第7話 人はそれを初恋と呼ぶ
夏休みも中盤を過ぎた頃、楽しみにしていた縁日がやってきた。由美は、母が縫ったばかりの木綿のワンピースを着て、夕方から幼なじみの莉菜と二人で、駅前の神社に出かけた。
神社の境内には、ずらりと出店や屋台が並び、人でごった返している。
「ねえ、由美ちゃん、何買う」
莉菜は、可愛らしい浴衣姿だ。
「う~ん、あ、チョコバナナは」
「いいね」
チョコバナナを囓りながら、二人は、はぐれないようにくっ付いて歩く。ヨーヨー釣りをして、ハッカパイプを首にぶら下げ、次はどうする、と相談しながら、かき氷屋を曲がったところで、由美の胸がハッと騒いだ。
射的屋でライフルを構えて身を乗り出す小松がいた。小松は、真剣な眼差しで標的を狙うと、引き金を引いた。玉が真っ直ぐに飛び、何かに当たって落ちる音がした。小松がぱっと笑顔になった。そして、彼が振り向いたところに、良子が立っていた。
「由美ちゃん、由美ちゃんってば」
莉菜の声が飛び込んできた。
「え、あ、ごめん。何だっけ」
「だから、たこ焼き一つ買って、半分こしない」
「あ、そうだね。うん。そうしよう」
その後、由美は、自分がどんな風に縁日を過ごしたか、よく覚えていない。でも、誰かにいじめられたわけでも、けがをしたわけでも、急に病気になったわけでもないのに、急に何かを変えるのはおかしい、とは思っていたから、それなりに縁日を楽しんで帰ったのだろう。
楽しんで? 楽しんだはずだ。莉菜ちゃんは一緒にいて気持ちのいい友達だし、嫌なことなんて、一つも起こらなかったのだから。由美は、莉菜と笑い声さえ上げたのだ。
ただ、ひどく疲れたことだけは、覚えている。早く一人になりたくて、さっさとお風呂に入って、寝床に潜り込んだ。けれどちっとも眠れなくて、何度も何度も寝返りを打った。
それから数日、由美は、色彩の薄くなった世界で、そうは感じていないふりをして過ごした。病気でも何でもないのに、毎日、なんだか疲れた。そして、良子には、用事ができて花火大会には行けない、とだけ伝えた。変えたことは、それだけだった。
それでも、少しずつ、世界に色が戻ってきた。時には、ほんとに笑い声を上げることも、できるようになった。そんな夏の終わりの夕方、由美は、床に寝転んで、莉菜から借りた少女漫画を読んでいた。
由美は、寝返りを打ちながら、ふと思いついて、夕食の支度をする母の背中に尋ねた。
「ねぇ、お母さん。男は、失恋しても泣かないもの?」
「泣きませんよ」
と、ちょっと間があって母が答えた。
「ああ、そうなの」
漫画の中では、失恋すると、女の子はみんな盛大に泣くけれど、男は泣かないのか。ふうん、そうなんだ。
「女だって泣きませんよ」
母が背中を向けたまま言った。
「え?」
「女だって、失恋しても泣きませんよ。ぐっと堪えるの」
「ほんと?」
由美が驚くと、
「もちろん」
母は振り返ると、由美に向かって力強く請け合った。
そうか、と、由美は思った。だとしたら、私は、間違ってなかったのかな。私は泣かなかったけど、私はちゃんと、ちゃんと・・・。
「変更」
その時、母が急に言った。
「何が変更なの?」
「晩ご飯のメニュー、変更する。由美、何が食べたいのか、言ってごらん。お母さん、それを晩ご飯にするから」
「うそ、やったー。それならねぇ、えっとねぇ」
由美は、でかかった小粒の涙をさっと拭うと、
「オムライス!」
と母に伝えた。
キラキラ たてのつくし @tatenotukushi
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