第四話 もうひとりの父親へ

「……実に素晴らしい。君たちにこのような才能があったとは。点数は……ふむ、迷うね」


 ハルト・ラーレ・黒井くろいたち三人は、今でも信じられない思いで目の前の光景にあんぐりと口を開いていた。十二年という長い歳月を共に過ごしてきて、この偏屈へんくつで頑固な個人指導教官チューターズがここまで上機嫌な――見た目はいつもどおり無表情ではあったものの――表情を浮かべるとは。


「ふふっ。そんなに褒められると、むしろからかわれてるんじゃないか、って思っちゃうわね」

「まあ、それなりの苦労は強いられたからな。生意気な生クリームめ……まだ腕が痛いぞ」

「だから、力仕事は任せろ、って言ったろ、ヨースケ?」


 悪くない気分で軽口を叩く三人を見つめ、ビショップはさらに驚いた表情を浮かべた。


「念のための確認事項なのだが……まさか、これは三人のハンドメイドなのかね?」

「そこは、手作り、って言ってよね、ビショップ! 感謝と愛情を込めた、ね?」

「ふむ――」


 名残惜しそうにフォークについた生クリームを含み、取り上げたカップから立ち昇る祁門キーマンの香りを楽しむビショップである。ひと息ついた彼は、こう切り出した。


「で、だ。この私に尋ねたいことがある、と言ったね、陽介・ミハイル・小鈴江こすずえ?」

「ああ」


 甘い物が苦手な陽介のケーキはまだ手付かずのままだ。


「いよいよ明日だ。僕らが挑む『生存試練サバイバル・トライアル』について、くわしい情報を知りたい」

「ふむ――」


 ビショップの灰色の瞳は陽介の前に置かれたケーキに注がれていたが、特に他意はないらしい。


「ならば、君たちが『学校スクール』で学んできたとおりだ。それ以上でも以下でもない」

「……なんだけどね。この三人ですら、知識にバラつきがあるんだ。由々ゆゆしき事態だろ?」

「ふむ――」


 ビショップは陽介から視線を外し、あいかわらずニコニコと満足げに微笑んでいるサリィと、途端にきょときょとと目を泳がしはじめたハルトを見る。誰が問題なのかは明らかだ。


「……知識の格差は、個人指導教官が正さなければならない。いいだろう、許可する」

「まずはじめに」陽介はサリィを、ちらり、と見る。「『生存試練』には、この三人のチームで挑むことはできるのか? 僕らは今日までずっと一緒だった。そうするのが当然だと思う」

「ノーだ」

「そんな!? 嫌よ!」

「サリィ、落ち着けって」


 陽介にはまだ余裕が見える。手元の情報端末を操作して、お目当ての物を表示した。


「ちょっと調べてみたんだが、過去にPBAが流した『元・試練生のサクセスストーリー』の中に、男女カップルで『生存試練』を過ごしている、という不埒ふらちな連中が出演した回を見つけたんだ。これは、ビショップの、今の回答と矛盾していないか?」

「ふむ――」


 感心したようにビショップはうなずいた。


「君の指摘は正しい、陽介・ミハイル・小鈴江。私はあくまで、『君たち三人がチームを作って「生存試練」に挑むこと』の可不可についてこたえただけだ。チームを組むこと自体に制限はないし、問題視されることもない」

「ってことは、だ――」


 毎度のことだが、ビショップと陽介の会話は、気の短いハルトにとって実にまどろっこしい。


「俺たち三人が行動を共にすること、それは『許可できない』って言いたいのかよ?」

「『許可』ではない。単純に、実現可能か不可能か、の話だ、ハルト・ラーレ・黒井」

「??」


 勇んで口を出したところまでは良かったが、余計にややこしくなった。見かねて陽介が助け舟を出す。


「要するに……僕ら三人が別々に出発するから、ということなのか、ビショップ?」

「イエス」


 ビショップは、目の前のケーキの入っていた箱を引き寄せ、丸く跡が残る生クリームを使って手にしたフォークで三本の線を引いた。三人の目がそれを見つめる中、こう続ける。


「『新東京区』より外界に出るには、三つのルートがあるのは知っているな? 順に、ヨコスカ、カワサキ、キサラヅのブリッジだ。そして君たちは、この別々のルートを使うことになる」

