第9話 ドント レット ミー ダウン
大晦日。
なんか家の中が慌ただしく感じて、私は部屋を出た。
一階に下りると母がお節料理を作っていて、食卓いっぱいに食材が並んでいた。
「あら、おはよう」
と母は私を見て言う。
リビングでは妹の奏美がテレビを見ていた。
「あ、お兄ちゃん、おはよう」
と私を見て奏美が言う。
「早く着替えちゃいなさい」
と母は煮物の味を見ながら言った。
「うん」
とだけ返事をして顔を洗った。
鏡を見ると寝癖の付いた金髪が逆立っている。
それを冷たい水で濡らして整えた。
「お父さんは…」
と母に訊くと、
「車を洗うって出て行ったよ。それより朝ごはん食べる…」
と訊かれて、「うん」とだけ返事をした。
部屋に戻り着替えると、机の上に置いていたスマホを見た。
流石に大晦日に連絡してくる人はいない…、え…。
私のスマホの画面には恐ろしい数のメッセージと電話の着信が表示されていた。
その数六十二件。
「六十…二件…」
私はベッドに座り、そのスマホを開いた。
昨日、ドリーミングキャットのライブにゲスト参加して、深夜に帰って来たのは覚えていたけど、その後お風呂に入って直ぐに寝た。
正直緊張もしたし、慣れないライブで疲れてた事もあった。
でも寝る前には一件もメッセージは入っていなかった。
「タツキ、お前、どーなってんだ」
「タツキ、生きてるか。なんかえらい事になってないか」
「タツキ、お前、芸能人になっちまったのか」
とユースケたちからのメッセージ。
「起きたら連絡して」
とトオルから。
しかも、「まだ寝てるのか」「早く起きろ」などと被せてメッセージを送って来ている。
宮脇からも入っていた。
「アランに行くから、お前も来てくれ」
極めつけが水島桜子、樹からのメッセージ。
「アラン集合」
説明不足。
コイツは本当にどうしようも無い。
私、上村樹、私立高校の二年生。
だけど、中身はアイドルグループ「カナリアンハミング」のサクラこと、水島桜子。ひょんな事から不良で金髪でお馬鹿な男子高校生の上村樹と入れ替わってしまった。
私は二度目の高校生活を不良男子高校生として送っている。
そして樹は私としてアイドルに。
それだけじゃない、一夜にしてそのアイドルのイメージを変えて、「脱アイドル」なんて言われ、物凄い人気者になってしまった。
しかも、カナハミの枠を超えて、私や友達のトオル、宮脇と一緒にバンドを組み、昨日は先輩バンドのドリーミングキャットのライブにゲスト参加までした。
大晦日は家でゆっくりが基本でしょう…。
私はスマホを持ったままベッドに横になった。
手に持ったスマホが振動する。
もう、誰よ…。
画面には水島桜子と表示されていた。
樹か…。
私は電話に出た。
「はい」
「まだ寝てるの」
少し声を荒げた樹は、私の声で話しかける。
まあ、相手にしてみれば樹の声を聞いている事になるんだけど。
「いや、さっき起きた」
「もう、お昼だよ。私たちも今から行くから、早く来てね」
樹は電話を切った。
私は切れた電話に、
「はいはい…」
と言い、身体を起こした。
ん…。
今、私たちって言った…。
しかも、私相手に完全に女の口調で話をしていたという事は誰か一緒って事か。
「今度は何をやる気だ…。水島桜子…」
私はそう呟いて、部屋の隅に立掛けたベースを取り部屋を出た。
「あら、出掛けるの」
と料理中の母が言う。
その声に奏美も振り返り、私の傍まで来た。
「お兄ちゃん。サクラに会うの。良いなぁ、私も会いたい。今度、家に連れて来てよ」
と無茶な事を言っている。
私は顔を引き攣らせながら、
「また今度な」
とだけ言った。
実はずっと居るんだけどね…。
此処に。
「ご飯、どうするの…」
と母は言う。
「コンビニで肉まんでも食べるから良いや」
私は玄関へと向かった。
すると玄関のドアが開き、父が顔を出した。
「おお、どっか行くのか」
私は頷いて、靴を履く。
「駅まで送ってやろうか。車ピカピカにして来たから」
父は嬉しそうに微笑んでいる。
私は少し考えて、駅まで送ってもらう事にした。
