Emerald Sword3

戦が始まって一ヶ月。


タヌカン騎士団はまさに獅子奮迅の働きを見せていた。



「突き落とせーっ!」


「わっしょい!」


「石をもっと持って来い! 畑の側に山ほどあったろうが!」



城壁に梯子をかけようとする敵兵を槍や棒で突き落とし、壁を砕こうとする者には石を投げ落とし弓を射掛ける。


戦とは守り手が有利なもので、圧倒的な人数差を前にしても未だ城は健在だった。


士気旺盛な騎士団は城壁へと津波のような勢いで押し寄せる敵の軍団を二度三度と打ち破り、港へと迫ろうとする敵も魔法使いのイーダが町の中に拵えた迷路へと引き込んで撃破する。


敵の死体は山と積み上がっているが……運が良く、策略も決まった事もあってか、こちらの死者は未だ数名といった状況だ。


町人たちも大半は港へと避難したが、一部の者は志願をして兵に加わっていた。



「矢でやられた! 水薬ポーションを持って来い!」



戦が続けば続くほどポーションの消費も大きくなる。


素材の方はもうとっくに底を付き、今は用意できたポーションを水で薄めて等級を分け、なんとかやりくりしているような状況だ。


城の一角に設けられた治療場で、俺は女たちと共に連日兵の治療に当たっていたが……


いい加減に薬棚の底が見え始めていた。



水薬ポーションの量が心もとない状況でございますなぁ」


「いいかげんに港に素材が届いてもいいはずなんだがな……」



俺はグル爺にそうこぼすが、そんな事を言っていても仕方のない状況だ。


届いたら、届いていれば、では助かる命も助からない。



「仕方がない、山へ取りに行くか」


「それはいけません!」



グル爺が珍しく声を荒げた。



「何がいけない」


「危険が過ぎましょう」


「今一番危険に晒されているのは兵だろう」



俺がそう言うと、彼は言葉もなく首を横に振った。


そしてその隣から、俺の護衛としてついていたイサラも異を唱える。



「フシャ様は城にいてくださいよぅ、キントマンあたりにそれっぽい草を全部毟ってこさせますから」


「よく使う薬草だけじゃなく、薬効を代替できる物も探そうと思っている。さすがに何でも万能回復薬ポーション頼りではもうもたない、鎮痛は鎮痛、解毒は解毒で個別に作った方が節約になるからな」


