第八話 レースの賭け金は、その命

「急げ急げ! 止まるんじゃない!」


 指揮官・ビショップは定期的に足を止め、分隊の試練生の背中を押してげきを飛ばす。


 先陣を切るのはハルトだ。


『逃げるっていったって――! 一体、どこに行けばいいってんだよ!?』

『少なくとも来た道は分かるな、ハルト・ラーレ・黒井くろい試練生? 今、進むのは愚策だ』


 とはいえ、恐らくこの分隊の試練生の中で、最も闘争本能があり、戦闘において役立つのは自分のはずだ。しかし、ビショップは即座に首を振った。


『君が、君たちが生き残ることが最優先なのだよ。私ではない――決して』


 くそっ!

 まだ守られてるじゃねえかよ!


 それでもハルトは走るしかない――見えた!


「ハル君! あれって――!!」

「ああ! そうだ! あそこが、俺たちが跳躍ジャンプしてきた競技場だ! 行けっ!!!!」


 ハルトは芽衣めい――たぶん、今度は間違いない――の背中を励ますように、ぐい! と押し出した。一瞬、涙でべちょべちょになった愛くるしかった顔が驚いたようにハルトの姿を捉える。


 しかし、次の瞬間、ハルトは分隊の目指す方向とは反対側に駆け出していた。


「急げ! もうすぐだぞ! 頑張れ! 止まるな!!」

「なぜ戻って来た、ハルト・ラーレ・黒井試練生!!」


 最後のひとりを力一杯押し出したあと、遅れて現れたビショップの険しい顔がハルトを責め立てた。これほどまでに感情の片鱗をあらわにした個人指導教官チューターズの表情を見た記憶はない。


「足止めするにも、ひとりきりじゃ無理だって! 俺も戦う!!」

「く――っ!?」



 ――ぎいん!



 一体のコボルトが宙を舞い、手にした身のたけほどもあるさびの浮いたマチェットナイフを振り下ろす。それを辛うじて受け、跳ね飛ばし、ビショップは用心深く生存ナイフを構え直した。


「君たち人間では、やつらのチカラに対抗できない! 君もすぐに競技場へ向かえ!!」

「まるで――ぐっ!――自分は人間じゃないみたい――ちいっ!――じゃないかよ!!」


 先行して追いついてきたコボルトは三匹。

 だが、じき本体と合流するだろう。


 総勢二〇匹。

 そうなれば、とてもじゃないがかないそうもない。


「……っ!」


 互いに背中を預けながら、ハルトとビショップはじりじりと後退する。逃げていった分隊の仲間のためにも、少しでも時間を稼ぐ必要があった。



 だが――稼いだところで?



 そこでビショップは静かにこう告げた。


「私の背嚢バックパックが見えるな? そこにある金属の筒を持って仲間のところへ行け! すぐに!!」

「なにが入ってるんだ??」

「携帯用の『簡易ポータル』だ」


 れたように、ビショップの空いた左手が肩越しにそれをつかんだ。慌ててハルトが引き抜く。


「非常事態のみ起動を許可されている。『緊急エマージェンシーモード』で起動しろ。あとはガイダンスに従え」

「で、でも、ビショップ、あんたは!?」

「ふむ――」


 そこでビショップは意外そうに、また予期していたかのように、にやり、と笑ってみせた。


「実に君らしい。が、自分の心配をしたまえ。……すぐ行くとも! さあ、行け、ハルト!!」




 ◇◇◇




「――――――だっ!? ぐっ!!」


 託された「簡易ポータル」を手に、ハルトが旧・等々力とどろき陸上競技場のゲートをくぐった刹那、聴こえてきたのは誰かの悲鳴だ。まさか――背筋に氷柱つららを突き込まれたように寒気が走る。


「大丈夫か!? みん――!!」

「ハル……君……!! 助け……て……!!」

「芽衣っ!!」


 抱き起した身体は驚くほど冷たかった。瞳に宿る光も頼りなく、なによりぞっとするほど大量の血が乾いた地面を黒く染めている。



 ――ぎいん!


 ――ぎいん!



「くそっ! くそぉおおおおお!!」



 はっ、と顔を上げると、



「ギッ!!」



 ――ずぐん!!



(嘘……だろ……?)



