第三話 最後の夜の過ごし方

「それにしても、これで『学校スクール』に通うのも最後だなんて、ちょっぴり寂しいな」



 ――ガコン!



「よせよせ。やっと『スポーツ』やら『能力測定スキル・テスト』やらの面倒ごとから解放されたのに。ほら」



 ――ガコン!



「あら? そう? あれはあれで楽しかったじゃない? ん、ありがと」


 いた――公園内にある自販機の横のベンチでようやく追いついた。呑気のんきにジュースなんぞ飲んでいやがる。息もえのハルトは、ふたりと同じデザインの制服の首からぶら下がった紺色のネクタイをゆるめると、あらかじめ空けられていた場所に座ってぐったりもたれかかった。


「まっ――たく……ひどいヤツらだ……。騙した上に……置いていく……なんて」

「だ、騙したのはヨースケだもん! あたしまで共犯にしないでよね、ハルト」


 サリィは、ぷう、と頬をふくらませて怒ったフリをする。そして制服のポケットからハンカチを取り出すと、ハルトの額に浮いた汗を優しくぬぐいはじめた。そこから彼女の体温と匂いが伝わってくる。ハルトはぎこちなく動きを止め、しばしされるがままに黙って見つめていた。


 のだが。


「こほん――おっと、失礼」


 芝居じみた仕草と声で陽介が茶々を入れると、サリィも今していることへの恥ずかしさが湧いてきたようで、飛びのくようにハルトから距離を置いてしまった。きっと自分も同じだろう。


「ふーむ。いちゃいちゃするのは構わないんだけどね、君たち」

「ま――待て! 誤解だ! サリィは――!」

「そ、そうよ! あの、これは違くて――!」


 真っ赤になったふたりのセリフが見事にシンクロする。ハルトはぱくぱくと声にならない声を上げ、サリィを見つめる。サリィもまたハルトを見つめたが――ふ、とそらされてしまった。


(そう――サリィは誰にだって優しい。天使みたいな女の子ってだけだ。だから――)


 心の奥が、ずきり、と痛む。

 正直に言って――自分の中にある、この感情がなんなのかは良く分からない。


 もちろん、サリィはとびきりステキで可愛らしい女の子だ。世界的なスターとして今なお舞台に立ち続けている母親の美貌と声と才能を受け継ぎ、心理学者である父からは優れた知性を授かった。品行方正で成績優秀、誰もが憧れる学園のマドンナ、それがサリィという女の子だ。


 それに加えて、サリィにはPBA所属のトップ配信者ストリーマー、『ハニエラ=ローズマリー』というもうひとつの顔がある。にもかかわらず、こうして変わらず親しく接してくれているそのワケは、単に彼女がハルトの幼馴染であり、陽介を含めた三人が、同じ個人指導教官チューターズもとで暮らしているからにすぎなかった。


(そうでもなきゃ、俺なんて……近づくことすらできないはずなんだ。だから――)


 ハルトは、西洋の血が半分混じったサリィのきめ細やかで整った、わずかに朱に染まった横顔の輪郭を見つめながら、ヤバいヤバい話題を変えないと死ぬぅ! と、即興でこう切り出す。


「にしても、『学校』が終わってホッとしたのはたしかだ。もう『能力測定』は二度としない」

「結局ハルトは、『能力無しスキルレス』の判定変わらず、だったもんな……」

「まあ、その分、運動神経と体力だけは誰にも負けないぜ? そういうモンなんだろ、きっと」

「かもな。『生存試練サバイバル・トライアル』じゃ、期待してるぜ、ハルト」

「ははっ」

「ね、ねえ、ハルト、ヨースケ?」


 ようやくサリィも落ち着きを取り戻したようだ。


 だが、再び会話に加わりはしたものの、様子がおかしい。蓋を空けていない缶を両手で抱え、見つめている。


「『生存試練』でも、三人一緒だよね? あ、あたし、そうじゃないと嫌だよ……」

「まあ、これまでずっと一緒だったもんな。……どうなんだ? ヨースケ?」

「ふむ――」


 だが、陽介は腕を組み、気難しそうに眉をしかめている。


「さすがに実際の『生存試練』の内容については、経験者にしか分からない。ただ――」

「ただ――なんだよ?」

「ただ、詳しく知っている可能性が高い人物なら知っている。僕らの身近にいる『彼』だ」

「ビショップね!」

「そのとおり」


 サリィの言葉にうなずき返し、陽介は一層いかめしい顔つきをして猫背気味の背筋を伸ばすと、胸を張って右手の人さし指を一本立ててみせた。そして左の眉を、くい、と吊り上げる。


