【2話】散歩
少女が何を言っているのか理解できない。
だけど理解してしまいそうになる。
だってもうこの世界に人間はいない。
最後のひとりの人類として俺は生きるはずなのだ。
「冗談はやめてくれ」
口に入って来そうな甘い香りを拒絶するように、少女の手を振りほどいて背を向ける。
地面に足をついた音が後ろから聞こえた。
「本当のことだよ」
「口ではなんとだって言えるんだ」
「信じてくれないの?」
「信じられないんだよ」
俺はもうなにかを信じることができない。
あんなに頑張ってきたことがたった今無駄になったんだ。
どうやって信じればいいんだ。
「どうしたら信じてくれるの?」
「……俺が教えてほしいさ」
少女に聞こえないくらいに弱々しく呟いた。
独り言のようにも弱音のようにも零れた言葉は地面に落ちていく気がした。
「なにしてるんだ……」
いつの間にか少女は俺の前でしゃがんでいる。
両手で透明ななにかを拾って包み込んでいる。
包んだ手を見つめてなにかを考えたあと、しゃがんだまま俺を見上げた。
「よくがんばったね。えらい、えらい」
少女は立ち上がって一直線に俺を見上げた。
真顔からは感情は読み取れない。ただ視線から温かいものは感じ取れた。
「取り入ろうたって無駄だ」
「わたしはレオンがすごいことを知ってるよ」
「へぇ……たとえばどんな?」
少女の目的が分からなくて、苛立ちながら不正解の返答を待ってやる。
甘い誘惑になんて乗らないし、俺にそんな価値はない。
口先だけの人間だってたくさん見てきた。
甘い誘惑に乗って堕落していった人間もたくさん見てきた。
だから俺はその手には乗らない。
「レオンは1990年前に生まれた。100歳のころに世界規模の自然災害が起こった。これによりたくさんの生き物が死んだ。それから人類は衰退していって、その1000年後にレオンは世界で最後のエルフとなる」
「……っ」
「そして人間も衰退していった。でもレオンは人間を絶滅させないように頑張ったね。子育てを手伝ったり、兄弟喧嘩の仲裁をしたり、困ってる人がいたら声をかけてくれた。レオンの行動でたくさんの人間は救われたの。でも人間は絶滅してしまった。今あなたの目の前で」
「なんで……」
俺が人間のために生きていたことも、目の前で人間が絶滅したことも、少女には話していない。
なのに何故今、出会ったばかりの少女が知っているんだ。
まるで本当に神様みたいだと額から垂れた汗で正気に戻る。
「へぇ……すごい魔法を使うんだな」
「これは魔法じゃないよ。わたしが見てきたこと」
「俺以外にもそうやって見て来たとでも言うんだろ?」
「うん。だってこの世界のすべてをわたしは知っている。世界はもうすぐ終わることも。レオンがもうすぐ死ぬということも」
「どうしても信じろと?」
「どうして信じてくれないのかわからない」
首を傾げながら見上げられても俺の方が首を傾げたくなるものだ。
このままでは埒があかない。
俺は少女のことを信じられない。この世界に信じるものはもうないからだ。
だけど少女は言ってることがすべて事実だと述べてくる。
「分かった。話は終わりだ」
「信じてくれたの?」
「いや、信じられない。だからこのまま話していても結果は変わらない」
「そう……」
少女の表情は変わらない。だけど仕草から少し感情を読み取ることができた。
さっきまで真っ直ぐに俺を見上げていたのに、視線を下げて自分の手を絡ませている。
そんな少女の横を通り過ぎて、俺は歩いて行く。
少女が振り向いた音が聞こえた。
そして足音が後ろから聞こえる。
俺が歩く度に変わらない音量で聞こえ続けている。
「……目的地はどこだ?」
「目的地?」
「どこかに行くんだろ?」
「レオンが行く先が目的地だよ」
どうやら少女は俺のストーカーになったらしい。
いや、信じてもらえないのが不満で俺が信じるまでついてくるのかもしれない。
俺は後ろにいる少女に向き合ってため息を吐いたあと、頭をかく。
