The Wanderer5
ポーションで食料を買う契約をしたという事は、ポーションを量産しなければいけないという事だ。
ある程度は買える材料もあるが、全ての材料を商人から手に入れるのは躊躇われた。
基本的なポーションのレシピは出回っているが、細かく調整をして効果や保存期間を高める技術は錬金術師個々の財産である。
今商人たちがそこそこ高めにポーションを買ってくれるのは、俺が独自にアレンジを施したレシピがまだ誰にも知られていないからに他ならない。
いつかそこも解析されて安く買い叩かれるようになるのだろうが、できるだけ高値がつく期間は伸ばしたいもの。
そのために、俺は十人ほどの護衛の騎士を伴ってカラカン山脈へ採集にやって来たのだった。
「人に言って取りに来させるんじゃ駄目だったんですか?」
不毛の荒野と違ってわりかし緑の多い山の裾野を歩きながら、イサラは愚痴る。
この辺りには木を切るために人が立ち入るため、ちゃんと道ができていた。
「それじゃあ何が生えてて何に使えるかわかんないだろ」
「錬金術師の事はよくわかんないですけど、普通の人はまず作るものを決めてから物を集めるんじゃないですか?」
「わかってないなぁ。錬金術師ってのはさ、物を見ればなんとなく作れる物やその効果がわかるんだよ」
「そんなのフシャ様だけですよぅ」
そんな事はないだろう。
錬金術ってのは才能さえあれば、それこそ本を読んだだけの辺境のガキがポーションを作れる程度にはシンプルなのだ。
辺境の素材ですら割りと感覚だけでなんとかなるのだから、きっと様々な材料が集まる港にいる錬金術師なんかは、
「おっ、この草なんかいいぞ。なんとなく化粧水なんかに使えそうな気がする」
「なんとなくで薬作るのはやめてくださいよぅ」
護衛の騎士が持つ籠にどんどん草花や茸を放り込みながら、ちょっと肌寒いぐらいの山道を登っていく。
この山は越えようと思えば非常に険しいが、途中までなら行楽に使える程度の傾斜しかない、いつか子供たちを連れて遊びに来てもいいかもしれないな。
「いつかは薬草の類も畑で育てたいなぁ」
「そーしてください、山は危ないですから……」
そう言いかけながら、イサラは突然剣を抜き放った。
場にいる全員が何事かと見守る中……
彼女はその切っ先を山頂側の木々の間に向けながら、大音声で誰何をした。
「何者か! 姿を見せよ!」
周りの騎士も慌てて剣を抜き放ち、俺は騎士の手を離れた籠を地面に落ちる前に受け止める。
籠を抱きしめるようにしながらイサラの剣の先を見ていると……誰もいないように見えた木々の間から、背の高い銀髪の男が音もなく姿を現した。
「落ち着けよ、敵意はない」
「全員出てこい!」
「だってよ」
男がそう言うと、その背後からぞろぞろと人が出てきた。
ローブを着て杖を持った優男や、耳の尖った弓手、大剣を背負う角の生えた大男、そして噂に聞く
「姿を現したぜ、剣は下ろしな嬢ちゃん」
「魔法使いがいるのに下ろせるかよぅ。貴様ら全員武器を捨てろ」
イサラの髪から飛び出した妖精が彼女の剣の周りをぐるぐると回り、剣身が仄かに青白く光りはじめる。
「……うん? 女の妖精使い……それも、若い金髪……辺境……ああ、驚いたぜ! まさかこんなところで『濁り』のイサラに会えるとはなぁ!」
男の言葉に、背後の男たちの緊張が高まったように見える。
