第六話 「外の世界」へ

「第五分隊、前進!」



 指揮官・ビショップを先頭に、ハルトが、そして残りの九名が続く。


 はじめての「外の世界」だ。


(ははっ。なんだかおかしいな。六歳までは俺たちも、こっちの世界にいたはずなのに――)


「新東京区」をぐるりと取り囲む、天をくような分厚い金属壁から出ると、まるでそこは「自由」の象徴のごとく、どこまでも広く、遠く、果てしない。日々の生活を過ごしてきた人工島の中も、なにひとつ不自由さを感じないほど広く感じていたが、比べものにならなかった。


(凄え……! これからは、ここで暮らすってワケか)


 不意に、あの日観た、ライアのセリフが浮かんでくる。


(足りない分は自分で工夫しないといけない。着るものも、住むところも、食べるものも――)

(そのためには生き物を殺さなければならないことだってある。さっきのあたしみたいに――)


 とはいえ。


 それが、いくぶん誇張された表現だということは、すでに陽介から聞かされていた。


(『生存サバイバル』と言えど、あくまで『試練トライアル』、クリア者ゼロの『デス・ゲーム』じゃない――)


 しかし、再びライアのセリフが蘇る。


(だからこそあたしたちは、多くの命の上に立っている「傲慢ごうまんさ」を自覚できる――)


 ハルトは、あまりに無防備な自分の姿を見下ろし、唯一その身に帯びた生存ナイフに触れた。


(ヒトの「傲慢さ」か……)


 かつて「人類の犯した過ち」を清算し、新世紀へと繋げてゆく――それが新世紀の人々を統治する統一政府が掲げたスローガン――「自然回帰」だ。


 だがしかし、その「人類の犯した過ち」についてくわしく記された古典的名著集グレート・ブックスはない。


 それは、敵に回すことを想像するだけで震え上がるほど優れた陽介の頭脳でなくとも、常に成績優秀でトップを独走していたサリィはもちろんのこと、ハルトですら気づく違和感だった。


(「正規市民」になった今なら、それを「知る権利」もあるんだよな、きっと)



 いや。


『知らねばならない責務』


 なのかもしれない。



「……ねえ? ちょっと、あれ見て!? なんか……おかしくない?」



 はっ、とする。



 少しぼーっとしていたようだ。もしここに陽介がいたら、筋肉バカが慣れない頭使うからだバカ、くらいの苦言を頂戴ちょうだいするハメになっただろう。振り返って足を止めた試練生に近づく。


「どうした? ええと……陽葵ひまり、だったっけ?」

「……芽衣めい、よ。陽葵はあっち」


 ウサギに似た、愛嬌のある顔がたちまち、ぷう、とふくれる。どうもサリィ以外の女の子との接点がなさすぎて、名前を覚えるのが苦手だ。すまん! と手を合わせ、で? と尋ねる。


「最後に、って思って振り返ったんだけど……あれ、どうなってるの……? あんな――」

「ん? どこだ?」

「あの中、たしかに『空』、あったよね? でも、あれって……?」

「………………な――っ!?」


 思わず大きな声が出た口を慌てて押さえた。いくらハルトでも、まわりが気づいたらパニックになるだろうことは理解したからだ。


 今までハルトたちが暮らしてきた「新東京区」。

 その人工島の上をすっぽりと覆い隠す、半透明のドーム状の構造物があるのだ。


(おいおいおい……! 今まで俺たちが見ていた「空」は、本物じゃなかった……だと!?)


 本能的に、先に進んでいるだろうビショップの姿を探す。しかし、ハルトと芽衣以外の試練生はまるで気づいていないらしく、とうに先に進んでいた。


「な、なあ、芽衣? いいか?」


 ハルトは即座に判断する。


「このことは、しばらく内緒にしておいてくれないか? あとで、指揮官に確認するからさ?」

「う、うん……補佐役のハル君が言うんなら、そうする……けど」

「大丈夫だって! たぶん、なんか理由があるんだ。安全上の、とかさ? な?」

「……分かった。ふたりのヒミツ、ね」

「助かる。……よし、急ぐぞ」


 この時ほど、うわべだけの笑顔がいかに難しいか、実感したことはなかった。




 ◇◇◇




「ハルト・ラーレ・黒井くろい試練生、どこに行っていたのかね?」

「お、遅れていた試練生がいたので」


 ハルトは適当に誤魔化しながら、至って冷静そのもののビショップの顔を見つめる。


「ふむ――」


 納得したのか、ビショップは前を向いた。振り返って「新東京区」の「真の姿」を目にしたはずの、その背中をハルトは見つめる。


(ビショップが知らないはずがない……個人指導教官チューターズなんだし)



