【5話】名付けの天災

「ワンちゃん」


 助け舟を出してくれたのはシェリーだった。

 俺の横にしゃがんで犬を見つめだす。

 犬は興奮しながら俺の手を噛み続けている。


「お手」


 (どうして!?)と俺は心の中で叫ぶ。

 痛みに耐えているので声に出す余裕がないからだ。

 興奮した犬が素直に言う事を聞くはずがないのに。俺はこのまま噛まれ続けて死ぬのかもしれない。


「ワウ!」

「……おかわり」

「ワウ!」

「バン」

「ワウウン!」


 シェリーの指で作った銃は犬の心を掴んだようで、俺の上から転がるように地面にひれ伏している。

 シェリーは嬉しいのか、犬のそばに寄って頭を撫でている。

 状況はなんでもいいが、俺は無事を確認して安堵のため息をついた。

 ゆっくりと起き上がり、バッグの中から止血に必要な道具を出して噛まれた手の手当をしていく。

 手に布を巻き終えたところで、シェリーに目を向けた。

 犬を家来のように従わせている。やはり心なしか嬉しそうである。


「ずいぶんと手懐けるのが早いもんだな」

「当然です!」

「ロリ先輩も混ざりたいと?」

「ボクが混ざったら遊ばれるに決まっているじゃありませんか!」

「そうだった、ボールだもんな」


 ロリ先輩は怒ると尻尾で往復ビンタするのが癖らしい。確かに手足は人形みたいに短いもんな。

 

