イミテーション・バタフライ

安土朝顔🌹

第1話

 二〇一二年十月

 電車を降りた沖(おき)谷(たに)は、何度も足を運んだ道を辿った。通り抜ける秋風は、ほんの少しの哀愁を含みながら、歳の割に豊富な髪を靡かせた。空に浮かぶ綿花のような雲は、ゆったり散歩をするように移動している。


 改札を出てあった本屋はコンビニに変わり、そこを左に曲がる。右手に進めばスーパーがあったのを思い出し、覗きこむように体を伸ばすと以前と変わらず店はあった。少し胸を撫で下ろし、本来足を進める左の道へと進む。


 駅から五十メートル圏内はちょっとした居酒屋、イタリアンレストラン、今どきの女性受けするようなカフェ、ケーキ屋がまばらではあるが集中している。そこを抜けると閑静な住宅街へと入る。


 沖谷が住んでいる町とは違って車道は広く、車がすれ違ってもかなりの余裕があった。そこに立ち並ぶ家も一つ一つの敷地が広い。沖谷の三十坪の家が二軒入っても余るくらいだろう。


 ある家には桜、枇杷に柿、またある家には紅葉の木が植えられ、その欠片達が道を艶やかに飾り、時に風で踊らされるように舞い上がる。落ちている葉が桜なのか枇杷なのか草木に興味が無い沖谷にはわからない。しかし柿の葉は何となく分る気がした。


「あの家にあったのも確か柿だったな」


 少し感傷的になりながら絨毯の上を歩くと、落葉が短い乾いた声を上げた。


 駅前の店は入れ替わっていたが、住宅街はほとんど変わり映えがなかった。洋風、和風で言えば半々と言ったところだろう。沖谷は塀が碁盤の目のようになっている道を迷うことなく進み、目的の家の前に着いた。


 記憶にある形ではなく、怪物の爪によって剥ぎ取られた様に中がむき出しになり、折れた柱が無残に放りだされていた。家の中の壁は外気にさられ、その屑や塵で部屋が汚れたと言うには余りにも無残で、経過した時間の排泄物も混ざっているように見えた。


 家の周りには柵が立てられ、白い看板に色々書き込まれている。そこには工期期間、施工業者と施工主名が書かれている。『赤松(あかまつ)邸』そう書かれていた。


 十三年。それまで幾度か所有者が変わっている。買い手も付かずもちろん住人も決まらなかった。どんな人物か分からないが、周りに引けを取らぬ広さの土地を買い、家を建てるのだからきっと金持ちなんだろうと想像した。同時に、この赤松という人物はそう年齢がいっていないのかもしれないとも思った。


 十三年。人の記憶が色褪せ、その少し残った色彩さえも分らぬようになるには、十分な時間なのかもしれない。しかし沖谷の脳はそうではない。今でも鮮明に脳裏に焼きつき、消し去ろうとしても何度も何度も浮かびあがり、記憶のゾンビのように生きている。反対に体は動く事に疲れ、錆びたブリキ人形のようになっていた。


 定年まで後二年だったが、年末の三十一日の誕生日をもって、早期退職する事にした。丁度先輩刑事である釣鐘(つりがね)が定年後に働いていた、大学の守衛の仕事を沖谷にどうだと打診してきてくれたからだ。その釣鐘は、早期にリタイアした人を対象に造られた、自給自足できる町に引っ越しをするとの事だった。沖谷も勧められパンフレットを貰った。


 交通の便もよく、思ったほど田舎ではかった。都会に住み慣れた人間でもあまり不便を感じさせないような立地であり、造られた一つの町だった。

 妻が生きていたら考えたかもしれない。


 幸子は一年前にあっけなく膵臓癌で亡くなった。体調がおかしいからと検査を受け、病気の正体が判った時には既に余命半年と言われたが、坂道を転がるボールのような早さで告知された月日より早く、三ヶ月もしない内に息を引き取った。定年退職をしたら今まで出来なかった夫婦生活をもう一度と夢を見ていたが、見事に打ち砕かれ結局、妻孝行をする事もできずになった。


 だから、という訳ではない。未解決のまま時が経ち、退職する日まで出来る事をと考えたのは。


 沖谷は踵を返し駅に戻ろうとした。目の端に本来なら塀で隠れている柿の木がよく見える事に気付き、足を止めた。昔と変わりなく立つ柿の木は、犯人を見たのだろうか。湿っぽくなっている自分に気付き、それを吐き出すように長く息をついた。


 その時視線を感じ振り向くと、一人の若い女性が立っていた。生まれて初めて目を奪われるという体験をした。スラリとした一七〇センチ程の身長で線が細く、肌は透き通る様に白い。長い髪は黒真珠のような艶をだしながら、絹の糸のように靡く。


 唇は桜の花のように淡く、ギリシャ彫刻のように通った鼻筋と埋め込まれた瞳は黒曜石のような輝き。人をも狂わすような美人と言っても過言ではないかもしれない程の美貌の持ち主がいた。目が合うと笑みを浮かべて小さく頭を下げてきた。


 沖谷も数秒遅れてお辞儀を返す。紺色のワンピースに白いベルトがアクセントになり、品のいいどこかのお嬢様に見える。


 沖谷は、娘ほど離れているであろうその女性に目を奪われた事が急に恥ずかしくなり、足早にその場を去った。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

あとがき

どうも作者の安土朝顔です。

いつも読んでいただきありがとうござます。

この作品は第45回横溝正史ミステリ&ホラー大賞に応募しています

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