ぶーときゃんぷ その2
1母、帰る
カーテンの隙間から差し込んできた柔らかい朝日が、浩太の顔にかかっていた。
「ん、んん……」
優しく覚醒を促された彼の目が、ゆっくりと開く。
「もう、朝か……」
ここ数日の激闘が原因なのだろう。浩太の眠りはかなり深く、一瞬で朝を迎えている感覚があった。
「さてと、今日も頑張るか」
あふ、とあくびをかみ殺しながら、ゆっくりと上半身を起こすと、両手を上げて伸びをする。
「ふ~、やっぱり朝はこうでなくちゃね」
爆発音での起床では得られない心地よさを感じつつ、ベッドから抜け出して上下共にグレーのスエットに着替えた。
壁にかかっている円形の時計は、ちょうど7時を指していた。
「さて、朝食を作らないと」
部屋を出て階段を下り、台所を目指す。
母のいない間は、父と交代で食事の準備をしているのだ。
「……はあ」
階段を半分ほど下りたところで、見慣れた、だが悩ましい光景がその目に飛び込んできた。思わずため息も漏れるというものだ。
「父さん……今日は何をしてるの?」
巌が玄関前で、美しい土下座を披露していたのだ。
「お、おお……浩太か……おはよう」
ゆっくりと頭を上げ、振り向いた父の顔はげっそりとしていた。声にもいつもの張りがない。
「おはよう。で、なに? またみるくちゃんにちょっかい出して、母さんに怒られたの?」
「ち、違うよ……いくら父さんだって、毎日毎日そんな事はしないさ」
「まあ、それは賢明な判断だね。あのパワーでぶん殴られた上に、母さんからきついお説教をされたら、命がいくつあっても足りないよ……」
二人の脳裏に邪悪な笑みを浮かべる女性陣が浮かぶ。
「「……」」
瞬時に嫌な汗が額に浮かび、ぶるる、と身震いがユニゾンした。
「……じつはな、浩太」
「なに?」
浩太とは違い、180センチ近い身長の巌が、小さくなっている。41歳とは思えない締まった体にふさふさの黒髪、顔だって結構整っている……見た目だけなら、いわゆるナイスミドルという奴だろう。
そんな父が、思いつめた小学生のような表情をしていた。
「今日……瑠未さんが帰ってくるんだ」
「あ、そうなんだ」
久し振りの母の帰宅に、浩太は内心うれしかった。だが、父の事を思うと、手放しでは喜べない。
「浩太あ! どうしよう? 父さんは、父さんはー!?」
正座を解除した巌が、息子の両足にすがりついた。
「どうもこうも、きっちりと謝るしかないでしょう」
「だってえ……この間の瑠未さん……緑の紙がどうとか言ってて……ぐすぐす」
「あー、はいはい、泣かないの。今ティッシュ持ってくるから、ちょっと待ってて」
泣くくらいなら、みるくちゃんにちょっかい出さなければいいのに……そんなことを思いつつ、浩太は巌を振りほどき、居間へ向かった。
「まったく……って、んんっ!?」
廊下を数歩歩いたところで、異変に気づいた。
「あれは……みるくちゃん?」
居間からこちらを窺うように、可愛らしいお顔が半分ほど見え隠れしていたのだ。真剣な、でも何だかおかしいその様に、浩太の頬が自然と緩んだ。
すすー、と近づいて、お顔がひょこ、と出てきたタイミングで挨拶する。
「おはよう、みるくちゃん!」
「あひゃあっ!?」
びっくりしたみるくちゃんの右手がチョキになり、浩太の両目を突きにかかった!
「ひっ!?」
唸りを上げて迫りくるそれを、浩太はリンボーダンスよろしく神速で体を後ろへ倒してかわす。
ぶおん!
およそ目つぶしとは思えない威力のチョキが、眼前を通り過ぎていった。
「……」
そのまま廊下に背中から倒れた彼の瞳孔は、開ききっていた。
「……はっ!?」
だが、すぐに身の危険を感じて飛び起き、バックステップしてそれを回避する。
ひゅー、だがーん!
「……」
浩太が今までいた位置に、真っ白なかわいらしい塊が降ってきていたのだ。
「ち、逃がしたか……?」
廊下を激震させたみるくちゃんが、舌打ちしながら立ち上った。
「ああ、危ないでしょう!?」
「お? 浩太?」
今気がついた、そんなお顔だった。
「目つぶしの後の今のは何?」
「う? 追い打ち攻撃のすとんぴんぐだけど……おはよう?」
「……お、おはよう」
にこ、と微笑み、脈絡なく朝の挨拶をしてきたみるくちゃんが、何だか眩しくて、浩太はそれ以上一連の攻撃について追及することが出来なかった。
(ま、まあ、驚かせたのはぼくの方だし……ていうか、意識しすぎだろう、ぼく)
熱くなりだした頬を隠すように、ふい、と彼女から、顔を逸らして居間に入った。
「ん? どうしたの、浩太?」
その後を、とてて、とみるくちゃんが追う。
「な、何でもないよ……それより、今、父さんが大変なことになってるからさ」
完全な話題逸らしの浩太の言葉なのだが、耳をすませば確かに玄関の方からぐすぐすとおっさんのすすり泣く音が聞こえてくる。
「あ、そうだった……エロおやじ、どうしたんだろ?」
そう言って、みるくちゃんは再び柱の影から巌を観察しだした。
「ふう、助かった」
芽生え始めた複雑な感情。自分でも、まだどうしたらいいのか分からないそれを、彼女に気取られずによかった。そんな風に思いながら、ティッシュの箱を掴むと、浩太は足早に父の元へ向かった。
「父さん、ほら、ティッシュ持ってき──」
がららー……。
浩太の言葉を遮り、玄関の引き戸が軽やかに開いた。
「ただいまー……って、みんな揃って何してるの?」
母、牛原瑠未、久方ぶりの帰宅であった。
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