 あんなに小さな身体から、振り下ろされた手斧が、



(こんな……こんなのって……!!)



 かつてがくと呼ばれていた、少し引っ込み思案だが心の優しい試練生の頭蓋ずがいに深々とめり込む。



(やめろやめろやめろ! 嘘だと言ってくれ! やめ――!!)



 ――ぶっ!!



 まるで噴水のように岳の頭部から血しぶきが上がった直後、ハルトの視界は真っ白になった。


「がぁああああああああああああああああああああっ!!!!」


 獣のような咆哮を上げ、ハルトだった「モノ」は駆け出す。




 ◇◇◇




『――緊急モードで起動します。本機を地面に設置し、すみやかに離れて下さい』



 芽衣がそのボタンを押したのは、半ば偶然の出来事、奇跡だった。


(う――)


 ときおり視界がぐにゃりとゆがむ。

 しかし、それを振り払おうにも、その気力がない。


(寒――)


 今は冬だったろうか。

 震えが止まらない。


 あのさ――そう声をかけようとして、皆倒れていることをやっと思い出した。



『――走査スキャニング中。5……4……3……2……1……展開範囲内に生体反応あり。待機します』



(動かなきゃ――)


 芋虫のようにもぞもぞと、だが着実に、重たく冷たい身体を引きずって芽衣は這い進む。



 ――ぐじっ!!

 ――ぐじっ!!



 遠くの方で粘ついた、気色の悪い音がする。

 いや――案外近いのかもしれない。


 その音を立てる獰猛どうもうな獣が放った咆哮ほうこうは懐かしく、どこか寂しげに、芽衣の冷えた心に響いた。



『――展開完了。充電(チャージ)開始。残り三〇秒。なお、緊急モードでは跳躍先の・・・・指定は・・・できません・・・・・



 思わず目を閉じかけた直後、抱き起されて、はっ、とする。


「芽衣っ! 芽衣っ!! しっかりしろ!! 目を閉じるな!!!!」

「ハル……君……?」


 背中を支えるハルトの手が燃えるように熱い。

 だが、不思議と心地良かった。


 悪くない。


「アイツなら倒した! もう大丈夫だ!! お前も助かる――いいや、絶対に助けるから!!」

「無理……だよ……。もう……疲れちゃってさ……」

「そんなこと言うな!」



 ……倒した?

 倒した、って言ったの?


 あんな血に飢えた凶暴なバケモノを――ハル君ひとりで??



 その時、あまりにも場違いな思い出が蘇り、芽衣は、ふっ、と笑みを浮かべる。


「ねえ……ハル君……? なんであたし、最初から『ハル君』って呼んでたか……思い出した」

「お――教えてくれ! なんでもいい! しゃべり続けろ! 目を閉じ――!」

「『ハルユキ』君っていう……友だちがいたんだ……。小さい頃……に……」



『――充電チャージ中。残り二〇秒。誘導柱ガイドポールから1メートルが対象範囲内です。移動してください』



 ハルトは芽衣を優しく抱きかかえると、ガイダンスが指示した場所まで慎重に移動する。


「そ、そいつ、良いヤツだったか?」

「あは……それ、あんまり……覚えてないんだ……。まだ五歳だったからさ……でもね――?」

「ハルトっ!!!!」


 ビショップがグラウンドに駈け込んで来た。


 いつもは寸分の乱れもないグレーの髪は乱れ、指揮官の制服はところどころ斬り裂かれている。それでもハルトは安堵し、喜びの表情を浮かべたが、直後絶望に塗り潰される。すぐうしろからコボルトの残党が雪崩なだれ込んできたからだ。



 ――がぎっ!!



「状況を――ぐうっ!」

「ビショップ!!!!」

「こっちに来るな! 状況を報告しろ、ハルト!」


 立ち上がりかけたハルトを、ビショップの叫びと、芽衣の右手が引き留める。まだコボルトの数は六匹。なんとか剣を弾き反らし、遠ざけているが、負傷しているのか疲労の限界からか、ビショップの動きは鈍い。それでも断固とした強い口調に気圧けおされてしまった。


「生存者は……俺と……芽衣だけだ。ポータルは……充電中。あと十五秒はかかると思う」

「よろしい! ふっ!!」



 ――ぎいん!!