「……ワゥン?」

「よかった、おまえは生きてたか」


 俺の足もとで倒れていた犬は起き上がって不思議そうに辺りの様子を眺めている。

 ぼんやりとした様子で俺を見て、首を傾げた。


「もしかして……寝てたのか?」

「ワゥン?」

「いや、寝ていただけならよかった」


 俺は犬の言葉が分からないが、なんとなくこの犬が言っている事が伝わって来た。

 ただ寝ていただけなのは本当のようで、ゆっくりと俺に寄り添ってくる。


「どうした? なんかやけにくっついてく――」

「ワウ!!」

「アデデ!? 俺なにもしてねーよな!?」

「ワゥウ!!」


 シェリーに手懐けられていた犬が俺に突進してきた。倒れた俺の上に乗って寝起きの犬を見つめている。

 鼻先を合わせてなにかを確認しているのか、2匹は見つめ合ったまま動かない。

 これってもしかして2人だけの世界というやつだろうか。

 どうやら2匹は仲間……というか番のように感じる。

 ひとまずは安心していいだろう。俺の上に乗ったままなのは許さないが。


「シェリー? こいつに退くように指示してくれないか?」

「……まて」

「はぁ……?」


 俺のそばに立ったシェリーは、俺に対して「まて」と言った。視線が合ったのだからそうなのだろう。

 何か考えることがあるのか、俺はおとなしく待てをする。

 シェリーの気配を察知したのか、2匹の犬はシェリーへ顔を向ける。

 大型犬とはいえ立った人間の身長には届かない。俺の体の厚さを合わせてもシェリーの方が高いのだ。見下ろしたままシェリーは考えるように腕を組んだ。


「マシュマロ」

「ワウ」

「キャラメル」

「ワゥン」


 俺の上に乗っている犬から順にシェリーは話し掛けた。犬たちは「はい」と返事をしたように聞こえる。


「今日からあなたたちは、マシュマロとキャラメルだよ」


 どこか嬉しそうな犬たちとは裏腹に、俺は顔が引きつらないように真顔を演じる。

 これはなんというか、『名付けの天災』という称号を与えてもいい気がする。


「マシュマロ、おいで」

「ワウ!」


 長い「まて」が終わって解放された俺は起き上がって盛大にため息を吐く。

 名前についてとか手懐けるのが早いとか、言いたい事はある。


「キャラメルもおいで」

「ワゥン」


 でも、2匹の犬と楽しそうに歩き回るシェリーを見ていたら、俺の言いたいことなんて些細なことだと笑い声と一緒に吐き出した。


「レオンもおいで?」

「……俺は犬じゃないんだけどな?」

「うん? レオンはエルフだよ」

「いや……どうでもいいか」


 立ち上がってシェリーの隣まで歩くとシェリーは不思議そうに首を傾げる。

 世界が終わるからだろうか、もうどうでもいいと思える。

 だからどうでもいいと笑い声を漏らす。

 案外、世界が終わるのって悪くないのかもしれない。



 ◎◎◎



 俺とシェリーは散歩を再開することにした。

 シェリーに殺意はあるというのは俺の勘違いだと分かったし、どうせ俺はやることも無いし散歩を続けるつもりだ。

 シェリーも当然のように俺についてくるので、一緒に散歩をする。

 ロリ先輩は式神だから当然のようにシェリーの横を飛んでいる。

 マシュマロとキャラメル――俺はマロとメルと呼ぶことにした――も仲間になったつもりなのか一緒について来る。

 2匹は仲が良い。いやお互いに好きなのだというのは伝わってくる。今も後ろでイチャイチャする声が聞こえるからな。


「次はどこへいくの?」

「そうだな……ここから2kmくらいのところに街があったはずだ。大都市だから少しはなにか残ってるだろう」

「そこにレオンの思い出があるんだね」

「そんな大層なものじゃない。必要なものを買いに行ったりするくらいの便利な街だったってだけだ」


 歩きながら話すのも普通に感じるくらいにシェリーとの散歩は心地が良い。

 詮索してこないからというのもあるだろう。シェリーはなにか目的でもあるんだろうか。

 それを聞いたところでなにかするわけでもないんだけど。


 会話が途切れても居心地は悪くない。

 話したくなったら言葉にすれば返事が返って来る。

 1人で生きるはずだったのに、1人じゃないことに安心してしまう俺がいる。


 誰かと一緒に歩いていれば、2kmなんてあっという間だ。


「この辺のはずなんだけど……」


 目的地がどこなのか確認するため、一旦立ち止まる。

 ロリ先輩はマロとメルのおもちゃになって遠くで遊んでいるのが見える。

 俺のことを(ざまあみろ)なんて顔で見たからおもちゃになったんだろうな。ざまあみろ。


「わたしたちは2.5kmくらい歩いたよ」

「そっか、なにもないんだな……」


 なにもない更地をぐるっと一周見渡した。

 ここに街があったはずなのに、跡形もないただの更地でしかない。


「なにも……残らないじゃないか」

「レオンの中にはあったでしょ?」

「……俺の記憶の中にはまだ残ってる。でも俺がいなくなったら誰がこの街のことを覚えてるんだよ」

「じゃあ忘れさせないであげる」


 シェリーは更地をぼんやりと眺める俺の前に立って、俺の頬に手を添えた。

 思わず視線を合わせてしまう。

 不思議な瞳をしている。砂糖菓子のように甘いのに、温かさもあるような大きな瞳は一直線に俺へ向けられている。


「シェリー?」

「この街のことも、この世界のことも、レオンは忘れない。だからずっとあるよ」

「……おかしいな、もう世界は終わるっていうのに、不安じゃないんだ」


 シェリーがそばにいると不安なことも不安でなくなっていった。

 寒い日に暖炉の前で手をかざすように、俺はシェリーのそばにいることで暖をとっているような、そんな感覚を抱く。

 どうしてだか、砂糖菓子のような大きな瞳を見ていたくなる。


「わたしはレオンのことをずっと覚えてるよ」


 いつものように軽く地面を蹴って宙を舞う。俺と同じ目線で浮かんで俺を見つめ続けている。

 近くにいると温かすぎて、段々と体が熱くなっていく。


 こうやって見つめてくるシェリーには母親のような温かさと恋人みたいな熱さがある。

 シェリーは純粋な瞳で俺を見ているのだと頭では理解している。

 なのに俺の心はドクドクとうるさくなっていって、どういう瞳で見つめ返せばいいのか、俺はまだ正解が見つけられない。

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