【3話】無いと感じること

「おはよう」


 テントの入り口から太陽の光が入って来て、俺は眩しくて目を覚ます。


「……随分と強引な起こし方だな」

「もう朝だよ?」

「はいはい、起きますよ」


 テントから出て太陽の位置を確認しても、寝坊したとは思えなかった。

 そもそも起こしてほしいとも言っていないし、起きる時間を決めてはいなかった。

 俺が朝弱かったらどうしていたのだろう。


 火が消えた焚火の前に座ってからバッグの中から保存食を出して食べる。

 正面から向けられるシェリーの視線は無視して、シェリーの背の先にあるはずの町を探す。

 天気が良い日は遠くまでよく見える。遮るものは木々くらいだろう。


「1時間掛からないで着くだろうな」


 遠くに見えた町を見ながら、最後の一かけらを口に放り込む。

 相変わらずシェリーの視線の向きは変わらない。


 立ち上がってテントをしまうと俺は歩く。

 隣の足音は昨日と変わらない。


 歩いている間、会話はない。

 必要ないと思っているし、シェリーからなにかを発せられることもない。

 居心地が悪いわけではないし、良いというわけでもない。どうでもいいからな。


 見えて来た故郷は町だったのかすら怪しいくらいに廃墟と化していた。

 建物は崩れ、木々は枯れている。

 人間が生活するための道具も風化して元の形が分からなくなっている。


「本当にここに町があったんだろうか」


 そう疑ってしまう程に、ここには何もない。

 でも俺の記憶の中では確かに一緒に過ごしてきた家族がいる。

 一緒に助け合った人間たちがいる。

 俺が小さい頃に両親を失って、手を差し伸べてくれたエルフと人間のことは鮮明に思い出せる。

 反抗して町を飛び出した時も、俺が諦めて帰ってくるまで待ってくれたのは町の家族だ。

 一緒に飯を食って、笑い合って、喧嘩をして。

 俺より後に生まれた人間が俺より先に死んでいった。悲しくて泣いて寝られない夜もあった。

 新しい命を一緒に見守った日々は嬉しかった。

 なのに、どうして……


「……ここには何もないんだ」


 涙が零れるように俺は呟いた。

 ぼんやりと町を見渡す。

 俺の中にしかない町の光景。それでも確かに俺の中に町の光景はある。


「なにもないと感じるのは、あった時を知っているから感じることだよ」


 ゆっくりとシェリーに視線を向けると、いつもの真顔で見上げられていた。

 地面を軽く蹴って宙に浮かんで、俺と目線を合わせる。


「レオンが今悲しいと感じているのは、幸せだった時を思い出しているから。だからレオンは幸せだね。えらい、えらい」


 シェリーは俺の少し上から頭を撫でた。

 頭を撫でられるのは随分久しぶりだ。

 こんなにくすぐったかったっけ。

 こんなに温かかったっけ。

 こんなに胸が締め付けられるのはどうしてなんだ。


「わたしはレオンのやってきたことはなんでも知ってる。でもレオンがどう感じたかはわからないの。でも幸せだったんだね」


 シェリーの指先が頬に触れて何かを拭くように動かされる。

 俺は泣いているのだろうか。

 視界がぼやけてシェリーが何をしているのか理解できない。


 シェリーはずっと頭を撫でてくれた。

 頬を拭ってくれた。


 その時間は一瞬のようにも、永遠のようにも感じた。

 居心地が悪い訳でもなかった。どちらかと言えばいい方だった。


 俺の涙で汚れたシェリーの手はいつまでも頬に添えられる。


「えらい、えらい」


 シェリーは俺の頭と頬を撫でながら、泣き止んだ俺を褒めている。


「……っ」


 その笑顔に俺はトドメを刺された気がした。

 笑顔というには語弊があるかもしれない。

 微笑というには大げさかもしれない。

 でも確かに、シェリーは笑っているように見える。


