第五話 旅立ちの朝に交わした約束

『お集まりの「試練生」の皆さん! 十八歳、おめでとう! いよいよ旅立ちの時です!』



 人工島「新東京区」を取り囲む、高い金属壁を見上げると、飛行船の見慣れた姿があった。


 スクリーンの中の『ハニエラ・ローズマリー』の左右からクラッカーの紙吹雪が、ぱぱん! と打ち上がり、上から「Congratulationおめでとうございます!」と書かれたカラフルな吊り看板が落ちてきた。と同時に、わあん! と割れんばかりの歓声が沸き上がる。なんとも賑やかだ。


「……フクザツな気分」

「ま、まあまあ――」


 どんより、と肩を落としてうつむく中の人・・・、サリィをなぐさめるハルトである。


「まさか、自分で自分を祝福するハメになるなんて思ってなかっただろうし。にしても――」

「どこ行っちゃったのかしらね? ヨースケは?」

「だな。すぐ戻る、とは言ってたけど」


 普段は閑散としている連絡港ポート前は、ぴっちりとした黒い訓練用スーツ姿の連中でごった返していた。忙しなく行き交う人波を避けるようにハルトの視線は大親友の姿を探す。



 やがて――ああ、来た来た。



「どこ行ってたんだよ、大センセイ。サリィが心配してたぞ?」

「ちょっとな。っていうか、お前も心配すべきだろ、筋肉バカ」

「ヨースケなら大丈夫。俺が保証する。うん」

「ったく――」


 呆れ顔の陽介は、ポケットから取り出したモノをふたりに渡す。


「これを受け取ってきた。この混雑っぷりじゃ面倒だからな。あと、事前に確認したかった」

「これ……ブレスレットか? 堅物のヨースケにしては意外だな」

「まあ!」

「おいおいおい……これが、僕からのプレゼントだとでも? 君たち、話、聞いてたか?」


 サリィはともかく、ハルトまで目をキラキラ輝かせたのを見て、陽介はうんざりする。


「すべての『試練生』に装着が義務付けられている認識票ライフバンドだ。ほら、付けてみろ」

「適当に取ったけど、どっちがどっちなんだ?」

「どっちでもいいらしい。まあ、付けてみれば分かる」

「??」


 サリィと揃って不思議そうな顔をする。


 陽介の右手には、すでに装着済みだ。

 なら、危険はないのだろう。


「痛――っ!?」


 同じように右手首に嵌めてみると、かちり、とロックがかかった途端、ちくり、と刺すような痛みが走った。不意を衝かれて思わず声が出る。恨めしそうに陽介を見返すと、ほれ、とブレスレットを見るよう促された。



 すると――。



『ハルト・ラーレ・黒井/血液型:A型 Rh+/状態:良好/……』



「……説明よろしく、大センセイ」

「見たら分かるだろ、筋肉バカめ! 無痛針で採取した血液から、個体を認識する仕組みだ」

「痛かったっつーの! 無痛とか嘘だろ!? な? サリィ?」

「うん! びっくりしちゃった……けど」

「ほらな? お前が大袈裟すぎるんだよ、ハルト。そこまでじゃないだろうに、ったく……」


 小さなスクリーン上に流れる文字が見やすいように、陽介はふたりの前に右手首を掲げた。


「個人識別して、監視・把握する目的なんだと。ということはだ。逆に言えば、異常を検知したり、万が一途切れたりするようなことがあれば、たちまち救助隊が駆けつけるってワケさ」

「へぇー。ちゃんとしてるんだな。意外だ」

「まあ、そうだよね。ふぅ……ちょっぴり安心したかも」


 サリィは目に見えてホッとした表情を浮かべた。「生存試練サバイバル・トライアル」に挑むのは三人一緒ではない、と聞かされてからというもの、サリィは明らかに落ち着きを失っていた。よっぽど心細かったんだろうな、思わずハルトの口からも安堵の溜息が出る。


 と、突然陽介はハルトの肩を抱えて引き寄せ、耳元になにやらささやいた。


(おい……もう済ませたんだろうな? せっかくふたりにしてやったんだから)

(な、なんの話だよ?)

(とぼけなくたっていいだろ? サリィにちゃんと伝えたのか、お前の気持ちを?)

(……はぁ!?)


