第52話 最高の時間

★アビ目線



 僕は興奮していた。

 あの六道プリンセス……ヘルプリンセスが全く手を出せないでいる。


 サンドバックってやつだ。


 ゾクゾクした。


 これまで散々煮え湯を飲ませられてきた相手。

 我々妖魔神の邪魔をし続けて来たクズがッ!


 パンチやキックを繰り出し、叩き込むたびに快感が湧く。


(このまま嬲り殺しにしてやる……!)


 こいつの相棒のビーストプリンセスは、この戦いを早々に投げ出して逃げて行った。


 賢明な判断だ。

 手が付けられないのに早々に気づいたんだ。


 諦めが良いのは賢い証拠。


 ……で、こいつは馬鹿だからまだ諦めない。


 もう5時間以上殴りつけてやっているが……

 こいつの心が折れるときが愉しみだ。


「この国は狂ってる! 何で悪を滅ぼさないッ!」


「歪みは私が正してやるッ!」


 胸の女はずっと繰り言のように同じことを繰り返し続けている。

 まあ、妖魔獣の鳴き声はそんなもんよ。


 僕にはその鳴き声が、極上の音楽のように聞こえた。


 目を閉じ、浸る。


 そこに


「……藤上さん。藤上さんの怒りはもっともだと思う」


 ……性懲りもなく、ヘルプリンセスがこの素体の人間の説得をしようと会話を仕掛けようとしてくる。

 さっきからずっとそうだ。


 無駄なのに。


 こいつの地獄は、口先の技術でどうにかなるものじゃ無いんだよ。


 嗤えるぜ。


 聞いてやる。


「……でも、人間は完璧な法律を作ることができないから、一定数藤上さんみたいな辛い人が出るのは仕方ないんだ……仕方ないんだよ……!」


「仕方ないで済むかッ! あんな醜いケモノは重ねて4つだろッ!」


 ……何も言い返せないでやんの。

 面白過ぎ。


 いつもは発狂りかいさせとかいいながら、言葉のナイフで容赦なく斬り刻むくせに。

 さあ、いつもみたいに「お前が全部悪い!」って言ってみろよ? さあ?


 ああ、さいっこうにキモチイイ……!


 快感!


 興奮でゾクゾクが止まらない。

 これはもう、ヘルプリンセスをもっと力いっぱい殴りつけて昇華するしか……!


 そう思い、腕を振り上げたとき。


「藤上さん! これを見てー!」


 別の誰かの声がする。

 見るとそれは……


 逃げたハズのビーストプリンセス。


 下半身を馬に変化させ、こっちに向かって疾走してくる。


 何か手に、携帯端末……タブレット端末ってやつか? それを掲げるように持っていて。


 そこには何か動画が再生されていた。


 こういうのが。


『夕夏! 悪かった! お父さんたちは、あの悪獣のせいでお父さんたち自身も悪魔になっていたらしい!』


『許してくれ夕夏! お兄ちゃんもあの雌豚への嫌悪感を全部お前にぶつける様な真似を……本当に悪かった!』


 ……2人の男が画面の中で泣きながら訴えていた。


『お前が邪悪な人間で無いのは分かっていたはずなのに……済まなかった!』


『許してくれ! 憎悪は人を変えるんだ! また一緒に暮らそう!』


 その呼びかけは……


「……ありがとう。お父さんたちは全く悪く無いんだから……ごめんなさい」


 涙に震える声。


 え……?


 僕の胸の中に存在し続けていた、藤上とかいう女の思念が消えていく。

 他責の心が消えていく……!


 ちょっと待て! 待て! 待てええええええ!


 ……そして完全にそれが消滅したとき。


「……散々お世話になったわね。アビ」


 ……背筋が、凍る。


 目の前のヘルプリンセスの背後に、鬼が見えた。


 ヘルプリンセスは、今まで5時間以上殴られ続けたことが全く想像できない表情で微笑んだ。


 ……死神の微笑!

 戦慄する。


 戦慄する僕に、ヘルプリンセスは言う。


「こっからは私のステージよ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る