「充電完了したら合図したまえ! それまでは――私が持たせる!」

「そんな――!?」


 くい、とそでを引かれ、慌てて芽衣をもう一度しっかりと抱きかかえた。


「ね……え……ハル……君……?」

「なんだ!? 俺はここにいるぞ、芽衣!!」


 芽衣は笑い返したが、その瞳はもうすでにハルトを見ていなかった。


「なんなんだろうね……あたしたちって……。なんのために……生きてきたんだろう……?」

「芽衣っ! しっかり……しろよ!! まだこれから先もあるだろ!?」


 視界がじわりとにじんだ。

 あまりに無力な自分が情けなく、怒りすら湧いた。


(女の子ひとり、助けられないだなんて……! なにが王者チャンプだ……なにが……!!)


 ハルトは悔しさのあまり、握りしめた拳で乱暴に目元をぬぐった。


 そして、とびきりの笑顔を浮かべてみせる。


「一緒に行こうぜ、芽衣! 俺が連れてってやる! 絶対に――!!!!」

「が――っ!!」



 ――ぞぶり!!



「ビショップ!?!?」


 ビショップの全身を、六本の非情な槍が刺し貫いていた。どくどくと流れる血。


「ぐうっ! だが……まだだ!!」


 めきょっ! と音がして、何本かの槍が折れる。ビショップの細身の身体のどこにそんなチカラが秘められているのだろうか。が、素手の格闘技しか実経験はないハルトでさえも、ビショップの動きが常軌じょうきいっしたものだとじき分かった。錯覚か、と一瞬目を疑ったが、ビショップの腕や足の関節が、明らかにありえない角度まで折れ曲がっているのだ。



 そして、その血は――白かった。



「ビショッ……プ? それは……一体……? 白い……血……?」

「…………君には知られたくなかった。君たち・・・には」


 ぞぶっ! と怖気おぞけを振るう音を立て、ビショップは左胸と腹部に突き刺さっていた槍を構わず引き抜いた。その勢いで、白い液体にまみれた臓器の一部がつられて顔を出す。だが、彼の表情の欠けた顔に痛みや苦痛はわずかも見えない。ただ、哀しみと後悔があった。


「私は――私たち個人指導教官は皆、おぞましい人造人間ホムンクルスでね。ゆえに、君たちほど価値がない」

「嘘……だろ!?」


 ハルトはビショップの言葉を耳にしてもなお信じられなかった。


「このような絶望的状況下で嘘をつく、説明可能かつ合理的な理由はないだろう、ハルト?」



『――充電チャージ中。残り一〇秒。シールド展開。カウントダウンに入ります。5……4……3……』



「そして、君たちは人間だ。未来を切り開くひとつの希望だ。私たちはそれを守る義務がある」

「ビショ――」


 にやり、と不敵に笑うその顔を、音もなく飛来した一本の矢が貫いた。


「――ップゥウウウウウ!!!!」



 ――ぐらり。



 左から右へ、耳から耳へと貫通した矢を握り締め、それでもビショップはハルトたちを守ろうと踏み止まって雄々しく立ちはだかり、大きく両手を広げた。そのハルトにはあまりに大きすぎる背中から、次から次へと剣や槍の先が飛び出してくる。


 それでもなお、彼は立つ。


「ぐ――っ」


 が、コボルトのフルスイングした鉄槌てっついがビショップの右膝を容赦なく砕いた。よろめく身体を踏み台にして一匹のコボルトが宙に飛び上がり、ハルトと芽衣をまとめて葬り去ろうと大剣を大きく振りかぶる。



『……2』



 その瞬間、


 ハルトの腕の中にいたはずの芽衣が、

 最後のチカラを振り絞って――。



 ――動いた。



『……1』



「ハル君……! 君だけは……生きて……ね……!!」

「芽衣ぃいいいいいっ!!!!」



 ――ざん!!!!!!



 コボルトの振り下ろした大剣が、芽衣に向けて差し伸べたハルトの右腕を肩口から切断する。しかし、その血にまみれた大剣と腕と痩せこけた身体ごと、飛びかかってきた芽衣にからめめとられてしまったコボルトは、ポータルの対象範囲に侵入できずにもろとも、どさり、と地に落ちた。



 そして、

 無機質な声は非情に告げる。



『――緊急跳躍実行』



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