「ど、どうして……」

「それは、試練生の保有するスキルと適性の差だ、サリィ・ミルドレッド・三国」

「た、たしかに――」


 サリィはおどおどと口ごもりつつ反論する。


「ハルトは『能力無し』の判定になっちゃったけど、少なくともあたしとヨースケは同じ『スキル保持者』じゃない?」

「ノー。同じではない」


 サリィは陽介を見たが、陽介にも分からないようで首を傾げている。


「たしかに君たち二人は同じ『スキル保持者』だが、そのベクトルは異なる。同じではない」

「どう違うんだ、ビショップ?」

秘匿事項・・・・だ」

「やれやれ……」


 そのセリフを口にした時には、どうあろうとそれ以上ビショップは語らないのだ。


 ならば質問を変えよう。


「『新東京区』を出た後で、僕らが自主的に合流することは問題ないんだよな?」

「イエス」

「なら、時間はかかるけど、そうするしかないな。それならいいだろ、サリィ?」

「う、うん!」


 ようやくサリィの顔に笑みが戻って来た。ハルトが思わず安堵の息を漏らすと、同じようにしている陽介と目が合った。にっ、と笑い合う。


「ふぅー、ホッとしたぁー!」


 ハルトは場の空気を一変させようとわざと陽気に叫んだ。


「まったくこいつらときたら、俺が知らないのをいいことに、あることないこと言って脅すんだぜ? 『今まで「生存試練」から帰ってきた者はひとりもいない』だとか言ってさ」

「『知らない』という部分に、看過かんかできない問題点を見出さずにはいられないがね――」


 ビショップはあきれているようだ。

 無論、ハルトの学習能力の低さに、である。


「ただ、『誰ひとり帰ってこない』というのは間違いではないよ、ハルト・ラーレ・黒井」

「え」


 ハルトの笑みが凍りついた。


「おいおい! そんなに危険なのか、『生存試練』って!? だって……ほ、ほら、サリィ!」

「?」

「サリィは少なくともそれが嘘だって知ってるよな? だってさ、ライアに会ったんだろ?」

「あ、あれは――」


 サリィもまた、ビショップの言葉に衝撃を受けたようだ。そこにハルトの問いが追い打ちのように入り混じって、軽いパニックを起こしているらしい。視線が落ち着かない。


「――あれは、録画なの。直接インタビューしたことなんてないんだよ、ハルト」

「嘘だろ!? 冗談はよせって」

「う、嘘じゃないってば」


 ソファーの隣から、ずい、と詰め寄るハルトにサリィは思わず仰け反った。真っ赤になったサリィは、必死に手を振り否定する。


「あらかじめ用意された動画にあわせて、うまく会話しているように見せているだけなの」

「ライブ中継じゃ……なかった……?」

「ふふん。サリィの演技力なら、できて当然だな」

「なんでヨースケが威張いばってるんだよ……」

「それよりも、だ。理由を聞きたくないのかよ、ハルト?」


 三人の視線が再びビショップに注がれる。

 ビショップはこともなげに肩をすくめた。


「カンタンなことだよ、ハルト・ラーレ・黒井。『誰ひとり帰ってこない』というのは、単なる事実だ。『生存試練』を受けた者は『正規市民』になる。『新東京区』に戻る必要はない」