 ならば、心配することはない。

 そう考えるハルトがいる。



 いいや、疑え! 確かめろ!

 そう考えるハルトがいた。



 その口が開きかけた刹那、ビショップがなにかを敏感に察知したように肩越しに振り返る。


「ふむ――考えごとかね、ハルト・ラーレ・黒井試練生? 君らしくもない。……まもなくだ」

「……まもなく?」

跳躍地点ジャンプ・ポイントだ」


 ……意味が分からない。

 陽介がいたら、と思わずにはいられなかった。


「どういう意味だよ、それ?」

「一応、私の今の立場は、指揮官、なのだがね」ビショップは呆れと宥めの入り混じった声で応じる。「最初の目的地だよ。この少し先にある『ポータル』を使って、我々は近道ショートカットする」

「そんなこと、『学校スクール』でも教えてくれなかったぞ!?」

「では、今、学びたまえ。すぐに」


 かっ、と頭に血が昇った。


 分隊の仲間が、あっ、と叫ぶまでもなく、ハルトはビショップの胸倉に掴みかかっていた。


「……おい、ビショップ。俺たちになにを隠してる? 俺たちをどこに連れていくつもりだ?」

「ふむ――」


 それでもビショップは毛筋ほども感情を乱さない。


「最終目的地なら、すでに伝えたはずだぞ、ハルト・ラーレ・黒井試練生? 『分隊』とはいえ、君たちは軍属ではない。ゆえに、多少の規律違反は大目に見よう。しかし……上官をおどす行為は、さすがに看過かんかがたい」



 ――くるり!



「な――っ!?!?」


 ハルトの視界がいきなり一回転する。それを知覚した時には――どすん!――すでに背中から硬い床へと落とされていた。


「ぐう……っ!!」

「――手を貸そう」


 すっ、と差し出された手を不思議そうに見つめるので精一杯だ。


(な……何が起こったんだ!?)


 仮にも、MMAミドル級王者――しかも、三年連続だ。

 そのハルト自身が、なにが起きたのか一切分からない、というのは異常すぎる。


「ハルト――」


 戸惑っている手を半ば強引に掴まれた。

 次の瞬間、ビショップの顔が耳元まで接近し、こう囁いた。


(……今はよせ。必ず君たちが理解できる場を設ける。いや……知らされる・・・・・、それが正しいか)

(ビショッ……プ……!? それって、どういう――!?)


 しかし、こたえはなかった。

 ぐい! と有無を言わさぬ勢いで引き上げられる。


 何食わぬ顔で、ビショップは分隊を振り返り、そしてこう告げた。


「では、諸君――行こうか」




 ◇◇◇




「新東京区」は、東京湾上に浮かぶ人工島であり「学園都市」だ。


 そしてその性質上、非自給型の居住都市となり、常に「外の世界」から電気・ガス・水道などのエネルギー・インフラストラクチャーの供給を受ける必要がある。大幅に若年層にかたよった「学園都市」ならではの人口構成がその理由だ。



 だが――。



(どういうことなんだよ……くそっ!!)


 ビショップの宣言どおり、なにごともなく『ポータル』に到着した分隊だったが。

 ハルトは、自分の目にした光景に密かに戦慄し、何度も首を振っていた。


(各ゲートから伸びたブリッジは、「外の世界」に繋がってるはずじゃなかったのかよ!?)


 それがハルトの知っていた「外の世界」だ。



 だが、

 見てしまった。



(あれは……意図的に「閉じた」感じじゃなかった。まさか……「破壊」した……のか……?)


