十七話 セルシアの特訓(2)
王都から数キロ離れた森の中。
ここに生息する魔物は(俺の中で)非常に弱く、戦闘経験を得るには最適な場所であった。
「グォオオオオン!」
「無理です! あんなの無理!」
「やれ。フレイムレッドベアを倒した要領でいいんだ」
「今度こそ死ぬ! 絶対に死ぬ!」
ふるふると首を横に振るセルシアに嘆息する。
正面には体長一メートル強のポイズンブラックジャガーが牙をむき出しにして吠えていた。
「恐怖を克服したくないのか。ここで諦めるのか」
「――!?」
「立て。役立たずの豚になりたくなければ戦って価値を示せ」
「っつ」
「サー、イエス、サー!」
涙を拭った彼女は立ち上がりナイフを構える。
そうだ、それでいい。本当の君は強い。
技術も魔力もあらゆる面で高いスペックを有している。ただ恐怖がそれらを曇らせている。取り戻せ自分を。俺にできるのはこんなことくらいだ。
「勝って生き延びる。そう、私は無価値な豚じゃない。教官の信じる豚だ」
ん? なんか変なこと言っていないか?
まぁいいか。最終的に克服できれば。
跳躍したジャガーの落下地点を予測し、彼女は僅かに躱しながらナイフを一閃する。
着地と同時に斬られたジャガーは悲鳴のような鳴き声をあげた。
「アクアボール!」
撃ち出された水球が追い打ちをかける。
体勢を崩されたところにセルシアは刃先を首へと突き立てた。
断末魔が響きポイズンブラックジャガーは息絶えた。
「教官、勝ちました!」
「よくやった」
「はい! じゃなく、サー・イエス・サー!」
優秀だな。スポンジのようだ。
どこかの五人とは違って飲み込みが早い。
まぁあいつらは全てが一からだったから仕方ないのだけれど。
「そろそろ戻ろうか。ここからは普段通りだ」
「はい。ああ、そうですね」
訓練を始めて数日。
こういったやりとりもすっかり慣れていた。
聖剣を彼女に返し、俺達は道に沿って町へと向かう。
森を出ればすぐ草原だ。
王都が見える帰路で抱いた疑問を尋ねる。
「今さらになるんだが一つ訊いていいか?」
「なんでしょうか」
「上級貴族は早くから素剣を与えられる。だが、君は素剣授与の時まで所持していなかった。何か深い理由が? デリケートな話であるなら答えてくれなくていい」
「ふふ、隠すようなことでもないですし失礼でもありませんよ」
柔和に微笑んだ彼女は質問に応じる。
「私の生まれたレインズ家では、代々血を色濃く受け継ぐ者にSS級の聖剣が渡されます。具体的には初代様の聖剣ですね。すでに完成された強力な聖剣を授けられるので、個人の聖剣は入学後と決まっているのです」
ああ、そうだった。その辺りは忘れてたな。
レインズ家は少し特殊で初代の聖剣を代々引き継いで武器としている。そうする理由はSS級の聖剣を創り出す人間がずっと生まれなかったことと、初代の聖剣が強すぎたのが理由だ。
強い武器があるならそっちを使えば良い。合理的な考えだ。
「私はこの剣に愛着を持っています。できるならこのまま使い続けたいですが、そうも言っていられないのでしょうね」
彼女の腰には【清流剣】なる名を与えられた聖剣があった。
名前の通り清流のように青く清らかな細剣。龍のごとき水流を操る激しくも柔らかく雄々しく美しい
こう言ってはなんだが聖剣のほとんどは使い方次第だ。
ランク付けは所詮基本性能でしかない。それに中には使い手すら知らない隠し効果なんてのもあったりするんだ。実は、なんてのはスターブレイブファンタジーにはよくあることだ。
「その聖剣は君の才能だ。信じればきっと望んだ場所に連れて行ってくれる」
「そうですね。そうかもしれません。勇気が湧いてきました」
「おっと」
「ひゃっ!?」
腕を引っ張り彼女を引き寄せる。
すれすれを通り抜けたのは馬車であった。
「あの、ウィル君」
「大変失礼しました。許可もなく触れたことお許しください」
「許します。それよりあなたにとって魔物の前に放り出すより触れることの方が問題なのですね」
「・・・・・・?」
俺は首をかしげた。
そりゃあそうだろう。公爵令嬢の柔肌に触れるのは不敬だ。何より彼女はテオの未来の恋人。推しカプは推しカプなのだ。
