やたら偉そうで、高圧的だ。おまけに、その「ふむ――」というのはのもので、


(……?)


 などとごちゃごちゃ考えているうちに、いくぶん落ち着いた。


(これ……もしかして水の中か? でも、どうして溺れないんだ?)


「――などと考えていそうだな? 違うかね?」


 まるでハルトの心の中を読んだかのように、女はくすくすと笑い出す。


「君は今、再生医療用のポッドの中で絶賛治療中の身だ。なにせ、いつ死んでもおかしくない状況だったからな。そして、返答しろとは言ったものの、声は出ないだろう。その中では」


 口を閉じても開いても、えずねっとりとした液体が口腔こうくうを満たしている。なにかに似ている――あえて言うなら、血の味だ。鮮明ではないもののある程度透明度があり、見えはする。


 だが、声は聴こえても、女の姿はいまだ見えない。代わりに、視界の端になにか映った。


(――っ!?)


 ハルト自身の右腕だ。


 ぷかぷかと、悪い夢のように隣に漂っているのはハルトの右腕だった。


「君は、七十二時間意識不明だった――」再び女の声がした。どこからかは見当がつかない。「――付近を哨戒パトロール中の分隊員が、倒れている君を発見した。幸運だったな、なにせ、右腕おとしものまで見つけてもらえたのだから。今しばらくは、そこでくつろいでくれたまえ。じき忙しくなる」


 ……どういうことだ?


 だが、いくら待っても、それ以上なにも聴こえなかった。


 そのうち、ハルトは泥のような深い眠りに落ちる――。




 ◇◇◇




 ハルトは、むずがゆさと息苦しさで目覚めた。が、いくぶん不快さが失せていることに気づく。


 同時に、まだ液体の中だということにも。

 しかし――。


(いつの間に、マスクなんて付けられたんだ? まるで記憶がない……)


 同じ息苦しさでも、今度は少し違うようだ。かなり小サイズで透明な、酸素吸入用の医療マスクに似た装置が鼻と口をおおっている。恐る恐る息を吐き――あ――そこに音を混ぜる。よし。


「……どうだね、具合は? だいぶ楽になったと思うが?」

「あ……」


 出し抜けに、横手からひとりの女の姿が視界に割り込んで来た。


 あの声だ。


 皮肉めいて刺々とげとげしく、気だるく、しかし、どこか面白がっている風でもある声。


「ふむ――なんとか言いたまえよ。せっかく会話可能なマスクに替えてやったというのにな」

「あんた……誰だ??」



 しばしの沈黙。



 それから女は、短く刈り込んだうなじをがしがしときむしってから、くすんだシルバーアッシュのボブカットを揺らし、細めた目でポッドの中を遠慮なしに覗き込んで吐き捨てる。


「……他人様ひとさまに名を尋ねる前には、まず自分から名乗るべし、と君の個人指導教官チューターズは教えてくれなかったのかね? この、ちぢみあがった生意気な若造――いいや、ハルト・ラーレ・黒井くろい?」

「――っ!?」


 と目を丸くしてから、ようやくぱだかだということに気づいた。慌てて隠そうとして、まだ右手が動かないことに、



 ――ん?

 感覚がある・・・・・!!



「おっと! まだ動かすな。完全に癒着ゆちゃくしてはいない」

「どうして俺の名を?」

「前世のえにしで、と言ったら?」


 くく、と笑う顔は、声ほど笑ってはいなかった。そして女は、ちゃり、とポケットから取り出した銀のブレスレットを指先で回してみせる。


「――これだよ。『状態:喪失ロスト』……まあ、少なくとも君の右腕は『死んで』いたからな」

「俺の……認識票ライフバンドか」

「こちらとしては手間がはぶけたよ。どのみち外してもらうことになるからな。ここ・・では」

「その、ここ・・、ってのは、どこなんだ?」

「見てのとおり、医療区画だよ。しかし……欲しいのは、そんなこたえじゃない、だろ?」


 女はどこかの誰かと同じく、左眉を怪訝けげんそうに、くい、と吊り上げてみせる。そして、こう告げた。


「『地獄・・』へようこそ。私の名はタキ・入瀬いるせ。君の新しい上官だ。このオキナワ・ベースのな」


 返答をする間もなく、ハルトは再び眠りに落ちていく――。




 ◇◇◇




 ハルトは、むずがゆさと窮屈きゅうくつさで目覚めた。


「……ん? なんっ……だ、これ……っ!!」


 ひんやりとした空気が頬をでる。洗いたての白いTシャツからは、お情け程度の化学的ケミカルな花の香りが立ち昇り、鼻先をかすめた。どうやら下はODオリーブドラブ色のフィールドパンツらしい。中もいている――というより、何者かに履かされたらしい。



 それにしても――この――!