 ちょ――っ! 真っ赤になって身を引きがそうとしたが、陽介の予想以上に強い手がそれをさせなかった。曖昧な笑みを浮かべたハルトを、怖い顔で陽介がにらんでいる。


(はぁ、じゃない。いい加減にしろよ、お前。もう、一年間会えないかもしれないんだぞ!?)

(あ………………)


 呆気なく形ばかりの笑顔が崩れる。

 ここまで真剣で、怒りをはらんだ陽介の表情は見たことがなかったからだ。


(サリィはお前が好きだ。ずっと昔から。僕らが小さい頃からだ。知らないフリはもうやめろ)

(ヨースケ……)

(お前はどうなんだ? どうなんだよって僕は聞いてるんだ。返答次第ではただじゃおかない)

(俺は……俺の気持ちは……)



 ――ビービービー!!



「くそ――っ!!!!」


 唐突に鳴り出したアラーム音に、陽介は癇癪かんしゃくを起したように苛立ち、硬い地面を踏みつけた。音の出どころは認識票だ。陽介のだけではない。ハルトのも、サリィのも、あたり一斉にだ。


「……見ろ。出港口に集まれ、と指示が出ている。場所は書いてあるか、ハルト? サリィ?」

「あたしのは……キサラヅ・ゲートって書いてある」

「俺は、カワサキ・ゲートだそうだ」

「僕は、ヨコスカ・ゲートだ。……じゃあ、残念だけど、ここでお別れだな」


 陽介が右手を差し出した。続いてサリィが、最後にハルトがふたりの上に右手を重ねる。だが、陽介がハルトに向けた表情は、どこかよそよそしげに映った。ふ、とそらされてしまう。


「いいか、君たち?」


 陽介は、ただじっと重ねられた三つの手を見つめる。


「この認識票じゃ、互いに連絡を取ることはできないらしい。ただ、基地ベースに到着すれば、なにかしら別の方法が見つかるかもしれない。まあ、任せておけって。それまで無理はなし、だ」

「……うん」

「オーケイ」

「先に、場所と期限と、合図だけ決めておこう。場所は……三人の思い出の『東京スカイツリー』だ。もちろん、覚えてるよな?」


 まだ六歳になる前の記憶。それでも、しっかり心に刻み込まれていた。ハルトとサリィは力強くうなずき返す。


「一年後の今日だ。待ちきれないヤツは先に着いてたっていい。ただし、遅刻は厳禁だからな。最初に到着したヤツは、黄色い旗を立てておくこと。それが目印だ。……いいな?」

「う……ん。約束、だからね?」

「了解した」


 ハルトは迷いを捨て、ふたりの前で宣言する。


「俺が一番近い。先に行って、お前たちが来るのを待ってる。そして……晴れて『正規市民』になったその時、その瞬間に、俺はお前にずっと言えなかった心の裡を伝えることにする」

「ハル……ト……?」


 見つめる先の、サリィの瞳の中にはハルトの姿が映っていた。戸惑い、でも、どこかなにかを期待するようなその瞳が、ふわり、と笑みの形をとる。


 陽介は何も言わない。


 ただ、どん、とハルトの胸の中心に拳を突き付け、にやり、と笑っただけだ。


「じゃあな! 幼馴染どもめ! せいぜい、死なないように気をつけろよ!」

「うふふっ! いじわるなんだから!」

「あはは……。世話焼きたがりのひねくれ者の、精一杯の捨てゼリフってところだな」


 最初に離れていったのは陽介の手。そして、名残惜しそうに離れていくサリィの手の温もりを感じながら、ハルトはその手のひらを静かに握りしめた。




 ◇◇◇




 カワサキ・ゲート前。


「悪い。通してくれ。……っと、サンキュー」


 はやる気持ちを抑えきれないハルトは、すでに集まっていた試練生たちをかき分けて進む。ぽっ、と列の先頭に出た時点で、ぱりりとプレスされた制服に身を包んだ冷たい視線がハルトを捉えた。黒一色の集団の中で、彼のグレーの指揮官服は際立ち映えている。