「どうしてもついてくると?」
「この世界はもうすぐ終わるから、だからレオンと一緒に見届けたい」
俺が最後の人類だからだろうか。
少女の正体も、考えることも全く分からない。
一度少女と目を合わせると、力強い視線と交わった。
観念して俺は少女に背を向けて歩き出す。
「一緒に行ってもいいの?」
俺の隣を陣取って一緒に歩く少女に返事はしない。
俺は肯定も否定もできない。つまりどっちでもいいからだ。
無言で歩き続ける俺のことを見透かすように、少女の足が軽やかになった。
相変わらず真顔な少女の気持は分からなかったけど。
「一緒に行くなら、改めて自己紹介をしようと思う」
俺は一旦立ち止まって少女に向き合う。
少女も俺の少し先で止まって、俺に身体を向けた。
「俺はレオン。エルフだ。まあ、あんたはなんでも知ってるんだろうけどな」
「わたしはシェリー。レオンのこともなんでも知ってるよ」
「シェリーは本当に神様なのか?」
「うん。だからこの世界のことはなんだって知ってるの」
「そうか」
「信じてくれた?」
「さあな」
信じられないのは事実だ。だけどシェリーが嘘を言っているようには聞こえなくなってくる。
真実でも嘘でも、俺にはどっちでもいい。
世界が終わるより先に俺は死ぬだろう。
もうすぐ死ぬ俺に必要なものなどこの世にない。
「それで目的地だが、まずは俺の故郷に帰ろうと思う。その先は決めてないけど、俺が今まで過ごした町を散歩しようと考えてる」
「うん」
「自分のことは自分でやる。だからシェリーも自分のことは自分でやれ。食料くらいはついでに探してやるよ」
「わたしは食べなくても平気だから、全部レオンが食べて」
「へぇ……神様って便利なんだな」
今の世界にとって食料は貴重だ。
食べられる生き物に出会えたらラッキーだし、食べられる果物を見つけられるのもラッキーだ。草木も生えている面積は少ないが最悪は草を食べるしかないだろう。
エルフは食事を摂らない時間が増えても死に至ることは少ない。
それでも限界はあるが、人間よりも長い期間は生きられる。
だから今の世界で食事を摂らなくていいことは便利と言えるのだ。
「最初の目的地まではそんなに遠くない。1日あれば着くが、時々休憩をはさんで進む。異論はないか?」
「うん。レオンが決めたことなら問題ないよ」
「……シェリーの意思は?」
「わたしの意思?」
「……神様ってのは自分の意思ってものがないとでも?」
「あるよ。今のわたしはレオンのやりたいことを一緒にやりたいだけ」
「……神様って変なんだな」
ついてくることを否定はしないが、一緒に行動するからには最低限の干渉はある。
お互いの意思確認は必要だと俺は思うのだが、シェリーは俺の言うことに首を傾げている。
まるで俺のやることがすべて正解なのだと言いたげに。
「じゃあ行くぞ」
「うん」
歩き出した俺の隣ではさっきより軽やかな足音が聞こえる。
少しだけ嬉しいという感情が伝わってきた気がした。
明るかった世界にも夜はやって来る。
半日ほど歩いて日が落ちそうになった頃、更地に立ち止まって野営の準備をする。
散歩用に野営に必要なものもバッグに入れて持ってきていたので、火を起こしてテントを張る。
まあ襲って来る生き物なんて今の世界には滅多にいないのだけど。
食料は見つけられなかったので、バッグに入れていた保存食を食べたらテントに入ろうと入り口を開ける。
シェリーは寝なくても大丈夫らしく、見張りを率先してやってくれている。
「おやすみなさい」
「……おやすみ」
まだこの世界には「おやすみ」と言ってくれる人がいることに驚いてしまった。
なんだかむず痒くてシェリーの視線から逃げるように俺はテントに入って息をひそめるように眠る。
1日でいろいろあったので、すぐに眠りにつけたわけではなかったけれど。
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