第10話 ニュー イヤーズ デイ
「サクラを呼べ」
「サクラを出せ」
「早くしろよ」
客たちは大声で言う。
私はベースを持ったまま、その大勢の客の前で額に汗が流れるのを感じた。
「お前らの曲なんてどうだって良いんだよ。早くサクラを呼べよ」
私の足元に空のペットボトルが転がった。
それを合図に客席からステージに色々なモノが飛んで来た。
振り返ると宮脇は我関せずとドラムを叩き続けている。
トオルもそれに合わせてアレンジしたギターを陶酔するかの様に弾いていた。
「止めてくれよ」
私は、ベースを下ろし、傍にあったアンプに立掛けた。
「止めろって言ってるんだよ」
私はステージの真ん中に立ったマイクを取り大声で叫んだ。
客が投げたペットボトルが私の額に当たった。
「クソが…」
私はステージから満員の客席に飛び込んだ。
「今、投げたの誰だよ」
私、上村樹が傍に居た客を誰彼構わず殴りつける。
そしてその私を警備員が押さえ付けた。
「離せ、てめぇ、ぶっ殺されてぇのか」
私は必死に藻掻くが、押さえ付けられた身体は自由にはならなかった。
「てめぇ…、ぶっ殺すぞ…」
私は目を覚ました。
私の顔を覗き込むかの様に妹の奏美の目があった。
「おはよ、お兄ちゃん」
奏美は私の身体に跨って、私の顔を覗き込んでいた様だった。
「何か凄く魘されてたけど、大丈夫…」
奏美は私の上に乗ったまま言う。
「ん…。ああ、何か身動き取れない夢見てたわ…」
私は微笑む奏美を見た。
「悪いけど、下りてくれないか…」
「あ、ごめん…」
奏美が私から降りて、ようやく身体の自由が取れる様になる。
「お父さんが起こしてこいって」
私は身体をベッドの上に起こして、汗をかいて気持ち悪い身体を掻いた。
「正月くらい一緒にご飯食べるよって」
奏美はそう言うと部屋のドアを開ける。
「あ、明けましておめでとうございます」
奏美は私に頭を下げて部屋を出て行った。
そうか…。
元旦か…。
私は部屋の隅に立掛けたベースを見た。
流石に今日は呼び出しも無いだろう…。
バンドマンって正月は不健康に酒飲んでゴロゴロしてるだろうし…。
そんな事を考えると少しおかしくなって笑った。
私は上村樹…、じゃなくて実は水島桜子。
アイドルグループ「カナリアンハミング」のメンバー。
だけど、ひょんな事から不良でお馬鹿の金髪男子高校生、上村樹と入れ替わってしまい、二度目の高校生活を送っている。
だから私は上村家で樹として生活しているって訳で。
入れ替わった樹はと言うと、カナハミのサクラとしてグループを一躍有名にしてしまった。
「脱・アイドル」なんて言われて、今では芸能界を騒がせる腕利きプロデューサーの一人。
私は友達の相羽トオルと不良の宮脇、そしてサクラとバンドを組んで、ゲリラライブなんかをやっている。
それが今ネットでも話題になっているらしく、新聞にも載ってしまう始末。
頭の中がぐちゃぐちゃで、サクラが人気なのか樹が人気なのかわからない状況。
で、何か忙しかった年も終わり、今日、めでたく新年を迎える事が出来た。
私はベッドの上のスマホを探した。
樹の寝相の悪さは天下一品で、朝起きると寝るまで触っていたスマホを探す事から始める。
今日はマットレスとヘッドボードの間に挟まっていた。
友達のヨースケ、マサ、ヒロ、コウジ、それに樹の彼女気取りの真奈美、桜井遥、その他色々と「あけおめ」メッセージが届いていた。
後でゆっくり返す事にして、私はパジャマを脱ぎ、部屋着に着替えて部屋を出た。
「おはよう」
私はダイニングテーブルに座る家族、と、言っても樹の家族に言う。
「おめでとう」
父は私に微笑みながら言う。
あ、そっか。
今日は「おめでとう」だった。
「明けましておめでとうございます」
私は改まって皆に頭を下げた。
「おめでとう」
母もそう言うと微笑み、
「お餅、幾つ食べる」
と訊いた。
テーブルの上には所狭しと御節料理が並んでいた。
うわぁ…。
手料理の御節料理って何年ぶりだろう…。
私は自分の椅子に座って、お箸を取った。
「だから、お餅、幾つ食べるの…」
