第3話 義妹ができました
メイドさんに連れられて屋敷の廊下を歩く。
廊下の両サイドにはなんか高そうな壺やら絵画やらが飾ってあったが、俺には価値が分からん。
だがどれもが華美なものではなく、シンプル、かつ上品な調度品の数々に父親である"公爵"の性格が窺えるようであった。
アーク・ハワードが生まれ落ちた公爵家は、王国の建国にも携わった由緒ある名門貴族だ。
そしてアーク・ハワードがクソカスな悪役であるのに対し、公爵夫妻は質実剛健、ノブレス・オブリージュを旨とする素晴らしい貴族である。
民を思いやり、国の行く末を憂う、貴族の中の貴族。
しかしそんな彼らの、唯一の汚点は"アーク・ハワード"を生み出してしまったこと。
"アーク・ハワードを産んで育ててしまった"ことにさえ目を瞑れば、人格者で素晴らしい人達なのである。
いや本当に、何であんな良い人達から、こんな汚水を煮詰めてヘドロをかけたようなゴミが誕生したのか意味がわからん。
しかも増長して歪んでいくアーク・ハワードに対して、ロクに注意もできないし叱っても相手にされない、という設定があった。
だめだろ、こんな未来に悲劇しかもたらさないゴミは殺さなきゃ(使命感)。
そんな益体もないことをつらつらと考えていると、メイドさんが扉をノックして静かに開ける。
ここは、確か公爵の執務室か。
俺の中に残っている"アーク・ハワード"の記憶からそう推察し、なんか不快だったので想像上でアーク・ハワードをボコりながら「失礼します」と言って中に入ると、三人の男女がソファに座り歓談していた。
「おお、アーク。ささ、こっちに来なさい」
カイゼル髭に片眼鏡を掛けた30代の男性。
見た目はダンディな父親の"公爵"が笑顔を浮かべて一人掛けのソファに俺を誘導する。
俺も精一杯の笑顔を浮かべ、公爵夫人である母親にも「お待たせしました」と声を掛けながら、意識は公爵夫妻の対面に座る幼い少女に釘付けだった。
その少女に視線を向けると、俺の体がガチガチに緊張していくのが分かる。
暖かい微笑を浮かべているその顔を見て、俺は呼吸も忘れて魅入ってしまった。
「アーク、今日からお前に義妹ができた。さ、自己紹介しなさい」
「はい」
公爵が水を向けたのは、"儚い"という言葉が似合いすぎるほど似合う、プラチナブロンドの髪を靡かせる幼い少女。
「ローレンス家より参りました、フィオナと申します。アーク
「アーク、フィオナは王家であるローレンス家から我が公爵家であるハワード家で預かることになった。仲良くするのだぞ」
「ハワードちゃん、フィオナちゃんは少し身体が弱くてねぇ。私達も気を付けるけど、お義兄ちゃんになったハワードちゃんもよく見ていてあげてね?」
────ああ、そうか。この時期なのか。
ソファに楚々として座り、自己紹介を終えた薄幸の美少女。
フィオナ。
俺は彼女を、よく知っている。
自己紹介なんかなくとも、そのプロフィールを丸暗記しているほどに。
そして、救いのなかった生涯も、その壮絶な最期も、全部───よく知っている。
"フィオナ・ハワード"。
旧姓、フィオナ・ローレンス。
生まれつき大病を患い、とある理由からハワード家に養子として迎えられた元第二王女。
公爵夫人である母親は"少し"身体が弱いと言っていたが、実際は違う。
現段階では治療法が不明。
最上級のポーションでなんとか病の進行を遅延させることが精一杯な、"不治の病"。
"少し"身体が弱い、なんて言葉で終わらせていいものではない。その病こそが、彼女の人生をめちゃくちゃにした原因であるのだから。
母親である公爵夫人は言葉を濁していたが、俺は彼女が不治の病であるということを知っている。
そして、健気にも凛とした顔を作り、こちらに頭を下げる少女の辿る運命も。
俺は─────よく、知っている。
「フィオナ、僕はアーク・ハワード。今日から君の
今俺は、ちゃんと笑えているだろうか。
声は、震えていないだろうか。
下げていた頭を戻し、ニコリと微笑むフィオナ。
