第3話 【Side レオナルド】消えた魔力

 ここは、夏の領地エスティバル領。王都から南にあり、海に面している領地だ。


 領主館は、海の近くの小高い丘の上にあり、茫洋たる青海原が広がる。天気の良い日は、昼は太陽の光でキラキラと宝石が散りばめられたかのように、夜は月の光が銀波を漂わせている。とても綺麗な場所だ。


 気温は常に30℃から32℃だが、天候は変わりやすい。晴天だと油断していると、突然、風や雷とともに大雨を短時間で降らせることもある。だが、しとしとと長雨を降らすことはない。


 そして、その大雨も時には川を氾濫させ、海では波が船を飲み込み、領民たちを悩ますことがある。だからといって、その雨が無いと水不足が起こり、また悩みの種となるのだが、そこは幾つかの対策も考えてはいる。


 俺は、父親より魔力量が多くなったため、役目の世代交代、精霊と契約し、領地の『祈りをする者』として、ここで祈りをすることになった。そして、祈りをしながら感じていた。

 春の領地、プランタニエ領で祈りをしているクロエの魔力が段々と弱くなっていくことに――。


 なぜ、そんなことになっているのか分からなかったが、その影響でか最近、エスティバル領に異変が起こっていた。


 普段は、一度の『祈り』をすると、1週間ほどは安定しているのだが、近頃は毎日祈りをしているにも関わらず、気温が徐々に下がり涼しい。30℃を超えない日もあり、祈りをしないと一気に25℃を下回り、長時間に渡り日の光が届かなくなるほど、厚い雲に覆われることがある。


 祈りをする者の四人にうちの一人でも魔力が弱まり、祈りの全体のバランスが崩れると、ここまで異常気象が起きるとは、思いもしなかった。


 不安定になりつつあるこの領地を『祈りをする者』として役目を中断し、この場を離れ、クロエに会いに行くことも出来なかった。

 領地を離れれば、一気に気候に変化が起きる。離れるわけにはいかない。


 クロエの存在を気にかけていたが、ある日突然、まったく魔力が感じなくなった。そしてその直後から、クロエの弟――リュカの魔力が感じられるようになる。

 

「ソフィア! どこにいる!」


 ソフィアの執務室をノックなしで扉を開けた。


「ここにいるわよ。騒々しい。ノックなしで扉を開けるなんて、マナーが出来ていないわよ」


 俺には姉妹が3人いる。上の姉がソフィアで2番目の姉がマルティーナ、そして妹がサーラ。

 ソフィアはソファに座って紅茶を飲みながら、ゆったりと読書をしていた。

 

「頼みがある、祈りを代わってくれ」

「はぁ? なに寝ぼけたことを言っているの? そんな事出来るわけないでしょ。今の気候で私の魔力じゃ、とても……」


 確かに、ソフィアやマルティーナは俺より魔力が少ない。だから、俺が精霊と契約している。でも、3姉妹でなら――。


「そんなの分かっている! マルティーナとサーラにも手伝ってもらう。3人いれば何とかなるだろう?」


 ソフィアはカップをソーサーに戻して、呆れた声で言った。


「ちょっと、マルティーナはともかく、サーラは4歳になったばかり。無茶よ。精霊と契約していないのに、こんな状態の領地の祈りをしたら、体にかかる負担は大きすぎるわ。一体、どうしたのよ?」

「……プランタニエ領のクロエ嬢の魔力が消えた」


 動揺が隠せない俺の態度をみて、ソフィアは目を見開いた。


「え? まさか……本当に? ……あら、本当だわ。リュカ様の魔力しか感じないわね。これは……リュカ様がクロエ様の代わりに祈りをしている感じだわ。でも、精霊と契約を交わしたわけでもないようね」


 ソフィアは立ち上がり窓際まで行き、母親と同じ色のローズピンクの瞳を閉じ魔力を感じ取っている。サラリと伸びたシルバーブロンドの髪が微かに揺れる。

 

