第9話 恋が欲しいんじゃない by桜田冬斗

最近、自分の感情と、信条が入り乱れている。


これらが混ざり合うということは、すなわち二つがかけ離れてしまったからで、それは俺の思うところではない。



彼女が欲しいんじゃない。



これが紛いのない事実。

例えば俺が誰かのことを好きだとか、そんなことはどうでもよくて、交際をするという行為が間違いだというただそれだけ。


人は彼女(彼氏)というものに囚われている。交際相手、相手の恋愛対象である自分自身。 それらに自信がないのだ。

だから人は彼氏、彼女といった”段階”を新たに創った。

結婚の前に相手が真に自分の理想であるか、自分が本当に相手に相応しいか。

その疑心を確信、あるいは安心という形に変えたいからこそ、そんな定義に縋りつくのだ。


でもそれって交際してなくても確認できるよな。


昔の人に彼氏や彼女といった関係が存在したか?

昔の人の結婚はみんな失敗したのか?


俺たち現代人が勝手に定義した”交際”という曖昧な関係性。

その定義条件は互いが交際相手であると認知すること。


だからどうした。


付き合ってるんだから手をつなご。

付き合ってるんだし一緒に帰ろ。

いいじゃん付き合ってんだし―――


付き合う前と、後。

何が違うのだろうか。

試しに付き合うとかは論外。

互いが好きだと認知して、あるいは相手が自分のことを好きなのだと自覚する。


なら手をつなげばいいじゃん。互いに好きなんだから。

別に付き合ってるからとかじゃないだろ。

お互い不快じゃないから、そして触れ合いたいからそうしてる。


好きだから一緒に帰るんだろ。

付き合ってるとか、そんな形式や体裁に因るじゃない。逆にそうなのだとしたら、それは好きじゃないってことじゃないか?


相手が自分のことを好きなら付き合ってみる。

付き合う過程で好きになるかもしれない。

こんなこと、例えば結婚するときに同じことは言えないだろ。


好きでも無い相手と、たとえ一定期間でも付き合うというのは相手からの愛を冒涜し、自らの視野を狭めている。


付き合ってないけど好き同士だから手をつなぐ。

好きじゃないけど付き合ってるから手をつなぐ。


どちらが正しい?

前者だろぅ。


おい、好きじゃなけりゃ付き合わないだろ、とか思ってないか?


 相手のことをそこまで意識したことないけど、そこまでに悪い人じゃない。

 そんな人に交際を申し込まれたら、お前だって容易に甘んじるだろう。交際に。


 つまりは好きかどうかではなく、嫌いか否かで人を判断し、相手は妥協案としての交際を要求してくる。

 曖昧かつ許諾も放棄も簡単な手ごろな関係故に、こちらがそれを吞むことをある程度分かった状態でそれを申し出てくるのだから、ある意味”強要”といっても過言ではない。


 好き同士なら手をつないでもいい、なのに付き合ってないからとそれが憚られる。

 じゃあ付き合ってもらえるかという告白では相当な緊張を感じることだろう。


そりゃそうだ。


現代の交際という関係はあらゆるスキンシップの許可を互いに課すからだ。


 では例えば、彼氏や彼女といった関係性がないとして、「自分が相手のことを好きだということを伝えるだけ」の告白ならばどうだろうか。


 何かを断られるのでもなく、ただ率直に花を綺麗だと褒めるようなものだ。


 もしそのように告白されて、自分も相手のことが好きなら、その旨を伝えて、なら手をつないでいいかとか、一緒に帰ろうだとかなるだけ。

 それがしたくなければ何も言わなければいいだけ。

告白は告白でも報告に近い。


結局のところ人は間違えたのだ。


付き合うから好きなわけではない。

好きなら付き合う必要なんてないはずだ。


付き合わなくたって愛を育み、分かち合い、理解し、共有し、その先にあるものが結婚なのだ。


 先ほど交際は”段階”と言ったが、正しくはだ。

 結婚というゴール、それは線分ではなくその後も続く直線かもしれないが、その線の中で、交際はその途中の点に過ぎない。

 そこがチャックポイントでも目標でも踏み出すための階段でも超えるべき壁でもない。ただのそういう印なのだ。

そういうこともあったというだけの事実。


 付き合うことで自分が相手に好かれているのだと思って、相手を想うことをやめる、もしくはその頻度や大きさを減退させる者がいる。

 それは結婚という目標に向かって伸びる道の途中でしかないということが分かっていないのだ。


当然交際と結婚が両方始点を同じくする方向ベクトルであるのは知っている。

それが問題なのだ。


人というのは、すべての人と恋愛することはできない。

 交際相手がいれば勿論、出会った中という制限の中でしか心をときめかすことが出来ない。当然のことだ。


 しかしどうしてか、人はその中にこそ運命を見出そうとする。

 いわゆる一目惚れというものであれば、断定的に運命だとか、好きだとか、そういう恋愛感情も否むことはできないのだろうが、会うにつれて人となりを知り、その人自身を知りゆくうちに好きになる、あまつさえこの人しかいないのだという妄言を吐く。


 いよいよ哀しいことだ。末だ見ぬ人への可能性を捨て、今自分の中にあるものでしか物事を嗜むことができない。なんとも一元的かつ多角的とは到底言い難い視点、思考だ。


 付き合うと、その人以外に目を向けられなくなる。いや、向けてはいけないのだ。仮にも好きだと宣言し合った者同士のはずなのだから。


だからこそ、俺は「自分の視野が狭くなる」と言ったのだ。



人と人とが織りなす関係は、恋などでは形容出来ず、表現できない。

愛こそが人を人たらしめるのであり、

時にそれは人を男にし、

時にそれは人を女にする。



恋愛ではだめなのだ




ただひたすらに

彼女が欲しいのではなく、

結婚がしたいというだけの話

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