Emerald Sword2

ある朝、短弓を背負った異民族の斥候が二人、馬に乗ってやって来た。


タヌカン城から騎兵が十人ほど出てバラバラと矢を放つと、彼らはすぐに引き返していった。


翌日、斥候は四人やって来た。


また出撃したこちらの騎兵と何度か矢の撃ち合いを行い、彼らは帰っていった。


その翌日、敵の騎兵は十人に、その翌日には三十人に……


一週間後もする頃には敵の数は二百人をゆうに超え、拠点を作るための石を馬車で運び込み、まるでこちらを挑発するかのように堂々とそれを積み始めた。


こうなると、圧倒的に数に劣るタヌカン騎士団は迂闊に近寄る事もできなくなってしまい……


何の通達も口上もなく、タヌカン領と異民族はいつの間にか戦争状態に突入したのだった。



「馬具の装飾から見るに、あれはマキアノ族の軍だ」



城の大部屋に設けられた会議の場にて父がそう言うと、集まった面々に動揺が走る。


この会議には城の騎士団はもちろん、港を取り仕切る兄とその部下、そして俺とその部下であるイサラとキントマンまでもが参加していた。



「マキアノ族がなんで急に?」


「最後に大きくやり合ったのは爺さんの代だろう?」



マキアノなどと言っているが、正直勢力の規模からすればマキアノ国と呼ぶ方が正しいだろう。


そんな彼らの領域に接したこの城がこれまで見逃されて・・・・・いたのは、はっきり言って穫るものがほとんど何もなかったからだ。


何十人かの騎士をなんとか殺して、手に入るのは寂れた港と小さな城、割に合わないから放っておかれていただけだ。


だからここ何十年か、こうした大規模な侵攻はなかったのだ。


つまり、彼らが狙ってきたのはまず間違いなくうちの畑なのだった。



「狙われているのはうちの畑ですか?」



俺が単刀直入にそう聞くと、父は首を横に振った。



「最初はそうかとも思ったが、あんな畑一つにわざわざ付城を作ってまで攻め入る理由はない。普通ここまで大規模に攻めるのならば、もっとまともな土地をとるはずだ」



まあたしかに、そういう向きもあるだろう……はっきり言って俺が用意した肥料や薬をまともな土地に投入していれば、比喩抜きに今の十倍ぐらいは作物が取れているはずだ。


本来ならばわざわざ荒野に畑を作るぐらいなら、命を懸けてでも人から畑を奪ったほうがよっぽどいいのだ。



「では何が目的で……」


「わからん、いよいよフォルクに侵攻するつもりなのかもしれん」


「デントラ様、王都へは……」


「既に商人を通じて王都へは連絡を送ってある、リーベンスにもな」



リーベンスというのはこのタヌカン辺境伯家の長男で、今は王都で第二王子の派閥の重要人物として活躍しているそうだ。


王家に直接顔が利く長男の存在は、こういう時は正直ありがたかった。



「おお、若様であればきっと援軍をこの地に送り届けて下さるはず」


「となると、我々はここで耐え忍ぶのが最善ですか……」



まあ、さすがに兵士の人数が全く違うからな。


あっちはとりあえずでポンと二百人、こっちはこれから町で数合わせの兵士をかき集めたところでギリギリ三百人もいるかどうか。


それも元々食うや食わずの連中ばかりで、あんまり徴用すると下手をすれば春が来るまで城の食料が持たない可能性もある。


今は商人に頼めば食料も手に入るが、戦争が続けば相手も海に出て補給路を妨害してくるだろう。



「騎士団は城を堅守せよ」



父が静かにそう言うと、騎士たちは厳かに頷いた。



「コウタスマは港を守り、いざとなれば皆の妻子を連れて落ち延びろ」



次兄はうっとおしそうな前髪を指で払い「了解した」と返す。



「フーシャンクランは薬を作り、山から木を切り出して城へと貯蔵するように」



まあ、俺にできる事はそれぐらいだろう。


俺が「承知しました」と返事すると、父はこちらに小さく頷いた。



「では、戦の準備にかかる。監視は密に、収穫した食料は保存食にし、矢も作れ。……それと、フーシャンクランは残れ」



父がそう言うとめいめいがすぐに動き出し、がらんとした大部屋には父と俺と部下の二人だけが残った。


彼に手招きをされたので近づくと大きな掌で肩を掴まれ、そのまま抱きすくめられる。


父の胸板は分厚く固く、暖かった。


そして彼は俺を抱いたまま穏やかな声で、子供に言い聞かせるように話し始めた。



「いいか、畑の事は気にするな。俺の許可した事だ」


「……はい」


「困難というものは、生きていれば向こうからやってくるものだ。その時にどう動けるかで、男の価値は決まる」


「はい」


「俺は領主として、そして男として戦をやる。だがお前にはまだ少し早い、今は自分にできる事をやれ。母さんやムウナを泣かすなよ」


「はい!」



父は俺の背中をポンと叩いて「行け」と言った。


俺はそれに頷きを返して、イサラとキントマンを伴って部屋を出た。


やる事は山程ある、もはや言い訳をしている暇などなく……