この家に来て父の車に乗るのは初めてかもしれない。
後部座席にベースを放り込む。
するとそこに父のキャップが置いてあるのが見えた。
「お前も有名人なんだからよ、少しは変装っぽい事しろよ」
とトオルに言われたのを思い出し、その黒いキャップを手に取った。
「これ、借りて良い」
私が訊くと、父は頷いた。
助手席に乗り込むと父はグローブボックスからサングラスを出した。
「これもいるだろ…」
私はサングラスを受け取るとそれを掛けた。
「今朝の新聞にも載ってたぞ」
と父はスポーツ新聞を私に渡す。
「サクラ、お忍びライブ大盛況」
と昨日のライブの写真が載っていた。
そしてその写真には私、樹の歌う姿が映っていた。
父の車はガレージを出て走り出した。
「お前、このまま音楽やるのか…」
父は私をチラチラと見ながら訊いた。
私は慣れないサングラスを気にしながら、
「そんなのわかんないよ…」
と返事をした。
わからない。
どうなるのかも…。
樹の快進撃も怖いくらいだけど、これってずっと続くモノでも無い気がするし…。
「まあ、若いうちはやりたい事を思いっ切りやれ」
父はニコニコと笑っていた。
歩いて十分程の距離、車だとあっという間に着いてしまう。
私はドアを開けて後部座席のベースを取った。
「ありがとう。助かったよ」
と父に言う。
「金、あるのか」
と父は財布を出そうとする。
「うん。大丈夫だよ。ありがとう」
と、言いドアを閉めた。
父は微笑み、車を走らせた。
その車を見送り、私はコンビニに入った。
考えてみると昨日の夜から何も食べていない。
私は缶コーヒーと肉まんを買ってコンビニを出た。
そしていつもの様にコンビニの外で肉まんにカラシを塗って大口を開けてかぶり付く。
こうやって食べる肉まんがこんなに美味しいなんて知らなかった。
男になってからの大発見だった。
食べ終えると電車に乗り、アランへ急ぐ。
電車の中で缶コーヒーを飲むと、ようやく一息吐いた気分になった。
電車の中を見渡すと、正月の買い物をした人が大勢乗っていた。
そうだな…。
もうお正月だもんね…。
今年のお正月は、ショッピングモールの特設ステージで一曲歌うために、朝早くから電車で移動したのを思い出した。
寒い特設ステージで、無意味に短いスカートの衣裳を着て歌った記憶がある。
誰も私たちの歌なんで聴いてない。
そんな光景を見ながら歌うって虚しいモノがあった。
コートのポケットでスマホが震える。
桜井遥からのメッセージだった。
冬休みに入ってから一度も会っていない。
「タツキ君。なんか凄い事になってるね。遠い人になっちゃった感じだよ」
と書いてあった。
私はそのメッセージに返信をしようとして、止めた。
今の状況を自分でも把握できていない。
そんな状況で適当な事も言えない気がした。
多分、サクラ、この場合、桜井遥だけど、寂しい思いをしているのだろう。
私はもう一度そのメッセージに返信する事にした。
「ごめんね。自分でもよくわからない状況になってるんだ。正月に一緒に神社にでも行こうか」
そう書いて返信した。
すると直ぐに返信が来る。
「うん。連絡待ってるねー」
と可愛い笑顔のアイコンが付いて返って来た。
私は駅を降りてアランへと急ぐ。
路地を曲がるとアランが見えるのだけど、そのアランの前に人だかりが見えた。
なんだろ…。
私はゆっくりとアランに近付いた。
すると店の前でマスターとトオルがその人だかりに向かって、話をしているのが見えた。
とても店に入れる状況では無さそうだった。
「困ります。うちはそう言うのお断りしていますので」
とマスターの声が聞こえた。
よく見るとマイクを構えた人やカメラを持った人が大勢居るのが見える。
私はその人だかりの後ろに立った。
仕方ない…。
私は溜息を吐くと、
「おい、邪魔だよ。どけよ」
とその人だかりに向かって大声で言った。
その全員が私の方を向いた。
「あ、タツキ君ですよね」
と一人の男がこっちにマイクを向けた。
私はそのマイクを手で払い除けて、
「威力業務妨害。刑法第二百三十四条、三年以下の懲役、または五十万円以下の罰金」
