Emerald Sword12
マッキャノ族が去った後、荒野は勝利の熱狂に湧いた。
城の面前に作られていた砦は壊され、港へ避難していた人たちは城や町へと戻り、城で行われた炊き出しに笑顔で並んだ。
海に配備されていた敵の軍船も引き上げられたようで、フォルク王国のネィアカシ商会からは物資を積んだ船がすぐにやって来て、タヌカン領はなんとかこの冬を超す算段がつけられたのだった。
そんな中を、荒野の方からやって来た男がいた。
杖をつき、ぼろぼろになった服で大きな背嚢を背負った髭面の男。
それは戦争中ついに一度も姿を見せなかった、シスカータ商会の狸人族の商人だった。
いったいどれだけの時間をかけてやってきたのだろうか、垢にまみれたむさい風体で城の前へ跪いた。
周囲を騎士に囲まれる中、懐の短剣を抜き、彼は涙ながらにこう言った。
「一番物資の必要な戦中、本店の命故船を出せず、面目次第もなく抜けてまいりました。この上はこのメドゥバルめが死を持って詫びる所存」
「まぁ待て待て、一旦落ち着いて話を聞こう」
今にも自分の首を刺しそうな狸商人を押し止め、俺はなんとか彼を城の応接間へと連れ込んだ。
城へ入るなら、とイサラが短剣を取り上げたのでひとまずは安心だ。
そうして対面型のソファに座った俺と彼だが……
俺の後ろにはお付きであるイサラと、港から戻ってからはほとんど俺の側を離れなくなったキントマンが立っているので、なんだか圧迫面接のような形になってしまった。
俺は沈鬱な表情を崩さない彼に、別に怒っているわけではないのだと、笑顔で話しかけた。
「なぁメドゥバル、この通り俺たちはちゃんと戦に勝って生き残ったんだよ。軍船が何隻も出てて船を出すのが難しかったのは理解してるさ。それに船を出す出さないは上の決めた事なんだろう? あんたが死ぬような事じゃあない」
「いえ、勝敗は兵家の常ですが……商家には商家の義理と覚悟がありまする。特に私など、一度はフーシャンクラン様の御用商人にと願った身なれば……」
気にするなと言ったつもりが、なんだか彼はますます覚悟を決めた表情になってしまった。
このまま城を追い出したとしても、どこかで死んでしまいそうな雰囲気だ。
荒野を一人で歩いて渡ってくるぐらい義理堅い人間なのだ、なんとなくこのまま死なすには惜しかった。
「そうだメドゥバル、そこまで思ってくれるのなら……働きで返してくれればいい。ちょうどうちの城も、この戦でだいぶ懐が寂しくなってきたところなんだ。俺が作る物をさ、然るべき所に売り込んでくれる人間が欲しかったんだよ」
俺がそう言うと、メドゥバルは驚いたような顔で口をパクパクと動かしながら、俺の顔を見た。
「しかし……それは……本当によろしいのでしょうか……?」
「さすがに、俺の一存でタヌカン領に仕えてもらうというわけにはいかないから。俺個人の雇われ商人になっちゃうんだけど、それでもいいなら」
ネィアカシ商会との兼ね合いもあるが、三男の子飼いぐらいなら別に問題があるまい。
すでにキントマンやその仲間たちを養っているのだ、一人ぐらい増えても大丈夫だろう。
「いえ……かたじけない……本当に、ありがたい事です……このメドゥバル、粉骨砕身の思いでお仕え致しまする……」
うまく声が出ないのか、彼はつぶやくようにそう言って、やがて人目も憚らずに涙を流した。
まぁ、貴族や傭兵に面子があるのと同様に、商人にもそりゃあ面子があるのだろう。
自分の決めた商談を上が破談にするなんて事、前世でもよく聞く話だったと思うが……
やはり命が安く殺伐としたこの世界、契約と評判で飯を食う者にとって、不義理の重みというのは前世とは桁が違うのだろう。
幸い来年は芋でアルコールを作ろうと思っていたから、売りたい物はあるのだ。
彼にはしばらく酒や化粧品なんかの商いでぼちぼち儲けてもらうとしよう。
「ああそうだ。そういえば、お前が来たら聞こうと思ってた事があったんだ」
「……おお、何でしょうか?」
「マッキャノ族の言葉はわかるか?」
「多少は話せますが」
「此度の戦の理由が知りたい、捕虜との通訳を頼めるか?」
メドゥバルは「承りましょう!」と勇んで立ったが、一度身なりを整えさせた。
さすがに、冬とはいえちょっと……いやかなり臭かったからだ。
「フシャサマ コンチワ」
「おお、マッキャノの方がタドラの共用語を」
檻の向こうからフォルクの言葉でこちらに挨拶する男に、メドゥバルは驚いたようだ。
虜囚たちももう国へ帰ってもらってもいいと思っていたんだが、その前にこうして真意を確かめられる機会がやってきたのは僥倖だった。
「お互いに言葉を教えあったんだよ。俺もあっちの言う事を少しはわかるようになった」