母はまた言う。
「ああ、二つ…」
私はそう返事をすると、目の前のお重に入った伊達巻を口に入れた。
「タツキ」
と父はお屠蘇の盃を私に手渡す。
お屠蘇…。
お酒が飲めるじゃん…。
私はその盃を手に取って、父に注いでもらう。
「では、おめでとうございます」
そう言うと一気に飲み干した。
うん。
美味い…。
「もう一杯行くか」
と父が勧めるが、
「ダメよ、タツキは未成年だからね」
と母がそれを止めた。
クソっ…。
邪魔が入った…。
私はお屠蘇の盃を父に返した。
パーカーのポケットに入れたスマホが着信の音を鳴らす。
どうやらメッセージが立て続けに入っている様だった。
「鳴ってるぞ…」
父がお刺身を食べながら言う。
「良いよ。正月だし」
と私もお刺身を皿に取った。
「何、サクラからじゃないの…」
と奏美が私の腕を肘で何度も突く。
私は箸を置いて、ポケットからスマホを出した。
桜井遥からのメッセージだった。
「え、何、お兄ちゃん浮気…」
奏美は横からスマホを覗き込む。
「うるさいよ」
「浮気は良くないわよ…」
母が私の前にお雑煮を出しながら言う。
「そんなんじゃないよ」
私は苦笑しながらメッセージを見た。
「初詣行きませんか」
そんなメッセージだった。
彼女とはお正月に神社でも行こうかと約束していたのを思い出した。
「明けましておめでとう。今、起きて家族と飯食ってるから、午後から行こうか」
と変身した。
「お兄ちゃん、やらしいな…。サクラと言う彼女がありながら別の女と…」
奏美は御節料理を食べながら言った。
「あのな…」
私は奏美にそう言いかけて止めた。
「でも、私、見たんだよ、初夢。お兄ちゃんが家にサクラを連れて来るんだよ。なんか深刻な顔してお父さんとお母さんの前で話してたんだ」
初夢…。
そう言えば私も見た。
何処かのステージでサクラを出せってモノを投げられて、客席に下りて行って、私、暴れてた…。
「聞いてる…、お兄ちゃん」
奏美は続ける。
「あれはきっとサクラと付き合っているって報告をしに来たんじゃないかって思うんだけどな…」
勝手な事を…。
私は苦笑しながら御節料理を食べた。
私はお腹いっぱい御節料理を食べた後、シャワーを浴びて桜井遥と出掛ける準備をした。
リビングに下りると酔っている父を相手に百人一首大会が始まっていた。
「お兄ちゃんもやる…」
奏美が振り返って言うが、
「ごめん、ちょっと出掛けて来るよ」
と言い断った。
そんな私を見て母は立ち上がり、お年玉を出して来た。
「はい。お年玉…。最近お小遣いの前借とかしに来ないけど、大丈夫なの。悪い事とかしてないでしょうね」
樹、あんたどんな生活してたのよ…。
「何、言ってんだよ…。する訳ないだろ…」
私はそう言って玄関で靴を探す。お正月しか履けない様な靴を…。
少し高そうなブーツを見付け、それを履いた。
「じゃあ、行って来るよ…。初詣行く約束してたんだよ」
と母に言うと、母は壁に掛けたキャップを取り、私に被せた。
「気を付けてね…」
私は頷くと家を出た。
何か良いな…。
家族揃ってのお正月。
それを考えると顔が自然と綻ぶ。
駅までの道のりを歩きながら桜井遥にメッセージを入れた。
すると直ぐに返信が帰って来て驚く。
画面を見ると、桜井ではなく、トオルからだった。
「あ、メッセージ返して無かった…」
私は順番にメッセージを開き、返信した。
「あけおめー」
とそれだけを入れて行く。
そしてトオルのメッセージでふと手を止める。
何度もメッセージを送って来ていたようだ。
「あけおめ」に始まり、「何か樹が呼んでるわ」などと言うメッセージも。
「正月ってゆっくりするモノじゃないの…」
私は駅前で、トオルから返事を待つ。
「代々木公園の野外ステージに来いって言ってる」
そんな返信が来た。
え…。
お正月は食べて飲んで寝てが基本じゃないの…。
自然に溜息が漏れる。
「正月は食って飲んで寝てが基本でしょ…」
私はトオルにそう返した。
「タツキ君」
と声がして顔を上げると桜井遥が走って来た。
「よ、サクラ」
そう。