「しかし、御身は……」


「もうすぐに冬だ、今を逃せばどのみち薬草なんか全部枯れちまう。材料がなきゃあ錬金術師なんぞ何の役にも立たないだろ。それに……こういう時のための護衛だ」



俺がそう言うと、イサラはぐっと押し黙った。


ポーションが作れないならば火薬でも作ろうかと思った事もあったが、硝石や炭はともかく硫黄が全く足りず、手が出せなかった。


そして錬金術師としての仕事ができない以上、俺は戦力としても、辺境伯家の人間としても、今間違いなく死んで問題のない部類の人間なのだ。


死にたいなどとは微塵も思わないが、今は非常の時。


命に順番ができるのは仕方のない事だった。



「俺だって死ぬ気はないよ。だが、これは俺にできる事・・・・の範疇だ、違うか?」


「……いえ、でしたらお供仕りますよぅ」


「悪いな、夜更けに出る」



俺はキントマンにもそれを伝え、塔にある自室で早々に睡眠を取ったのだった。


そして夜も更け始めた頃、メイドのリザに起こされてもぞもぞと起き上がり手早く服を着る。


リザに茶を一杯所望して、準備の間に塔の上に登ると……暗闇の中にランプの光が一つ。


目を凝らせば、闇の中でグル爺が安楽椅子に揺られながら星を見上げていた。



「こんなとこで寝てると風邪引くぞ」


「ああ、フシャ様ですか」



椅子を軋ませながらグル爺が姿勢を正すのを音だけで感じながら、俺はいつものお立ち台に立って荒野を見つめる。


暗闇に呑まれた荒野の中に、敵方の燃やす焚き火の光だけがちらちらと揺れていた。



「マキアノの戦士も夜は眠るか」


「そうでもありません、先程も弓矢の音がしておりました」


「何が欲しくてこんな城を狙ってくるんだか」


「それも聞いてみなければわかりませぬが……なにぶん言葉が通じませぬからな……」



グル爺はそう言いながら安楽椅子を揺らす。



「時にフシャ様、小耳に挟んだのですが……なんでも生まれる前の事を覚えておいでとか」


「うん?」



生まれる前……ああ、もしかしてこの間ミメイに話した事が誰かに伝わってしまったのかな。



「あれは冗談だよ」


「そうですか、なにぶんなかなか興味深い冗談でしたので……生まれる前のフシャ様はどういうお方だったのかが気になりましてな」


「普通の奴じゃないかね」


「そちらのフシャ様はレウルオラ様には会えましたかな」



レウルオラというのは、フォルク王国で信じられているアルドラ教における創造神だ。


アルドラの教徒は皆自分がレウルオラ様に作られたと信じ、朝と夕にレオーラと祈りを捧げて暮らす。


だが、俺はそんな創造神は見たこともなかったし、信じてもいなかった。



「残念ながら」


「向こうの教会はいかがでしたかな?」


「教会なんてなかったんじゃないかな? アルドラ教なんてないかもしれないよ」


「では、どのような……?」



グル爺はどうも俺のホラ話が気になって仕方がないらしい。



「言ったろう、冗談だよ冗談」


「冗談でも、よいのです……」



彼の声音には、なんだか寂しそうな響きがあった。


まぁ、こんな状況だ。


この会話が十年世話をした子供との今生の別れになるかもしれないのだ、仕方がない事かもしれない。


俺は苦笑しながら、前世の話を続けた。



「冗談の世界の俺は仏教徒って言ってな、仏陀ってのを信じてたのさ」


「ブッダという神ですか、その神が世界をお作りになったのですかな?」


「いいや彼は神じゃない、修行をして悟りを開いた人の事さ。煩悩やあらゆる苦しみから抜け出した人だ」


「ではその方が皆を救うと?」


「そこまでは知らないな。俺が信じていた南極なんごく真宗じゃあ……人は南の果てにあるという極楽を目指して何度も生まれ変わり、ブッダのように悟る事を目指して修行をするって話らしい」



俺は宗教家じゃない、むしろ宗教なんか意識もせずに暮らしてきた方だ。


家の宗教の教義も詳しく知らないし、興味だってなかった。


ただ死んで生まれ変わって、家族や友と待ち合わせた場所に行けなかったという事だけが、少しだけ悲しかった。



「生まれる前のフシャ様は、良き人生でしたかな?」


「前世のかい? まぁ、ぼちぼちかな。でも……」


「何か?」


「笑って死ねなかったのが、心残りかもしれないな。きっとそのせいで、死に惑ってしまったんだろう」


「それは……」



グル爺が何かを言いかけたところで、塔の屋上への出入り口が開く音がした。



「フシャ様、準備ができましたよぅ」



暗くて見えないが、イサラが呼んでいるようだった。



「フシャ様、最後に一つだけ。この世は……いかがですか?」


「前とあんまり変わらんな……いや、冗談だよ。忘れろ」



俺はグル爺にそれだけ言い残して、塔の中へと入った。


そこにはキントマン他何名かが、完全装備で待っていた。



「月のみぞ知る道を指し示せ」



魔法使いのイーダがそう唱えると、急に暗闇の中がよく見えるようになった。


どうやら、暗視の魔法を使ってくれたらしい。



「じゃあ、行くか」



俺は角の生えた剣士であるイヌザメの背中におぶられて城を出る。


冷たい空気の中に浮かぶ月と星だけが、じっと俺たちを見下ろしていた。






—-------






つむじかぜ』のキントマンより文が届いた。


俺の昔いた傭兵団の頭目で、家としても主家に当たる方だった。


まだ生きていたのかと思いながらも手紙を開くと、彼のよく炊いていた香の臭いがして、懐かしい気持ちで胸がいっぱいになる。


我々の生家があった里が壊滅してしばらく放浪したのち、俺は彼の下を離れた。


あの頃の傭兵団にはろくに仕事がなく、食っていくのもやっとの状態で……


そんな中俺には惚れた女ができて、俺を必要としてくれるカタギの仕事も見つかった。


だから「いつかまた故郷となる場所を見つけられたら、必ず再会しよう」と約束をして、彼らと別れたのだ。


あの時は本気だった。


キントマンから手紙が届けば、全てを投げ出してでも向かうという気持ちがあった。


三年経っても、手紙を待っていた。


だが五年が経ち、十年が経つ頃にもなると、俺はもうすっかり親父になっていた。


子供も三人でき、妻の親から引き継いだ農地は今年も豊作だ。


キントマンの事なんて、完全に忘れていた。


いや、忘れようとしていたのかもしれない。


血生臭く、いつも飢えと死に怯えていた暮らしを、自分の人生の中からなかった物にしたかったのかもしれない。


……だが、俺は手紙に書かれたキントマンという名を見た時から、なぜだか弾み始めた心を押し止められなかった。


あんなにうんざりしていた戦場の燻った灰の臭いが、鼻の奥に香ったような気がして、仕方がなかった。


もどかしくも封を切ると、入っていた紙は一枚だけ。



『約束の地にて待つ』



タヌカン辺境伯領という地名と共に、そう書かれていた。


俺は釘抜きを持ってきて、家の壁板を引っ剥がす。


そこには真っ赤に錆びた戦斧と、ボロボロに朽ちた戦装束がゴミのように積まれていた。



「あンた! 何してんのさ! 壁なんか引っ剥がして!」


「行かなきゃあ……」


「どこにだい! また賭場じゃあないだろうね!」


「あの日守れなかった故郷にだよ!」



俺はツギハギだらけの一張羅を着込んで、戦斧一本と兜を担ぐ。


妻と子供たちと義理の母が見守る中、俺は靴紐を固く結びつけた。



「一体どこ行く気なんだい! これから冬になるんだよ!」


「……春までには戻る」



すっかり何もなくなった畑のわき道を、つんのめりながらも走りだす。


あの頃と違い、身体も全然動かない、ちょっと走っただけで脇腹が痛み、呼吸も苦しくなる。


それでも真っ白な息を吐きながら、これまでは絵の背景のようにそびえ立っていた山に向けて進む。


カラカン山脈の頂上は、もう雪で白く染まりはじめていた。

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