武器を構えまではしないものの、明らかに身構えているようだった。
「だからどうした、地獄への土産話にでもするか? 三度は言わん、武器を捨てろ!」
イサラがそう言った瞬間、男の手に抜き身の剣があった。
目で捉えられないほどの早業で抜かれたのは、真っ黒の剣身に金色の文字が書き連ねられた、美しく荘厳な剣だった。
「チッ……こんなところに『
イサラが剣を肩に担ぐと、剣身がバチバチと音を立てる。
一触即発のその空気の中で、俺は後ろから彼女に声を投げかけた。
「待ちなよ、何もこんなところでやり合う必要はない。話を聞いてみよう」
「フシャ様、お下がりを……」
俺は地面に籠を置き、少しだけイサラの側に近寄った。
「そっちは何故こんな山の中に?」
そう問うと、黒い剣を持った男は、イサラの剣からも視線を外さないように俺の顔を見つめた。
「……グルドゥラの爺さんがこの先にいるって聞いてな、会いに行く途中なのよ」
「グルドゥラ……ああ、なんだグル爺の客か」
グル爺は俺の世話役の老人で、昔はフォルク王国で結構手広くやっていたと聞く。
きっとこの男はその頃の知り合いなのだろう。
「グル爺なんて呼び方をするって事は、あんた辺境伯家の人かい?」
「タヌカン辺境伯家、三男のフーシャンクランだ、グル爺は俺の世話役なんだよ」
男はほおーっと頷きながら、しゃがみ込んで俺と目線の高さを合わせた。
「俺たちゃ傭兵団でよ、あの爺さんとは昔一緒に仕事をした事があったんだよ」
「なるほどね」
「坊っちゃんはこんなとこで何をしてたんだ?」
「貴様、フーシャンクラン様を気安く呼ぶな!」
俺はまぁまぁとイサラの腰を掌で叩き、地面に置いた籠を指さした。
「俺は錬金術師でね、素材を取りに来てたのさ」
「素材をね……しかし無用心だなぁ。王都に名を馳せた『濁り』のイサラはともかく、他の連中はどうにも弱っちぃ。坊っちゃんあんた、俺たちが野盗だったら死んでたよ」
「ここらへんは割りと安全なんだよ」
「まぁしかし、今日みたいにいざって時はあるもんだ……心配だなぁ、心配だ」
そう言いながら、男はなんだかわざとらしく、いい事を思いついたとでも言うようにポンと手を叩いた。
「そうだ! あんた俺たちを雇わないか? 自分で言うのもなんだが、俺たちは腕っこきだ。『
「ふざけるな。貴様らなんぞ私一人で十分皆殺しにできる」
「もしかしたら、そうかもな。でも坊っちゃん、見たところあんたまだ若い。その女だってあんたの親がつけた騎士で、あんた自身の騎士じゃないんじゃあないか?」
「…………」
俺の反応から何かを読み取ったのだろうか、キントマンと名乗った彼はなんだか嬉しそうに言葉を続けた。
「そういう騎士はあんたのためには死んじゃくれないぜ、ちゃんと自分で雇った人間じゃないといざってとき安心はできないもんだ」
「フーシャンクラン様のために死ねるかどうか、今ここで試してやろうか……」
キントマンは凄むイサラに不敵な笑みを見せながら、手に持っていた剣をポンと放り、親指で自分の胸をトントンと突いた。
「その点、俺たちなら安心さ。あんたと生きて、あんたと死んでやる。傭兵ってのは
まあ、俺を見込んで売り込んでくれるのは嬉しいし、イサラばかりに負担をかけている自覚はあるから腕っぷしが強い人間は欲しいは欲しいのだが……
いかんせん、俺の方に準備ができていない話だ。
