第七話 崩れゆく文明と落伍者に慈悲を

『――跳躍ジャンプ完了。シールドを解除します』


 ほんの一瞬だったような、永劫に続くかのような――。


 跳躍中の視界にはたしかになにか映っていたのだろうが、ほぼ記憶らしい記憶は残らない。ただ、軽い酩酊感と不快さだけがあった。


 機械音声のガイダンスが告げたとおり、第五分隊の周囲をすっぽり覆っていたライトグリーンの光の壁が徐々に薄らいでいく。目の前に広がっていたのは、一面の茶色がかった緑と彼らを取り囲む観客席だった。なにかの訓練場だろうか? ただ――誰ひとりいない。


「……どこなんだ、ここ?」

「なんかさー、円形闘技場コロッセオみてーだよな」

「へ、変なこと言わないでよ、一也かずや!」

「ふむ――」


 ただでさえ「外の世界」を見慣れていない分隊の試練生たちはざわめく。その声が耳に入っていないかの様子でビショップは、手入れの行き届いていない芝生の上へ一歩踏み込んだ。


「ビショップ指揮官? ここが目的地なのか?」

「……」


 ビショップはハルトの問いにはこたえず、身体を折って足元の茶色く枯れかけた草を摘み上げ、はらはらと微風に放つ。そして振り返ると、試練生たちを今一度確認した。


「点呼を取るまでもなさそうだ。では、諸君、出発するとしよう」

「ちょ――ちょっと待ってくれ、指揮官! ここはどこなんだ? 目的地じゃないのかよ?」

「ここは等々力とどろき陸上競技場と呼ばれていた場所だよ。故に、我々の目指す目的地ではない」

「おいおい……」

「大した問題ではないさ。誤差の範疇はんちゅうだ」


 ハルトがいぶかしげに問い詰めようと思った時には、すでにビショップはきびすを返していた。良くあること――そういうことらしい。


「目的地である旧・府中基地ベースまで、約20キロメートルの行軍だ。君たちが『外の世界』を見る絶好の機会でもある。しかし、くれぐれもピクニック気分のような甘えやおごりは捨てたまえ」


 うへぇ、という距離に対する不満のうめきと、はじめて見る「外の世界」への好奇心が生んだ笑い声を聞き、ビショップはもう一度試練生たちを振り返ると、無表情のまま付け加える。


「なお、なにを見つけても勝手に分隊を離れてはならない。この命令だけは絶対順守したまえ」




 ◇◇◇




 異変が生じたのは、それから一時間後のことだ。


(……止まれ。なにかいる)


 試練生たちを振り返り、ビショップはハンドサインと共に小さく囁いた。右手の指し示す方向に用心深く視線を向けると、なにか小さい生き物の影があった。


(ビショップ、あれは……?)

(ふむ――『幻想世界の住人』だ。しかし、どうしてこんなところに――)


 第五分隊の試練生たちは息を潜め、しばしその様子を窺う。




 ◇◇◇




 旧・等々力陸上競技場のグラウンドを出た第五分隊は、池や森の間を抜け、川沿いの堤防の上の舗装路を進むことにした。一級河川・多摩川――すっかり錆びついた標識にはそうある。


 ビショップが言うには、このまま川沿いに北上すれば自衛隊の旧・府中基地まですんなり辿り着く、その予定だった。川のある下方を見下ろしても鬱蒼とした草木に邪魔され、視界は良好とはいえなかったが、「外の世界」を知らない試練生たちに代案があるはずもない。反対側の堤防下には道路を挟んで多数の住居が建ち並んでいたが、どこも無人らしく崩壊寸前だ。


「いくら『自然回帰』だーって言っても、さすがに度が過ぎてやしませんかねー、これ」

「なんか、勿体もったいないよねー」

「空家状態で放置して、自然とちるに任せるだなんて、逆にエコじゃねーし、ダメじゃね?」


 これでは、「自然回帰」どころではなく「文明放棄」だ、という声すら聞こえた。


 しかも、これから向かう基地には「生存試練サバイバル・トライアル」専用の指定区域があるというではないか。つまり、この惨憺たる光景よりもさらに、文明から退行した区画があるということになる。


「なーんかちぐはぐだよなー。大体『正規市民』の皆さんは、一体どこにいるってんだよ?」


 もっともな疑問を一也が口に出したタイミングだった。




 ◇◇◇




(幻想世界の住人、って……そんなの指定区域の中にしかいないはずじゃなかったのか?)