「でも、このままだとリュカ様の魔力がいつまで持つのかしら?」

「様子を見にプランタニエ領まで行きたい! 代わってくれ!」

「だから、寝ぼけたこと言わないで。この状況で無理よ。この領地で一番の魔力持ちで、精霊と契約している貴方が祈りをして、なんとか維持できているのよ。今、レオがここから離れたらどうなると思っているの?」

「数日ならどうにかならないか?」

「……無理よ。せめて、サーラが私ぐらいの魔力量がないと」

「やはり、無理か……」

「でも……何か変ね。今まで弱くても感じ取れたクロエ様の魔力が、パタリと感じなくなるなんて……何かあったのかしら? 心配だわ……それでもレオ、今は領地を離れるのはダメよ」


 ソフィアに念を押され、俺は両手の拳を力強く握りこんだ。

 クロエや、リアム、エマとは小さい頃から一緒に遊んだ仲だ。クロエはいつも花が綻ぶようにふんわりと笑顔がこぼれていた。あの笑顔が大好きだった。


 しかし、彼女の両親が亡くなってからは、『祈りをする者』として忙しく、遊ぶ暇もなく、あの笑顔も見れなくなった。それでも俺にとってクロエは初恋で恋焦がれる大切な人だ。


 あの笑顔をもう一度見たい、そのためなら何だってしたい。そしてこの想いも伝えたい――。

 だが、『祈りをする者』どうしが、婚姻を結んで一緒になることが出来ない。『祈りをする者』が領地で一番の魔力持ちが精霊と契約して祈りをすること――これが、古来からの決まり事だ。この決り事は、精霊が力を貸してくれる条件だったらしい。そんな事は頭で理解している。


 だが、クロエがどうなっているのか、確認しに行くこともできないのか――。

 無事でいるのかもわからない。跡形もなくクロエの魔力を全く感じない。自分の心臓がドクドクと嫌な音を立てているのが分かる。


 居ても立ってもいられない、地に足がつかない、そんな状態が何日も続く。気がおかしくなりそうで、こんな状態で祈りに集中出来るわけがない。どうか無事でいてほしい。

 苛立つ毎日が続いた、そんなある日。


「ねぇ、お兄様。サーラも一緒にお祈りをしてもいいですか?」


 不安定な精神状態で祈りをしていると、いつの間にか幼いサーラが横にちょこんと立っている。コバルトブルーのワンピースに黄色の糸でひまわりの刺繍がされている。これは、サーラのお気に入りのドレスだ。


「サーラもお兄様のお手伝いしたいです」


 俺と同じ群青色の瞳で可愛らしくおねだりしてくる。

 突然、「手伝いたい」という言葉にびっくりしたが、最近、祈りの役目でサーラに構ってやれなかったのが、気になっていた所だった。

 

「そうか、手伝ってくれるか?」

「うん! やったぁ、一生懸命お祈りするね!」


 サーラは人懐っこい笑顔で喜び、俺の隣で祈りの真似をする。あくまで、『真似』だ。地に両膝を突いて、目を閉じ胸の前に両手を組む。

 4歳の妹のその姿がとても愛らしい。


 サーラの笑顔や仕草を見ていると、幼かった時のクロエの事を思い出す。そんなサーラの笑顔で、俺は少し気持ちが落ち着いたような気がした。そして、サーラも思いの外、魔力操作も祈りも出来ている。


「4歳でこれほどまで、出来るようになったのか?」

「ふふふ、上手でしょ?」


 微笑みながら首を傾げる姿も愛らしい。


「ああ、上手だ。コツコツしていけば、もっと上手になる」

「うん! 頑張る。もっともっと上手になって、お兄様のお手伝いする!」

「期待しているぞ」


 また、隣で祈りをしている。

 俺が今のサーラぐらいに出来るようになったのは、8歳のころだ。そう言えば、俺も小さい頃は父の横で祈りの真似事をしていたな。

 あれから1年近く、それから時間があると、サーラが俺の祈りに付き合ってくれた。そのため、次第に魔力操作も祈りもマルティーナぐらいに出来るようになった。


 情けない話だが、サーラがそばにいてくれたおかげで、気が紛れ何とか祈りをすることが出来た。

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