第二弾 武器の持ち腐れ

 子供を持つだけですでに「お母さん」である。確かにそうかもしれない。しかし私は「お母さん」と見られることにいつまでも違和感が消えない。


 母性。良妻賢母。世間一般の「お母さん像」を称賛する言葉は数多く存在するが、そのどれもがピンと来ない。出産は一大イベントだが、だからと言って突然聖母に変わる訳が無い。それまで存在した夏原秋は、別の世界線に行っちゃうわけですか?? んなアホな。そういうのは小説の中だけにしてくれ。

「お母さんになったから云々」というフレーズは私にとって脳内で開戦の角笛が鳴り響くレベルのNGワードである……ことを、改めて実感した。

 普段ネットニュースやSNSに触れているときは、へえとしか感じられない。直接面と向かって言われると、じわじわ染み込んで来る。容赦ない。


 私は小心者であるが故に、異議について言おうか言うまいか、言うのであればどうやってマイルドにするかを迷う。考えているうちに周囲は別の話題に移っていくから、先ほどの違和感について発言せずに終わる。

 想定外の投げかけに対するアドリブが不得手なのはいつものことだ。言いたい放題だった幼児期の方がまだマシだったと思うくらい、私は口数が少ない。

 仕方がないから一人で内省に耽る。


 我が子の場合、笑っている楽しそうな「お母さん」が好きらしい。だから私は自分が笑顔でいられるように、「お母さん」以外の肩書きの方に注力してきた。紆余曲折を経ていわゆるソルジャー会社員に成長したと自負している。

 それなのにだ。笑っていたいから行動した十年と少し、その挙句「笑わないね」と言われたものだから、私はまた一つ何かを諦めた気分になる。まあ別に良いのだ。我が子のためであって、職場の人に振り撒くための笑顔では無い。


 私なりに納得した上での生き方だ。動揺する必要など無いのに手のひらには汗が滲む。隠し持っているものはとっておきの武器であるはずが、見てくれに迫力があるだけの、ただの冷たい鉄塊に成り下がってしまった。

 しかし落ち込む必要は無いと自分に言い聞かせる。こういう時の小さな小さな「私はこんなはずでは無い」というビミョーな気持ちは、私に何かを教えてくれるのだ。

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