第11話 動かない腕と精霊の声

 ……あれからどれくらい登り続けただろうか。

 もう歌も何曲目かわからない。 

 でもミュナの歌のおかげで心は落ち着き、安定して登ることができていた。


 ただし薬はもうヒールポーション一つだけ。

 ピッケルも替えはなく、魔力ももうすぐ尽きるだろう。


 とはいえ、決して絶望だけが待っているという訳ではないようだ。


「これは、白い壁!? まさかこれは……!?」

 

 ふと気付くと、先の壁が徐々に白く変わっていることに気付いた。

 あれは間違い無い、塔の壁の材質と同じだ。


 それに頭を上げれば黒いモヤもが見えていた。

 しかも思ったよりも近いぞ!? 歌に聞き惚れていて気付かなかったらしい。


 これなら届くかもしれない……!


「ミュナ、最後のポーションを」

「うん、わかた! ――あっ!?」


 だがここで痛恨のミスを犯す。

 ミュナが手を滑らせてポーションを落としてしまった。


「ご、ごめんなさいアディン! ミュナ……」

「いや、気にしないでくれ。だったら後は気力だけでどうにかしてみせる!」


 そうさ、そんな些細なことで怒るなら、その意識を先へと向けろアディン!

 その想いでピッケルを差し、白い壁の先へ。


 ――だがそう上手く行き続けるとは限らなかったようだ。


「うっ!? か、硬い!?」


 白い壁は当然、石材でかなり硬い。

 おかげでピッケルが刺さりにくく、初手を弾かれてしまった。

 

 だけどっ……!


「なら魔力含有量を増やすまでだ! はあああっ!」


 それでも諦めずに強度を上げたピッケルで再度打ち、見事に突き刺さる。

 さらには気合いを込め、どんどんと先へ進む。


 しかし耐用限度が越え、右手のピッケルが折れてしまった。


「ぐっ、ピッケルが折れたか!? それなら!」


 だからと俺は誓いの短剣を抜き、それをピッケル代わりにして突き刺す。

 終わりが近いんだ、これくらいは保ってくれよな!


 体力も魔力も限界に近い。

 気力だけが俺の心を繋いでいる。

 体が壊れてもいい、結果倒れたってかまわない。


 せめてあの先へ、あの塔へ……!


「――ッ!?」


 だが突然、左腕が動かなくなってしまった。

 あともう少しでモヤだというのに、腕が震えて、上がらない。


 体を支えるだけで、もう手一杯なんだ。


「あ、あ、ちくしょう、もう少し、なのに!」


 涙が溢れてくる。


「たのむ、動いてくれ、俺の腕ぇ!」


 嗚咽が止まらない。


「ああああああ!!!!!」


 こんな現実を受け入れたくなくて、叫びだけが打ち上がった。


 もうここまでなのか。

 願いを叶えられず、あの場所に戻るのか。

 そう受け入れたくなくて咽び泣く。

 しかし誓いの剣を掴んだ手も少しずつ滑り離れようとしている。


 こんなことがあっていいのかと嘆いても、現実は変わりはしないのだ。


「声が聞こえるよ」

「――え?」

「精霊の声、聞こえるの! あははっ!」


 だけどそんな時、ミュナが理解しがたい行動をとった。


 自ら拘束帯を外し、荷台でそっと立ち上がる。

 するとなんと穴へと向け、背中から落ちてしまったのだ。


「あ、ああっ!?」


 もう何が起きたのかさっぱり理解できなかった。

 ミュナが背中から消えて、気配も消えてしまった。

 その事実を前にただ呆然とする他なかったんだ。


「俺は、俺はあっ……!」


「あははっ! アディン! 見てっ!」


「――えっ!?」


 だけど次の瞬間には、俺は別の意味で呆然とせざるを得なかった。


 あろうことか、ミュナが宙を浮いて戻ってきたのだ。

 それも緑色の風を纏いながら嬉しそうにはしゃいで。


 でもなんで?