私はそう言った。
そしてマイクを向けた男に微笑み、
「知ってますか」
と訊いた。
正直内容なんて知らないけど、何かのドラマでそう言ってたのを覚えていた。
「お店の人困ってるじゃないですか。皆さんが此処に居ると、お客さん入れないですよね」
私はその人だかりを割って店の入口に立った。
「このお店は音楽が好きな人が集まるお店なんです。それを妨害する権利って皆さんにありますか…」
私はドアを開けて、マスターとトオルを店の中に入れてドアを閉めた。
そして大きく息を吐いた。
「何なんだよ…」
私が呟くとマスターとトオルは私を見て笑っていた。
店内を見るとカウンターに樹が座っていて微笑みながら私に手を振った。
そして樹の横にはカナハミのメンバー、リョウ、ミカコ、サチコが並んでいる。
思わず声を上げそうになるのを堪えて、私は樹の横に座った。
「一緒だったのね」
私は小声で樹に訊いた。
「どうしてもあんたに会いたいって言うから連れて来た」
私は、樹の向こうに座る懐かしいカナハミの三人に微笑む。
「あ、今日はわざわざすみませんね」
と私は立ち上がって、三人の傍に立った。
「改めまして、上村樹です」
と言って三人と握手した。
これじゃどっちが芸能人なのかわからない。
ん…。
彼女たちが来てるからマスコミが…。
ふと、ステージを見ると、そこに座ってギターを弾く男が居た。
あれは確か…。
私はその男をじっと見つめた。
すると、トオルが傍に来た。
「シアンズマゼンダの百井レンジだよ」
私は思い出した。
あまりテレビで見る事は無いけど、人気ロックバンドのギターとボーカルの人。
最近では自分たちの活動に合わせて、若手のプロデュースもやっている人。
「マスコミのターゲットはこっちか…」
私はトオルに訊いた。
トオルはコクリと頷いた。
そしてトオルは私に雑誌を渡した。
そこには、
「シアンズマゼンダのレンジ、バンド脱退を示唆」
と見出しがあった。
私はトオルにその雑誌を返した。
そして、椅子に座るレンジさんの傍に歩いた。
周囲が緊張しているのが伝わった。
別に何かしようと思ってる訳じゃないんだけど。
レンジさんはゆっくりと顔を上げて私を見た。
「やあ、今話題のタツキ君だろ」
レンジさんは私にそう言う。
私はコクリと頷いた。
するとトイレから宮脇が出て来た。
「昨日の緊張で腹壊しちゃったよ」
宮脇は、私とレンジさんを見て言葉を飲み込む。
「どうした…」
宮脇はトオルに訊いていた。
「一曲やりませんか…」
私はベースをケースから出した。
「トオル、宮脇…。サクラたちも…」
私は皆を呼んだ。
「お、おう…」
宮脇はドラムの前に座った。
そしてトオルもステージに上がりギターを持った。
私は楽譜を棚から探し、一つを選んだ。
私は演奏を始めた。
宮脇も叩き始めた。
周囲に音が溢れて来る中で、レンジさんは微笑み、立ち上がった。
奥の席に居た、お客さんが一斉にこっちを向く。
ベースとドラムのリズムに旋律が重なって行き、この心地良いレイヤーに樹がキーボードの音色を重ね始めた。
カナハミの三人が体を揺らしコーラスの声を出し始める。
そしてセンターに立てたマイクの前に、レンジさんがギターを持ったまま立った。
そしてその曲のメロディを弾き始めた。
アレンジした長いイントロだった。
レンジさんの音を拾いながら、それに皆で合わせて行く。
樹は静かに鍵盤を叩き、リョウたちもそれ聞きながらうまくコーラスを入れる。
これは私がカラオケで歌う事を知っているメンバーだから出来る事かもしれない。
レンジさんはマイクに近付き、声を発した。
シアンズマゼンダの楽曲とは違い、しっとりと染み行く声だった。
いきなりサビから始まる曲。
そのサビを力強く、だけどしっとりと歌う。
この人は本物だ。
私はそう感じながら演奏を続ける。
トオルのアレンジは曲の古さを感じさせないモノになっている。
この辺りのトオルは凄い。
そして宮脇のドラムも印象に残るドラムだった。
胸に閉じた 君はヴィーナス
私は目を閉じた。