「……へ?」


 また先程と似たような問答だったらしい。

 すっかり拍子抜けの顔になったが、すぐにも別の疑問が浮かぶ。


「でもさ、ビショップ? 『正規市民』になった後で、個人指導教官になって『新東京区』に戻ることを希望するヤツだっているんじゃないのか?」



 少しの間があった。



「いいや。記録されている限り、そのケースはない」

「一度も? ない?」

「まあ、無理もないだろうよ」


 予想に反した回答に戸惑っていると、横から陽介が茶々を入れてきた。にやにや笑っている。


「お前みたいな、やたらまわりに気をつかう、お人好しの筋肉バカの担当にでもなってみろ。たちまち胃に穴が開くこと間違いなしだぜ、ハルト」

「……ヨースケ、余計なお世話だっつーの」


 気を遣うだの、お人好しだのは褒め言葉だと思っているが、筋肉バカだけは聞き逃せない。


「そりゃあ、俺だって嫌だけど。……でもさ? そういうヤツだってこの世にいるから、この世界は成り立ってるんだろ?」


 最後のセリフはビショップに向けて放ったものだったが、明確なこたえはなかった。代わりにこう告げる。


「明日は早い。そろそろ就寝しよう。あと、家族への通話が許可されている。しておきたまえ」

「ホント!?」

「まあー……しておくかー……」

「本当は嬉しいクセに。素直じゃないんだよな、ヨースケは」


 余計なお世話だ、と陽介に背中を蹴りつけられながら、ハルトたちはそれぞれ自室へ戻った。




 ◇◇◇




「やあ、母さん。元気?」

「まあ! ハルト!!」


 5コール目にスクリーンに映し出された姿は、ハルトの記憶の中のものと寸分違わなかった。


 ハルトの母であるアオイは、献身的で家庭的な女性だ。


 世界的な医学者であり脳神経外科医の夫、トマスが海外を忙しなく飛び回る中、家庭を守り、いつも溢れんばかりの愛情をひとり息子のハルトへ惜しみなく注いできた。その記憶は六歳までの限られたものでしかなかったが、暖かな温もりはいまだハルトの中にたしかにある。


「久しぶりね! 元気だった?」

「ああ」


 ハルトは向日葵ひまわりのような笑顔の前に、たちまち幼少期の頃に戻る自分を感じていた。


「ついに明日だよ、母さん。やっと俺たち・・・も『正規市民』になれる。ほら、覚えてるだろ?」

「そうなのね! 待ち遠しいわ!」

「じゃなくってさ――」


 ビデオフォン特有の微妙なタイムラグにじれったさを覚えながら、こう問い直す。


「陽介とサリィ。アイツらも一緒だってこと」

「あら? もちろん覚えているに決まってるじゃない!」


 くすくすと笑う姿はどこか子どもっぽい。

 かわらないな、そう思う。


「三国さんのところのお嬢さんと小鈴江さんのところの息子さんでしょ? どちらも立派になられたんでしょうね」

「PBAの看板配信者ストリーマーと、バーチャルチェスのGMグランドマスターさ。どっちも凄いだろ? 母さんもニュースで見かけたんじゃないか?」

「うーん……。こっちだと放送してないのよね。ざーんねん」

「そっか」


 なら、ハルトのことも知らないのだろう。


「実はね……俺の方は、MMAミドル級王者チャンピオンになったんだ!」

「あら! 凄いじゃない!」

「まあね」

「最強の息子をもって、母さんは幸せ者だわ!」

「あははっ。毎回それ言うんだな、母さんは。もう三度目だぜ?」

「うふふっ。そうね」

「元々、母さんがMMAビクスに通いはじめたのがきっかけだからね。でも、まさか自分が試合に出るようになって、優勝するだなんて夢にも思ってなかったよ。……ありがとう、母さん」

「どういたしまして」


 ビデオフォンのスクリーンの左上に、残りの通話時間を示す赤い数字が表示されている。そろそろ時間切れだ。


「やっと会いに行けるよ、父さんは元気?」

「あいかわらずよ。……ちゃんと帰ってこれる?」

「もちろん。ちゃんと覚えてる。迷ったりしないさ」


 ガラにもなく、急に胸が締め付けられるような気持ちになる。


「待っててくれ、必ず帰るから。約束だ」

「ええ。待ってるわ、ハルト」


 ぷん――通話が途切れたグレーの画面を、ハルトはしばらく見つめていた。



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