「ふむ――一番に来ると思っていたが、見込み違いだったかね?」

「ビ――ビショップ!?」

「ビショップ指揮官、だ」


 くい、と左眉を引き上げ、ほんの少し、本当にわずかばかりの笑みが口端に浮いた。


「どうも、君たちに伝え忘れていたようだ――私も行くのだ、と」

「ははっ。アイツらが知ったら、ぷりぷり怒り出すだろうな」


 ビショップはこたえず、軽く肩をすくめてみせた。ビショップいわく、「嫉妬」とは「自分と最も縁遠い感情」らしい。しかし、サリィと陽介の悔しがる顔は、即座に脳裏に浮かんでくる。


「ふむ――ちょうどいいだろう。……試練生諸君、注目! ゲートの前へ!」


 指揮官を表すグレーの制服が効果を発揮した。統制のとれた試練生たちは、すぐにも口をつぐみ、ビショップと、その隣に立つハルトを見た。


 と、ハルトが気づき、慌てて列に戻ろうとするが引き留められてしまう。


「カワサキ・ゲートに集められた試練生諸君、まずはおめでとう。そして、ここからが君たちの『真の人生』のはじまりだ。君たちは『自由』を得た。代わりに『責任』を追うことになる」


 仕方なくビショップの隣で、一分の隙もない直立不動の姿勢で傾聴することにした。


(「正規市民」の「自由」、そして「責任」かぁ……。たしかに、今までは守られてたモンな)


 ハルト自身、この偏屈へんくつで気難しい――少なくとも外見上そう見える――個人指導教官チューターズに守られて育ってきたという自覚がある。無論、過保護に甘やかされた記憶なんて清々しいくらい皆無だったが、それでも「学ぶ」という唯一課せられた義務を除けば、すべてを彼に頼ってきた。


(これからは、ぜんぶ「自己責任」ってことだよな……)


 ふとそんな考えすら浮かび、ひやり、とする。


 MMAミドル級王者チャンピオンのハルトですら、そうだ。

 目の前に居並ぶ試練生たちの顔にも、少なからずその「恐れ」が見てとれた。


「このあと、〇八〇〇より、十名一分隊単位で順次ゲートを出て、ブリッジに向かう。指揮官に呼ばれた者はすみやかに集合し、彼の指示に従いたまえ。なお指示は、各自装着済みの認識票にも表示される。確認をおこたらないように。よろしいかね?」

了解しましたイエス・サー!」

「ふむ――」


 途端、あたりが、ざわっ、と騒がしさを取り戻した。ビショップはようやく隣に立つハルトに視線を向け、手にしていた電子ペーパーを差し出しながら告げる。


「ちなみに君は私の分隊の補佐だ。早速だが、ここに記載された九名を集めてもらえるかね?」

「任せて――じゃない、了解しました!」


 つい、いつもの調子が出てしまった。ハルトは良く通る声で一名ずつ試練生の名を呼ぶ。集められた試練生たちは、男子がハルトを含め七名、女子が三名。いずれも似たような体格だ。


「あんた……王者チャンプのハルトだろ? 見たぜ! 良い試合だったな!」


 そのうちのひとりが満面の笑みを浮かべ、手を差し出した。


「俺は、一也かずやだ。なあ、王者? あのう……握手、いいかな?」

「よせって。今はもう、同じ試練生だろ? よろしくな、一也」


 なんとなくそれがきっかけとなり、自己紹介と握手会がはじまる。


 とはいえ、昨日まで一度も会ったことがない同士だ。男女共から名の知られているハルトの名前ばかりがひとり歩きしているようで、なんとも居心地が悪く、落ち着かない。ひとりだけ浮いてみえる、ハルトの恵まれすぎている体格のせいもあるようだ。参ったな――苦笑する。


「ふむ――集まったな、諸君」


 ひと段落したところで助け船が入る。

 ハルトは分隊の仲間に混じって前を向いた。


「私はこの、第五分隊の指揮官、ビショップだ。我々はこのあと、カワサキ・ゲートを出てブリッジを経由し、一路、旧・府中基地ベースへと向かう。かつて、自衛隊の施設だった場所だ」


 自衛隊――「学校スクール」で学んだ知識によれば、かつての日本領の防衛・治安維持のための組織だったはずだ。古典的名著集グレート・ブックスでは、国際法上の交戦資格を有する事実上の「軍隊」とあった。


「基地に到着したのち、『生存試練』について改めて状況説明ブリーフィングを行う。……何か質問は?」

ありませんノー指揮官サー!」

「ふむ――よろしい」


 そして――ゲート上のスクリーンが「〇八〇〇」に変わる。



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