「暴れるなよ。治ったと思ったらこれか。やはり、拘束バンドで縛っておいたのは正解だった」

「なんで――っ!」


 ハルトはのんびりとした口調で語りかける目の前の女にえかかった。


「どうして俺は拘束されてるんだ!? 一体どんな権利があって――!!」

「おいおいおい……。命を救ってもらっておいて、その口の利き方はないと思うんだがね?」

「うっ……」


 そこをかれるとなにも言えない。


「あ、あんた……タキ、って言ったよな?」

「ふむ――」


 やっぱり女のその仕草しぐさは、ビショップをどこか思い出させた。顔も背丈も表情も、少しも似てなどいないのに。長年そうしてきたであろうタキのその口癖はハルトの記憶を揺り動かした。


 タキは意地悪そうに、にやり、と笑みを浮かべ、こう告げる。


「――そうだ。そして、君の新しい・・・上官・・だとも告げたはずだがね、ハルト・ラーレ・黒井くろい

「あ……」


 ますますハルトはなにも言えなくなってしまう。うつむいたハルトの視界の上端に、タキが広げた書類が映った。はっ、と顔を上げる。


「ハルト・ラーレ・黒井。四月十九日生まれ。血液型は、A型のRh+。父親は、世界的な医学者であり脳神経外科医のトマス。母親は専業主婦のアオイ――と、いうことになっている・・・・・



 ??



「なっている……ってどういう意味だ――違っ――なんでしょうか?」

「よせよせ。下手にかしこまられると、かえってやりづらくなる」


 茶化してタキは笑ったが、すぐに表情は固く、苦々しいものに変わった。


「それに……その話はもう少し後の方が良いだろうさ。まだ君は、万全ではないのだから」

「??」

「まずは、だ。君があの場所で倒れていた直前のことを聞かせてくれ。……拒否権はないが」


 さっき浮かんだ疑問がまだ脳裡のうりにでんと居座っていたが、ハルトはタキの言うとおりにした。


生存試練サバイバル・トライアル』を受けるため「新東京区」を出て、即席の分隊の仲間九名と共にポータルを使って空間跳躍ジャンプしたこと。跳躍先が予定とズレていたこと。自衛隊の旧・府中基地ベース目指して徒歩で行軍したこと。途中でコボルトを発見したが、罠だったこと。そして――敗走と緊急エマージェンシー跳躍。


 まだついさっきの出来事のようで、ありありと光景が鮮明に浮かび、ハルトは静かに涙した。しばらく無言で耳を傾けていたタキは、潜めた溜息をひとつ漏らす。


「………………大変だったな、ハルト・ラーレ・黒井。よく、生き残った。生き残ってくれた」

「いえ………………」


 だが、その重苦しい空気を吹き飛ばしたのは、タキの意外なひと言だった。


「――が、その君の体験したことすべてが、あらかじめ予期されていたことだと言ったら?」

「!? ……どういう……意味です!?」

「ふむ――」


 途端、鎖につながれた猛獣のごとく前のめりになったハルトを見ても、タキは慌てなかった。ぱたり、と書類を納めたバインダーを閉じ、立ち上がる。


「カワサキ・ゲートから『生存試練』に出発する分隊の約半分は、君ら同様、目的地には辿り着けない。似たような――いや、ともすれば、もっとひどい目にって、道なかばで全滅する」

「どうして!?!?」

「そういう……『取り決め・・・・』、だからだ」

「そんなのって!! 『取り決め』!? 誰と!?!?」

「我々人類の『』、だよ」

「て、『敵』!?」



 ……意味が分からない。



「なんでそんなことになってるんだ!? 統合政府は!? 知ってるのか、このことを!!」

「もちろんだとも。取引したのは、他ならぬ統合政府なのだからな。で、なければ、我々はとうに死に絶え、『この世界』から駆逐されている。ヤツら――『幻想世界』の軍勢によって」

「――っ!!!!」


 半ば浮きかかっていたハルトの身体は、どすん、とパイプ椅子に落ちていた。



『十八歳になった皆さん! 「正規市民」になるため「生存試練」へ挑戦しよう――!』



 脳裡に響く、『ハニエラ=ローズマリー』の陽気なアナウンス。

 あれは……すべて、嘘、だった……!?