馬車が停車し、御者がこちらへ身を乗り出す。
「申し訳ありません。急ぎだったもので。お怪我はありませんか?」
「大丈夫だ。行ってくれ」
「そうですか。それでは失礼いたします」
しばらくして馬車は動き出した。
「あ」
顔を赤くしたセルシアはぴょこんと跳ねるように横へ一歩分移動した。
かと思えばなぜか半歩こちらへ戻ってきた。
「あの、よろしければこの後にカフェでも行きませんか。相談に乗っていただいているお礼もかねておごります」
「それなら」
基本的に俺は金がないのでおごりは嬉しい。
学費と生活費は出してくれているが、なにせ父上はケチなので余分な金がないのだ。
まぁゲーム知識のある俺なら手に入れようと思えばいくらでも手にいられるが、今のところ特に困っていないし人にたかるぐらいがちょうどいい。うん、考えてみると俺もちゃんとケチだな。妙に血につながりを感じた。
俺とセルシアはお洒落なカフェでお茶を楽しんだ。
◇
特訓を開始して一週間あまり。
セルシアの変化は劇的だった。
特訓が彼女の眠っていた潜在能力を引き出してしまったのかもしれない。
フレイムレッドベアの爪をギリギリで躱し肉を斬る。
流れるように圧縮したアクアボールを無数に創りだし一気に放った。
一発一発が高威力となった水の弾丸は貫通力こそそれほど高くはないものの、ゴム弾のようにダメージのみ貫通させ骨を砕く。
フレイムレッドベアが悲鳴をあげる。
「逃げるつもり? 正しい判断ですけど遅すぎましたね」
逃げ出した背中へ背後から容赦なくナイフを突き立てた。
激しく暴れるフレイムレッドベア。毛を掴みナイフを口にくわえた彼女は、傷口に腕を突き込みありったけの水弾を撃つ。
ぐるんと白目を剥いたベアはドスンと倒れた。
「きちんと息の根を。油断は禁物」
どすっ、どすっ、ベアの心臓にナイフを突き立てる。
血しぶきを浴びても今の彼女は気にもとめない。
――セルシア・レインズは獣のごとく強くなっていた。
様子を見守っていた俺はこの状況に頭を抱えていた。
やり過ぎた。調子に乗りすぎたのだ。
相談に乗るまでは良かった。特訓を始めたのも仕方ないと言える。だがしかし、そこから先をやり過ぎた。平日も休日も狩り狩り狩り、手当たり次第に獲物を狩って、解体し、肉を喰らった。
成果は間違いなくあった。あったのだが、悪い意味で覚醒させてしまった。
さらに。
「教官、次の獲物はどうしますか。ゴブリン? オーク?」
「・・・・・・」
「教官? 訊いていらっしゃいますか? 教官、私をちゃんと見てください」
「あ、うん」
彼女の俺を見る目が尋常ではない。
なんかこうハイライトが消えた気がするのだ。
おかしいな。普通にアドバイスを与えて鍛えただけなのだが。
軍隊式がまずかったのか? うーん。
いや、しかし、これで彼女の悩みはほぼ解決した。
魔物相手に死闘を繰り広げられるなら人間相手にそうそう臆することはない。すでに彼女の中には強い闘志が芽生えている。才能に恵まれ成功する保証があったからこそとれた手段だ。他の人間には試せない方法だろう。
「本日をもって特訓を終了とする」
「そんな!?」
「すでに君の中に恐怖はいないはずだ。教官と生徒の関係は終わったんだ。聖剣を取りセルシア・レインズに戻れ」
「もう、豚と罵ってはもらえないのですか?」
「ん? なんだって?」
幻聴かな。おかしな台詞を訊いた気がしたけど。
公爵令嬢が罵倒されたいなんてないない。ないよね?
清流剣を受け取った彼女は一礼する。
「ウィル・スターフィールド殿。貴方がくださった多くのアドバイスによって私の中の恐怖は払拭されました。深く感謝します」
「俺にも経験はあったからな。他人事とは思えなかった」
「うふふ、お優しいのですね。どうかこれからも表向きは親しい友人として仲良くしていただきたく存じます。醜い豚で申し訳ありません」
「こちらこそ・・・・・・ん?」
何か聞こえたな。
疲れでついに耳がおかしくなったかな。
今夜は早めに眠るとしよう。それがいい。
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