(……)


 ハルトはすぐ隣のビショップに向けて問いかけたがこたえはない。ただ、長年生活を共にしてきたハルトにだけは分かる、彼の焦りと迷いが伝わってくる。


(なーなー、指揮官さん? あれってば、もしかして『コボルト』ってヤツなんじゃねーの?)

(そうだ)


 ビショップは、キツネやネズミに似たその風貌と、鱗の生えた爬虫類のような皮膚、貧相で矮小な体格と粗末な装束を見て、一也の問いを肯定した。が、その左眉が、くい、と上がる。


(であれば――なんだね、一也試練生?)

(つーまーりー。『幻想世界最弱・・・・・・』の生き物ってことっしょ?)

(君の意見に同意する。……それで?)


 そのこたえを待ってました! という勢いで一也は立ち上がった。


「んじゃ、まー、ここでこそこそしてる意味ないっしょ? っちゃえばオッケーってことで」

「……許可はできない」

「はぁ?」


 一也は当然返ってくるだろう返事と異なるビショップのセリフに唇をとがらす。


「一匹だけっしょ? それに、なんか弱ってる風じゃね? だったら、チャンスじゃんか!」

「一匹だけだからこそ、だ。不自然すぎる」

「『コボルトは群れるもの』ってヤツ? でも動物だって、弱った仲間は見捨てるっしょ?」


 実際、一也の言うとおり、第五分隊の目の前にいるコボルトは疲弊し、横たわっていた。元は野球の練習場かなにかだったのか、その周りだけ草がなく彼らからでも良く見えた。ぜいぜい、と荒い息を吐く様子が、浮き上がったあばらの上下する動きからも伝わってくる。


「まー任せろって! これでも狩猟術ハンティングの授業は成績良かったんだぜ? おい、お前らも来いよ!」

「許可しない、と言ったはずだぞ、一也試練生」

「へへ。すぐ戻るからさ、指揮官様。……おい、行こうぜ!」

「お、おい、一也! 待て!」


 ハルトは動かず姿勢を低く保ったまま、一也の呼びかけに応じた試練生ふたりを呼び止めたが、彼らは構わず生い茂る雑草をけ坂を下っていってしまった。


「どうするんだ、ビショップ!? あいつら、問題ないのか!?」

「……」

「ビショップ!!」


 肩を揺らし、声のボリュームを上げたハルトの口を左手で覆い、ビショップはこう告げる。


「我々はここで待機だ。うまくいくことを祈ろう」




 ◇◇◇




(……一也、ホントに大丈夫なのか?)

(ラクショーだって。おっと、まだ気づかれるなよ……)

(こ、こっちは三人だもんな。て、手持ちは結束バンドと生存ナイフしかないけど)

(イケるっしょ。相手は死にかけの『幻想世界最弱』だぜ? サクッと済まそーぜ)


 一也たち三人は、倒れて弱々しくキーキー呻いているコボルトを三方から囲むように徐々に広がりつつ進む。もうこの先は身を隠すものがない、というギリギリまで接近した。


「行くぞ!」


 ざっ――と立ち上がると、コボルトもようやく敵の存在に気づいたようで、片足を引きずるようにざりざりと後退った。そばに投げ出されていた槍を慌てて拾う。呆れるほど粗末な造りだ。


「キー! キー!」

「おーっと! 暴れんなよ。すぐに済ませてやるからさ!」


 ぶん、ぶん、と槍の穂先が左右するが、あっさりと一也はそれを掴んでしまった。逆に引っ張り、引き寄せようとすると、明らかな体格差でコボルトの尻が砂の上を滑っていく。尖った鼻先から気色の悪い濃緑色の鼻水を垂らし、泣きべそをかくようにいやいやをして首を振る。


「へへ、悪ぃな。これも『正規市民』になるための良い経験ってね。じゃ、そろそろ――!」




 その時、


 ――にやり。


 とコボルトが牙を剥き出しにし、いやらしい笑みを浮かべた気がした。




 次の瞬間、




 ――ざわっ!!!!