その笑顔を見て、俺は血が滲むほどに手を握りしめた。
☆
─────わたし、フィオナが、テオドール・ハワード公爵様のご厚意により、ハワード公爵家に身を寄せてから1ヶ月が経ちました。
生まれてからずっとロクに動かない身体を心配してくれていたローレンス家のお父様、お母様とお兄様、お姉様にお会いできないのは寂しいです。
ですが、お父様もお母様もわたしの身体を気遣い、ハワード公爵家に養子として出したことは理解していますので、恨んでなんかいません。
重い病を患ったこんなわたしを引き取ってくださったハワード公爵様と公爵夫人様は、とても優しい方々でした。
公爵邸で働く侍女の方々も、家令のレオン様も、みなさま、こんなわたしにとても優しく接してくださいます。
そして、お義兄様になったアーク様は────
「おい、フィオナ」
本を読んでいたわたしはその声に思わずビクリとして顔を上げます。
「は、はい、いかがいたしましたか、アークお義兄様」
今日は体調が優れず、朝からベッドの上で本を読んでいたわたしの部屋に、お義兄様であるアーク様が不機嫌そうな顔をしていらっしゃいました。
目の前には、腕を組んで顔を顰め、「チッ」と舌打ちをするお方─────アークお義兄様。
テオドール公爵様の御子息にして、ハワード公爵家の長男であるアーク・ハワードお義兄様。
そんなお義兄様は、私の手元にあった本を取り上げ、「フン」と鼻を鳴らして放り投げます。
「あっ······」
「おい、いつまで本なんて読んでるんだ。外に行くぞ。僕が稽古してやるよ」
「え、あ、お義兄様、申し訳ありません。その、わたし今日は······」
「ああ? なんだ逆らうのか? いいから来い!」
お義兄様はわたしの手首を持って思いっきり引っ張ります。
思わず「あうっ」と声が出てしまったわたしに、お義兄様はますます顔を顰めました。
「あ? さっさと立てよ。 いいんだよ病気のフリは! お前が少し身体が弱いだけってのは、母上から聞いてるんだからな!!」
公爵夫人であるエマお義母様は、わたしに気を遣ってか、お義兄様にわたしの病気のことは言っていないようでした。
ですので、アークお義兄様はわたしが少し身体が弱いと仰っているのは、間違いではありません。
ですが、今日は───
「あ、あの、お義兄様、わたし───」
「あーもういいよ」
お義兄様は掴んでいたわたしの手首を放り投げ、バランスを保てなかったわたしは床に身を強かに打ち付けてしまいました。
「あぐっ」
「父上も母上も、なんでこんな使えないやつに構うんだ? もうお前さ······この家から出ていけよ」
髪を掴まれ、持ち上げられます。
髪がブチブチと抜けると共に、耐え難いほどの痛みがわたしを襲いますが、アークお義兄様は離してくれません。
わたしを見下ろす眼はとても冷たく、そのお顔を見ただけで無意識に体が震えていました。
─────ここ1週間ほど前から、アークお義兄様は少しずつわたしに手を上げるようになりました。
きっと······わたしの不甲斐なさにお怒りなのでしょう。
「なんか言い返したら? なんも言えねぇの?」
髪を掴まれている痛みと、床に身を打ち付けた時の痛みで、喉からは嗚咽しか上がってきませんでした。
何も言い返せないわたしに、お義兄様はますます不機嫌になります。
「なんか言えって!!」
お義兄様はわたしの髪から手を離すと、うずくまるわたしのお腹を蹴り上げました。
あまりの衝撃に胃の中のものがせり上がってきてしまいます。
我慢できなかったわたしは、思わず床に吐いてしまいました。
「うっ、ぐっ、おぇ······」
「うわ、きったねぇ!! こいつ吐きやがった!」
お義兄様の叫び声に、慌てた様子で給仕の方が部屋に飛び込んできます。
涙の滲む視界で、激痛に身体を丸めながら、お義兄様が叫んでいるのをボンヤリと聞き───溢れる涙を止めることはできませんでした。
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