第29話 美冬

牧雪彦の家は、高台のちょっといいお家が並んでるエリアにある。当然といえば当然だけど、いわゆる高級住宅街で、田舎だからそんなたいしたものでもないとはいえ、立派なお家が並んでいる一帯。夏の花火大会の時、よく見えるからどうぞって招いていただいて、新聞部のメンツでお邪魔した時にはじめてうかがったんだけどさすがに気後れしそうな立派なお家だった。

今日が都合がいいってことで連絡もらって、父の車でお邪魔する。雨だから父が空いてて助かった。ゲートでインタホン押すと自動的にゲートが開く。


「父が、よければお父様もご一緒にどうぞって。雨だし車でおまたせするのも申し訳ないし、お茶くらいだしますよ」

ってLINE来たから父に見せると、父はふむとうなずいた。


二人で車から降りて玄関に向かうと、ちょうど雪彦が玄関のドアを開けて顔を出した。


「いらっしゃい。遅くにわざわざすみません、どうぞ」


父と二人で雪彦の家にお邪魔するという謎のシチュエーション。


リビングじゃなくて別に応接間っぽい部屋があるようで、そこに通される。雪彦はコーヒーでいいですか?とわたしと父に聞いて、その場を離れる。なんとなく見たことはあるけどこうやって雪彦父、牧達彦とがっつり顔を合わせるのははじめてで、ちょっと緊張するなあ。父はそれなりに顔見知りらしく、大人の挨拶交わしてる。ご無沙汰ですだのご活躍でだのなんだの。


「きみが坂下美冬さんですね、おかあさんのほうににてるのかな?」


「あ、よく言われます。今日は本当にお忙しいのにお時間割いていただき申し訳ございません」


「いえいえ。息子のクラブ活動の関係ということだし、今日は特に予定もなかったし、大丈夫だから。わざわざお越しいただいてすまなかったね」

雪彦父は鷹揚に言う。

そう言っていただけると本当に助かるんだけど、どう聞こうか迷うな。


「えっと、単刀直入にお聞きさせてください。自殺されたってことになってる伊東先生ですが、伊東先生の残された資料がなぜか新聞部のほうにまわってきまして、それがこちらの工場からの排水による河川汚染についての調査資料なんです。雪彦くんから、伊東先生とお会いになってお話されていると聞いたので、その内容など教えていただけませんか?」


雪彦父はすらすらと語った。

「排水の件は単純にきっかけという感じでしょう。わたしとしても雪彦から顧問の先生ってことで何度か名前は聞いていたし、便宜をはかってほしいと頼まれれば、いくらでもきいてあげることはできたので、むしろあの件を持ち出してきたのは彼女の失策だと思ってますがね。排水装置の故障で濾過凝縮システムがうまく機能してなかったことと、それがなぜか見過ごされていたってことで、指摘もらってすぐ改善しました。たいした問題じゃないのは彼女もわかりそうなものなんですが、まあきっかけがないとなかなか頼めなかったんでしょう」


「ごめんなさい、その便宜とか頼みっていうのは……」


「彼女は結局、自殺されたお姉さんの、その亡くなった経緯について調べていたみたいでね。第二小の誰か、できれば教頭などの管理職を紹介してほしいっていう話だったんですよ。随分顔が広いと思ってくれてたようで。まあツテをたどれば紹介することはできたでしょう、実際にちょっと誰かいないか探してくれと親しい人間に頼んでたところなんで、こんなことになってわたしも驚いている状態でね」

「不躾なと腹をたてるには彼女は若すぎたし、線が細くはかなげな感じが早くに亡くなった雪彦の母、うちの死んだ家内にもなんとなく似てましてね、力になってあげたいと思っていたもので、とても残念に思っています。聞いたところ、遺書はないものの自殺ということのようで。近い家族もおらずお姉さんにも先立たれて、不幸な女性だったんだと思うと、なんだかね。このくらいの年齢になってくると余計に若い人の急死は刺さってね。何かできなかったのだろうかと」

雪彦父はしんみりと語った。


結局伊東先生は、千葉先生にも雪彦父にも同じことを頼んでる。彼女がこだわってたことはお姉さんの死の経緯なんだ。お姉さんの時は遺書はあったってことだけど、詳しいことは書き残されてなかったんだろうな。わたしにはあまり伊東先生が線が細いかどうかまではわからなかったけど、そういう頼みをもちかけられたらそう感じるものなのかな。でも、千葉先生は「強いものを秘めてる」って評してて、目黒先生は「たいした人で」「自殺するような人じゃない」って言ってた。伊東先生への印象が全然違いすぎて、どれが伊東先生の本当の顔なんだろう、わからなくなる。

雪彦父とうちの父は市政についての雑談がはじまってる。私はもう聞くことないなって思ってると、雪彦がコーヒーを持ってきてくれた。雪彦も腰をおろしてざっくばらんな雑談になっていく。もうこれ以上雪彦父に聞くこともなさそう。


「ではそろそろ」

と父が言ってくれて退散のきっかけになる。


「一応確認なんですが、牧社長は、9月18日、先生が転落した日なんですが、夜はどうされてましたか?」

帰ろうと腰をあげていた父がいきなり聞く。雪彦父は考え込む。


「どうでしたかね、ちょっとまってください」

手帳を開いて、言う。


「その日の夜はたいして予定がないので、8時くらいには家に戻っていたはずです。どうかな雪彦?」


「そうだよ、その日はチェスを2試合してどっちも僕が勝った日だから」


「お、その日か。最近ちょっとチェスに凝ってましてね、雪彦につきあってもらってたんだが、まだまだ下手でね」


雪彦父はそう言って笑った。



帰り道、父に聞く。

「なんで帰り際にあんなこと聞いたの?牧社長のこと疑ってるわけじゃないよね?」


「まあな。ただ念の為だよ。念の為に聞くってことは大事なことなんだ」


母じゃなくて父がこういう言い方をするのは珍しい。助手席に乗り込むと何かが視界にはいる。何か落ちてる。助手席の足元から拾い上げると、手帳、それも黒い表紙の。

開こうとする前に父の手がそれをスッと引き取った。


「ここにあったのか、探してたんだ」


黒い手帳。まさか、ね。

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