五十二話 短期アルバイト(1)
遂に待ちに待った夏休みに突入。
クラスメイト達は帰省すべく満面の笑みで学生寮を出て行った。
寮に残った俺はというと、夏休み初日からアルバイトである。
元々故郷には戻るつもりはなかったので宿題を終えた後は、朝から夜まで読書三昧をするだけの予定であった。予定が崩れて残念な気持ちもあるにはあるが、こちらの方が学生らしいからまぁ良しとする。学生時代は長いようで短い。思い出は作れるときに作っておくべきだ。
ちなみにキアリスは生徒会の仕事があるらしく帰省するのはもう少し後らしい。一応『一緒に帰省して顔を出さないか』と誘われはしたけど丁重にお断りをした。
さてさて、アルバイトの話に移ろう。
俺がこれから働くのは『アルトンホテル』である。
王都には数え切れないほどの宿泊施設が存在する。その中で最上級と格付けされているホテルの一つがこのアルトンだ。ただし、アルトンは最上級ホテルの中でやや格が低く、未だ王族が訪れたという話は聞かないなんともおしいホテルである。
「よく来たね。今日は朝から夕方までみっちり働いて貰うからそのつもりで」
ホテルの長い廊下のその端。
テオとマーカスと俺は、ハウスキーパーのリーダーに睨めつけられていた。
「これからあんた達にやって貰うのは各客室の清掃とベッドメイキングだ。客の私物には絶対に触れないように。終わったらドアを開け、廊下に使用済みシーツとタオルを出しておきな。最後にあたしが各部屋を確認する」
リーダーのアンジュは女性ながら非常に体格が良く、その顔は魔物のオーガさながらであった。ホテルスタッフの制服が筋肉によってはち切れんばかりに張っていて、そこらの男では太刀打ちできない印象を受ける。
テオは慣れているのか緊張も怯える様子も皆無であったが、同じくアルバイトに誘われたであろうマーカスはひどく緊張し僅かだが足が震えているようであった。
ちなみにここに来るまでに自己紹介は済ませてある。
一応貴族とは伝えてあるが、家名までは教えていないのでここでは俺もマーカスも金のない下級貴族という扱いになっていた。実際マーカスの家は男爵家なので間違ってはいないが。
「二人は初日ですしまずはお手本を見せてもよろしいでしょうか」
「それもそうだね。じゃあしっかり教えてやんな。あたしは上の部屋から始めるから終わったら声をかけな」
アンジュはカートを押してこの場を離れる。
残された俺とマーカスは一室に入りテオのお手本を見ることとなった。
「こうしてこう。ベッドメイキングは理解できたかな」
「覚えたよ。ウィルも問題ないだろ?」
「シーツ交換はな。次は清掃について教えてほしい」
「オーケー。二人ともこっちに来て」
テオはトイレのドアを開ける。
彼は掃除を行いながら確実にこなすべきポイントを教えた。
清掃が終わるとシーツを廊下に出して終了である。
「流れは理解できたかな。とりあえず僕とマーカスでこの階を終わらせるから、ウィルは下の階を担当してもらえる?」
「分かった」
「何かあれば僕に訊いて」
「ん」
適当に返事しつつ新しいシーツを載せたカートを押して下の階へと向かう。
一室に入ると迷うことなくベッドメイキングを終わらせ清掃を完了する。交換後のシーツを廊下に出すとドアを開けぱなしにしたまま次の部屋へ。
全ての部屋が終わると一息つく。
「この階は終わり。上に戻って次の仕事を振ってもらおう」
◇
上の階へ戻るとテオとマーカスはまだ半分も終わっていなかった。
ちょうど廊下へ出てきたテオへ俺は声をかける。
「あれ? 何かトラブルでもあったのかい?」
「いや、終わったから次の仕事を貰おうと思って戻ってきたんだ」
「そうなんだ。じゃあ上にいるアンジュさんの手伝いを――」
「了解した」
「って、終わった!? ちょ、待ってウィル!」
俺はそのままカートを押して上の階へと向かう。
そういえばテオが何か言っていたな。なんだったのだろう。
木造の魔導エレベーターを使い上の階へ到着すると、入れ違いに客とすれ違う。
上等な服を着た中年の男は三人の騎士を引き連れており、俺を視界に入れるなりあからさまに不満げな表情となった。
「アルトンも落ちたものだな。あのような平民の子供を働かせるとは」
「申し訳ございません。次回からは別のホテルにいたします」
「そうしろ。まったくせっかくの気分が台無しだ」
エレベーターのドアが閉まる。
だが、俺は足を止めずアンジュの元へと向かっていた。
身なりからしてどこかの商会の元締めだろう。
商人の中には自らを爵位を持たぬ貴族、特権階級の一員であると考える者がいる。実際、莫大な財産を抱えその発言力は国王ですら容易には無視できないほどだ。下手な貴族では逆らうことすら難しい存在だ。
しかし、今の男は商人の中でも比較的小物だろうな。
真の豪商とはどのような相手だろうと表だって蔑んだりはしない。なぜならいつ商売相手になるか分からないからだ。したたかでずる賢くその瞬間まで牙と爪を見せない。