「たしかに自分で雇ってる騎士がいたらいいかなって思うけどさ、悪いけど俺は三男坊で自由にできる金がないんだよ。他に食わせていかなきゃいけない人間もいるし、良かったらうちの父に紹介するから……」
「まあ待て、そう結論を急ぐな……」
キントマンはそう言って、後ろにいるローブの男の方を向いた。
ローブの男が彼に近づき、耳元で二言三言話した後、彼はまた顔をこちらへ向けた。
「儲かるまで金はいい、俺たちには定住地が必要なんだ。あんたを儲けさせて、そこから分前を頂く、どうだ?」
「いや、うちの城の周りには傭兵団のするような仕事はないよ。兄が港を取り仕切っているから、良かったらそちらに紹介を……」
「いや待て、結論を急ぐな!」
キントマンはまた後ろを振り返り、ローブの男と視線を交わした。
小声で何かを話し合い、ローブの男は彼の肩を叩いて戻る。
「こちらから支度金を払ってもいい」
「なんで?」
意味がわからない。
どう考えても雇われる側が雇う側に金を払う必要なんかないだろう。
「フシャ様、こいつ何か企んでますよ、領に入れず追い返しましょう!」
「いや待て待て待て!」
キントマンは焦ったようにそう言って、顎をポリポリとかいた。
後ろからローブの男が近づいてきて、彼の耳元に何かを囁く。
「そうだ! 俺をお前の最初の配下だと宣言してくれ! それでこちらは必ず採算が取れる。辺境伯家の三男の腹心の部下……うん、先を見据えればその価値はデカいぞ、うん」
まぁ、辺境伯というネームバリューを考えれば……そういう事もあるか。
俺の独り言で部下が町の孤児を養子にしてしまった事もあるぐらいだ……
根無し草の傭兵にとっては、何の実権もない三男の部下という立場でも、意外と馬鹿にできないのかもしれないな。
前世には鶏口牛後という言葉もあった。
すでに組織が出来上がっているところでほどほどのポジションを得るよりも、まっさらな主人の最側近を選ぼうという気持ちは理解できるような気もする。
だが……それにしても俺の下ってのは尖りすぎだ。
彼は有名人の腕っこきらしいし、きっともっといい雇用先はどこにでもあるだろう。
「いや、やっぱりちゃんと給料を払えないんじゃあ申し訳ないから、俺ではだめだと思う」
「ちょっと待ってくれ! もうちょっと考えて……」
「しつこいぞ!」
断っているのに、キントマンはなぜか俺の足に縋り付かんばかりに近づいてきていて、イサラに足蹴にされている。
「錬金術師なんだろう!? うちには魔法使いも鍛冶師もいる! 必ず採算は取れる!」
なぜこんなに激しく売り込みをされているのかわからないが、いつの間にかキントマンの部下たちも地面に座り込んで頭を下げていた。
「なあ! 頼むよ! 俺をあんたの部下にしてくれよ!」
キントマンは俺の足に縋り付いて、ほとんど土下座のような格好になった。
「迷惑はかけねぇよ! 名誉の他に何もいらねぇ!」
今度は泣き落としに入ったキントマンに、ほとほと困ってしまった俺が騎士たちの方を見ると……
なんと彼らはこの光景のどこに感極まるところがあったのだろうか、男泣きに涙を流して鼻を啜っているようだった。
騎士としては何か
「あんたの一番槍になりたいんだよ! それ以外は何もいらねぇ! 駄目ならいっそここで殺してくれ!」
見れば、先程まで邪険にしていたイサラまでが、必死に縋り付くキントマンにこれ以上蹴りを入れられずにいるようだった。
これは、俺が狭量だという事なんだろうか?