 これが気のせいだったら、俺の脳がトドメを刺されたなんて警告は出してこない。

 甘ったるい瞳から視線が逸らせない。

 金縛りにでもあったように、身体が動かない。


 シェリーは本当に神様なのかもしれない。


「レオン?」


 シェリーの砂糖菓子のような声が零れて、俺は慌ててシェリーから視線を外す。

 頬に添えられたシェリーの手を握って、バッグの中からハンカチを取って俺の涙で汚れた手を拭く。

 どうしてだか酷い罪悪感を抱いている。

 シェリーのことは汚してはいけない。

 身分が格段に違うと直感が告げる。

 俺の涙で汚れた小さな手は、顔を見てほしいと上げられていく。


「レオン?」

「……ッ!!」


 首を傾げながら同じ目線で見つめられた。

 もし目力で人を殺すことができるのだとしたら、俺は今死んだのだろう。

 だって、心臓がドクドクと音を立てている。

 殺される前に俺はシェリーから視線を外して、走り出す。


 町だったものを通り過ぎて、更地を駆ける。

 息が苦しい。

 心臓が痛い。

 シェリーは俺になにをしたのだろうか。

 体中が爆発しそうなくらいに熱い。


「はぁ……はぁ……はぁ……っ」


 走る力が無くなって、俺は立ち止まり膝に手を当てて呼吸を整える。

 全力で逃げるのは久しぶりだ。

 呼吸を整えるのってこんなにも時間がかかるものだったのか。

 俺はもしかしたら、あのまま殺されるべきだったのかもしれない。

 息が整ってきても、心臓は熱くてうるさい。

 背筋を伸ばして、顔を上げて大きく息を吸う。


「あでぅッ!!」


 額に何かが当たって、俺は尻餅をつく。

 ボールのようなモノの感触に顔を抑えながら、飛んできたなにかを探す。


「キミ! 主様を知りませんか!?」

「……ボールか?」

「失礼な! ボクは狐ですよ!」

「いや……どう見てもボールだろ?」


 地面に転がっているのは、ボールに狐のような耳と尻尾が生えた生き物。……いや生き物なのだろうか?それは辺りをキョロキョロと見渡している。

 俺は初めて見る意味不明な生き物を立ち上がりながら眺めた。


「主様……ああどこへ行かれてしまったのですか」

「主ってもしかして……シェリーのことか?」

「主様を知っていますか!?」

「シェリーならこの先の廃墟にいるぞ」

「おお、助かりましたよ! ところでなぜ主様の居場所を知っているのですか?」

「さっきまで一緒にいたからかな」


 俺の言葉にボールのような生き物は凍ったように固まった。

 数秒後につぶらな瞳が悪魔のような瞳に変貌する。


「あでぅッ!!」


 そして俺に突進してきた。

 もう一度俺は尻餅をつく。


「なぜ主様と一緒にいたのですか!? 主様は無事なのでしょうね!?」

「いや……痛ッ好きで一緒にいたわけじゃ……痛ッシェリーがついてきただけ……痛ッイテェんだが!!」


 ボールのような生き物は、俺の顔の上に浮いて尻尾で往復ビンタをし続けている。

 見た目はふさふさの尻尾のくせに、殴るとすごく痛いんだな。


「主様が無事なのかを聞いてるんです!! オマエの意見なんか聞いてないですよ!!」

「なんで一緒にいたかって先に聞いたくせ……イタタタタタ!! 無事です!! 無事のはずです!!」

「無事のはずです?? オマエは一緒にいたくせに主様の身を守らなかったのですか?」

「いや、ってかおまえはなんなんだ!?」


 ボールのような生き物は俺の顔の横に移動して地面に立つ。

 短い手足でよく分からないがこれは仁王立ちをしているのだろうか。


「ボクは主様の使い魔なのですよ!」


 (すごいでしょ?)みたいな視線が俺に向けられた。

 俺は叩かれた頬を擦りながらゆっくりと地面に座って視線を合わせることにした。

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