 途中で寸断されたブリッジの残骸は、まるで前衛芸術アバンギャルドのように奇怪で滑稽な造形をしていたのだ。幼い子どもが力任せに気ままに練った、不恰好な粘土細工のようだった。古典的名著集は古びた情報の集まりだよ――ビショップはこともなげにそう言ったが、




 それが真実ならば、




(……ダメだ! 今、俺がぐだぐだ悩んでたら、分隊の他の連中にも伝染しちまうっつーの!)



 ――ぱぁん!



 いきなり自分の顔を両手で張りつけたものだから、まわりは、びくっ!? と驚き、やがて、くすくす、と笑われてしまった。わ、悪ぃ……と照れ笑いを浮かべて誤魔化すことにする。


 ある意味、その気持ちの切り替えは、ハルトがハルトであるからこそできることだ。


 ずば抜けて口の悪い大親友いわく、ハルトは度し難いほどのお人好しであり、常に周囲に気を配る、義理人情の――筋肉の――塊である。そのハルトだからこそ、自分の中に湧いた疑問や迷いよりも、まわりの、それも運命を共にする分隊の仲間たちの平穏を優先してしまう。


(知りたけりゃ、あとでいくらでも聞く機会はある。今は、こいつらを守って・・・やらないと……)


 守る、という意思は自分でもいささか大袈裟すぎると思う。

 だが、自然とそう心に決めてしまうのがハルトという少年のさがなのだった。


「では、諸君。いいかね?」


 どうやら順番が来たらしい。


 ビショップの言う最初の目的地である「ポータル」が鎮座する、ドーナツ状の区画のシャッターが大きく左右に開いた。すでに前の分隊は誰ひとりいない。「跳躍」したのだろう。


「これが『ポータル』だ。空間転送装置、そのような言い方もする。『外の世界』における長距離移動のための、一般的な交通インフラストラクチャーだと考えればいいだろう」


 テニスコート一面分くらいの広さの殺風景な空間のほぼ中央に、5メートルはあるだろう一本の太い金属柱が立っている。が、そこまでの太さはない。鈍色に輝くそれの最上部にはドーナツほどの環状の物体が三つ、それを貫くようにして鋭利な切っ先がまっすぐ天を指していた。


「では、起動しよう。全員、中央の誘導柱ガイドポールに右手で触れたまえ。多少ひんやりするが、無害だ」


 それまでシャッター付近で待機していた試練生たちは、数段降り進むと、中央で待ち構えているビショップのそばへ恐る恐る近づく。それでも今まで目にしたことがないシロモノであり、信じ難いような先端技術だ。近づいたはいいが躊躇ためらっていると、ビショップが手本を示すように、ぽんぽん、と金属柱に触れてみせた。ようやくそれで、おずおずと手が差し出される。


「ふむ――揃ったようだな。では、はじまるぞ」



 ――ぶうううううん!



 歯の根が揺らぐほどの低いうなりと振動。柱を中心とした半径5メートルの円形の床を取り囲むように、ライトグリーンの粒を散りばめた光の壁がするする伸びて、彼らを包んでいく。


「注意事項は、三つ――転送完了のガイダンスが流れるまでは誘導柱から手を放さないこと、ポータル起動中は範囲外に出ないこと、そして、目的地未設定の状態で跳躍しないこと、だ」

「もしも、それに反したらどうなるんだ、ビショップ――指揮官?」

「ふむ――やってみるかね?」

「……遠慮します」

「それが賢明だよ、ハルト・ラーレ・黒井試練生」



『――チャージ完了』



 どこかで聞いたような無機質な女性の機械音声がそう告げると、ビショップの足元から実体のないグリーンの投影型操作パネルが、ふわり、と浮かび上がってきた。節くれだった細い指がその上を踊る。そして、最後の「実行」を押す手前でビショップは動きを止めた。


「……特に三番目。これは緊急事態でもない限り、絶対に実行しないことを強くお薦めする。このあとの輝ける『新たな人生』を、岩と同化したまま過ごしたいのであれば別だがね――」



『――空間跳躍を実行します』



 たちまちハルトたち第五分隊の姿は、空気に溶けるように淡く消えていった。



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