「………………………………え?」


 周囲の草映えから、一斉に無数のコボルトたちが立ち上がった。


「ぎゃっ!?」

「痛――っ!!!!」

「お…………おい! どうした! れん! 大和やまと!!」


 蓮の赤茶けた髪が赤々と染まっている。大和は右脹脛ふくらはぎを押さえ、どくどくと流れ出る血を止めようと必死の形相で押さえている。どちらも一也の下へなかば投げ出されるようにして転げ出た。その周囲を、武装したコボルトたちがぐるりと取り囲んでいる。総勢二〇匹はいるだろう。気がつけば、目の前で泣きべそをかいていたはずのコボルトの姿さえ掻き消えていた。



 ちん、ちん――剣と剣を打ち鳴らす音と共に、徐々に輪が狭まっていく。



「ど――どうなってんだよ、これ!! 嘘だろ!!!!」

「くそ――っ! 一也っ!!」


 咄嗟にハルトは立ち上がっていた。

 しかし、ほぼ同時にビショップの手ががっちりとハルトの左手を掴んで放さない。


「おい、放せ! 放せよ、ビショップ!!」

「よせ! ハルト・ラーレ・黒井試練生!」

「助けにいかねえと! あいつらだけじゃ無理だろ、あの数!!」

「罠だ! 恐らくこちらの存在にも気づいている! 撤退する!」

「あんた、正気かよ!?」


 ビショップの手を乱暴に振り払い、逆に胸倉を掴み上げた。


「見捨てる、って言いたいのか!? あいつらだって大切な仲間だろ!! 違うか!?!?」

「ハルト・ラーレ・黒井試練生、君の言う『大切な仲間』、六人をも・・・・失うことになるぞ!!」


 芽衣めいはショックのあまりビショップの背後でガチガチと震えている。他の五人も似たようなものだった。残った試練生は、ハルトを含め男四名、女三名。戦力的にも不利だ。彼らのおびえた瞳が、ハルトの迷う心にすがりつく。見捨てないで――たかぶるハルトの気持ちはたちまち冷えた。


「く……そっ!!」


 それでも一也たちの怯えた表情から目を反らすことは難しい。


 代わりに沸き上がったのは、ビショップへの怒りだった。


「コボルトは、『幻想世界最弱』じゃなかったのかよ! なんで……こうなっちまったんだ!」

「『幻想世界最弱』であっても、君たち・・・人間より弱いという意味ではない」

「??」


 なにかが微妙に引っかかる。

 だが、うまく言語化できない。


 ビショップは油断なく周囲に視線を巡らせ、少しずつ分隊を後退させる。


「負傷しているコボルト一匹だけであれば、彼ら三人だけでも辛うじてなんとかできたはずだ」

「おいおいおい……待てよ、ビショップ?」


 ハルトもまた、生存ナイフを抜き払い、慎重に周囲の気配を探りつつ後退あとずさる。さっきからずっと、首筋がちりちりしてどうにも治まらないのだ。


「そりゃあまるで、人間が最も弱い生物だ、って言ってるように聴こえるぜ?」

「……君の理解は正しい」

「話が――!」思ったより大きな声が出る。「……話が違うだろ! PBAが流していたサクセスストーリーじゃ、そんな印象はちっともなかった! そもそも連中は、『生存試練』向けに生み出された『架空の生物』だったはずじゃないのか!? なんで、こんなことになる!」

「君たちが学ぶべきことはたくさんあるのだよ、試練生諸君」




 ざくっ――!

 身の毛もよだつ音と共に、一也たちのか細い悲鳴が、ぷつり、と途絶える。




 そして。

 コボルトたちの目がゆっくりと第五分隊に向けられた。




「だが今は……生き延びることが最優先だ。ひとりでも多く。ついて来たまえ――遅れるな」



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