(そもそも『もとよりこの世界に存在していない生物』だぞ? 加減ならいくらでもデザインできるだろう。成人の儀式を盛り上げるための、怪物の扮装をした出演者キャストだとでも思えばいい)



 お道化た陽介の声が告げる。

 あれは……誤認識ミスリード、だったのか……!?




 今まで信じてきた『現実セカイ』が音を立てて崩れていく。




「……とても信じられない、その気持ちは分かる」


 タキは断固とした非情さで冷徹に告げた。


「だが、今お前の目の前にあるのが紛れもない『現実セカイ』の姿だ。世界は、今や我々のものではない。『幻想世界』よりやってきた勢力の支配下にある。私たちは彼らの『家畜』でしかない」


 ハルトは言葉もない。


 タキは構わず壁に据え付けられたスイッチボックスを開け、ボタンを押す。すると、室内の照明がダウンし、プロジェクターが起動した。真っ白な壁に、奇妙な形の建物が映し出された。


「『CIRN』という組織を知っているかね?」首を振る。タキはうなずいた。「『国際素粒子原子核研究機構』の略称だ。……ああ、多少難解な話だから、適当に聞き流してくれて構わない。ドイツとスイスとの国境地帯にかつて存在していた世界最大規模の素粒子物理学の研究所だよ」


 次に映し出されたのは――トンネル?


 いや……でも……まさか。

 あまりにもそれは、ハルトたちを死地に送り出した、あの『ポータル』の輝きに酷似していた。


「旧世紀末、『CIRN』が極秘裏に行っていた大型ハドロン衝突型加速器LHCを使ったプロジェクトで重大事故が発生した。結果、こことは別の世界――そう、いわゆる『異世界』へと通じる巨大ポータル、『クロイツリンガー隧道トンネル』が生み出された。そして、世界は崩壊した――」


 続いて、玉座に座る厳めしい顔つきの男が映し出された。


 だが、やけに画像が荒く、細部まではっきりとしない。


「この男は、その異世界『ヴェルデン・スクリーゲ』の実質的な統治者であり、政教一致王政をるサルーアン教皇国の現当主、ギュスタフ・サルーアン教皇だ。実に用心深い男で、交渉の間も滅多に姿を現わさなかったようでな。辛うじてこの一枚だけが、現存する彼の姿だよ」


 最後にタキは、真っ白の世界地図を映し出す。


「はじめに連中と接触したのは、旧・国際連合だ。使節団の派遣などを通じて一〇余年にわたり相互理解と強調に努めた。なにせ、全人類にとって初の出来事だ、慎重に慎重を重ね、相互協力と協調を訴えた」


 だがそれは、すぐにもほぼ一面真っ赤に彩られていった。


「だがしかし、我々とヤツらとでは、価値観や思想が根本から異なっていた。あまりに違いすぎていたんだ。やがて交渉は決裂、侵攻が開始された。当初は現代兵器の威力により戦線拡大は最小限に抑えられていたが、サルーアン側の魔道技術は、我々の科学技術をはるかに凌駕していた。やがて世界各地へと戦線は拡大し、旧文明社会は崩壊、我々は『家畜』となった――」


 しばしの沈黙の後、タキは照明をオンにした。


 目の前の壁には、うっすらとだが、まだかすかに赤く塗られた世界地図が見える。その中の、数少ない白い領域のひとつ――沖縄を見つめたまま、ハルトの口から出たのは、



「………………………………そんな、馬鹿げた『夢物語げんそう』を、俺に、信じろと?」



 侮蔑ぶべつ嘲弄ちょうろうをたっぷりと含んだ、毒気にまみれたセリフだった。タキはこたえず、軽く肩をすくめてみせる。


「すべてが嘘で埋め尽くされた今……俺にそんな誇大妄想を信じる余裕なんて……ない……」

「選ぶのは、君だ」


 今度はたしかに、タキはこたえた。

 そして、背中越しにこう告げ去っていく。


「だがな……? 『現実セカイ』を取り戻したくなったら教えてくれ。私が君にチカラを与えてやる」



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