 なぜ彼女はこうも浮けている……?


 人が空に浮くなんて、そんな事がありえるのか……!?


「アディンもきて! みんなが乗せてくれるって!」

「み、みんな!? 何を言って――」

「はやく、ほら、怖くないよ!」


 でもミュナはニッコリと微笑みながら手を差し伸べてくれた。

 まるで何も心配いらないと言わんばかりの、いつもの優しい笑顔だ。


 そんな彼女が愛おしくてたまらない。

 だからか、気付いたら手を伸ばしていた。

 短剣に注いでいた魔力さえ途切れさせ、壁から引き抜いて。


 そして俺もまた宙に浮いていたのだ。

 彼女に触れるまでも無く、まるで何かに抱かれたような感覚の中で。


「こ、これは……!?」

「みんながね、助けてくれるって!」

「その、みんなって?」

「精霊!」

「せい、れい……?」


 そういえばさっきもそう言っていたな。

 だけどその「せいれい」というのが何なのかはわからない。

 でもなぜだ、どうしてそんな言葉が俺にわかる?


「アディン!」

「えっ!?」

「行こ! あの先に!」


 ――いや、考えるのは後でいい。

 今はここを抜けてあの塔へ戻ることが先決なんだ。


 だから俺はミュナの手を取り、こう答える。


「……ああ! 行こう! ミュナ、頼めるか?」

「うん、大丈夫だって!」


 すると彼女もボロボロになった手を優しく包んでくれた。


「よぉし、いっけえーーーーーーっ!」

「う、うわあっ!?」


 そんな手を彼女がいきなり持ち上げ、元気いっぱいに咆え上げる。

 そうしたら途端に体が持ち上がり始めた。

 すごい、勢いがどんどん上がっていくぞ!?


 モヤもみるみる近づいてくる。

 思っていたよりもまだ距離があったみたいだが、この勢いならすぐ着くだろう!


 ――あ、いやでも待てよ!?


 とうとうモヤへ突入、視界が真っ暗に包まれる。

 けれどすぐにも視界が晴れた。


 だが。


「ううっ!? 天井がっ!?」


 そう、モヤの先では天井が待ち構えていたのだ。

 しかもこの速度でこのまま当たれば大怪我は免れない!


 そこで俺は咄嗟にミュナを抱えて丸まった。

 体になけなしの魔力を駆け巡らせ、体を硬化させつつ。


 直後、背中に衝撃が走る。

 続いて何度か跳ね、転がるような感覚もが全身を巡った。


 ……落ち着いた、か?


 それでミュナを離し、ごろりと寝そべってみる。

 そんな俺の視界の先にはモヤがあった。それと白い壁も。


 そう、俺たちは無事に穴抜けててっぺんにまで到達したのだ。

 天井――ではなく塔の床、魔王級がいたフロアに。


「ふっ、ふふっ、あっははは!」


 つまりこことミュナのいた洞窟は逆さま合わせになっているという訳だ。

 そんな意味のわからない事実に気付き、つい笑ってしまった。


 いったい全体どういう仕組みになっているんだろうな、これってさ。


「アディン、楽しそう! よかった!」

「うん、すごい楽しかった。そして辿り着けてよかった。本当に良かった……!」


 笑いの後は涙も出てきた。

 ここまで辿り着けて良かったという喜びで堪らなくなってしまって。


 だけどその直後にミュナからリンゴを差し出され、また笑ってしまう。

 君は俺を喜ばせるのが本当に得意だよな。感服するよ。


 それで俺はそっとリンゴを受け取り、齧り、そして実感するのだ。


「ああ、美味しい。こんなに美味しいリンゴを食べるのは生まれて初めてだ」

「変なアディン、前と同じリンゴなのに」


 おそらく今日ほどリンゴを愛おしく思えることは今後にも無いだろうな、と。

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