「良いこたえだ、サリィ・ミルドレッド・三国みくに。今のは二点あげよう」

「やだ、もう! それ、ビショップの真似のつもり? ビショップはそんな偉そうじゃないわ」

「……あいかわらずお前のモノマネは、悪意に満ちてるな」

「悪意? 悪意と言ったのかね、ハルト? 私はそのような無駄な感情を持ち合わせていない」

「あははっ! もう、やめて! 言いつけるわよ、ヨースケ!」

「おいおい! それはマジでやめてくれ! 『無言にらめっこ一時間の刑』は地獄だぞ!?」


 ビショップは、この学園都市に滞在している数少ない大人であり、統合政府から彼ら三人の教育のために派遣された個人指導教官チューターズの名だ。


 通常、彼ら個人指導教官は、三人から四人の同学年の子どもの教育を担当し、六歳から成人となる十八歳までの、実に十二年間の生活を共にすることになる。もはや彼らは、もうひとりの親と言ってもいい存在だ。


 ビショップは、厳格で常に冷静沈着な、まさにその役目にはうってつけの人材だった。


 細面で頬の引き締まった顔つきが物語るように、頑固で気難しく、融通ゆうづうかない偏屈へんくつの中年男性、というのが初対面時における三人共通の印象だった。やがて、その誤った先入観の一部分は誤りだったと気づくことになるのだが――正しかった部分もある。


 サリィは身に覚えがないようだったが、ハルトと陽介に関しては、生活を共にする中でいくつかの失敗と逸脱した行為をしでかし、そのたびにビショップと文字どおり向き合ってきた・・・・・・・


「あれは……経験した者じゃないと、あの過酷さは理解できないと思う……」

「だろ? この僕が、どうしたらいいのか、正解を見つけ出せないくらいだったんだからな」

「あははっ。そーれーはー、自業自得! でしょ?」


 そう言われてしまえば返す言葉がない。ハルトと陽介はうんざりした顔で見つめ合う。そのふたりの前に、サリィが踊るようにスカートをひるがえして進み出た。


「ねーえ? 素行の悪ーいおふたりさん? 相談があるんだけれど――?」


「「?」」


「明日は四月一日よ? そして、明後日にはもう『生存試練』に出発するのよ、あたしたち?」


 ハルトと陽介は再び顔を合わせ、おどけた笑みを交わした。そして、陽介が代表してこうこたえる。


「分かってるって。明日はビショップの誕生日だ。そして、僕たちのここで過ごす最後の夜だ」


 たちまち陽介の顔に、良からぬ企みを思いついたかのような邪悪な笑みが浮かび上がった。


「せいぜい驚いてもらうさ! 今年こそは絶対に! なあ、君たち? 僕の作戦を聴くかね?」


 ハルトとサリィは目を輝かせてうなずいた。


 いつだって、頭脳を駆使した戦いにおいて、陽介の右に出る者などこの世に存在しない。




 ◇◇◇




 次の日の晩。


(行くぞ? 準備はいいかね、新兵ども?)

(イ、イエス・サー!)

(……嫌ーな予感、するんだが。気のせいか? 首筋がちりちりしてる)

(怖気づいたか、筋肉バカ。虫の知らせとか第六感とか言うシロモノは、非科学的だぞ?)

(裏切り者には、死、あるのみ! だよっ!)

(だぁあああ! わーったわーった! やる! やりますって……)


 まさかサリィの口から「死!」などというブッソー極まりない言葉が飛び出すとは思ってもみなかった。ハルトもいよいよ覚悟を決めるしかない。首筋のちりちりを手で追い払う。


 学園対抗4Dチェスの現GMグランド・マスター、陽介・ミハイル・小鈴江こすずえの立てた作戦はこうだ。


 まず、はじめにリビングに突入するのはサリィの役目だ。リビングの中央にある赤い革張りのソファーに、ビショップは座っている。そう、いつもと寸分変わらず、だ。そこに、とあるモノを背中に隠したサリィが恥ずかしそうな顔をして現れ、最大限接近する。


「あ、あのね? ビショップ? ちょっといい?」


 常に冷静沈着なビショップの、サイドを刈り上げたシルバーグレイの髪は微塵も乱れない。毛筋ほどの動揺も見せずに手にした一冊のハードカバー本を畳むと、静かにこう応じるだろう。


「構わない。どうしたのかね? サリィ・ミルドレッド・三国?」


 ちなみに、本の中身は見るまでもない。

 古典的名著集グレート・ブックスのひとつだ。


「き、今日って四月一日でしょ? だから、ハルトと陽介と三人で、お祝いしよう、って――」

「ふむ――」


 それ以上、ビショップが喋ることはない。

 だからこそ、サリィから仕掛ける必要があった。


「今日はあなたの誕生日、でしょ? だから、あたしたち、こっそり準備してきたんだよ!」

「ふむ――」



 ここでまたしてもビショップは――。



「では、なぜ、この場にハルト・ラーレ・黒井と陽介・ミハイル・小鈴江はいないのかね?」


 ――いや。

 ほぼ正確に、ハルトたちが潜伏中のドアに視線を向けたではないか。計算外だ。


(!?)