私はこの桜井遥をサクラと呼んでいる。
考えてみると制服以外のサクラを見るのは初めてだった。
「ん…。どうしたの…」
サクラは不思議そうに私を見ている。
「いや、私服姿見るの初めてだなって思って」
サクラはクルリと一周回って見せると、短いスカートが膨らむ。
「着物姿とか期待した…」
何度か着た事あるけど、あれは大変。
私は首を横に振った。
「楽な格好が一番だよ」
私は桜井に微笑む。
「行こうか」
「うん」
私たちは明治神宮に向かう事にした。
凄く混んでいるだろうけど…。
「とにかく野外ステージに集合な」
トオルから強引なメッセージが入る。
私はそのメッセージを読み、
「わかったよ」
とだけ返信した。
明治神宮からならそんなに遠くも無い。
ベースも持ってないし、今日やらされる事も無いだろう…。
サクラと話をしながら、空いた電車に揺られた。
「タツキ君って、本当にカナハミのサクラさんと付き合ってるの…」
サクラは小声でいきなり本題に入った。
私は、即答で、
「まさか…。単なる噂だよ。その方が週刊誌も売れるんだよ」
と答えた。
「でも、よく一緒に居るみたいだし…」
サクラは不安なのだろう。
だけど、どっちも私なんだし、これだけははっきり否定出来る筈。
「一緒にバンドやったりとかしてるのは事実だけど、それだけだよ」
そう。
本当にそれだけ。
私には樹に対しての恋愛感情なんて一ミリも無い。
樹も…。
もしかして、樹は私が好きなのだろうか…。
私は車窓から流れる風景を見て考えた。
コートのポケットに手を入れると、家を出る時に母がくれたお年玉が入っていた。
「あ、お年玉だ」
サクラは袖で口元を隠して笑った。
私はその袋を開けた。
一万円札が三つ折りにされて入っている。
「お、一万円だ…ラッキー」
私は少し大袈裟にサクラに見せて言った。
「後でなんか奢るよ。何が食べたい…」
「じゃあ、イカ焼き」
私は微笑みながらサクラとの会話を楽しんだ。
東京を代表する神社は流石に人出が多い。
全国一を誇る初詣のメッカは伊達じゃない。
私はサクラと逸れない様に手を繋いで神社に入る。
人波に押されて直ぐに引き離されそうになるのを避けながら境内へと進んで行く。
やっとお賽銭を入れたのは鳥居を潜ってから一時間後。
それだけで疲れてしまった。
「慣れない事するんじゃないな…」
私はサクラと約束のイカ焼きを食べながら言った。
「凄いよね…。私も毎年、家族と近所の神社に行くだけだから、こんなの初めて…」
サクラは美味しそうにイカ焼きを食べていた。
ポケットでスマホが鳴っているのに気付く。
私がスマホを取り出すと、画面にはトオルと宮脇の名前が交互に表示されていた。
ったく…。
私はスマホの画面を開く。
「俺たちはもう着いてるぞ」
「早く来い」
「連絡しろ」
「メッセージ見ろ」
とスマホから煙が出そうな程のメッセージだった。
「どうしたの…」
とサクラが私を見ている。
出来れば今日はサクラと一日過ごしてやりたかったな…。
私はサクラに微笑んだ。
「ちょっと行かなきゃいけない所あるんだけど…」
サクラはイカ焼きを食べながら、口の周りに付いたタレを気にしていた。
「あ、一緒に行っていい所なら行きたい」
そう言う。
そうか…。
一緒に行けない所ではないな…。
私はサクラに微笑んで頷いた。
神社を出て、記憶にある野外ステージの方へと歩いた。
人波とは逆の方向なので、直ぐに着いた。
「着いたぞ」
と私はトオルと宮脇にメッセージを入れた。
すると直ぐにトオルから電話が掛かって来た。
「はい」
私は極力、不機嫌な返事をした。
「何処に居るんだよ」
トオルは少し慌てている様子だった。
「ああ、入口に居るよ」
そう言うと、直ぐに中に居るトオルの姿が見えた。
私は手を振ってスマホを切った。
「遅せぇよ」
とトオルは言うが、何が何だかわからない私は、
「何をやるんだよ。説明しろよ」
と返す。
「中で話すから、とりあえず来い」
と言い、私の横に立つサクラを見た。
「この子は…」
「あ、桜井遥です」
と言って頭を下げた。