辺境伯の三男たる者、売り込んでくる部下を皆食わせるぐらいの器量は見せられなければいけないのだろうか。
大の大人に足に縋り付かれながら天を仰ぐが、真っ青な空は何も答えてはくれない。
結局俺は流されるがままに、傭兵団を伴って城へと帰ったのだった。
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最初の記憶は、
木々が後ろへ吹っ飛んでいく速度で銀色の鎧を着た騎士達の列の横っ腹に突っ込み、俺の頭の上で腕が振るわれるたびに鮮血が舞い、騎士の腕や首が落ちる。
そんな最初の記憶が日常になるのに時間はかからなかった。
俺の生まれたゴドル家というのは、何百年も前から傭兵をやっている由緒正しいごろつき一家だ。
そしてその次男として生まれたからには、当然俺も傭兵として槍働きをする事になったからだ。
玩具の代わりに弓を引き、寝物語の代わりに一族の武勇伝を吹き込まれた。
「キントマン、お前に百人を預ける。フォルクの村を四つ焼け」
「承知した」
十二歳の夏に親父とそんなやり取りをしてからは、もう延々と戦いの日々だ。
ベント教国に頼まれてはフォルク王国の村を焼き、フォルク王国に頼まれてはベント教国の村を焼き。
のこのこやって来た敵方の騎士団を罠にかけては身代金を取り、歩兵の群れに突っ込んでは目につく限り殺し回った。
今では母親の顔も覚えていない四人目の子供を抱く頃には、俺は『
だが、名が知れるという事の意味を理解したのはそれから数年後、二十代に入ってしばらくしてからの事だった。
「嘘だろ……」
戦から帰ってきた春先、傭兵団の本拠地の里は焼け跡だけを残してなくなっていたのだ。
父祖から受け継いだ家も、女たちも子供たちも、屈強な兵士も、宝も酒も、家族も、誇りも、全てが灰に塗れて、ただ風に吹かれていた。
名が売れたから、富を築き上げたから、それが何だと言うのだ。
そんなものはひと冬のうちに消えてしまう、儚い幻想でしかなかった。
俺たちは里を焼いた他の傭兵団を突き止めて鏖殺したが……
本拠地もない傭兵団に大きな仕事ができるわけもなく、本拠地を構えるほどの人数もなく、結局ゴドルの末裔たちはそのまま流浪の民となった。
飆のように、どこにも行き場なくグルグルとあちこちを回るだけの暮らしを続け、もといた仲間は一人、また一人と抜けていき、生き残りの傭兵団はだんだん小さくなっていく。
だが、それで良かったのだ。
殺して、殺されて、奪って、無くして、そんな暮らしは馬鹿げている。
俺はそんな暮らしを二十年余りも続けて、ようやくその事に気づけたのだ。
だが、だからと言って、そこから抜けられるかどうかは全く別の問題だ。
結局のところ俺には殺し以外の能力がまるでなく、死ぬ時までこの螺旋からは抜けられないのだろうという事には薄々気づいていた。
敬虔に教会に行く奴らのように、それが罪だなんて事は微塵も思わなかったが、今はもう逆に正しいとも思えない。
ただ流れるだけ流れて、団がなくなる頃には自分も消えるのだろうと、そう思っていた。
しかし同じ場所を回っていれば、不思議と入ってくる者もいるもので、根無し草の傭兵団には、他からあぶれたような者たちが段々と集まってくるようになっていた。
嫌われ者、異民族、老人、
町や村を回って、魔物を追ったり自分たちとほとんど同じような野盗を狩ったり、頼られ、感謝され、蔑まれ、追いやられ、また頼られ。
場所だけ変えてずっと同じ事をやっているように思えたそんな暮らしも、三度目の春を迎えたところで終わった。
簡単な魔物退治の依頼を受けたと思ったら、そこには
運が悪かったのか、依頼主の連中に嵌められたのかはわからない。
ただ俺と
それから気がつけば、俺たちはカラカン山脈の近くの寒村まで流れ流れていた。
そこに
五体満足で、何人かの仲間が残った。
きっとキントマンという人間の締めくくりとして、これ以上望めないぐらいの場所だろう。
そう考えていた俺の下に、一通の手紙が届いた。
何度か一緒に仕事をした事のある、今はカラカン山脈の向こうにいる老将軍グルドゥラからの手紙だった。
『見つけた』
手紙には一言だけ、そう書かれていた。
そういえば、昔からこういう変なところのある人だった。
俺を見つけて何か頼みでもあるんだろうか、そう思いながらも、諧謔にと一言だけ問い返す。
『何を』
と、そう送って返ってきた返事はまた一言。
『永遠を』
正直、手紙の真意はわからなかった。
だが、あの老将軍がわざわざ俺に送ってきたという事は、必ず何かがあるはずだ。
それに手紙に書かれた『永遠』という文字が、俺にはなぜだか行き詰まった人生に下ろされた天からの梯子のように見えた。
理屈ではなく、ただどうしても真意が知りたくなった。
手紙を送り返すのももどかしく、俺は手紙を受け取ったその日のうちに寒村を発った。
残れと言った余の者も、せっかく工房を持ったはずの
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