するべき相手もまた、いなかった。






「では私は地精に働きかけ、城壁を補強しましょう」



畑の周りで作業をしていた配下たちを集めて状況を説明すると、魔法使いのイーダがすぐにそう進言をしてきた。


敵がカタパルトのような攻城兵器を持つと聞いた事もないが、魔法使いのいる世界だ、城壁は丈夫であるに越した事はないだろう。



「じゃあイーダ、頼めるか? 箇所はグル爺と相談してくれ」


「かしこまりました」



そう指示を出し終わるが早いか、すぐに毛むくじゃらの短い手が上にあがった。



「フシャ様よぅ、俺ぁ農具を溶かしてやじりにでもしてようか?」



岩人ドワーフの鍛冶師コダラが、上げた指の先をちょいちょいと動かしながらそう言った。



「いいや、それは城の鍛冶師たちの仕事だ。コダラには別にやって欲しい事がある」


「そうかい」



次に上がったのは、コダラよりももっと短い手だった。


それも、沢山のだ。



「はいはいはいっ! フシャ様! 俺たちは何したらいい!?」


「剣持って戦う!」


「やっつける!」


「あたし、引っ掻いてやるの!」



そう息巻く子供たちに、俺は城の方を指さした。



「子供たちは城の中の手伝いだ、やる事は山ほどあるぞ」


「えーっ!」


「俺たち畑を守れるよ!」


「畑なんかまた作ればいい、今はとにかく皆で協力する事が大切だ。マーサ、子供たちを頼むぞ」


「おまかせ下さい」



子供たちは騎士たちの家族でもある、騎士たちに憂いなく戦ってもらうためには城の中に留めておく必要があった。


子供たちを見送り、キントマンと他の者には木の伐採と輸送を頼み、俺はイサラとコダラを連れて研究室へと向かった。



「コダラに頼みたい事ってのはこれだ」



俺は研究室の片隅に置かれた宝箱を持ち出し、普段から首にかけていた鍵を差し込んでコダラの前で蓋を開く。


その中には、いざという時のためにと父から預けられていた十枚の大金貨があった。



「これで俺になンか買い付けてきて欲しいのか?」


「いいや、これを潰して子供たち全員分に分けてくれ。なくさないように……そうだな、首から下げれるように指輪にでもしてくれ」


「こんな大金をそんな使い方していいんかい?」


「俺にだって……羞恥心はある。やれる事はしてやりたいのさ」



なんだか思案顔のコダラは俺から恭しく大金貨を受け取り、おっかなびっくり歩きながら部屋を出ていった。



「フシャ様、あれは辺境伯様が御身のためにと……」


「俺は故郷を捨てる気はないよ、そのためにリーベンスの兄貴が外にいるんだ。それよりイサラ、できればいざという時は子供たちを……」



言いかけた俺の口を、イサラの冷たい手が覆った。



「その先は勘弁してくださいよぅ、デントラ様からフシャ様の事を頼まれてるんですから」


「……そうだな、悪かった」



たしかに、イサラは父の騎士だ。


俺に命令されるいわれはなかったな。




「じゃあ、水薬ポーションを作るから手伝ってくれるか?」


「そのぐらいならば、いくらでも」



戦争になるならば、ポーションなんかいくらあったって足りないものだ。


この日、研究室の灯りは遅くまで消えずにいたのだった。






ーーーーーーーーーー






祖父の代以来のいくさが始まった。

いつもの偵察兵相手の小競り合いじゃない、おとぎ話の中のものだった本物の戦が、俺の代にやってきた。

若かりし頃の祖父は強かったのだと、父がよく話してくれたものだ。

精強な槍使いだった祖父はマキアノの大将軍チヤバと一騎打ちをしたが、十度打ち合っても決着がつかず、互いに健闘を称え合ったのだという。

そんな話に聞くだけだった戦が、もしかしたら死ぬまでないかもしれないと思っていた戦が、目の前にやって来ていた。

城から見える丘の上に雲霞うんかの如く敵兵が集い、日毎に砦が築かれていく中にあっても、騎士の中に怖気づくような者は一人もいない。

なぜならば、この戦はただの戦ではないからだ。

こちらにはフシャ様がおられるからだ。

あの方は必ず将来大人物になるであろう。

その人生は必ず、伝説として編纂へんさんされるに違いない。

そうなれば、この戦はただの辺境の小競り合いなどではない。

うまくすれば、歴史に名の残る戦なのだ。

あの強かった祖父の名ですらも、今や俺と養い子の中にしか残っていない。

だが、何者でもない騎士の小倅こせがれの俺の名が、此度こたびの戦では後世に残るかもしれないのだ。

遅れを取らず勇敢に戦いさえすれば、フーシャンクラン様のために戦った殉教者としてきっと俺の名が残る。

きっと祖父も父も、空の上で歯噛みをしながら俺の事を見ているに違いない。

創世記ジェネシスの中に、俺はいる。

二十も四つを過ぎるまで生きた、家を継いでくれる養い子もできた。

さあ一世一代の大舞台だ、遅れを取るまいぞ。


ある騎士の日記

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