「俺、トオル。タツキの友達です」
と簡単に挨拶した。
「とりあえず、二人とも来て…」
そう言うと会場の中に走った。
倉庫の様な控室で、トオルの話を聞いた。
どうやら少し前にゲスト参加させてもらったバンド、ドリーミングキャットのメンバーが揃って食中毒になったらしく、その穴埋めを樹、所謂、水島桜子が頼まれたらしい。
しかし、その肝心の樹はまだ到着していないと言う。
「サクラ不在で俺たちだけでやるのかよ…」
と私は言った。
「それにベースなんて持って来て無いぞ」
「そうだろうと思って、店にあったウッドベースを運んでもらった」
確かにコントラバスが壁に立掛けてあった。
「その内来るだろうから、それまで繋ぐ」
トオルはギターを手に取りストラップを掛けた。
それと同時に宮脇も立ち上がる。
「待てって…」
私は二人を止めた。
「何だよ…。もうすぐ出番なんだよ…。二組も抜けてるんだからよ…」
歓声が外から聞こえる。
私は怖かった。
樹が居れば何とかなるとは思った。
その樹も到着していない。
そのまま来なければ、私たちは…。
これって、今朝見た初夢のままじゃないの…。
私は少し考えた。
絶対に状況は良くない。
「タツキ、お前が歌え…。何とかそれで繋ごう」
ウッドベースを弾きながら歌うの…。
「ちょっと待ってくれって…。ウッドベース弾きながらなんて歌えるのか…」
すると端の方に座ってたサクラが口を開いた。
「あの…」
私たちは全員でサクラを見た。
「キーボードとかあるなら、私、弾きましょうか…。キーボードならベースラインも追えるし…」
え…。
「弾けるの…」
私は桜井遥の肩に手をやった。
サクラはコクリと頷いた。
「一応、ピアノは全国第二位です…」
その声に私はトオルと宮脇を見た。
二人も強く頷いた。
「そろそろお願いします」
とスタッフが控室の外から言った。
「正月ってのは飲んで食って寝て…そんなモンじゃないのかよ…」
私は自棄になってコントラバスを抱えた。
私たちの前のバンドが歌い終え、ステージから去った。
それと同時に客席から「サクラ」コールが聞こえ出した。
事態は最悪だった。
多分一万人近い客は、サクラを見に来たのだろう。
そのサクラはまだ到着していない。
「やばくないか…」
私の横で宮脇が言う。
「行くしかないんだろ…。あの野郎、自分で招集しといて何遅れてやがるんだよ…」
私は桜井遥を連れてステージへと出て行った。
その後ろから、トオルと宮脇が出て来た。
客席から歓声が上がった。
しかし、その歓声は私たちへの歓声では無い。
水島桜子への歓声なのだ。
私の前に立つ桜井遥は私の方を向いて微笑んだ。
私はそれに頷いて、宮脇に目で合図を送った。
宮脇がスネアを叩き始める。
それに続きトオルのギターが聞こえた。
トオルは少し長めにイントロを弾くと言っていた。
上手く桜井遥がキーボードを重ねて来た。
良い。
このままいける…。
私はウッドベースの弦を弾いた。
やけに観客の目が今日は見える。
その目はサクラの登場を待っている事がわかった。
私はステージの端の方でウッドベースを弾きながら一曲目を歌う。
少し派手目な曲で会場を盛り上げた。
先日もやった曲だったが、ウッドベースでやるのは初めてで、しかも歌いながら…。
曲が終わり、音が止むと、会場がざわつき始めた。
「サクラは出ないのかよ」
「サクラの歌を聴きに来てるんだよ」
「サクラを出せよ」
そんな野次が聞こえ始めた。
まずい…。
これじゃ初夢で見たまんまだ…。
私はウッドベースの弦を弾いた。
オーディナリーデイズ。
サクラたち、カナハミの代表曲だった。
音を拾い、宮脇がドラムを叩き始めると、トオルもギターを鳴らした。
桜井遥は少し遅れてキーボードで主旋律を弾き始めた。
会場からはサクラコールが聞こえる。
そしてその声はどんどん大きくなって行った。
樹…。
早く来て…。
イントロが終わる。
私は歌を歌おうとスタンドマイクに口を近付けた、その時だった。
サクラの声が何処からともなく聴こえ始める。
来たか…。
