第2話 初めての教室
由美は、なんだか信じられないような気持ちで、エレベーターに乗り、六階を押した。あまりに早く来たので、Sクラスには一番乗りだ。控えめに言っても恥ずかしいが、この際かまうものか。
教室に自分一人だと、Sクラスに上がれたことが、冗談みたいに思える。その上、六番はぎりぎり一番前の席なのだ。由美は、恐る恐る一番前の右端、小さく六と書かれた席に荷物を置いた。隣は四と書いてある。
由美の塾は、はっきりとした能力主義の塾だ。校内模試の成績がすべて。そこで、クラスや座席が決まる。小学校六年生は三クラスあって、由美は上から二番目のAクラスだったのだ。それが、ついに今日Sクラスに上がれたのだ。それも六番で。
誰もいないのをいいことに、由美は、室内をうろうろと歩き回った。机が六人掛けなところも、椅子が後ろの机にくっついているのも、窓の位置も、電灯の数も、Aクラスと何も変わらない。つまらない。
特にすることもないので、カタンと椅子を下ろして腰掛ける。とりあえずノートと筆箱を出しながら、ふと、教卓を見ると、今日配られる教科書が、三十人分、積んであった。テキストの文字の下にやや小さくSクラスと書いてある。Sクラスだって。これが世に言うSクラス教科書か。Aクラスにいたとき、隣に座っていた明美ちゃんが、うちの塾は、Sクラスだけ教科書が違うって言ってたけど、これのことかぁ!
授業時間が近づくにつれて、どんどん生徒が入ってきた。知らない顔ばかりなので、由美は気後れして、机に向かってうつむいている。Aクラスで一緒だった子がいるかなと思ったけど、わからなかった。Sクラスは常連が多いと明美ちゃんに聞いていたけど、どうやら本当らしい。多くがリラックスした様子で、しゃべっている。みんなもう、知り合いなのだ。
「やっべ。今回、しくじったから、落ちるかと思った。ぎりセーフだったわぁ」
聞き覚えのある声が聞こえた。学校で同じクラスの吉川幸平だとわかったけど、もちろん振り返って確かめるようなことはしない。あいつ、学校では馬鹿まるだしだけど、本当は、勉強できるんだな。
「何番だったの」
由美の真後ろから、声が飛んだ。女の子の声だ。
「二十四番。ま、たまには後ろもいいか。教卓から離れて」
と言って、乱暴に荷物を置く音がした。け、強がり言っちゃってさと、由美が一人でにんまりしていると、教室のざわざわに混ざって、こそこそ声がする。
「え? 何?」
再び後ろの女の子の声がした。何だろう。由美は、落ち着いた風情で机に頬杖をつきながら、背中全体を耳にして、後ろを伺う。
え?え?と、その子が聞き返すたびに、ひそひそ声が大きくなり、ついには由美の耳にも届いた。
「そこ、前の、学校で同じクラスの女・・・」
吉川の馬鹿の声だった。
「ああ、そうなの? 何で小声で言うのよ」
と言うなり、由美の背中が、ポンポンと叩かれた。
「はい」
由美が硬くなりながら振り返ると、
「そんな、緊張しないで。同い年なんだから」
その女の子は、笑いながら言った。
「私、瀬尾良子っていうの。あなた、吉川と同じクラスなんだって」
気取りのない彼女の話し方に、由美はなんだかほっとした。
「うん、そうなの」
「吉川と同じクラスなんて、最悪だね」
良子は、由美に目配せしながら、吉川に聞こえるように言った。
「うん!」
由美が、嬉しくなって思わずそう言うと、
「田口てめぇ、うんて何だよ、うんって」
と、吉川が身を乗り出したので、由美と良子は、思わず顔を見合わせて吹き出した。慣れない教室で一緒に笑ってくれる人がいて、由美はなんだかとても嬉しくなった。
「覚えてろよ。次はぜってーお前ら二人とも、抜かしてやるから」
良子は、「どうぞどうぞ、お好きなように」と吉川に行った後、
「よく言うよねぇ」
由美を見て笑った。
「でもSクラスなんて、私、初めてだから、ついて行けるか心配」
と、思わず由美が顔をしかめると、
「六番が何言ってんの。私なんて、十二番だし」
良子が屈託のない顔で笑った。
「このクラス、女子が少ないから嬉しい。よろしくね。ええと、田口さん?」
「田口由美と言います。こちらこそ、よろしく」
良子とは仲良くやれそうで、由美は嬉しくなった。
「じゃあ、由美ちゃんて、呼んでもいい」
「私も良子ちゃんて、呼んでもいい」
「もちろん。これで決まり」
由美は、顔一杯で笑顔で、頷いた。
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