(くそっ! 勘づいてる! すみやかに「プランB」へ移行するぞ、ハルト!)

(へーへー。了解)


 はぁ、こうなると思った――というのはさておき、陽介の立てた「プランB」とはこうだ。


 ハルトに目で合図を送った陽介が、ドアの後ろからやけにあっさりと姿を現わす。口の端にはまだわずかに希望の残りかすのごとき笑みがこびりついている。ゆっくりと陽介はソファーに近づいた。


「参ったね……。フィナーレはあんたへの勝利で飾ろうと思ったのに」

「ふむ――」


 ビショップは当然のようにうなずくはずだ。

 そこへ、また一歩。


「僕の立てた作戦は完璧だった。ただ……そうだな、えて言うなら――」


 充分距離を縮めた陽介は、敗北を認めるかのように両手をゆっくりと挙げて、


「――まだ、終わりじゃないんだな、これがっ!」


 そのセリフと共に、両手を挙げるスピードを加速させる。



 直後――ぱぁん!!!!



 ボタンを外しておいた制服のジャケットが、両腕ががるにつれて左右に開いたのと同時に、腰にくくりつけておいた大量のクラッカーが一斉に炸裂した。もちろん、陽介の両手に握られているのはクラッカーの紐だ。一瞬でリビングは、耳をろうする爆発音と色とりどりのテープと火薬の臭いで埋め尽くされてしまった。


 こんな状況下では、誰もが・・・冷静さを見失う。


「ハルト、行けっ!」

「おう!」


 その空白をついて、ドアの後ろから勢いをつけて現れたハルトが、磨き抜かれたフローリングの床の上をスライディングしてくる。そのまま身を縮めて陽介の広げた両足のトンネルを潜り抜け、一気にビショップの目の前まで接近すると、全身のバネを使って立ち上がった。



 これで――。



ハッピー・バースデイ詰みだぜ、ビショップ!!」



 ――となるはずだった。



「………………へ?」

「いない……だと!?」


 ゆっくりと舞い降りていくテープの向こうの、右手に握り締められた訓練用ゴム・ナイフが突きつける先には、ビショップのガラ空きの喉があるはずだった。やっべぇ! 勢い良すぎて喰い込んでねーよな? ふと、そんな考えが浮かぶほどの距離感とタイミングのはずだった。



 なのに――?



「ふむ――」


 見当違いの方向から聴こえた声に、ハルトと陽介は面喰ってその姿を追う――キッチンだ!


 淹れ立ての紅茶――ビショップお気に入りの祁門キーマンに違いない――立ち昇る香りを吸い込み、満足げにうなずくと――表情は一切変わらなかったが――そっと白磁に口をつけ、尋ねる。


「なかなか面白い作戦ではあったね、陽介・ミハイル・小鈴江。さて……君自身の感想は?」

「……」

「おや? ノーコメントかね? それとも、分析の時間が足りないかね? 君らしくもないな」


 はぁ――陽介はがっくりと項垂うなだれた。


「……サイッテーの気分さ。ぜんぶ見透かされているとはね」

「ふむ――」


 ビショップはうなずいたが――その手が止まる。


ぜんぶ・・・、というのは誤りだ。ただひとつ……分からなかったことがある」

「??」

「サリィ・ミルドレッド・三国が、背中に隠していたモノはなにかね? なぜ使わなかった?」

「これよ、ビショップ」


 サリィは、くすり、と笑い、散らかりまくったリビングのテーブルの上をひと薙ぎして、ぽっかり空いたその中央に、隠し持っていた可愛らしいピンク色の箱を置いた。ぱかり――開く。



 そこには、



『ハッピー・バースデイ、ビショップ!! いたずら好きな三人より♡』



 チョコレート・プレートの上に描かれたその文字を見たビショップは、今まで一度も見せたことのない驚きの感情をあらわにする。ホールケーキと三人を順番に見つめ、彼はこうつぶいた。


「これは……!? まさか、この私が君たちに驚かされる日が来るとはな……最高の気分だ!」



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