ドアが開け放たれた一室の前で止まり中を覗く。
そこではアンジュがベッドメイキングを行っていた。
「一番下の階は終わったのかい?」
「はい。次の仕事をいただけないでしょうか」
「はぁ? 嘘言うんじゃないよ。まだ二十分も経ってないだろ」
「ご確認いただいてもかまいません」
「言っとくけどあたしのチェックは厳しいよ。舐めたベッドメイキングなら全部やり直させるからね」
彼女の脳裏ではやり直しをさせられる俺の姿が見えているのか、獲物を発見したオーガのように口角を鋭く上げてにやりとしていた。
「・・・・・・完璧だわ。信じられない」
各部屋を覗く度にアンジュは呆然とする。
「いいね。気に入った。普段なら新人には任せないけど、特別にあんたにはスィートルームをまかせてやるよ。なぁに、難しく考える必要はないよ。これまでやったように完璧にこなせばいいだけだからね」
「分かりました」
「困ったことがあれば遠慮なく言いな。あたしが直々に対処法を伝授してやるよ」
どうやら気に入られたようだ。
どうせ夏休みだけの短期アルバイト。ホテル側の評価などどうだっていい。
メインストーリーに関わりのないミニゲーム的な資金集め要素でしかないのだから。
それに俺が頑張ればそのぶんテオの労力は減る。
戦闘面では頼りにならないが、他の部分ではできる限り助力したいと思っていたりする。
しかし、初日の学生にスィートルームを任せるとは。
このホテル本当に大丈夫か?
◇
新しいシーツを倉庫から出しているところで、ふと向かいの建物の窓に目が向く。
窓の向こう側は厨房らしくコックが調理を行っていた。
さらに目線を移動させる。勝手口だろう扉の前では、ひたすらに芋の皮を剥く少年の姿があった。まだ新人なのか手つきは怪しく、思うように皮が剥けず手こずっているようであった。
下手くそだな。剥いた皮も厚いし肝心の身が削れてあれじゃあせっかくの食材が台無しじゃないか。あー、まただ。もったいない。
一度気になるとどうにも無視できなくなる。
俺はそいつに近づきナイフを奪った。
「なにすんだよ!?」
「良いから貸せ」
するすると皮を剥き毒がある芽の部分を取り除く。
実家の屋敷では自分で調理することも珍しくなかった。それにコックの調理を目にする機会もあって最低限の技術は習得済みである。ただ、味付けに関してだけはレシピ通りにやらないとすこぶる評価が悪かった。不思議だ。
「こうするんだよ」
「早。すげ。なぁ、もう一回やって見せてくれないか」
少年はもう一本ナイフを持ってきて真似するように皮をむき始める。
ここでは教えてくれる人がいないのだろうか。それとも見て覚えろ的な教育方針とか。中の忙しそうな雰囲気からしてその余裕がないってのもありそうだ。
頼まれた仕事のほとんどはすでに終えていて後は暇だったし、皮むきを教えるくらいの時間なら充分にある。
「皮むきはすんだか。たくっ、教えなきゃならないことが山積みだってのに初日から遅刻とはふざけやがって」
勝手口から出てきたコックがぼやいていた。
彼は少年の隣に来るなり芋が収められた桶をのぞき込む。
「お、なんだもう終わったのか。やるじゃねぇか。お前も少しずつ成長してんだな」
「へへ、実はこの人が手伝ってくれて」
「あん?」
視線が俺に集中する。
男性コックは途端に眉間に皺を寄せ怒り顔となった。
「お前だな今日来るって新人は。来てんなら挨拶しろよ。こっちは忙しいんだ。まずは腕前を見てやるからこっちに来い」
「ちょ」
腕を掴まれ強引に調理場に連れ込まれる。
調理場では作業中のコックが数人おり、刃物のような鋭い視線が俺へと集まるのを感じた。手を洗うといきなり包丁を握らされる。
「あいにく今はランチにむけて忙しい。とりあえずテストも兼ねて指示する工程をやってもらうからな。じゃあ始めるぞ」
まだ下準備の段階らしくコック達は各々作業へと意識を戻した。
指導係であろう男性コックはお手本として数種類の野菜を切り、それぞれを金属のボウルへと投げ入れた。
おそらく誰かと勘違いをしているのだろうが、とてもじゃないが言い出せる雰囲気ではない。窓には先ほどの少年が覗いており、期待するような目でその時を待っていた。
ここはしばらく場に合わせてそれとなく隙を見て逃げよう。
うん。それがいい。
先ほどの彼の動きをそのまま真似する。
「おお、上手いじゃん。これなら作業が一つ減って――お、おい、速すぎやしないか?」
作業速度を加速させる。
さらに面倒な移動も省く。食材は切ったところで飛ばしてボウルへと入れた。
食材が弧を描き流れるように次々にボウルへと飛び込む。
「終わりました」
指示された作業が終わった頃には、コック達が揃って俺を見つめていた。
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