レンジさんの染み入る声が心地良い。
自然にベースラインにもアレンジが入る。
最後の大サビ。
何度もサビの歌詞を繰り返す。
レンジさんの力強い声が、痛い程に響く。
楽譜は此処で終わる筈だった。
しかし、そこでトオルはギターのソロでアドリブを入れる。
それをわかっていたかの様に樹のキーボードも被せて行く。レンジさんはそんな二人に視線をやると、少し苦笑して、更にサビの歌詞を重ねて行く。
私はそれを見て、微笑みながらベースラインを追った。
レンジさんは笑顔で、またサビを歌う。
そう。
こうやって楽しむ事に音楽は意味を成す。
私は今日もそれを感じた。
最後の歌詞。
全員が一斉に音を止めた。
レンジさんの声だけで奏でるメロディ。
それがそこに居た皆に聴こえていたと思う。
切なく響く最後の言葉は、いつまでもリフレインしている様だった。
レンジさんは歌い終えると、マイクが拾う程の息を吐いた。
それを合図に客席から拍手が起こり、その拍手は次第に大きくなっていった。
リョウ、ミカコ、サチコも、勿論、樹もレンジさんに拍手を贈っていた。
レンジさんは私の方を見て微笑むと手を差し出して来た。
「タツキ君。ありがとう」
レンジさんは私の耳元でそう言った。
レンジさんはギターを置くと、私と樹、水島桜子の間に座った。
「こんなに楽しみながら歌ったのは久しぶりだったよ」
そう言うとマスターが淹れたコーヒーを飲んだ。
そしてタバコをポケットから出すと、私と樹にそれを見せて、
「吸っていいか…」
と訊く。
私たちは頷いた。
「君たちは若いのに、良くこんな曲知ってるな…」
とレンジさんは煙を吐きながら言った。
「レンジ君も若いじゃないか…」
マスターは老眼鏡をずらして笑っていた。
「まあ、そうですけど…」
私は、レンジさんに、
「シアンズマゼンダ…。辞めるんですか」
と訊いた。
レンジさんから、後ろ向きの言葉を聞きたくなかった。
レンジさんは微笑むと小さく頷く。
「辞めると言うより…。卒業かな…」
「卒業…」
樹は呟く。
「俺があのバンドでやりたい事は、全部やった様な気がするんだ。もう彼らと一緒にやりたい事は無い」
レンジさんは私と樹に優しい笑顔を見せた。
「それに、さっきわかった」
そう言ってさっきまで立っていたステージを見た。
「もっと自由な音楽をやりたい」
「自由…ですか…」
レンジさんは頷く。
「彼らといると、らしくない音楽は勿論出来ない…。イメージってモンがあるしね。多分、ファンの人達もそんなの聴きたくないだろうし」
レンジさんはタバコの煙を細く吐いた。
「君たちは好きな曲を好きな様に歌ってる。そしてその曲がちゃんと君たちのファンに届いてるんだ。心が震える程にね」
レンジさんは私の肩を叩いた。
「残念だけど、俺にはあのバンドではそんな曲がやれるとは思えなくてさ…」
レンジさんは窓の外を見ていた。
数人のマスコミが残っていたが大半は撤収した様だった。
「やりたいんだよ。俺も…。好きな曲を好きな様に…。そして、また誰かの心に響かせたい。そんな事はどんな大きなホールでやろうが、毎日テレビで流れようが出来るモノじゃない。もし、俺が出来ないとしても、それが出来る奴らにその意思を継いでもらいたいと思う」
レンジさんは笑っていた。
店に入った時に見た暗い表情のレンジさんはもう、そこには居なかった。
レンジさんは立ち上がり、首を鳴らした。
「さあ、最後のシアンズマゼンダでの仕事、してくるかな…」
と言う。
シアンズマゼンダは今日の紅白歌合戦にも出場する予定になっていた。
「俺の卒業式だ。シーズンには少し早いけどな」
レンジさんは私の肩を叩き、レジでマスターにお金を払うと出て行った。
「卒業式か…」
後ろ向きな脱退でなくて良かった。
私は温くなったコーヒーを飲んだ。
「サクラってこんな気持ち良い事してたの」
と樹にミカコが言う。
その声に私が答えそうになるのを抑えた。
「気持ち良いでしょ」
樹の言葉にミカコだけじゃなく、リョウもサチコも頷く。
私はそんな会話を聞きながら微笑む。