私はマイクから身を引いてベースの弦を弾き続ける。
会場からは大歓声が聞こえるが、サクラの姿が見えない事にざわつく。
同時にサクラコールは鳴りやまない。
何処に居るのよ…。
樹…。
すると観客の後ろの方が大きく割れていくのが見えた。
そこにはマイクを持った樹、水島桜子が立っていた。
あの野郎…。
後でぶん殴ってやるから…。
サクラコールは徐々に止み、その客席の中央を大きく割った。
樹は歌いながらその中央を歩きステージへと向かって来る。
私は樹の歌に合わせてハモりを入れた。
この歌は私の方が上手く歌えるんだから…。
ステージの脇の階段を上がって来る樹。
「皆、遅れてごめん」
樹は客席に向かって叫ぶ様に言った。
その声に客席は大歓声を上げた。
樹はマイクをスタンドに立てて、深く頭を下げた。
そして、音を止める様に私たちに合図を送った。
その合図で私たちは音をフェイドアウトした。
樹はキャップを取り、長い髪を掻き上げた。
そしてアカペラでオーディナリーデイズのサビの部分をバラード調に歌い始める。
樹の息遣いをマイクが拾う。
その音に客席には静寂が広がった。
「タツキ」
樹は大声で私を呼んだ。
それを合図に宮脇のドラムが鳴り始める。
トオルのギター、そして桜井遥のキーボードも。
私は樹と一緒にオーディナリーデイズを歌った。
客席の歓声はさっきとは違い、敵意はまったくなく、私たち全員を迎え入れた歓声だった。
「お前、いい加減にしろよ」
私は樹に言う。
「一時はどうなる事かと思ったぞ」
樹は舌を出して、
「ごめんごめん。本当に大渋滞でさ」
重ねて文句を言おうとした私の肩にトオルが手を置いた。
「まあ、良いじゃねぇか。とりあえずドリキャの穴埋めは出来たんだからさ」
私は言葉を飲み込んだ。
樹は部屋の隅に立つ桜井遥に視線をやった。
「この子は…」
と樹は指を差した。
「今日のスーパーヘルプだよ」
宮脇はスティックをケースに入れながら言った。
「上村の彼女だろ…」
私は宮脇の方を向き、
「そんなんじゃないよ」
と大声で言った。
「ふぅん…タツキの彼女か…」
と樹は桜井遥の前に立つ。
「よろしくね」
と手を差し出した。
「あ、よろしくお願いします」
と桜井遥は握手をして小さな声で言った。
「パワフルなキーボードだったのに、声は小さいわね…」
樹はそう言うと桜井遥に抱き着いた。
「今日はありがとう」
「あ、いえ…」
桜井遥は緊張していたのか、更に小さな声でそう言った。
「さあ、今日は焼き肉奢るわ…。事務所のお金で」
樹は大声で言った。
「やったぜ…。正月から焼き肉って、いい年になりそうだ」
宮脇が嬉しそうに言う。
「俺はパス…」
私はそう言って、ウッドベースのケースを閉じた。
「え、何で…」
樹は怪訝な表情で言った。
「あんたが来なきゃ、彼女が来辛いでしょ…」
「正月は家でゴロゴロして、食って飲んで寝て…。そんなモンなんだよ…」
私の言葉に、樹は目を丸くしていた。
極力樹らしい発言をしたつもりだった。
だけどそれが樹には不満だったらしい。
「俺も楽器、店に戻したいからパスするわ…」
トオルがギターを背負って言った。
「皆、揃わないんだったら、今度にしようか…」
つまらなそうに樹は言った。
正月なんだから、それで良いんだよ…。
私は不服そうな樹を見て苦笑した。
私たちは楽器をカナハミの事務所の車に積み込んだ。
「お前のせいで、飛んだ元旦になったぜ」
私は樹の被るキャップを取り自分で被った。
先日、樹が持って帰った父のキャップだった。
「あ、ごめん。それ持って帰っちゃってたね」
「今度サングラスも持って来いよ」
樹に言うと頷いていた。
「あの…」
私の後ろから桜井遥が樹に声を掛けた。
「どうしたの」
桜井遥はじっと樹を見て言った。
「あの…」
サクラは微笑みながら、桜井遥の顔を覗き込む様に見た。
「何…」
「サクラさんってタツキ君と付き合ってるんですか」
そう言った。
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