「おお、それは素晴らしい。関係は全て対話から始まりますからな……」
「それで、早速なんだが……彼らに今回攻めてきた事情を聞いてくれないか。そっちの婆さんが知恵者だ。
俺がそう言うと、奥から出てきたロゴス婆さんが訝しそうな顔でメドゥバルを見つめた。
「では、少し話してみましょう……」
そんなメドゥバルの気楽な言葉から始まった対話は、結局その夜遅くまで延々と続いたのだった。
翌日、父によって城の大部屋に集められた主要人物達の中で、メドゥバルの纏めた戦争の目的が話される事になった。
「まず私のような新参者が、このような場で物を述べる事を快く思われない方もいらっしゃるかと存じますが、危急の事態にてどうかご寛容のほどを……」
「よいメドゥバル、私が許可した」
「はっ」
危急、そう、危急だ。
俺も昨日隣でなんとなく聞いていて驚いたものだ。
五百人のマッキャノを撃退した今も、依然として危機は去っていなかったのだ。
「まず、マッキャノ族の目的ですが、これは宝探しです。彼らに伝わる古き伝承に『悪魔の地に大いなる宝宿らん』という物がありますが、先日の軍はこれを求めてこの辺りへとやって来たようです」
「彼奴らはなぜ突然宝探しにやって来た?」
「それは……」
父にそう問われたメドゥバルが、言い淀みながらこちらを見る。
事前に全部隠し立てなく話せとは言っておいたのだが、やはり気が咎めたらしい。
「問題ない、全部話せ」
「かしこまりました……マッキャノ族はフーシャンクラン様の畑に作物が実り、タヌカンよりポーションが流通するようになった事を見て、タヌカン辺境伯家がこの宝を手にしたと考えたようです」
「なるほど」
つまり、やはり彼らの軍を呼び込んでしまったのは俺だったのだ。
「だが、我々は彼奴らを追い払った。もう戻って来ることはなかろう」
「恐れながら辺境伯様、五百人の軍は彼らの先見隊に過ぎませぬ……」
俺はメドゥバルの肩を叩き、彼と場所を交代した。
ここから先は俺の責任において、俺が話した方がいいだろう。
「皆聞いてくれ。マッキャノは恐らくもう一度来る。今度の兵は千人、いや……二千人を超えるかもしれない。なぜならば、俺が彼らにこの剣を見せてしまったからだ。彼らを本気にさせてしまったからだ」
そう言いながら、俺は腰からエメラルド・ソードを引き抜いた。
部屋中の者たちの視線が、薄緑色の光を放つその大業物に釘付けになったのを感じる。
「フーシャンクラン様の持つこの剣は……マッキャノ族の祖、ラオカン大王の持っていたという剣の記述と似ています。相手としても捨て置けぬかと……」
「そうだ、こいつは宝だ。俺は馬鹿だから、なかったはずの宝を作って、あいつらに見せつけてしまったんだ……だから次に奴らが来たら、俺は責任を取って奴らの所へ行き、俺だけの
俺がそう言うと、部屋中から絶叫じみた否定の声が飛んだ。
「馬鹿な!」
「ありえん!!」
「もう一度奴らを蹴散らせばよい!」
「心配せんでもわしの策はまだあるぞ!」
「フーシャンクラン様を引き渡すぐらいならば! 今度こそ城を枕に討ち死にして果てましょうぞ!」
「そうだ! マキアノ族何するものぞ!」
「フシャ様! どうかご再考を!」
だが、俺はそれに頷かなかった。
元々あの砦で死んでいたはずの命なのだ、俺にとってこの仕事はあの続きなのだった。
「幸い、俺は少しマッキャノ語がわかる。もしそうなれば、上手くこれまでの事は全て俺とこの剣のためだと説明するさ。これは父も納得済みの事だ」
「デントラ様!?」
「なぜじゃあ! 他にいくらでも死んでいいやつはいるはずじゃ!」
悪いが、責任を取るのも貴族の仕事なんでね。
死んでもいい奴はいくらでもいるが、その死に意味を持たせられる人間は一握りなのだ。
そんな事を考える俺に、椅子から立ち上がった父は皆へ聞こえるように尋ねた。
「フーシャンクラン、最後にもう一度だけ聞くが……本当に良いのか? その剣だけ置いて王都のリーベンスの元へ逃れても、誰にも文句は言わせんぞ」
「父さん、俺はもう男だ。やるべき事をやる、それだけだよ」
「そうか……」
父は少し迷ってから、がしがしと俺の頭を撫で、その胸に抱いた。
果たして、冬が終わる前に再びマッキャノ族はやって来た。
軍楽を吹き鳴らす大音楽団を引き連れ、二万人を超える軍を率いての大遠征だった。
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Emerald Sword編、前回もう一話で終わりって言いましたけど、手首痛すぎて最後まで書ききれませんでした……もう一話追加します。
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