「おい、タツキ」
私の前に立ち、トオルが呼んだ。
そして私のキャップとサングラスを取った。
「いつまで変装してるんだよ」
忘れていた。父のキャップとサングラス。
「余計に怪しいよ」
トオルは笑っていた。
「ねえ、せっかくだからさ、もう一曲やらない」
と樹が言う。
「いいね、やろうやろう」
とリョウが立ち上がった。
「何やるの」
「何にする」
とミカコとサチコが騒いている。
「せっかくカナハミが揃ってるんだからさ、アレじゃない」
カウンターの中からトオルが言った。
すると四人は顔を見合わせて、お互いを指差しながら声を揃えて言った。
「オーディナリーデイズ」
嬉しそうに四人が笑っているのを見て、私は懐かしくなった。
「ただやるのも面白くないから…」
樹は立ち上がって、私の前に置いてあった父のキャップを被りサングラスを掛けた。
「私がベース弾くから、タツキ歌いなよ」
え、何言ってるの…。
トオルはニヤニヤ笑いながら、
「良いね、タツキ、歌え。何なら衣裳も準備しようか」
と言った。
何言ってるのよ…。
「そうと決まれば…」
カウンターの端にいた宮脇はドラムの前に座った。
そしてトオルのカウンターから出て来る。
樹は私のベース…、樹のベースなんだけど…、それを手に取った。
「知らねえぞ…。どうなっても」
私はリョウたちと一緒にステージに上がった。
「男性ボーカルのオーディナリーデイズも悪くないね」
リョウは振り返って私に言う。
私はあの後、サクラのパートを完璧に樹として歌った。
そりゃ完璧な筈、元々私が歌ってたパートだし。
私たちはトオルと宮脇を残してアランを出て駅まで歩いていた。
大晦日の空はやっぱり曇っていた。
私は立ち止まり街のビルの隙間に見える空を見た。
「明日は雪かもしれないって言ってたよ」
と私の傍で樹が言う。
リョウとミカコ、サチコの三人はキャッキャッとはしゃぎながら歩いている。
「正月は忙しいの」
私は樹に訊いた。
「伊山部長に休ませろって言って三日まで休み」
伊山部長とはカナハミの所属事務所の部長で、私たちのマネージャーでもある。
私は苦笑して、
「伊山部長の弱みでも握ってるのか」
と訊いた。
樹はクスクスと笑い、
「それは内緒」
と言う。
「奏美が会いたがってたぞ」
樹は頷。
「俺も会「奏美が会いたがってたのはサクラにだよ」
「あ、そうか…」
と言うと樹は笑った。
「じゃあ今から行こうか。交際宣言とかしちゃう…」
「馬鹿」
私は樹の頭を叩いた。
駅に着いて、私たちは柱の陰に立った。
「今年はお世話になりました」
と樹が私に言った。
すると他の三人も私に頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそ…」
と私も頭を下げた。
「来年はもっともっとお世話になると思うので、よろしくお願いします」
と樹は言う。
私はその言葉に笑うと、
「心臓に悪い事はなるべく控えて欲しいけどな」
と言った。
リョウたちはそれに声を上げて笑っていた。
「そりゃ無理だよ。サクラプロデューサーって滅茶苦茶だもんね」
「そうよ、歌う曲なんて当日にならないと教えてくれないし」
「それでどれだけバンドの人たち怒らせたか」
私は苦笑した。
「そうなのか…」
樹は笑っていた。
「まあ、私たちの相手してくれるバンド居なくなったら、その時は樹たちに頼もうよ」
樹はそう言うと笑いながら歩き出した。
おいおい、勘弁してよ…。
私は彼女たちの背中を見て苦笑した。
すると全員で振り返った。
「では良いお年を」
四人は声を揃えてそう言うと深く頭を下げた。
それを周囲に居た人たちは避けながらじっと見ていた。
私は一瞬呆れたが、微笑んで、
「良いお年を」
と返した。
今度はどんな試練が待っているのだろうか…。
私はそんな事を考えながら電車に乗った。
そして、ふと気付く。
父のキャップとサングラス。
樹に返してもらうのを忘れた事を。
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